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小説(2次創作)以外の書籍と論文などをここに分類。著者の意図ではない分類があったらゴメンナサイ。

書籍論文 明治発行

遭難始末
遭難事件報告書、復刻版
遭難始末編/歩兵第五連隊、発行/財団法人稽古館、1977(昭和52)年8月7日

遭難した同僚の捜索活動をした青森第5連隊の事件報告書。捜索活動の過程が細やかに記録されている。むろん事件の経緯や原因も触れている。銅像茶屋にて購入可能(品切れもあるかも)。史実に興味があるのならぜひ入手したい。ちょっと読むのが大変だけど。

青森連隊遭難 雪中行軍
事件直後に発行された、事件の顛末解説本
編/百足 登(ももたり・のぼる)、発行/有千閣書店、木文書店、1902(明治35)年2月16日
管理人は昭和52年に稽古館(青森市内の民俗博物館。閉館)で発行された復刻本を入手。

近代デジタルライブラリーウェブサイト(ネット閲覧可能。「雪中行軍」で検索)
百足登氏は東北新聞社(仙台)の記者。弘前連隊の行軍にも触れている。多くの困難をのりこえてきた弘前隊が八甲田山系に突入してからの描写が際立っている。
賽の河原付近で2丁の銃と、遺体2体を発見したが、運搬することはやむを得ずあきらめたとの記述もある。新聞「萬朝報」の記事を転載して、青森隊の捜索活動の緩慢ぶりに驚いている。(真実はどうなのか・・・)
・雪中行軍に加わらなかった新兵は各哨所に配置され雪中忙しく働いているが、兄のように敬慕していた古兵の死体を扱っている姿に、ある将校は「むしろ戦時の時よりも命令を行うのが困難である」と語った。
・外套は凍りつき、羅紗(ウール)の性質は失われ、板のようにボキボキ折れた

第五連隊遭難始末
事件直後に発行された、事件の顛末解説本
編/北辰日報編輯部(青森県弘前市)、発行/近松書店(青森県弘前市)、1902(明治35)年3月1日
管理人は昭和52年に稽古館(青森市内の民俗博物館。閉館)で発行された復刻本を入手。

近代デジタルライブラリーウェブサイト(ネット閲覧可能。「雪中行軍」で検索)
事件や捜索活動のエピソードを紹介している内容なので読みやすい。捜索活動の初期に、三神少尉(文中では三上少尉)が休みなく走り回ったことは見逃せない。弘前隊については、経過を数ページにまとめただけで、2丁の銃や青森隊を見たかどうか書かれていない。
三上少尉の働きは容易ではなく、大抵ならば休息を取るところだけど、健気な壮年士官の三上少尉は、そんなことはせずに、復命をしたあとに津川連隊長に向かってあらためて翌日の勤務を問い、「なるべく捜索線の最前線への派遣を望みます。前日の経験もあって多少の考えもありますから」と陳情した。

青森連隊惨事雪中の行軍
事件直後に発行された、事件の顛末解説b本明治35年に発行された研究本?
編/佐藤陽之助、発行/1902(明治35)年4月24日、工業館

近代デジタルライブラリーウェブサイト(ネット閲覧可能。「雪中行軍」で検索)
目次(内容)
・雪中行軍(佐藤氏の前文、青森隊の概要、ルート図)
・混成大隊(隊員名リスト)
・遭難の顛末(携行品、服装、後藤伍長救助時の状況について)
・後藤伍長の談話(遭難に至るまでの状況。山口大隊長が行軍中に亡くなったとしている所が気になる)
・倉石大尉の談話(駒込川の渓谷で救助を待つ様子。山口大隊長は生きている)
・長谷川曹長の談話(炭小屋で数名と救助を待つ様子)
・談話九則(立見師団長談、石黒男爵談、村松伍長談、某上長官談、武谷一等軍医、小川第四師団長、川田青森市助役、某発見者、救助人夫)
・惨事五彙聞(事件後日のエピソード)
・付録 奈翁の雪中行軍(ナポレオン軍のロシア進出の時の雪中行軍について)

書籍論文 記録写真

青森歩兵第五連隊 雪中遭難記録写真集
銅像茶屋でぜひどうぞ、入門書的写真集
雪中遭難記録写真集監修/小笠原孤酒、発行/銅像茶屋

銅像茶屋にて購入可能。定価は税込みで1300円。事件に関する写真が多く収録されており、入門書としてはこれで充分だろう。写真に小笠原弧酒氏の説明が書かれていたら、もっと親切な内容になったと思う。

八甲田連峰 雪中行軍記録写真特集 行動準備編
小笠原弧酒プライベート写真ありの雪中行軍写真集
雪中行軍記録写真集編/小笠原孤酒、発行/自費出版、1980(昭和55)年8月31日

青森隊将校のバストアップ写真や、中隊集合記念写真、隊員の名刺、なぜか遭難救助中の写真(行動準備編なのに)などを収録。巻末付録の「写真に見る著者の生活と取材活動」では、飲み会や、取材や、青森や仙台のテレビ番組に出演していた著者・小笠原弧酒氏の写真が楽しめる。その番組見たいな

吹雪の惨劇記録写真特集 遭難編
小さな雪中行軍写真集
編/小笠原孤酒、発行/我楽多文庫、1986(昭和61)年5月28日

国会図書館で閲覧可。状態悪し。小笠原弧酒氏の詩ではじまる写真集。雪に半分うもれた営門、官舎、兵営の写真。アイヌの方も参加した捜索活動の写真。治療中の生存者の写真が収録されている。

書籍論文 青森第5連隊

陸奥の吹雪
陸上自衛隊第五普通科連隊による報告書
編/陸上自衛隊第五普通科連隊、1965(昭和40)年6月

国会図書館で閲覧した本書は製本が壊れそうになっていた。新田次郎氏は小説「八甲田山死の彷徨」執筆の資料にしている。入手は困難。復刊が望まれている。復刊ドットコム「陸奥の吹雪」復刊リクエスト投票

歩兵第五連隊史
まるまる一冊歩兵第五連隊!
著/栗田 弘、歩兵第五連隊史跡保存会、1989(昭和48)年

倉石大尉のエピソードが興味深い。倉石大尉が陸軍幼年学校の生徒監をしていた時、生徒に東条英機がいた。東条は倉石が信望していた上杉謙信を好きになり、後に同盟国のムッソリーニ首相と、ヒトラー総統に川中島合戦の額を送って武士道を紹介した。当時このエピソードを新聞は「倉石大尉の影響による」ものだと報道した。

八甲田雪中行軍の光と影
麻酔科学教授が検証する山口少佐の死因
オスラーの考えに沿っての21世紀の医の展望 (弘前大学医師会生涯教育叢書)克誠堂出版「オスラーの考えに沿っての21世紀の医の展望」に収録、2001(平成13)年12月8日

松木明知氏(弘前大学医学部麻酔科学教授)の講演内容。遭難者救援のため青森に派遣された軍医・中原貞衛をとおして山口少佐の死因について医学的に検証している。正直、かなりショックな内容で、もしこれが真実であるならば「真実」は隠蔽されてしまうだろう。雪中行軍遭難事件が様々な分野で研究される必要性を感じさせる。文中で、講談社発行「目録20世紀1902」の表紙を映画のワンシーンだと書いてあるのは間違い。

「特別講演I 八甲田雪中行軍の謎−歩兵第五連隊山口少佐の死因を探る−」
松木明知氏(弘前大学)の講演が載っている学会誌が入手できる。
メディカルイーホン(Medical e-hon)HP

「八甲田遭難救出アイヌ分隊」
アイヌ救助隊からみた遭難事件
著/小田原金一、発行/文藝春秋1977年10月号

小田原金一氏は、青森市在住の作家で、遭難事件の捜索活動を描いた小説「雪中行軍始末」の作者でもある。著者の祖父は、遭難者捜索隊の嚮導(先に立って導くこと)をつとめ、小学校に行く途中の幸畑で雪中行軍隊を見かけている。最後尾の山口少佐は『白毛まじりの顎鬚をはやし、杖をついた、温顔の』軍人だったらしい。
・東京から来たセントバーナード犬が八甲田山の吹雪に怯えてしまったので、津川連隊長はアイヌとアイヌ犬に期待した。捜索隊の将校たちは、つまご(ワラの雪沓)や輪カンジキの履きかたを知らず、捜索隊が1000人いるにもかかわらず成果はあがらない。
・アイヌと村人で編成した「特別捜索隊」は、駒込川などの難所から遺体や武器を発見する成果をあげた。アイヌたちは4月中旬に任を解かれ(67日間の捜索活動!)津川連隊長のとりはからいで弘前城を見学したのち、船で函館に渡って、ふたたび幸畑に来ることはなかった。

戦死者のゆくえ
八甲田山雪中行軍遭難事件犠牲者の靖国神社合祀問題
著/丸山泰明、編/川村邦光、青弓社、2003(平成15)年11月20日

著者の丸山泰明は、大阪大学大学院文学研究科博士後期課程(民俗学・宗教学)?。雪中行軍事件の犠牲者が、なぜ合祀されなかったのか。なぜ合祀されたという「民間信仰」ができたのかを検証している論文。
・今は「遭難者を合祀すべし」の気風は無いが、「怪談話」で遭難者たちは「民間伝承」され続けている。
・小笠原弧酒が「合祀請願」のために署名をあつめ、靖国神社に掛け合うが、取り下げられていた。

八甲田山雪中行軍遭難事件と「勇士」の表象
軽石三蔵二等卒が「勇士」にされるまで
著/丸山泰明、大阪大学日本学研究室発行の「日本学報」に掲載、2004(平成16)年3月

軽石二等兵が「勇士」として神格化される軍隊的事情と、日本人心理を読み解いた論文。
・遭難現場写真を天皇が見ることで、『モノを介して天皇と民衆が結びつく』という関係が形成された。
・天皇の代理人の現地視察は、『民衆のあいだに生じた陸軍への反発と恐怖を抑える意図があった。』
・遭難死者を『名誉ある死だと意味づけることによって』、民衆を「国民」にしようと利用した。
いまと違って「国民」の概念が希薄な時代。「国民」はその後確実におとずれる日露戦争の「国民皆兵制」の基であった。政府による「美談」化操作が行われた一方、民衆にもそれを受け入れる素地があった。
・事件直後、事件をモチーフにした芝居が興行された。そこには、『兵士が服を脱いで隊長に着せる』描写があるが、これは軽石二等兵の「美談」ではない。なぜなら軽石二等兵が「発見」される前だからだ。
ちなみに現在では上官を介抱して(しているように見える)倒れた軽石二等兵は「別人」説が有力である。丸山泰明さんは『八甲田山雪中行軍遭難事件の見世物化』についても研究している。ぜひ読んでみたい。

八甲田雪中行軍の再考−遭難百年を控えて−
青森第5連隊の遭難を気象の観点から読み解く
著/杉見良作(青森短期大学教員?)、発行/青森大学雪国環境研究所報、2000年3月31日

「青森大学 雪国環境研究」 第6号に収録。「八甲田山雪中行軍当時の気温試算表」が興味深い。 遭難事件の現場は、津軽地方からの南西の風と、陸奥湾から八甲田山腹へ吹きつける北西の風が衝突した複雑な風の流れの所だと分かる。
「人間が自然の中で、生死を分かつ極限状態にある時、本能的に風上に向かって行動する習癖がある」らしく、報告書の「三十余りの死体は皆、頭を西北に向けて横たわっていた」を裏付けている。

青森第5連隊 その他 人物
■鷹巣町史 第三巻
著/鷹巣町史編纂委員会、発行/秋田県鷹巣町、平成元年3月31日、387ページ
神成大尉の記事。

■たかのす人物伝
著/長崎久、発行/秋北新聞社、1992(平成4)年2月26日、100〜101ページ
著者は秋田県史研究家。神成大尉の記事(「鷹巣町史 第三巻」と同じ文面)

■鷹巣町地方研究史 八甲田山慰霊の探訪記
著/三日田吉治、鷹巣有志による日帰り慰霊記。

■鷹巣町地方研究史 烏に助けられた八甲田山の長谷川貞三勇士
著/秩父威仙、長谷川特務曹長の「烏の鳴き声」に助けられたエピソードと、その後。

青森第5連隊 その他 陸自第5普通科連隊
■不肖・宮嶋 史上最低の作戦
著/宮嶋茂樹、発行/文藝文春、2001年4月10日
カメラを手に世界のあえてタイヘンなところへ出没する人気のジャーナリスト宮嶋茂樹。ノルマンディーやモザンビークだけでなく、自衛隊の冬の八甲田山演習に参加している。史実と小説(映画)の情報が混同している文面だが、いまの雪山演習を知ることができる。


書籍論文 弘前第31連隊

われ、八甲田より生還す
福島大尉の甥による研究本
著/高木勉、サンケイ出版、1978(昭和53)年3月7日

われ、八甲田より生還す著者は作詞家。福島大尉の甥でもある。本書は群馬県の福島家私蔵の資料をもとに、行軍の過程を検証する内容になっている。「両隊の雪中行軍ルートはまったくちがう」(弘前隊は青森隊の遭難者に出会っていない)と力説している。地元民を案内役にしたことを功績にしているが、見方を変えれば一般人を冬山行軍の危険にさらしたことになる。そのマイナス面には触れられていないのがやや残念。

八甲田山から還ってきた男
福島泰蔵の士官になるまでを克明にたどる
著/高木 勉
左) 単行本版/文藝春秋、1986(昭和61)年5月15日
右) 文庫本版/文春文庫、1990(平成2)年2月10日

八甲田山から還ってきた男八甲田山から還ってきた男本書は群馬県の福島家私蔵の資料をもとに、福島大尉の生い立ちを検証する内容になっている。「寒さ」への「憎しみ(トラウマ)」が、冬山に対する福島大尉の原動力になったように思える。福島大尉の隊員奮起の訓示「諸子夫レ天ニ勝テヨ」と、山口隊の「一大尉」の言葉を比較しているが、福島大尉はこのように「比較」されることを恐れていたのではないか?

実録八甲田山 指揮官福島大尉の人間像
福島大尉作の漢詩集
福島大尉の人間像編/高木 勉(作詞家。福島大尉の甥)、講談社出版サービスセンター、1983(昭和58)年6月

福島大尉がのこした多くの漢詩を紹介した、気合の入ったブ厚き一冊。完読は遠い・・・
田茂木野で5連隊の惨事を聞き驚愕し、青森の旅館で、作った漢詩の一節。
『蹂践(じゅうせん)の迹(あと)腥(なまぐさ)し過ぎ去るの路(みち)』

上州人 豪雪の八甲田を征す
上州人による上州人の研究
著/塚越真一、自費出版、2005(平成15)年8月27日

著者は、郷土史研究家。特に地元の群馬県倉渕村(合併で高崎市倉渕町)に詳しい。
地元の人脈が豊富で、著者だからこそ入手できた資料もある。しかし高齢で『調査が尽くせなかった』せいか、資料を活かしきれず、資料の抜粋のような内容になってしまった。

群馬にある石碑「福島泰蔵顕彰碑」の碑文の解説は、とても興味深い。
しかし、『大きな失敗に終わった当事者には(管理人注・青森隊のこと)、(中略)盛大な墓地建設と銅像健立とは不公平な話しである。』と言いながら、青森隊の「大失敗した行軍作戦」の原因追求に3ページも費やしている。福島大尉および弘前雪中行軍隊の研究は、まだ未開で、やりはじめたら奥が深い分野になるはずである。青森隊の存在に気をとられないで欲しかった。今後も上州で福島大尉の研究が続くことを祈るばかりである。

塚越真一氏は1年後に第2作「福島大尉のメッセージ」を発行。(2004年8月1日発行・自費出版)
閲覧にあたり群馬県立図書館、川崎市立図書館のご尽力に感謝!ありがとうございます
『偉大な人の偉大な足跡はいつまでも評価されてよいと思う。しかも私たち上州人の大先輩が挙げた大きな成果を当時の国の都合でかき消され、今は群馬県人も殆どその功績を知らない状況である。』

「孫が挑んだ もう一つの八甲田雪中行軍」
子孫による八甲田踏破の再現
著/間山元喜、中経出版、2009年10月16日

著者は、弘前雪中行軍隊の間山伍長の孫にあたり、ある日祖父の足跡を再現しようと決心する。
すべてを徒歩で踏破した当時の「八甲田雪中行軍」に比べると、車両機動も含めた著者の「再現」計画はあっけなく感じられるが、踏破に成功することが第一目標なのである。
それにしても筆者を支援する地元ネットワークに感心した。地方の小さな社会は閉塞や停滞を感じさせる一方、個人の決心を達成に導くパワーもある。「孫」だからこそ支援を受けられたかも知れないが、それでも良い。元気が出る。
100年前の遭難事故の要因は・・・筆者の解説はシンプルだが、確信に触れたような気がした。

書籍論文 総合・まとめ

青森市史 別冊3
青森市オフィシャル?八甲田山雪中行軍遭難事件本
編/青森市役所、国書刊行会、1982(昭和57年)年
本文345ページ一冊まるまる雪中行軍遭難事件本。(情報提供TOSHIBOさん)
・60周年式典(阿部卯吉翁の墓前での追悼の言葉)の様子
・遺族の連絡先・式典当時の生存者(小原・村松・阿部各翁)の近況
・雪中行軍の準備〜行軍(1日目〜4日目)
・救護隊の活躍
・捜索、救援隊の報告(大隊長発見状況、倉石大尉の遭難談)
・伊藤中尉の口演(雪中行軍遭難について)
・遭難者の栄誉と追悼
・遭難将校の履歴
・遭難勇姿の美談(『遭難始末』と重複)
・雪中行軍遭難に対する世評
附録は、『雪中遭難記録写真集』にも載ってる記録写真、遭難地之図、捜索線之図、八甲田山雪中行軍遭難墓標配置図など。

雪の八甲田で何が起こったのか
既存の資料から事件の「真実」を拾い出す。必読の書。
雪の八甲田で何が起こったのか著/川口泰英、北方新社、2001(平成13)年1月20日

著者は十和田市の文筆業。「雪中行軍七勇士の歌」(弘前隊の嚮導人)の作詞者でもある。
福島大尉の秘めた「本心」を、福島大尉がのこした漢文から探ったりと、今ある「資料」をまっさらな視点で読み解いている本書。読みやすい。巻末の「参考文献」リストも役立つ。

八甲田雪中行軍遭難事件の謎は解明されたか
既存の資料を斬って、事件の真実にせまる。2冊目にどうぞ。
八甲田雪中行軍遭難事件の謎は解明されたか改訂版「八甲田雪中行軍遭難事件の謎は解明されたか」
著/松木明知、津軽書房、2007年12月3日

著者は山口少佐の死因を「史料」と医学で解明する活動をしている麻酔学者。本書では医学的側面での考察の重要性を指摘するだけでなく、既存の資料を見事に(?)斬っている。

八甲田の山の彼方に
八甲田山の山の彼方に著/高野利大、紅露の会事務局、1992(平成4)年9月29日

著者の詳細など調査中。まだ読めてません・・・



「明治三十年代前半の歩兵連隊雪中行軍」
著/小関恒雄(新潟大学医学部教員?)、日本医史学会関西支部、1999(平成11)年3月

医学雑誌「医譚」bV4に掲載。青森隊の雪中行軍は日露戦争での凍傷対策に役立ったといわれている。しかし、青森隊や弘前隊の他に雪中行軍は行われており、それぞれが凍傷や橇の運搬の報告を挙げている。著者は、『八甲田山事件全史』の各部隊での雪中行軍の事例をいくつかあげて、これらの雪中行軍も『正当に評価されるべき』であると述べている。

書籍論文 歴史と遭難事件

「凍える帝国 八甲田山雪中行軍遭難事件の民俗誌」
凍える帝国―八甲田山雪中行軍遭難事件の民俗誌 (越境する近代)著/丸山泰明、発行/青弓社、2010(平成22)年5月23日

事件が当時どのように扱われ、犠牲者がどのように慰霊され、今日までどのように記憶されたのかを、民俗学専攻の著者が丹念に追っている。
Amazon_「凍える帝国 八甲田山雪中行軍遭難事件の民俗誌 」

時よ語れ 東北の20世紀
編・発行/河北新報社、2000(平成12)年10月30日
写真でふりかえる東北の100年。後藤房之助伍長のご子息もまた、インパール作戦で密林を彷徨った。



「日本史の現場検証2明治・大正編」―八甲田山死の彷徨 雪中行軍訓練で起こった悲劇―
現地を歩いて分かる事件の経緯
著/合田一道、発行/扶桑社、1999(平成11)年11月10日

合田一道氏は、北海道在住のノンフィクション作家であり日本放送作家協会会員。
文献と現地取材(タイトルとおりに)を通して事件の経緯を21ページにまとめているが、「神成大尉と途中で出会う約束をしていた福島大尉」など、映画と史実の基本的な区別ができていないのが残念。

「週刊YEAR BOOK/日録20世紀」1902明治35年
発行/講談社、1998(平成10)年10月

日録20世紀明治元年から平成10年にいたる20世紀の「日本の近現代史」の100年間を、豊富な写真と解説で、1年1冊にまとめた雑誌。1902(明治35)年は弘前31連隊の写真が表紙。赤い文字の「八甲田山「死の彷徨」!」が目立つ。
ちなみに同年の出来事は、2月1日:清国にて纏足禁止令発布、9月19日:正岡子規死去、12月10日:ナイル川アスワンハイダム完成など。

「教科書が教えない歴史 明治〜大正〜昭和、大事件の真相」
―ロシアへの脅威で「八甲田山雪中行軍」―
著/藤岡信勝・自由主義史観研究会、産経新聞ニュースサービス、1999(平成11)年6月30日

藤岡信勝氏は東京大学教授&評論家。「八甲田山雪中行軍」のページ執筆は宮崎俊哉氏(青森市佃中学校教諭)。自由主義史観研究会とは、「自虐史観」から脱却した新しい歴史教育と歴史研究に取り組む団体。教科書に載っていない歴史的な事件を、各4ページで紹介する本誌は、雑学の本としても楽しめる。

「ニュースで追う 明治日本発掘 7巻」
編/鈴木孝一(フリー編集者)、河出書房新社、1995(平成7)年6月23日

明治時代の新聞記事を抜粋し解説。読みやすい。時事新報では雪中行軍遭難事件について、「弘前隊は2挺の小銃と2体の凍死者を発見したのに、そのまま帰途についてしまった」という記事(弘前隊を非難している?)を載せている。

歴史と遭難事件 その他
■「雪中行軍」はなぜ有名になったのか?―遭難事件の処理過程から―
著/中園 裕、発行/青森県、2002年(平成14)12月
「青森県史研究第7号」に収録。著者は青森県史編纂室に関わっている。

■青森市の歴史散歩
著/小沼幹止(作家・作詞家)、発行/よしのや本間書店、421〜431ページ
軍国悲し、文明の破壊>勇ましかった歩兵第五連隊

■青森県の歴史
発行/山川出版社、281〜238ページ
「2明治憲法体制下の青森県」>「日清・日露戦争と八甲田山の遭難」

■青森市の歴史
編/青森市史編さん委員会、発行/青森市、1989(昭和64)年1月15日、286〜290ページ
八甲田に散った一九九人

■事件で見る 明治100話
著/中嶋繁雄(元「歴史読本」の編集長)、立風書房、1992(平成4)年12月20日
「日本名僧100話」などユニークな本を多く書いている著者ならではの、当時の人と世相を感じさせてくれる本。寝床で読もうと購入したのだが、最近やたらと寝つきがよく、読み進まない。

■かわら版新聞 江戸・明治3百事件(太陽コレクション8)
発行/平凡社、1978年12月5日
弘前歩兵第五連隊、悲劇の八甲田行軍31連隊ですね

■日露戦争の事典
監修/原田勝正、三省堂、1986年6月10日
日露戦争に関連する用語を簡単に解説した事典。

■歴史と文学の回廊 第一巻「北海道・東北T」
著/高橋千劔破、監修/尾崎秀樹、発行/ぎょうせい、1992年8月10日、180〜181ページ

■「日本スキー学会誌」 第16巻
講演者/平井憲治、日本スキー学会誌編集事務局、2006(平成18)年8月22日
同学会の講演をまとめた冊子。平井憲治氏は八甲田ボランティアガイドクラブ代表など勤めている。スキースポーツの現状も、『不可能を可能にしているかのような開発・研究が先行され、自然を克服しているように錯覚』をしてないだろうかと問題提議している。

■迷宮の日本史 あの人の「足どり」
編/歴史の謎研究会、発行/青春出版社、2005年2月20日
日本史の中の人物の「足どり」を追った本。「八甲田山麓雪中行軍にまつわる指揮官変死の謎」ということで、山口少佐の指揮権を奪い隊員の多くを死に至らしめた過程と、その死の謎について簡単にまとめた内容になっている。しかし文末の”弘前隊は日露戦争で全滅した”の一文(事実ではない)は酷すぎる。
電子書店パピレス 迷宮の日本史 あの人の「足どり」

■新聞記事に見る 青森県日記百年史
発行/東奥日報社、1978(昭和53)年1月
明治以来、東奥日報紙上に報じられた青森県の事象の主なものを収録した冊子。大正10年3月7日に『五連隊遭難の映画化が許可に』なった記事が抜粋掲載されている。
青森市内の青木氏が情報収集し、陸軍省から許可を得て、15名の俳優が現地入りして撮影が始まることになった。3月だが八甲田の風雪はなお厳しい。5連隊の隊員も陸軍省の協力で出演することになった。
同年2月19日には「陸軍自動橇テスト」ということで、飛行機と同様にプロペラの回転により運行する橇のテスト結果の記事が載っている。走行スピードの遅速の差が激しかったそうである。(情報提供:県南の穴熊さん)
参考/東北文庫HP「新聞記事に見る 青森県日記百年史」のページ

■街道をゆく41
著/司馬遼太郎、発行/朝日新聞社、1995年11月1日
街道をゆく 41 北のまほろば (朝日文庫) 司馬遼太郎氏の短編紀行文シリーズ。縄文の時代に「まほろば(素晴らしい場所、住みやすい場所の意味)」として栄えた青森を歩く旅。「二つの雪」のなかで八甲田山雪中行軍遭難事件に触れているが、事件のことは新田次郎氏の「八甲田山死の彷徨」にゆずってしまって、本書では日露戦争・黒溝台の戦いでの第八師団について書かれている。

書籍論文 史跡・資料

碑は語るわれも生きるなり
著/浅利健蔵、自費出版?
石碑の碑面とその由来をまとめた本。遭難事件関連の石碑3点が掲載されている。

「続しらべる戦争遺跡の事典」―第八師団関連遺跡―
編/十菱駿武・菊地実、発行/柏書房、2003(平成15)年6月30日
街にのこる戦争遺跡の本。弘前の第八師団についての記載あり。

「日露戦争 史跡を歩く」
著/矢沢高太郎、読売新聞社、2005(平成17)年9月
日露戦争の戦跡本。八甲田山雪中行軍資料館と後藤伍長像が載っていた。手頃な厚さの本なのでカバンに入れて、戦跡旅行してみたい。 誰かワシを連れてってー

「防衛研究所戦史部年報」 第2号
戦史研究本に報告された遭難事件関係史料
著/中尾裕次、発行/防衛研究所戦史部、1999(平成11)年

著者は、防衛大学校卒。防衛庁防衛研究所戦史部主任研究官を経て、現在、防衛研究所図書館史料専門官(Amazon参考)。防衛研究所(東京・中目黒)は防衛庁の機関で、幹部自衛官などの教育や、戦史の調査研究等を行っている。さらに「戦史資料」の管理も目的のひとつであり、図書館史料室で一般への閲覧も行っている。
戦史に関する論文や、戦史部の活動が掲載されている「戦史研究年報」(1998年(平成10)に刊行開始)の第2号に、「歩兵第五連隊雪中行軍遭難事件」関係史料の7点が紹介されいる。陸軍省作成書類は、「東京が記憶している雪中行軍遭難事件」といえるかも知れない。(言えないか)

史跡・資料 その他
■軍事史学
執筆/太田弘毅、軍事史学会、錦正社、2006(平成18)年6月19日
「軍事史関係史料館探訪コーナー」にリニューアルされた「八甲田山雪中行軍遭難資料館」が掲載されている。

■公文書が語る歴史秘話
著/小玉正任(元国立公文書館館長)、毎日新聞社、1992(平成4)年7月5日
公文書館に所蔵の、児玉源太郎陸相から桂太郎首相あてに提出された「歩兵第五連隊第二大隊雪中行軍遭難顛末書」について。

書籍論文 八甲田山・田代温泉

「名山の日本史」
著/高橋千劔破、河出書房新社、2004年3月

高橋千劔破氏は元『月刊歴史読本』編集長で、歴史に関する本を多く出版。
本書は雑誌『MOKU』で日本全国から選んだ100山の歴史やエピソードなどを紹介したもの。
八甲田山とは狭義においては北八甲田山群を指し、主に田代平に散在する「湿原」や「地塘」(ちとう:高原地帯の小さな池)を、古くは「耕田」や「神田(こうだ)」と呼び、その「八耕(神)田」が「八甲田」になった。「八」は「萢(やち:谷地、湿地をさす)」が訛ったもの。

小説『八甲田山死の彷徨』によって、遭難事件が『再び国民的関心事』となり、『ほとんど知られることのなかった雪中行軍の全容を明らかにするとともに』、『弘前第三十一連隊の存在をクローズアップした」

「山の民俗誌」―雪の八甲田山事件 スキー以前の話―
著/高須 茂、角川書店、1980(昭和55)年1月31日

目新しい内容は無いが、史実を丁寧まとめている。
『この第五連隊の遭難は、ビッグ・ニュースとして全世界に報道され、後日、ノルウェー政府は、雪中行軍の必需品として、同連隊にスキーを送ってきた。これが日本へのスキーの渡来した最初なのであるが、しかし誰もそれを問題にする者はいなかった。スキーは連隊の物置で埃にまみれ、やがて処分されてしまった。』 なんと!本当なら困ったことだ

八甲田の変遷 史料で探る山と人の歴史
著/岩淵 功、発行/「八甲田の変遷」出版実行委員会(青森市制施行100周年記念)、1999年2月10日
その名の通り史料(資料)への記述から、当時の様子を導き出している。田代温泉については、
  • 発見者の名前から「茂助湯」というが、土地の名から田代温泉が慣用されている。
  • 田代街道には、南部との往来を監視する番所があった。
  • 田代の湯は何度か湯治願いが出されているが、南部を警戒して取り上げられなかった。
  • 天明3年には「田代は湯治客が多いと前もって大風雪が起きるという妙な理由」で潰湯になった。
  • 大正時代になると千葉元湯館と山田館の二つがあった。
大正初めころの田代温泉の写真も掲載されていて、とても興味深い本になっている。

八甲田山・田代温泉 その他
■いで湯めぐり 青森県名湯75選
著/下池康一、発行/グラフ青森社、1988年8月
田代元湯は、駒込川渓流にあった、素朴で小さなランプの宿だった。写真と女将のインタビュー記事あり。