水曜スペシャル「死の八甲田山の謎!映画も明かせなかったその真相」
地獄の雪中行軍隊199名は何を見たか!?
放送日/1977(昭和52)年7月20日、放送局:NET(現テレビ朝日)
地獄の雪中行軍隊199名は何を見たか!?
放送日/1977(昭和52)年7月20日、放送局:NET(現テレビ朝日)
あの「川口探検隊」の、栄えある第一回目放送は、「八甲田山」特集だった!
当時のテレビ放送を録音したテープを聴き起して、当時の雰囲気を再現してみた。
文字だらけのページになったが、興味のある方には、たまらない内容だと思う。
※60分カセットで録音のため、1時間半の番組を全て記録できていない。
※人名などは、音声から想定されたもので、必ずしも正確ではなく、一部は匿名とした。
※部隊名の表記は漢数字だが、ここでは見やすさから算用数字を採用した。
※聴き起しは、テープ提供者のジンさん。

スポーツニッポン1977年7月20日号13面の番組宣伝広告
磯野洋子/女優。
西村 晃/俳優。映画、テレビでの活躍はもちろん声優も数多い。2代目『水戸黄門』
高木 勉/作詞家。八甲田の雪中行軍から生還した福島大尉の甥にあたり、研究本も書いている。
小笠原弧酒/フリーライター。雪中行軍事件の取材に私財を投じ、新田次郎の現地取材に協力した。
橋本 忍/脚本家。黒沢明監督作品や、70年代の大作映画の脚本を担当した。
森谷司郎/映画監督。青春映画を経て70年代大作映画で大活躍。『日本沈没』、『動乱』などが代表作。
新田次郎/小説家。中央気象台在職中に直木賞受賞。退職後も戦国時代や山を舞台にした小説を執筆。
この特番のロケ風景についての取材記事(参考/東奥日報1977年8月18日3面記事より)
当時のテレビ放送を録音したテープを聴き起して、当時の雰囲気を再現してみた。
文字だらけのページになったが、興味のある方には、たまらない内容だと思う。
※60分カセットで録音のため、1時間半の番組を全て記録できていない。
※人名などは、音声から想定されたもので、必ずしも正確ではなく、一部は匿名とした。
※部隊名の表記は漢数字だが、ここでは見やすさから算用数字を採用した。
※聴き起しは、テープ提供者のジンさん。

スポーツニッポン1977年7月20日号13面の番組宣伝広告
出演者(登場順)
川口 浩/俳優。映画を経てテレビで活躍。「川口浩探検隊」は全43回の人気シリーズになった。磯野洋子/女優。
西村 晃/俳優。映画、テレビでの活躍はもちろん声優も数多い。2代目『水戸黄門』
高木 勉/作詞家。八甲田の雪中行軍から生還した福島大尉の甥にあたり、研究本も書いている。
小笠原弧酒/フリーライター。雪中行軍事件の取材に私財を投じ、新田次郎の現地取材に協力した。
橋本 忍/脚本家。黒沢明監督作品や、70年代の大作映画の脚本を担当した。
森谷司郎/映画監督。青春映画を経て70年代大作映画で大活躍。『日本沈没』、『動乱』などが代表作。
新田次郎/小説家。中央気象台在職中に直木賞受賞。退職後も戦国時代や山を舞台にした小説を執筆。
この特番のロケ風景についての取材記事(参考/東奥日報1977年8月18日3面記事より)























充実した番組内容と出演者の顔ぶれは、いまや文化的遺産の感もある。ぜひ残りの30分も充足したい。
このページは映画「八甲田山」をより深く鑑賞するための一助として制作されました。製作関係者の権利侵害は意図していません。このページの転記転載引用は個人・商用を関わらず一切ご遠慮ください。
水曜スペシャル「死の八甲田山の謎!!」ロケ風景についての取材記事
東奥日報1977年8月18日の記事から、7月に収録された撮影風景を抜粋して紹介。
全国的には1977年7月20日に放送されたこの番組は、青森では8月23日にようやく放送された。
- 川口浩は朝9時から、鳴沢、田茂木野などを取材。
- 夕方から「大慰霊祭」と「招霊」を幸畑陸軍墓地で行った。「大慰霊祭」では、地元の僧5人が読経し出演者と雪中行軍隊員遺族の献花をした。「招霊」では、招霊者(イタコ)が隊員の霊を呼び出し遺族と会話した。
おじいさんの霊は、顔も知らない孫に、七十年ぶりに話せるとあって、一気にしゃべり出し、約一時間も続いた。「意識は最後まであり、最後の最後まで努力した」「一番つらかったのは、方向がわからなくなったことで、みんな友の名を呼び合った」「心残りは、妻子のことだが、幸い一人息子がまた一人息子を残し、こうして対話出来たのは、うれしい」「別にして欲しいことはないが、毎年の一月の慰霊祭だけは続けてもらいたい」等々。あふれる涙を手でぬぐいながら、おじいさんとの霊と会話したTさん(管理人により匿名)は、「祖父は悲運の生涯だった。悔しさでいっぱいです。また、一番苦労したのは、後に残された妻子たちで、むしろ悲劇は、こちらの方が大きかったと思う」と悲しみを語った。
- 西村晃を隊長とする9人は、弘前隊のルートを5間で踏破した。メンバーには、弘前大学山岳部部員と、福島隊に同行した東海記者の甥(東奥日報に勤務!)が加わった。
全国的には1977年7月20日に放送されたこの番組は、青森では8月23日にようやく放送された。