対談 新田次郎VS橋本忍 タイトル
週刊小説 1977年7月8日号
※読みやすさを考慮して漢数字を算用数字で表記した。
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「週刊小説」に掲載された新田次郎氏(原作者)と橋本忍氏(脚本家)の対談は、映画公開前に行われた。ちょうどこの時期の橋本忍氏は、試写会や宣伝のために全国を周っていた。新田次郎氏は65歳、橋本忍氏は59歳。若い。
対談 新田次郎VS橋本忍 1
予想外の「八甲田山」の女性人気!
なぜ女性に人気があるのか、橋本さんの話は続く。
対談 新田次郎VS橋本忍 2
橋本さんがおっしゃている、「東宝が行った試写会希望アンケート」は、当サイトの「プレスブック・訴求対象」をご覧いただきたい。

>『男の悲しさだとか、つらさ、強さ、やさしさというものが・・・』
>『女の人はこれを見ることによって、自分が女性であることを自覚する・・・』

加山雄三氏と北大路欣也氏のまったく言うとおりである。補足することが無い。モテ男は乙女心がよく分かっているという事か。

驚いたのは、橋本忍氏が女性受けする脚本を意図的に書いたわけじゃない、ということだ。映画館に来る女性観客(しかもピチピチOL)の姿に一番びっくりしているのか橋本氏なんだから。

映画「八甲田山」 千代田劇場だからといって、女性層をわざと狙って作ると、女性たちは総スカンする場合もある。女性受けに無自覚だった脚本と、女性受けを知りつくしているモテ男優の共同作業の化学反応がヒットした要因のひとつを作った・・・というわけか。

女性人気の証拠写真がある。
1977年6月18日スポーツニッポンに、東京・千代田劇場で入場を待つお客さんが写っている。本当に半分くらい女性客なのだ。驚いた。
対談 新田次郎VS橋本忍 3
予想外の女性人気に、ウレシさより、戸惑い気味な橋本忍氏。

対談は、新田次郎氏が短編小説「八甲田山」を書くことになったきっかけや、「八甲田山死の彷徨を」書き上げるまでや、橋本忍氏が映画になるぞと確信するまでが語られているが中略。すまぬ。・・・次は小説と映画の違いについて。
対談 新田次郎VS橋本忍 4
「題材」を描く。

小説と映画という異なった媒体(カンバス)に、同じ「題材」を表現する。
どんな筆が良いのか?どんなインクか?どんな手法か?・・・。

新田次郎は小説家の手法で「八甲田山雪中行軍事件」を小説化し、
橋本 忍は脚本家の手法で「八甲田山死の彷徨」を映画脚本化し、
森谷司郎は映画監督の手法で映画「八甲田山」を作り上げた。

小説ではできない表現(描写)と、映画ではできない表現(描写)の違い。
小説だからできる表現(描写)と、映画だからできる表現(描写)の違い。
対談 新田次郎VS橋本忍 5
対談 新田次郎VS橋本忍 6
橋本忍氏と、森谷司郎監督と、野村芳太郎プロデューサーの3人が大船撮影所の喫茶店で意見一致して決めたのが徳島大尉役の高倉健だ。そして高倉健の推薦で神田大尉役に北大路欣也が決まった。・・・二人が史実の人に似ているのは偶然なのか。
対談 新田次郎VS橋本忍 7
健さんを先頭に、ストイックに撮影がすすんだ弘前隊。
スター俳優が、寒がり歌い励ましあいながら撮影がすすんだ青森隊。
対談 新田次郎VS橋本忍 8
今でも加山氏と北大路氏から、「八甲田山」の過酷な撮影エピソードがなにかと語られる。このときの森谷監督は鬼(笑)そのものだったらしい。
対談 新田次郎VS橋本忍 9
企業のために「八甲田山死の彷徨」を書いたんじゃないと断言する新田次郎氏だが、どうしても話しが組織のあり方の方面に向かってしまう。企業論を抜きにして語れない作品なのだろう。
対談 新田次郎VS橋本忍 10
連隊長がいけないと断言する新田次郎氏。
山田少佐が悪いんだと思ってた橋本忍氏。
事件は旅団長の「あいまいな言葉」からはじまった。

旅団長、連隊長、士官、下士官、兵卒それぞれの立場の問題点を考えなければならない。
対談 新田次郎VS橋本忍 11
当初、撮影のロケ地は、長野か群馬のスキー場で行えばいいと考えていたこと。独立プロだからこそ思い通りにできたこと。「八甲田山」の成績で日本映画の方向が決まる指針になってしまったことが橋本忍氏から語られた。

ともかく、この原作者と制作者の対談は、今となっては貴重な「記録」だ。プライベートの会話ならどこにも残らないし、あらたまって二人が会話することもなかったかもしれない。この対談の3年後に新田次郎氏は急逝する。

もっとどこかに当時の対談が残ってないかと、さがしている管理人です。

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