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Jazz Singer
Billie Holiday/Carmen Mcrae/Dinah Shore/Ella Fitzgerald/Jo Stafford/Julie London/Peggy Lee/
Rosemary Cloony /Salena Jones/Sarah Vaughan
Billie Holiday/ビリー・ホリデー
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1915年メリーランド州の北部ボルティモアに生まれる。父が15歳、母が13歳の時の子供でビリーホリデー自身も14歳で娼婦となる。その後売春容疑で逮捕され、悲惨な少女時代を送る。そしてこの頃麻薬を覚える。1920年代末ニューヨークに移り、ハーレムのナイトクラブで歌い始める。1937/2ビリーの父(クラーレンス・ホリデー)はギターリストで南部巡業中、肺炎で急死。黒人であるがゆえにどの病院でも入院を断わられた為のものであったが、そうした出来事からビリーはこれまでのカウント・ベイシー、アーティー・ショー楽団の専属歌手から独立。ニューヨークの「カフェ・ソサエティ」に出演し始める。その後「ストレンジ・フルーツ」を生み出し大スターとなる。この「奇妙な果実」はリンチに遭った黒人が、木からぶらさがっている光景を唄ったものであるが、ビリーはこれまでの黒人の悲惨な生活やそうした彼女のバックグラウンドを歌い上げ、多くの感動を呼んだ。また、レスター・ヤングとは初共演以来レスターの人柄に惹かれ初レコーディング後同棲、テディ・ウイルソンらとも多数の録音を残している。40年代からは、かねてからのへロイン常習の為5度の麻薬不法所持で逮捕されるなど荒れた私生活を送る。その為次第にはりのある声を無くし、逮捕後の裁判中ニューヨークのメトロポリタン病院で1959年死去した。所謂、真のブルースを唄う土着的なボーカリストというのではないが、彼女の持つ独自のメロディは原曲をはるかに凌ぎ、またそこに含蓄のある人生を織り交ぜた歌唱法はジャズボーカルの原点として後世に伝えられている。
Carmen Mcrae/カーメン・マクレエ
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40年、ベニー・カーター/カウント・ベイシー楽団のピアニストとしてキャリアをスタートさせた後、ヴォーカルに転向。54年のリーダー作『イージー・トゥ・ラヴ』でデビューを飾る。エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンと共に御三家と称され、ジャズ・ヴォーカルを語る際に、なくてはならないビッグ・ネームにまで成長した彼女。ビリー・ホリデイをアイドルとして、モダンなフレージングとリズム感を活かしたバラード唱法/聴衆に投げかけるように歌うトーキング・スタイルで人気を博す。代表作『ブック・オブ・バラード』
Dinah Shore/ダイナ・ショア
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天性の気品とでもいおうか……。ダイナ・ショアの歌を聴いていると、俗世間の欲とは無縁の純潔性に心が洗われるような思いがする。父子家庭に育った彼女は、大学卒業後にニューヨークで歌手としてのキャリアを歩み始め、39年にラジオ局の専属となりデビューのきっかけを掴む。その黄金時代は40〜50年代で、「Buttons and Bows」「The Gypsy」「I'll Walk Alone」などのミリオン・セラー・ヒットを放ち、ソフィスティケイトの極致といった感のあるムーディなヴォーカル・ワークで一時代を築いた。一方で彼女は新しいメディアにも常に積極的で、TV創生期の50年代初期には自分のTVショウ、70年代にもトーク・ショウをもち、どちらもロングランを記録。生き馬の目を射抜く米国ショウ・ビジネスの世界を80年代まで生き抜いた。とにかくアメリカン・ドリームの体現者としても、アメリカを代表するポピュラー・シンガーとしても、永遠に人々の記憶に残る存在です。
Ella Fitzgerald/エラ・フィツジェラルド
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1918年4月25日 バージニア州ニューポート・ニュース生れ。34年チック・ウェッブ楽団の専属歌手となり、38年のヒット作で一躍スターとなった。46年からJATPに参加。55年の春、20年に渡るDeccaとその契約が切れ、Verveに移り、 そこで作曲家シリーズのソング・ブックが好評を博した。DownBeat誌の人気投票では52〜71年まで連続1位に輝いている。 72年末頃には内障眼のために失明が懸念され、再帰が危ぶまれたが、73年夏のジャズ祭で元気な姿を見せた。その後、旧友Norman Grantz の元にあって活躍、健在ぶりを示す。史上最高の女性ジャズ・シンガーとの呼び声も高いエラ・フィッツジェラルド。スタンダードとなった「レディ・ビ・グッド」「アイ・ゲット・キック・アウト・オブ・ユー」によって、その名声は不動のものとなった。
Jo Stafford/ジョー・スタッフォード
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1920年11月12日カリフォルニア州コーリンガ生まれ。
少女時代に二人の姉とスタッフォード・シスターズを結成。37年にコーラスのバイド・バイバースに加入。このグループは39年にトミー・ドーシー楽団の専属となり、44年には、ソロ歌手として独立。67年からは、引退生活をしている。代表作は、「ジョー・プラス・ジャズ」
Julie London/ジュリー・ロンドン
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1926.9.26アメリカ、カリホォルニア州、サンタローザで生まれる。1944年映画「赤い家」でデビュー。1950年テレビに転向し そのハスキー・ボイスで世の男性(特に中年?)を魅了する。1955年映画「女はそれを我慢できない」でCry MeA Reverを歌いレコード歌手としてのパスポートをえた。15才の時、学校をやめてエレヴェイター・ガールをしていた時、エレヴェイターに乗り合わせたスー・キャロル(アラン・ラッド夫人)にスカウトされ女優としてスタートした。1947年、テレビ俳優ジャック・ウェブと結婚、51年に引退。1953年ウェブと離婚したことにより、歌手を志して芸能界復帰。レコードはベツレヘムに初吹き込みした。
Peggy Lee/ペギー・リー
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1920年5月20日、ノース・ダコタ生まれ。スカンジナビア人の家系に生まれ、悲運な幼少時代を送ったが、41年にシカゴで"ザ・フォー・オブ・アス"というヴォーカル・グループのメンバーとして歌っているところをベニー・グッドマンにスカウトされ、彼の楽団の専属歌手に。その後、彼女はグッドマン楽団のギタリスト、デイヴ・バーバーと結婚。43年にはソロ活動を開始し、「That Old Feeling」や、バーバーとの共作「It's AGoodDay」「Don't Know Enough About You」「Manana」などを快調にヒットさせている。50年の<Capital Records>時代にはバーバーをアレンジャー/コンダクターに迎え、オーケストラの演奏をバックに、その魅力的なハスキー・ヴォイスで人々を魅了。
Rosemary Cloony /ローズマリー・クルーニー
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ローズマリー・クルーニーは、楽曲を自分なりに解釈して歌うことのできるジャズ・シンガーたち(ビリー・ホリデイやフランク・シナトラなど)の伝統をまっとうに受け継いだ素晴らしい才能の持ち主。50年代にはミッチ・ミラーのプロデュースのもと、毒にも薬にもならない曲をたっぷりと録音させられたが、それにもかかわらず素晴らしい作品を数多く残したのは、彼女の優れた感情表現によるものだろう。クルーニーはデューク・エリントンと一緒にレコーディングを行った最初の大物ヴォーカリストであり、その他にもベニー・グッドマンやハリー・ジェームズ、ネルソン・リドルといった巨匠たちとも優れたレコーディング作品を残している。
Salena Jones/サリナ・ジョーンズ
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44年1月29日、アメリカ・ヴァージニア州生まれ(初めてのステージ名はジョーン・テンプルだった)のサリナ・ジョーンズは、ここ日本でも不変の人気を誇るヴォーカリストである。若い頃から地元で歌っていたが、ニューヨークに新天地を求めて移住。「September Song」をハーレムのアポロ・シアターで行われたタレント・コンテストで歌い、優勝。すぐさまヴィレッジ・ヴァンガード(N.Y.の老舗ジャズクラブ)でプロとして出演するようになる。そして60年代半ば、アメリカを去りヨーロッパへ移住。パリやロンドンで歌い始め、多くの賞賛を獲得した。またTV出演も多数こなし、シングルでは「A Walk In The BlackForest」が大きなヒットとなっている。
Sarah Vaughan/サラ・ボーン
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ビリー・ホリデイの後を継ぐ、女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家の一人、サラ・ヴォーン。3人のなかで最も深み/粘りのある声を披露し、その大柄な体格から生み出される声量はオペラ並みだった。ユッタリ/タップリ謳うその様は、まわりの空気/雰囲気すべてを呑み込み、たゆまぬ流れを湛える大運河のようである。そんな彼女を当時の聴衆は、ジャズ・ヴォーカリストの枠を超越した“ザ・シンガー”と賞賛した。24年ニュージャージー州生まれのサラは、45年にソロ歌手としてデビュー。その後、47年〜51年までダウンビート誌の女性歌手部門で1位の座をキープした。年代別に彼女の代表作を追っていくと、49年〜53年の<CBS>時代には、マイルス・デイヴィスとのセッションを含む『イン・ハイ・ファイ』や、ベスト盤ともいえる『アフター・アワーズ』が一押しである。また54年〜59年の<マーキュリー>時代は高水準な演奏が多く、クリフォード・ブラウンやキャノンボール・アダレイとの共演盤もあるが、特にカウント・ベイシー楽団をバックに従えた『ノー・カウント・サラ』が素晴らしい。――90年死去。
2004/10/15 レイアウト更新