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雑誌やムック本に掲載された八甲田山雪中行軍遭難事件に関する記事
朝日ジャーナル 世紀末の一年 死の雪中行軍
朝日新聞社、朝日ジャーナル1986年11月21日号、記事/松山 巖
松山巖氏は建築士。都市や文芸評論や小説の創作まで手がけている。連載の45回目、3ページのグラビア記事は、義和団事件から雪中行軍遭難事件をはさんで海事冒険小説で締めくくった構成。『第三一連隊は第五連隊と行軍の途中で落ち合う予定であった』は間違い。新田次郎さんの影響は強力なのだな
松山巖氏は建築士。都市や文芸評論や小説の創作まで手がけている。連載の45回目、3ページのグラビア記事は、義和団事件から雪中行軍遭難事件をはさんで海事冒険小説で締めくくった構成。『第三一連隊は第五連隊と行軍の途中で落ち合う予定であった』は間違い。新田次郎さんの影響は強力なのだな
週刊朝日 八甲田山雪中行軍の真相はこれだ!!
朝日新聞社、週刊朝日1977年7月1日号
タイトルは、「本誌独占 75年ぶり発見の秘資料が語る 八甲田山雪中行軍の真相はこれだ!!」
サブタイトルは、「現代サラリーマン社会への一つの教訓」
新資料とは、福島大尉の実家の蔵から発見された「雪中行軍手記」のこと。
福島大尉の手記や、小笠原弧酒氏のインタビューや、堺屋太一氏のリーダー論など、盛り沢山な内容。購読層のおじさんには読みごたえのある特集だったのでは?
タイトルは、「本誌独占 75年ぶり発見の秘資料が語る 八甲田山雪中行軍の真相はこれだ!!」
サブタイトルは、「現代サラリーマン社会への一つの教訓」
新資料とは、福島大尉の実家の蔵から発見された「雪中行軍手記」のこと。
福島大尉の手記や、小笠原弧酒氏のインタビューや、堺屋太一氏のリーダー論など、盛り沢山な内容。購読層のおじさんには読みごたえのある特集だったのでは?
「熟慮断行のリーダーが危機を救った」
福島大尉の手記で、かなり周到に研究をして八甲田山の行軍に挑んだことが分かった。『三十一連隊や福島大尉にとって、本当の意味の”八甲田山”はこの岩木山訓練だったともいえるのだ。』
「第五連隊遭難の真因は管理職のもたれ合い」
小笠原弧酒のインタビューで、『決定的な差は、第三十一連隊が小規模な”研究踏破”に絞ったのに対し、第五連隊は仮想敵国ロシアを迎え撃つという想定が連隊長からの命令で決められていた』、以上の想定で編成された橇部隊によって『惨劇への引き金』になった。
小説『八甲田山死の彷徨』に見る管理職のあり方
堺屋太一氏によると、徳島大尉を「仕事師タイプ」、神田大尉を「日本型律儀者」に分類。『神田大尉は、どこか上司や同僚が干渉しやすい性格を持っているのではあるまいか。』と指摘。
雪中行軍の極限で判断される指揮官の優劣と、平時のビジネス社会のそれとは同じではなく、『生死にかかわるような結果の明確な仕事などどいうものは、今の企業内では滅多にないのである。』と指摘。八甲田山雪中行軍遭難事件を企業論にかえて講義する講師や、それを受ける受講者への諫言かも。
週刊朝日 八甲田山の犠牲は黒溝台に生きた(上)
朝日新聞社、週刊朝日1977年7月1日号、記事/大江志乃夫
タイトルは、「八甲田山の犠牲は黒溝台に生きた(上)」
サブタイトルは、「日露戦争秘史 第八師団加藤軍医の記録から」
記事を書いた大江志乃夫氏は、歴史家や軍事評論家。
加藤健之助軍医の報告書をもとに雪中行軍遭難事件の「教訓」を検証している。岩手県出身の加藤軍医は、日露戦争で第八師団・衛生隊付になり、多くの報告書を遺している。事件当時は、「陸軍衛生部委託生徒」だった。(専門学校のようなもの?)
「戦闘間衛生状況」で、『凍傷者壱名だもなかりしは快心の事なり』と、日清戦争時の装備(『兵靴は編上を佳良なりとす』)から向上している事を報告している。※後編は未入手。
タイトルは、「八甲田山の犠牲は黒溝台に生きた(上)」
サブタイトルは、「日露戦争秘史 第八師団加藤軍医の記録から」
記事を書いた大江志乃夫氏は、歴史家や軍事評論家。
加藤健之助軍医の報告書をもとに雪中行軍遭難事件の「教訓」を検証している。岩手県出身の加藤軍医は、日露戦争で第八師団・衛生隊付になり、多くの報告書を遺している。事件当時は、「陸軍衛生部委託生徒」だった。(専門学校のようなもの?)
「戦闘間衛生状況」で、『凍傷者壱名だもなかりしは快心の事なり』と、日清戦争時の装備(『兵靴は編上を佳良なりとす』)から向上している事を報告している。※後編は未入手。
週刊新潮 「死の八甲田山」もうひとつの秘録
新潮社、週刊新潮1977年6月16日号
福島大尉の生家は群馬県・利根川の堤防近くにある。その旧家の土蔵に、今も福島大尉の遺品が遺されている。映画「八甲田山」公開にあわせて、その遺品を公開・展示することになった。
福島大尉の生家は群馬県・利根川の堤防近くにある。その旧家の土蔵に、今も福島大尉の遺品が遺されている。映画「八甲田山」公開にあわせて、その遺品を公開・展示することになった。
週刊新潮 91年ぶりの八甲田山雪中行軍
新潮社、週刊新潮1993年3月18日号
弘前第31連隊の流れをくむ陸上自衛隊第39普通科連隊が、弘前隊の11泊12日行軍ルートを4日で再現した。いつもは演習場で行っている冬季演習だが、連隊創立30周年を記念して、再現を試みた。
弘前第31連隊の流れをくむ陸上自衛隊第39普通科連隊が、弘前隊の11泊12日行軍ルートを4日で再現した。いつもは演習場で行っている冬季演習だが、連隊創立30周年を記念して、再現を試みた。
週刊新潮 明治35年、八甲田山雪中行軍で生還した兵士たち
新潮社、週刊新潮1999年3月18日号
生還者(小原忠三郎伍長、後藤房之助伍長、村松文哉伍長、後藤惣助一等卒)のグラビア記事。
生還者(小原忠三郎伍長、後藤房之助伍長、村松文哉伍長、後藤惣助一等卒)のグラビア記事。
週刊新潮 「連想」八甲田山梅雨行脚
新潮社、週刊新潮1997年7月31日号
自衛隊員のガス中毒事故後に書かれた記事。かろうじて湯船がある田代元湯の写真。『ここだけが当時の困難を多少でも感じさせる場所だった』
自衛隊員のガス中毒事故後に書かれた記事。かろうじて湯船がある田代元湯の写真。『ここだけが当時の困難を多少でも感じさせる場所だった』
サンデー毎日 銀塩記憶・八甲田山「死の行軍」
毎日新聞社、サンデー毎日2005年2月6日号(No.4678)
後藤伍長の奥様とご子孫が馬立場の後藤伍長像と初対面した写真。遭難事件から53年後の1955(昭和30)年8月の写真。『老いた妻は、夫の像を何度も降り返りながら帰っていった。』
毎日フォトバンク・・・約22万件の膨大な写真データベース。「八甲田山」の検索で見られる。
後藤伍長の奥様とご子孫が馬立場の後藤伍長像と初対面した写真。遭難事件から53年後の1955(昭和30)年8月の写真。『老いた妻は、夫の像を何度も降り返りながら帰っていった。』
毎日フォトバンク・・・約22万件の膨大な写真データベース。「八甲田山」の検索で見られる。
Outdoor 雪の八甲田 死の彷徨ルート再び
山と渓谷社、Outdoor 2001年2月号(No.215)、記事・写真/安藤眞
オサレなアウトドアライフ誌での渋い企画。青森隊ルートをたどるために25キロの荷物をかついで冬の八甲田山に突入。夜は賽の河原で雪洞を掘って一晩をすごしている。銅像茶屋から先の道は除雪されているため、当時とまるっきり同じ条件ではないが、それでいいのだ。
オサレなアウトドアライフ誌での渋い企画。青森隊ルートをたどるために25キロの荷物をかついで冬の八甲田山に突入。夜は賽の河原で雪洞を掘って一晩をすごしている。銅像茶屋から先の道は除雪されているため、当時とまるっきり同じ条件ではないが、それでいいのだ。
歴史群像 白い地獄に消えた第5連隊の誤算 八甲田山雪中行軍
学習研究社、「歴史群像」(戦略・戦術・戦史マガジン)2003年2月号(No.57)に掲載。記事/倉田典昭
青森隊と弘前隊の雪中行軍を比較した記事。
青森隊と弘前隊の雪中行軍を比較した記事。
別冊歴史読本 弘前連隊 八甲田山雪中行軍ルート
新人物往来社、「別冊歴史読本 日本史地図を歩く ルートで追う先人たちの苦難の旅路」2000年1月に掲載。
記事/高木勉。弘前隊の行軍の過程を、福島大尉の「雪中行軍手記」をもとに分かりやすく図版(地図1枚、当時の写真5枚、現代の写真2枚)を使って解説。
記事/高木勉。弘前隊の行軍の過程を、福島大尉の「雪中行軍手記」をもとに分かりやすく図版(地図1枚、当時の写真5枚、現代の写真2枚)を使って解説。
風俗画報 歩兵第五連隊の一部隊雪中行軍の遭難記事
東陽堂、「風俗画報 247号」1902年3月10日に掲載。
1889(明治22)年に創刊された日本初のグラフィック雑誌。当時の世相や、東京をはじめとする観光・名勝地を多くの図版で紹介している。1916(大正5年)に終刊。1977(昭和52)年に復刻版が国書刊行会から発行された。247号では1枚の折込図版と12ページの記事で、事件のあらましを伝えている。
参考/明治大正1868-1926プロジェクトHP_ときのそのとき「風俗画報」のページ
1889(明治22)年に創刊された日本初のグラフィック雑誌。当時の世相や、東京をはじめとする観光・名勝地を多くの図版で紹介している。1916(大正5年)に終刊。1977(昭和52)年に復刻版が国書刊行会から発行された。247号では1枚の折込図版と12ページの記事で、事件のあらましを伝えている。参考/明治大正1868-1926プロジェクトHP_ときのそのとき「風俗画報」のページ
MAMOR 陸自第5普連八甲田演習
扶桑社、「MAMOR 6月号(vol.40)」、2010年4月21日発売日
「国民とともに防衛を考える情報誌」の「MAMOR(マモルと読む)」は、防衛省編集協力の雑誌。
内容は、「八甲田に対する畏怖と先人への畏怖の念を胸に、平成自衛隊が明るく力強く雪中をゆく」陸上自衛隊第5普通科連隊の「平成の八甲田山雪中演習」のリポート。2010年には女性自衛官も含めて692名が参加。装備は格段に進化し、雪上車が進路を切り開く。15キロの背のう、激変する天気、だが隊員たちは「行進風景には悲壮感どころか明るさすら感じさせた」そうである。それにしても、旧5連隊の遭難事件を知らない若い陸曹・陸士もいるそうである。おどろいた。
扶桑社「MAMOR 6月号」のページ・・・雪中演習は11ページの特集。管理人的には婚活企画が気になる。
「国民とともに防衛を考える情報誌」の「MAMOR(マモルと読む)」は、防衛省編集協力の雑誌。
内容は、「八甲田に対する畏怖と先人への畏怖の念を胸に、平成自衛隊が明るく力強く雪中をゆく」陸上自衛隊第5普通科連隊の「平成の八甲田山雪中演習」のリポート。2010年には女性自衛官も含めて692名が参加。装備は格段に進化し、雪上車が進路を切り開く。15キロの背のう、激変する天気、だが隊員たちは「行進風景には悲壮感どころか明るさすら感じさせた」そうである。それにしても、旧5連隊の遭難事件を知らない若い陸曹・陸士もいるそうである。おどろいた。
扶桑社「MAMOR 6月号」のページ・・・雪中演習は11ページの特集。管理人的には婚活企画が気になる。