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Let's Go「日本のあちこち」ページメニュー
日本各地(青森以外)の、「八甲田山雪中行軍遭難事件」や「1902年」や「明治」なスポット。
八甲田山雪中行軍遭難事件や関係者に関するところ
山口少佐生誕地、墓地(東京・上野)
八甲田雪中行軍凍死者鎮魂碑(岩手・一関市)
雪中行軍記念「殉国碑」(岩手・一関市)
八甲田雪中行軍慰霊石灯籠(岩手・宮古市)
小原忠三郎伍長奉納「記念額」(岩手・北上市)
後藤惣助一等卒奉納「記念額」(岩手・奥州市)
雪中行軍凍死者追悼碑(岩手・北上市)
「雪中行軍凍死軍乃招魂之碑」(岩手・花巻市)
津川連隊長揮毫「忠魂碑」(鳥取・日野郡)
津川連隊長揮毫の門柱(鳥取・倉吉市)
浄名院(東京・上野)
福島大尉生誕地、墓地(群馬・伊勢崎市)
水野家墓所(和歌山・新宮市)
八甲田山雪中行軍遭難事件について調べられるところ
国立国会図書館・東京館(東京・永田町)
国立国会図書館・関西館(京都・相楽郡)
国立公文書館(東京・竹橋)
靖国偕行文庫(東京・九段北)
防衛研究所(東京・中目黒)
鷹巣図書館(北秋田市・鷹巣)
浅井歴史民俗資料館(滋賀県長浜市)
1902(明治35)年当時を感じられるところ
子規庵(東京・鶯谷)
子規堂(愛媛・松山)
秋山兄弟生誕地(愛媛・松山)
「坂の上の雲」物件(愛媛・松山)

行動計画 |  青森市周辺 |  八甲田山・太平洋側
八甲田山・日本海側 | 弘前市周辺 |  キンコの八甲田山な旅

山口少佐生誕地、墓地(東京・上野)

山口少佐が生まれ幼少期を過ごした場所、東京・上野付近
場所/東京都台東区東上野(旧・東京市下谷区下谷西町)
最寄/JR山手線・京浜東北線「上野駅」から徒歩5分

下谷神社山口少佐は、幕臣成沢家の3男として東京市下谷(したや)区に生まれた。幼少の一時期を静岡県沼津ですごし、再び下谷区に戻り、士官学校を経て軍人になり、36歳の時に山口家の養子になった。

「下谷区下谷西町」の町名は、現在「台東区東上野」に変わっている。変わったのは地名だけではなく、武家屋敷があった街も、時代の流れとともに庶民が生活する住宅地になり、今では中層ビルが建ち並ぶ街に変貌した。昭和39年に消滅した「西町」の地名は、今では「西町公園」くらいしか痕跡が残っていない(管理人調べ)。その西町公園も、西町小学校(1997年3月統合により廃校)の跡地に作られている。

旧下谷区下谷西町付近近所にある「下谷神社」の創建は天平2年(730年)。一説によると西町の地名は下谷神社に由来している。コンパクトだが風格のある社殿で、5月の大祭は大盛況になるらしい。昭和6年の区画整理で少し移動しているが、当時の成沢少年(山口青年)が手を合わせたであろう御神体に、私も手を合わせた。(2009年5月訪問。このあと管理人は国立博物館「国宝・阿修羅展」の入場に100分行列した)

上野には山口少佐が眠っている墓地
山口家の墓地に、山口少佐専用?の墓碑がある。場所は明かせぬ申し訳ない。
1回目訪問■2009年5月弘前隊の間山伍長のご子孫Mさん(伏字になってない)と一緒に訪問。花を供え、日ごろ勝手に話題にしてお世話になっていることを詫びた。
2回目訪問■2010年1月23日訪問。ひとりで墓地に来るのは正直心細い。ちょっと迷ったし。墓前には樒(しきみ)がお供えされていた形跡があった。小さなお花をお供えして手を合わせた。太り気味の野良猫が墓碑の横で寝転がり、ずっと私の様子を見ていた。

墓碑正面/陸軍歩兵少佐正六位勲五等功五級 山口ユ
墓碑右側/明治三十五年二月二日 ※亡くなった日にち
墓碑左側/雪中行軍中因八甲田山雪難卒

Masami's HP_浅草下谷散歩(旧町名探訪)
下谷神社HP
江戸−東京市街地図集成T、U 柏書房・・・スゴク大きくて重くて参考になる本

八甲田山雪中行軍凍死者鎮魂碑(岩手・一関市)

青森隊・菅原多重一等卒の慰霊碑
場所/岩手県一関市滝沢地区 管理人未訪問
最寄/JRドラゴンレール大船渡線「真滝駅」

真滝村滝沢(現・岩手県一関市滝沢)出身の菅原多重一等卒(青森第5連隊)のご子息である菅原佐平氏が建てた慰霊碑。菅原佐平氏は明治18年3月17日生まれの海軍軍医で、一関市長も勤めた。
慰霊碑の場所/滝沢お宝マップ(25をクリック)
菅原佐平氏の経歴/真滝村村史第16章「人物」

雪中行軍記念「殉国碑」(岩手・一関市)

ラッパ手・芳賀卯一郎二等卒の慰霊碑
場所/岩手県一関市室根町津谷川(つやがわ) 管理人未訪問
最寄/JRドラゴンレール大船渡線「矢越駅」

大津保村津谷川(現・岩手県一関市室根町津谷川)出身の芳賀卯一郎二等卒(青森第5連隊)を追悼して遺族が建てた慰霊碑。芳賀二等卒はラッパ手で当時23歳。犠牲者は独身者が多かったが、芳賀二等卒には3歳になる女児がいた。そのほか詳しくは下記「岩手の戦争遺跡をあるく」で。
「岩手の戦争遺跡をあるく」加藤昭雄・・・岩手県に特化しているが情報量が多く、読み応えがある

八甲田雪中行軍慰霊石灯籠(岩手・宮古市)

青森隊・佐々木留吉一等卒の慰霊碑
場所/岩手県宮古市 善勝寺 管理人未訪問
最寄/山田線「千徳駅」

下閉伊郡千徳村(現・岩手県宮古市)出身の佐々木留吉一等卒(青森第5連隊)の鎮魂のため建てられた、善勝寺にある「石灯篭」。
「みやこ百科事典」瑞源山・善勝寺石碑巡礼・・・現在リンク切れ

小原忠三郎伍長奉納記念額(岩手・北上市)

小原忠三郎伍長が奉納した記念額
場所/岩手県北上市二子町 二子八幡神社 管理人未訪問
最寄/JR東北本線「村崎野駅」から徒歩30分

和賀郡二子村(現・岩手県北上市二子町)出身の小原忠三郎伍長(青森第5連隊)が二子八幡神社に奉納した「記念額」。二子八幡神社は二子城跡の「飛勢(とばせ)の森」と呼ばれる丘の上にある。
「地域ジャーナリスト但木汎氏のレポ
「岩手の戦争遺跡をあるく」加藤昭雄・・・岩手の戦争遺跡を扱った本。古本で入手可能。

後藤惣助一等卒奉納「記念額」(岩手・奥州市)

後藤惣助一等卒が奉納した記念額
場所/岩手県奥州市水沢区 鎮守府八幡宮 管理人未訪問
最寄/JR東北本線「金ヶ崎駅」

岩手県奥州市出身の後藤惣助一等卒(青森第5連隊)が、鎮守府八幡宮に奉納した「記念額」。
「地域ジャーナリスト但木汎氏のレポ 鎮守府八幡宮HP
「岩手の戦争遺跡をあるく」加藤昭雄・・・岩手の戦争遺跡を扱った本。物件の地図付きで便利。

雪中行軍凍死者追悼碑(岩手・北上市)

岩手県和賀郡郡(現・岩手県北上市、花巻市、和賀郡郡の一部)出身13名の慰霊碑
場所/岩手県北上市常盤台 大黒神社 管理人未訪問
最寄/JR北上線「柳原駅」

大黒神社に奉納された、和賀郡郡出身で犠牲になった13名(千田権次郎上等兵、富澤兼松一等卒、軽石三蔵二等卒、藤本左近曹長、福山勉吉伍長、小原房松二等卒、大松庄七一等卒、菅野喜七一等卒、朝倉豊治一等卒、菊池連次郎一等卒、菊池慎吾一等卒、照井勇次郎一等卒、高橋多吉二等卒)の名前が刻まれた慰霊碑。この地区出身者の14名が雪中行軍に参加したが、小原忠三郎伍長のみ生還した。
「岩手の戦争遺跡をあるく」加藤昭雄・・・岩手の戦争遺跡を扱った本。加藤氏は高校教諭だった。

「雪中行軍凍死軍乃招魂之碑」(岩手・花巻市)

岩手県和賀郡谷内村(現・岩手県花巻市東和町)出身3名の慰霊碑
場所/岩手県花巻市東和町倉沢 阿弥陀堂内 管理人未訪問
最寄/JR釜石線「晴山駅」

阿弥陀堂内に奉納された、和賀郡谷内(たにあい)村(現・岩手県花巻市東和町)出身の3名の名前が刻まれた慰霊碑。谷合村出身は4名(小原房松二等卒、大松庄七一等卒、菅野喜七一等卒、朝倉豊治一等卒)いるのだが。
「岩手の戦争遺跡をあるく」加藤昭雄・・・岩手の戦争遺跡を扱った本。大きな図書館で見られる。

「忠魂碑」(鳥取・日野郡)

津川連隊長が揮毫した石碑
場所/鳥取県日野郡日南町下石見「亀山公園」内管理人未訪問
最寄/JR伯備線「生山(しょうやま)駅」から徒歩

にちなん日和(鳥取県日南町の情報サイト)によると、「亀山公園」は石霞渓の上流にある小山の公園で、約2000本あるつつじの名所。その公園の頂上付近に、元青森第5連隊連隊長の津川氏が揮毫した「忠魂碑」がある。津川連隊長は、鳥取藩士・佐々織雄の三男で、倉吉市内の医師・津川大庵の養子。

津川連隊長揮毫の門柱(鳥取・倉吉市)

場所/桜小学校(廃校)、東郷小学校・・・鳥取県東伯郡湯梨浜町
最寄/−

大正9年9月に、「質実剛健」と書かれた門柱が松崎小学校に建立された。津川連隊長の揮毫で、「質実」と「剛健」の文字が彫られた2本1組の門柱。その後、門柱は桜小学校に移動された。当時、津川連隊長は退役して三朝温泉で余生を送っており、松崎小学校や役場の関係者がツテを頼りに、揮毫をお願いしたのかも。その他に東郷小学校にも津川連隊長の揮毫の門柱が建立されたが、「義勇」と「恭倹」と彫られた文字は、コンクリートで埋められてしまったらしい。どちらも今見られるのであろうか?
参考/湯梨浜町HP 東郷町広報紙「広報とうごう」2004年3月号・・・「図書館」をクリック

浄名院

お地蔵様とヘチマで有名な浄名院にある「雪中行軍地蔵」
場所/東京都台東区上野桜木(線路内側の言問通り沿い)
最寄/JR山手線・京浜東北線「鶯谷駅」から徒歩10分

浄名院というお寺に「雪中行軍地蔵」があると、松木明知氏の本で知ったので行ってみた。浄名院は340年以上の歴史があり、明治に入ってから「八万四千体の石地蔵尊建立」を始めている。そのため浄名院の境内は、寄贈されたお地蔵様で埋め尽くされている。目標は84,000体。現在10,000体を越えたところ。目標は遠いが、それぞれの願いがお地蔵様に託されている。

雪中行軍地蔵さん1回目訪問■予想以上のお地蔵様の数に圧倒される。まったくどこにあるのか分からない。しかも傘を持っていないのに大雨が降ってきた。退散。
2回目訪問■1時間以上探すがまったくどこにあるのか分からない。空は晴天なのに、境内は木に囲まれ昼でも暗い。なんだかさみしくなった。退散。
3回目訪問■弘前隊の間山伍長のご子孫Mさん(伏字になってない)と一緒にお地蔵探し。曇り空。蒸し暑い。まったくどこにあるのか分からない。Mさんが声をかけたお寺の人が、わざわざ調べてくれてお地蔵の場所が判明した。
4回目訪問■平成22年1月23日訪問。やはりひとりで来るには心細い(小心者なので)。空気は冷たいが太陽は暖かい。小さなお花をお供えして手を合わせた。

「雪中行軍地蔵」は、思いのほか立派なお地蔵様だった。すでに枯れていたが、カーネーションが献花されていた。100年を越えて、今も信仰されているのだ。そして100年前に事件に心を痛めてお地蔵様を寄贈した東京の人たちがいたのだ。次に訪問するときはお花を持っていよう。

本体左側の文字/発願主 上野浄名院比丘妙運 明治三十五年三月建立
本体右側の文字/明治三十五年一月二十三日 為青森県凍死軍人之霊魂 施主八万四千地蔵講(もう6文字は半分欠けていて読めない)
石碑の文字/六體巡 五番 雪中行軍地蔵 ※體は「体」の旧字体
オスラーの考えに沿っての21世紀の医の展望(弘前大学医師会生涯教育叢書)

福島大尉生誕地、墓地(群馬・伊勢崎市)

場所/群馬県伊勢崎市境平塚
最寄/東武伊勢崎線「世良田駅」管理人未訪問(片道2500円かあ)

福島大尉は、利根川平塚河岸の船問屋に生まれた。近所の私塾「還水堂」で漢詩を学び、地元では学業優秀で知られていたが、時代の流れで実家の事業が傾いていたため、生計を求めて、教師を経験し、陸軍教導団から陸軍士官学校(第2期)に進んだ。
菩提寺は「天人寺」にあり、福島大尉の墓石のとなりの「漢文碑」には、大尉の功績と漢詩が書かれている。
群馬県観光国際協会HP「福島泰三大尉の墓(天人寺)」・・・本当のお名前は「泰蔵」です。

水野家墓所(和歌山・新宮市)

場所/和歌山県新宮市橋本
最寄/JR紀勢本線「新宮駅」管理人未訪問(高速バスで片道9,900円かあ)

紀州藩付家老で、新宮領主の水野家代々の墓所。2003(平成15)年に国の史跡に指定。水野中尉のお墓もあるらしい。
文化庁_文化遺産オンライン「新宮城跡附水野家墓所」のページ
WBS和歌山放送の田辺・新宮支局のブログ「国指定史跡 新宮城跡附水野家墓所」

国立国会図書館・東京館

国立国会図書館は、日本国内で刊行される出版物を収集し、文化財として永く保存する施設
本来は国会資料作成のためにある施設だけど、一般も利用できる国の施設。
場所/東京都千代田区永田町(国会議事堂のすぐ隣り)
最寄/営団地下鉄有楽町線「永田町駅」(付近には国会議事堂警備の警察官がいらっしゃることもある)

国立国会図書館・東京館 (来館利用)
満18歳以上であれば利用可。ふつうの図書館と勝手が違い、「閉架式」なので書庫から自由に本を取り出せない。貸出しは不可。来館できなくても、地域の図書館を通じて「図書館間貸し出しサービス」を受けられる。(貸出しは不可、希少本などはサービス対象外)

「八甲田山雪中行軍遭難事件」関連の蔵書もあり、明治期の資料はマイクロフィルムで閲覧できる。膨大な蔵書から「八甲田山」や「雪中行軍」の文字を見つけ出すとワクワクする。
国立国会図書館HP
国立国会図書館・東京館 (Webコンテンツ)
近代デジタルライブラリー
版権が切れた国立国会図書館の所蔵する図書をweb上で閲覧できるデジタルサービス
近代デジタルライブラリーHP
Web閲覧できる「八甲田山雪中行軍遭難事件」関連の主な本は以下のとおり(便利だなー)
「青森聯隊惨事雪中の行軍」 佐藤陽之助/編、明治35年
「青森聯隊遭難雪中行軍」 百足登/編、明治35年
「雪中行軍記」 斎藤武男/編、明治35年
「雪中行軍捜索隊」 三沢好吉/編、明治35年
「雪中行軍遭難談」 雨城隠士/著、明治35年
「第五聯隊遭難始末記」 北辰日報社編、明治35年
「遭難始末」 歩兵第五聯隊、明治35年
「雪中の行軍」 福良竹亭/編、明治35年

国立国会図書館・関西館

国立国会図書館の関西館(そのまんま)
場所/京都府相楽郡精華町
最寄/JR「祝園駅」と近鉄新「祝園駅」からバスで約10分。話題になった「わたしの仕事館」の近く。

国立国会図書館 関西館関西館の特徴は、インターネットサービス(インターネットで注文を受けた図書のコピーを郵送する有料サービス)と、アジア情報図書の蔵書に重点を置いている。国立国会図書館に納本される国内出版物2冊のうち、1冊を関西館に収蔵することで、東京本館の蔵書数低減を図っている。
国立国会図書館HP
見たい雑誌が関西館に保管されているので、2007年10月に行って来た。めちゃくちゃキレイな施設。東京本館とシステムが違うので迷った。画像は関西館外観。デカ過ぎてフレームに収まらない。地上に出ているのは一部で、そのほとんどは地下にある。まるで氷山のような建物なのだ。(地下は温度湿度が一定しているので、蔵書に適している。東京本館も同様)

国立公文書館

国立公文書館は、歴史的資料でもある「公文書」を共有財産として保存し、閲覧できる施設
場所/東京都千代田区北の丸公園
最寄/営団地下鉄「竹橋駅」、国立近代美術館のとなり

まずは、「利用者カード」を発行し、希望する資料を端末で検索して閲覧申請をする。
マイクロフィルム資料の閲覧は、機械の使い方がわからず緊張するが、安価にセルフ複写ができるので便利。原本(ホンモノ)の閲覧は、実物に触れるので嬉しいが、緊張する上に複写が高価なのでやや不便。コピー費が経費で落とせる人が羨ましい。利用の際は原本を汚損しないように注意しよう。
国立公文書館HP
国立公文書館 アジア歴史資料センター
近現代(1860年〜1945年前後)の日本とアジア諸国の歴史資料をWeb閲覧できるサービス
各所蔵元(国立公文書館、外務省外交史料館・防衛庁防衛研究所図書館等)で保管されている資料を閲覧できるデジタルサービス。「データベース利用規則」を遵守のうえ利用くする。
アジア歴史資料センターHP

「検索メニュー」の「50音検索」に「八甲田山」の項目があるが、「雪中行軍」で「キーワード検索」したほうがいい結果が出る。主な八甲田山雪中行軍遭難事件関係の本は以下の通り。達筆すぎて読みにくい資料もあるけど、内容の一部がワープロ打ちされている配慮?がウレシイ(でも漢字ばっかり)。

勅令第四十一号・歩兵五連隊遭難ノ際死没シタル者ノ遺族ニ金円ヲ賜与スルノ件(明治35年)
勅令第四十二号・歩兵第五聯隊遭難ノ際死没シタル者ノ埋葬ニ関スル件(明治35年)
勅令第四十三号・歩兵第五聯隊遭難者ノ捜索及救護ニ従事スル者ニ糧食馬糧等給与ノ件(明治35年)
青森雪中行軍遭難者遺族へ寄贈金の件(明治35年)
藁製草鞋アッケ採用願の件(明治37年)
軍隊慰問者便乗の件(昭和7年)
雪中行軍遭難者吊慰金寄附者賞与に関する件(明治36年)
八甲田山遭難勇士供養塔建設の為陸軍用地使用許可の件(昭和3年)
テシマ採用出願の件(明治37年)発明防寒衣提出の件(明治36年)
埋葬地買収及墓標建設の件(明治35年)
遭難始末補修再版の件(明治35年)
雪中行軍遭難吊慰金報告官報へ掲載の件(明治36年)
神成歩兵中尉結婚願の件(明治31年)お相手は「ミヨさん」明治7年1月2日生れの24歳
倉石中尉結婚願の件(明治32年)お相手は「タケさん」明治9年12月26日生れの22歳
戦死歩5少佐塚本芳郎他負傷大佐津川謙光外本日迄判明の分下士以下死傷約5500生々しい・・・

靖国偕行文庫

靖国偕行文庫は、靖国神社内にある図書館
場所/東京都千代田区九段北 管理人未訪問
最寄/JR「飯田橋駅」「市ヶ谷駅」から徒歩10分、東西線・半蔵門線・都営新宿線「九段下駅」から徒歩5分

誰でも利用できるが、閉架式で原則貸し出しはできない。
戦史・戦記・部隊史・教程・教範類・英霊の追悼録・回想録等の日本近代軍事史関係資料が充実している。八甲田山雪中行軍遭難事件関連の資料もある。(管理人はまだ行ったことがない)
靖国偕行文庫HP

防衛研究所

防衛研究所は、幹部自衛官などの教育や、戦史の調査研究などを行っている防衛省の機関施設
場所/東京都目黒区中目黒 管理人未訪問
最寄/JR山手線「恵比寿駅」、営団地下鉄日比谷線「恵比寿駅」から徒歩5分

図書館(史料室)では一般の閲覧もできる。「国立公文書館アジア歴史資料センター」へデジタル化データの提供も行っている。研究所発行の「戦史研究年報・第2号」には『「歩兵第五連隊雪中行軍遭難事件」関係史料』という研究論文が載っている。
防衛研究所HP

鷹巣図書館(北秋田市立鷹巣図書館)

神成大尉の出身地、秋田県・鷹巣にある図書館
場所/秋田県北秋田市材木町
最寄/JR奥羽本線「鷹ノ巣駅」から徒歩5分

元「鷹巣町立図書館」は、自治体の合併により「北秋田市立鷹巣図書館」に改称した。
平成3年にリニューアルオープン。とっても静かな環境にある図書館。「みちのく子供風土記館」が併設されているので、閲覧のついでに鷹巣の歴史を知ることができる。八甲田山雪中行軍遭難事件や神成大尉&長谷川特務曹長に関するコーナーは無い(資料はある)。
鷹巣は「神成姓」が多い。神成大尉のお墓参りをしたが場所は内緒。すまぬ。
北秋田市鷹巣図書館(北秋田市文化会館ファルコン)HP
鷹巣駅
1900年開業の鷹巣駅。売店で「いぶりがっこ」を買った。
いぶりがっこ
いわゆるタクアンをいぶった(燻製した)のが「いぶりがっこ」
きりたんぽ鍋
創作郷土料理店「米澤屋」きりたんぽ鍋と、焼き鳥。比内地鶏が旨い!
役所の食堂
鷹巣役場の食堂で冷やし中華。役所の方に写真を撮ってもらった。

浅井(あざい)歴史民俗資料館

浅井歴史民俗資料館は、姉川の合戦の地でもある、湖北・浅井の歴史や文化を伝える資料館
場所/滋賀県長浜市大依町
最寄/JR北陸本線「長浜駅」から近江鉄道バス「アヤハディオ湖北店前」を下車して徒歩10分

琵琶湖の北部に位置する浅井町(平成18年3月に合併により消滅)は、かつて、越前や美濃に近い北国への交通の要所で、戦国時代には「姉川の合戦」の舞台になった土地。
浅井歴史民俗資料館(お市の里)HP・・・「お市」とは織田信長の妹で、浅井長政や柴田勝家の妻でもある
西邑仁平さんの兵事資料
浅井歴史民俗資料館と八甲田山雪中行軍遭難事件は関わりが無いが、この記事が目にとまった。
102歳老人が戦時の「秘密資料」を公開〜滋賀・長浜「終戦記念展」 2007/08/19

滋賀県長浜市在住の西邑仁平さん(120歳)が、個人で所有している兵事資料など150点が展示されるという記事である。その記事の写真に「凍死軍人へ義捐金徴収簿」があった。「凍死軍人」とは、八甲田山雪中行軍遭難事件のことである。青森から遠く、滋賀出身の雪中行軍隊員はいないのに、滋賀の方たちは遭難事件に心を痛め「行動を起こした」のだ。その「証拠品」が100年の時を越えて存在している。

西邑さんは明治37年生まれで、役場に入り、終戦まで兵事係(村人の召集に関する業務)を務めた方。いわゆる「赤紙」の配達も含まれる仕事に就いた。そして終戦になると、『兵事書類の全てを24時間以内に焼却せよ』と命令が下った。その処分書類に「凍死軍人へ義捐金徴収簿」も含まれていたのだ。

だが西邑さんは命令に違反して、大量の書類をリヤカーにのせて自宅に持ってきてしまった。
そして西邑さんは戦後60年以上、存在してはならない書類の存在に悩みつづける。その「書類」が公の資料館で公開されたのだ。西邑さんの行為についてはいろんな意見があると思う。だからこそ60年苦しみ60年の時間が必要だった。

ちょうど西邑さんについて調べているときに、西邑さんをモデルにしたドラマが放送された。
TBSドラマ シリーズ激動の昭和「最後の赤紙配達人」(仮) 2009年8月10日(月)21:00放送

子規庵(東京・鶯谷)

子規庵とは、正岡子規が晩年を過ごした日本家屋
場所/東京都台東区根岸
最寄/JR山手線、京浜東北線「鶯谷駅」から徒歩5分

正岡子規は、ここを病室とし、ここを書斎とし、ここで句会歌会を行い、俳句や日本語の革新の場とした。
子規と八甲田山雪中行軍遭難事件は関わりがない。だが、「子規庵」の座敷に靴を脱いで上がり、思いのほか小さな寝室にいると、膨大な日本語と奮闘した子規の鼓動を感じられるような気がする。
子規は1902(明治35)年3月19日に35歳の若さで亡くなった。子規庵HP
子規庵外観鶯谷駅近くの住宅街にひっそりと存在する「子規庵」。場所はわかりにくいが、来場者は絶えない。 キンコ画「庭をながめる子規」2005年5月の企画「私が描いた子規庵の春」
子規庵の庭を水溶性色鉛筆でスケッチ。保存会の皆さんが展示運営をしている。
子規庵あめ子規庵で販売の「金太郎飴」似てない子規がご愛嬌。 羽二重団子子規も愛した「羽二重団子」子規庵の近くのお店で、小豆はさっぱりと甘く、焼き団子は醤油のスッキリした味。テイクアウトのほか店内でも食べられる。

子規堂(愛媛・松山)

正岡子規の生家を再現した記念館
場所/愛媛県松山市末広町正宗寺内
最寄/伊予鉄「松山市駅」から徒歩5分

子規堂正岡子規が17歳(1844年くらい?)まで過ごした屋敷の一部を移築。火災と戦災で消失したが再建された。書斎がとっても質素。入場料は50円。なんと土足で上がるのだ。屋外には小説「坊ちゃん」で「マッチ箱のようだ」と表現されていた「坊ちゃん列車」(複製?)があり、乗ってみると車内の狭さに驚く。
くわしくは管理人の松山旅行記にて

秋山兄弟生誕地(愛媛・松山)

戦災で消失した秋山好古・真之兄弟の生家を再現
場所/愛媛県松山市歩行町
最寄/「大街道駅」から徒歩5分

秋山兄弟生誕地こんもりとした松山城の山麓。松山市繁華街の「ロープウエー通り」を歩いて右に入った住宅街。観光客が意外(?)と多く、ボランティアの素朴な心配りがうれしい。館内でビデオ上映されている「秋山兄弟生誕の地が再建されるまで」はちょっと予備知識がいる内容かな? 館外ではマドンナと写真を撮ったり、ベンチで休憩したりマッタリできる。庭にある騎乗した兄・好古の像と、弟・真之の胸像は、ばらばらに置いてあるようで、実は二人の視線が合うように配置されている。くわしくは管理人の松山旅行記にて
秋山兄弟生誕地公式HP

「坂の上の雲」物件(愛媛・松山)

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」による地元松山への影響について 
日露戦争を扱っている小説なのに、我らが「八甲田山雪中行軍遭難事件」を完全スルーしてくださった司馬遼太郎センセイ。だが我々はスペシャルドラマ「坂の上の雲」をスルーするわけにはいかない!
愛媛松山市は、いまだに「坊ちゃん」で盛り上がっている(褒めている)が、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の放送により、主要登場人物を輩出した地として、さらにヒートアップしていているのだ。
スペシャルドラマ「坂の上の雲」HP・・・「メイキング」がおもしろい
Z旗「坂の上の雲」小説・ドラマまとめサイト・・・内容が豊富すぎて読みきれないファンサイト
坂の上の雲ミュージアム
小説の舞台は日露戦争。100年過ぎた歴史上の出来事とはいえ、まだどこか生々しさが残っている。緻密に計算されたミュージアムの本体(建物)は素晴らしいが、戦争をどう扱うか、戸惑っている。「公」には持て余す内容だ。館内に置かれている「感想ノート」に「これは税金の無駄使いではないか?」と愛媛県民からの指摘。・・・作ったのだから活かすしかないが、どうすればよいのか答えが思い浮かばずミュージアムを後にした。
坂の上の雲ミュージアム安藤忠生設計のミュージアムは、建物全体が5度傾斜している。工法が難しく、良い業者を使ったんだろうなー。 坂の上の雲ミュージアムミュージアム入場券売機付近に置かれている看板。手前から秋山弟、子規、秋山兄(てっきり漱石かと)写真提供:管理人の弟
「坂の上の雲」バス
「坂の上の雲」バス2008年11月松山訪問時に「坂の上の雲」宣伝塗装バスを発見。塗装されているのは、演じる阿部ちゃんやモッくんじゃなくて本物さんの写真。現在の芸能人より明治の偉人ほうが肖像権的に問題が無いからであろうか?松山には、こんな渋いバスが走っている。