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AD1902 「青森第5連隊 隊員出身地マップ」ページメニュー
青森第5連隊の雪中行軍メンバーズの出身地について調べてみました。隊員さんの「素顔」や「ケンミン性」が見えて身近に感じられるかも。観光などで訪問したとき「雪中行軍隊員が育った所だ〜」、「雪中行軍隊員も食べたかな〜」と想像してみたり、地元の方が「雪中行軍隊員も歩いたのかな〜」、「雪中行軍隊員も見た景色なのかな〜」と日常の中で感じられたらウレシイです。地図の県名をクリックするとジャンプするよ
青森第5連隊 雪中行軍隊員 出身地マップ
圧倒的じゃないか岩手県は!関西出身の士官がいたら状況はちょっと違ってたかもと想像したりして

■参考資料・サイト
歩兵第五連隊「遭難始末」、八甲田山雪中行軍遭難史蹟保存会資料、小笠原弧酒「雪中行軍記録写真集」、小笠原弧酒「吹雪の惨劇」、旺文社「日本地図町」、Wikipediaの各自治体項目(地名の変遷について)、Yahoo!の地図検索、各自治体HP、郷土史を扱った個人サイト
地図を描く!Map of Japan Ver.1.3・・・白地図が作成できるサイト。ペイントで加筆修正。
■表記について
※「隊員名」や「地名」は、保存会資料を優先し、敬称を略し、平易な漢字を使い、順不同で表記。
※隊員数を、 は士官(佐官、尉官、医官)、 は准士官、下士官、兵とアイコン(管理人作成)で表記。

北海道 1人


青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 北海道
札幌は、アイヌ民族が住む土地を入植者が開発したところ。明治になると北海道開拓使が置かれて、一層開発が盛んになりました。入植者は旧幕府側についた藩の武士も多く、彼らは刀を鍬(くわ)に変えて新天地を開拓しました。雪中行軍隊員で唯一北海道出身の中野中尉は「士族」なので、開墾に明け暮れる日常の末に、軍人を目指したのかも知れません(違っていたらゴメンなさい)。なお、「北七条西5丁目」の住所は札幌駅付近に現存しています。今ならとんでもない一等地。
※北海道地図は支庁毎に地域分けしました。がんばったけど線の引き間違いがあったらご指摘ください。

■札幌「時計台」
超有名観光物件の「時計台」は、札幌農学校の演武場に時計が設置されたのが1881年。当時は現在よりもやや北側に位置していたということですが、近所の中野中尉は見たことあるでしょう。

青森 6人


青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 青森
地元青森県出身はたったの6人。しかも連隊がある青森市出身は田中少尉のみ。

田中少尉の出身地「野沢村」は、誰もが知る「リンゴ」の名産地「浪岡町」(2005年に合併)です。樽沢から線路(JR奥羽本線)を越えた向かいに浪岡城跡と城下町があります。映画で徳島隊が凱旋して歩いてました。
鈴木少尉の出身地「法奥沢村」は十和田村から十和田湖町に改称して、2005年の合併で「十和田市」になりました。このあたりは南部藩(盛岡藩)エリアで、廃藩置県によって青森県に編入されました。ところで「十和田市法量(ほうりょう)」って今もかなりな山の中。詳しくは下欄にて。
山本一等卒の出身地「三沢村」南部藩(盛岡藩)のエリア。藩最大の馬の牧場がありました。
橋脇一等卒の出身地「横浜村」南部藩(盛岡藩)のエリア。「下北弁」と「南部弁」の境界付近だから方言バイリンガルだったかも。横浜村は昔から(江戸時代から)ナマコ漁が盛んで、乾燥加工したナマコを中華素材として中国などに出荷していました。昭和になると帆立の養殖がはじまり、「菜の花のまち」としても有名になりました。菜の花一面の横浜村を橋脇一等卒に見せたいですね。
沼田伍長と長内一等卒の出身地「弘前市」は、弘前藩の城下町として発展し、明治には陸軍第八師団が置かれて「軍都」として栄えました。現在でも津軽の中心地です。代官町も富田町もJR弘前駅のすぐそばに現存しています。二人とも弘前シティーボーイだったんですね。顔見知りだったかも知れません。弘前城の桜は1903年から植樹がはじまりました。二人に弘前城の桜の美しさを見せたいですね。

■弘前のリンゴ
青森県、特に弘前周辺はリンゴの名産地。弘前にリンゴが伝わったのは1875年(明治8年)で、たった3本の苗からスタートした。リンゴの栽培は、弘前藩の失業した武士の「仕事」としてはじまり、熱心な品種改良を経て、弘前の代表的な「産業」に発展した。沼田伍長(弘前出身)と田中少尉(旧浪岡町)は「士族」なので、リンゴ栽培に関わっていたかも知れない。映画で徳島少年がリンゴ畑を歩いているシーンがありますが、士族である徳島家のリンゴ畑なのかも。
■南部せんべい
山形・盛岡で「南部せんべい」を見かけたとき、青森・八戸の土産なのに?と不思議に思いました。調べてみると「南部藩」で非常食として作られた南部せんべいが、青森と岩手にまたがって売ってて当然なんですね。管理人はピーナッツ入りが大好き!プレーンな南部せんべいを入れた「南部せんべい鍋セット」を青森空港で買いました。
■南部せんべい鍋(せんべい汁)
スープに具と南部せんべい(鍋用のせんべい)を入れた鍋。せんべいにスープがしみこんで、いい食感の鍋です。ふと思ったんですけど、この鍋を雪中行軍第一夜に作ればよかったのではないでしょうか?史実では米をといでお粥を作ったそうです。雪山を歩いたあとの困難をきわめた炊飯作業であろうと容易に推測できます。これなら材料を切って運搬すれば、鍋を沸かすだけ。せんべいは凍らないし腹持ちがいいです。100年前にタイムスリップできたらぜひ提案したい!
■津軽と南部
青森県では、津軽と南部(陸奥か?)の仲がよくないらしいですが・・・。
津軽地方=田中少尉、沼田伍長、長内一等卒
南部(陸奥)地方=鈴木少尉、山本一等卒、橋脇一等卒
しかも同じ津軽地方でも、青森と弘前で文化が異なる(「ねぶた」と「ねぷた」)のですから難しいものです。
■弥三郎節
映画で神田大尉は、「弥三郎節がうまく歌えない(地元に溶けこめない)」と卑下してたけど、青森第5連隊隊員のほとんどは岩手や宮城出身。津軽民謡が歌えなくたってコンプレックスを感じることはなかったのです。「弥三郎節」は、いわゆる「嫁いびり」の歌。神田大尉の連隊での立場を「象徴」したものなんでしょうか。
■十和田市法量(ほうりょう)
法量は、奥入瀬川(おいらせがわ)上流沿いにある地域。樹齢約1000年の天然記念物の大樹「法量のイチョウ」は、鈴木少尉も見上げたに違いありません。親水公園「法量農村公園」には、開拓当時のようすを伝える碑があります。その他に、十和田湖温泉郷や、十和田湖温泉スキー場など、法量は観光地としても行ってみたい所です。お正月の風習「法量神楽」はYouTubeで見られました。便利ですね。
法量には、鈴木少尉の菩提寺があり、「大堀公園」には鈴木少尉の名が刻まれた「念忠碑」があります。
詳細/ 当サイトLet's Go 「八甲田山・太平洋側」
参考/Webサイト「日本の巨樹・巨木」
■豪雪地帯
国土交通省HPの「豪雪地帯の地域指定図」で青森県全体は、「豪雪地帯」に指定されています。
青森市、黒石市、平内町、今別町、蓬田村、鯵ケ沢町、西目屋村、野辺地町の全体が「豪雪地帯」。弘前市、五所川原市、十和田市、平川市、東北町の一部は「特別豪雪地帯」に指定されています。
国土交通省HPの「豪雪地帯の地域指定図―青森―

秋田 2人

青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 秋田
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 秋田
神成大尉と長谷川特務曹長の出身地「北秋田郡鷹巣町」は秋田県北にある内陸の街。

神田大尉の「秋田の漁村出身」の設定は、新田次郎氏の創作で、実際には内陸地域の出身です。2005年の合併で「北秋田市」になった「鷹巣」の名前は、町名として残りました。鷹巣町には大館能代空港があります。ANAのみの就航で、羽田と伊丹を往復する1日6便しかありませんが、秋田県北部や青森県弘前方面へのアクセスに便利です。

■大太鼓祭り
「大太鼓祭り」は、700年の歴史をもつ鷹巣のお祭り。神成大尉も長谷川特務曹長も楽しみにしていたでしょう。けれど、太鼓が大きくなったのは昭和に入ってかららしいです。
■きりたんぽ鍋&比内地鶏
きりたんぽ鍋と比内地鶏濃厚な地鶏の旨みとセリの香りが堪らん「きりたんぽ鍋」と、濃厚な肉汁と噛み応えが堪らん「焼き鳥」は、どちらも比内地鶏がイイ仕事してます。画像は管理人が鷹巣で食べてきた「きりたんぽ鍋&比内地鶏」。最高っす。「いい地鶏が入ったぞ!」と長谷川特務曹長を自宅(官舎)に招く神成大尉を妄想する管理人。
■豪雪地帯
国土交通省HPの「豪雪地帯の地域指定図」では、秋田県全体が豪雪地帯に指定されています。北秋田市は特に「特別豪雪地帯」に指定されていますが、鷹巣は指定対象外(つまり豪雪地帯の指定)です。
国土交通省HPの「豪雪地帯の地域指定図―秋田―

岩手 144人

青森雪中行軍隊144人(全体の80%近く)を輩出した岩手県。岩手北部は弘前隊の管轄だったのかも。
士官(佐官、尉官クラス)がひとりもいないのも特徴的。士族出身は3名。
■参考サイト/いわての文化情報大事典
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 岩手全体
岩手/盛岡市 6人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地エリア 岩手北エリア
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 岩手北エリア
盛岡市中心地のシティボーイズ
吉田多蔵二等卒「馬町(うままち)」は、現在の「清水町」。馬を売買をしていた場所で、馬を盛岡藩の牧場(山本一等卒の出身地である青森三沢村)からつれてきてました。意外なつながりがありますね。
中野聰二郎看護手「大沢川原小路(おおさかわらこうじ)」は、現在の「大沢川原」。その名のとおり川の近くの町で、おいしい魚がとれたそうです。中野看護手もおこづかい稼ぎに採っていたかも。(士族だが)
大坪平市郎伍長「下小路」は、現在の「愛宕町」付近?諸士屋敷や庭園があったそうです。士族出身。
猪狩勘平上等兵「舵屋町(なたやちょう)」は、そのままの町名で現存しています。旧釜石街道を北上する人にとって盛岡の玄関口であり、通りには商店が立ちならんだ「湧き水の町」です。
吉田留吉一等卒「八幡町(はちまんちょう)」は、盛岡八幡宮周辺の町名。参拝客と市(いち)に来る人でかなり繁盛した門前町です。吉田一等卒のお店もあったのでしょうか?
作山初五郎伍長「東中野」は、そのままの町名で現存。盛岡の市街地が展望できる郊外の高台です。
■湧き水の町
猪狩勘平上等兵が育った「舵屋町」は湧き水の町。「大慈清水」や「青龍水」という有名な湧き水があるそうです。猪狩少年だけでなく盛岡で育ったみんなが飲みに行ったでしょう。私も飲みたいな。
■わんこそば
盛岡といえば「わんこそば」。400年近い歴史があるものの、今の食べ方のスタイルができたのは昭和(戦後)に入ってから。それでも、雪中行軍隊員みんなで「わんこそば大会」したら楽しそうですね。伊藤中尉が一番食べそうだなー。(勝手な想像)。管理人は横浜・白楽でチャレンジして99杯食べたぞ。
■盛岡冷麺
盛岡で冷麺が登場したのは昭和29年。一般的になったのが30年後。盛岡には雪中行軍隊員に食べさせたいものがたくさんあります。福田パンとかね。
■石割り桜
盛岡の中心地中央通りの裁判所前に、「石割り桜」という観光名所があります。大きな石を割って生えている桜の木のことで、樹齢は350年とも言われています。吉田留吉一等卒のご近所かな?今より小ぶりな桜の木を、盛岡シティボーイズたちは見上げたに違いありません。

岩手/岩手郡 17人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 岩手北エリア
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 岩手北エリア
盛岡中心地から5km弱 まえ岩手郡、いま盛岡市
岸本仁八二等卒「太田村大字猪去」は、現在の「盛岡市猪去」。盛岡中心地からやや西の山岳地帯。
高橋長蔵二等卒、亀井慶次郎伍長「巻堀村」は、現在の「盛岡市玉山区巻堀」
小笠原清次郎一等卒、野崎清太郎一等卒、小笠原市太郎一等卒「本宮村」は、JR盛岡駅北2〜3kmほどの住宅街にそれぞれ「盛岡市下鹿妻」「盛岡市向中野」「盛岡市本宮」の地名で残っています。
吉田春松一等卒「築川村大字川目」は、JR盛岡駅東南の「盛岡市川目(川目町?)」かな?
野藤兼松一等卒、谷藤徳太郎一等卒「厨川村」は、JR盛岡駅北の厨川駅周辺の住宅街に「盛岡市下厨川」で現存してます。
盛岡中心地から5km弱 まえ岩手郡、いまも岩手郡
武田蔵吉二等卒、岩井得五郎上等兵「岩手郡滝沢村」は、今でも「岩手郡滝沢村」。「篠木」と「滝沢」の地名も現存します。滝があるので「滝沢村」になりました。岩手の名峰・岩手山のふもとにある名勝地です。
佐藤勝治上等兵「岩手郡川口村」は、岩手川口駅東10kmほどの山あいにある「岩手郡岩手町川口」です。お稲荷さんにお供えする「川口狐踊り」などの伝統風習があります。
藤本定八一等卒「岩手郡御所村」南野長次郎二等卒「岩手郡御明神村」は、「岩手郡雫石町」になりました。
鹿角街道の途中のまち まえ岩手郡、いま八幡平市
岩手山のふもとにひろがる八幡平市には、いま国道282号、かつての鹿角街道が通っています。街道には人だけでなく金や銅などの鉱物も行き来しました。そんな街道の途中に、隊員たちが育んだ町があります。
武田卯之松一等卒「岩手郡大更村」は、現在の「八幡平市大更(おおぶけ)」
田村半兵衛一等卒「岩手郡平舘村」は、現在の「八幡平市平舘(たいらだて)」
田村専太郎伍長「岩手郡松尾村」は、現在の「八幡平市松尾」。スキー場で有名な「安比高原」近くの豪雪地帯です。

■滝沢村の風景
滝沢村には、江戸から続く「チャグチャグ馬コ」というお祭りがあります。武田少年や岩井少年も楽しんだことでしょう。今でも滝沢村と盛岡市で毎年6月に行われています。「小岩井農場」の1/3が滝沢村にあります。
■豪雪地帯
国土交通省HPの「豪雪地帯の地域指定図」では、岩手県全体が豪雪地帯に指定されていますが、八幡平市松尾は特に「特別豪雪地帯」に指定されています。
国土交通省HPの「豪雪地帯の地域指定図―岩手―」

岩手/紫波郡 13人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 岩手北エリア
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 岩手北エリア
いま紫波郡紫波町
藤原喜八郎上等兵「赤沢村大字赤沢」は、北上川支流・赤沢川流域南側の「紫波町赤沢」
佐々木善吉二等卒「赤沢村大字船久保」は、北上川支流・赤沢川流域北側の「紫波町船久保」 佐々木少年も探検したであろう「船久保洞窟」があります。
多田熊太郎伍長、山影運蔵伍長「佐比内村」は、紫波町の一部にあります。二人が生まれるずーっと昔に金山で栄えて、二人が生まれるずーっと昔に金脈が尽きてしまったそうです。
富岡信忠伍長「志和村片寄(かたよせ)」は、現在の「紫波町片寄」
長谷川栄四郎一等卒「志和村土舘(つちだて)」は、現在の「紫波町土舘」として紫波IC付近にあります。志和村の名は、志和稲荷神社が由来していて、かつては宿場町や金山開発で栄えたそうです。水源が豊かな土地でとれた米で日本酒も作られています。
内川卯三吉一等卒「日詰町」は、現在の「紫波町日詰」。JR紫波中央駅東口(あるのか?)付近。
花籠三蔵一等卒、阿部卯吉一等卒「彦部村」は、現在の「紫波町彦部」。「広〜いお花畑」があります。
いま紫波郡矢巾波町
小笠原寅松二等卒「煙山村大字赤林」は、JR岩手飯岡駅から2キロ弱にある「矢巾町赤林」
吉田庄五郎伍長「徳田村間野々(あいのの)」は、現在の「矢巾町間野々」
村松竹蔵一等卒「不動村大字室岡」は、現在の「矢巾町室岡」。周辺の学校に「不動」の名前が残っています。
いまは盛岡市
藤川善太郎二等卒「見前村西見前(にしみるまえ)」は、現在の「盛岡市西見前」

■船久保洞窟
船久保洞窟は、岩手県指定史跡の農家の方が管理と案内をしてくれるアットホーム(?)な洞窟です。
■彦部の広〜いお花畑
彦部には「是信房の墓」があります。是信房さんは浄土真宗の開祖・親鸞の弟子です。お墓のある場所の広〜いお花畑が「是信房のお花畑」と呼ばれています。深呼吸しに行きたいです。じつは盛岡に親類がいます
情報源は「道の駅紫波レストラン果里ん亭ブログ」・・・紫波だけでなく岩手の雰囲気が伝わります。

岩手/稗貫郡 10人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 岩手南エリア
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 岩手南エリア
宮沢賢治生誕の地 まえ稗貫郡、いま花巻市
稗貫郡(ひえぬきぐん)は、そのまま花巻市になりました。
伊藤千代丸一等卒「内川目村」は、現在の「大迫町内川目」
桜井龍造看護長「大迫町(おおはさままち)」は、現在の「大迫町大迫」
佐々木霜吉一等卒や瀬川利吉二等卒「外川目村」は、現在の「大迫町外川目」
ともに「早池峰山」のふもとの山あいにある土地です。信仰の対象になっている早池峰山は、600年以上の歴史がある「早池峰神楽」という舞が奉納されています。彼らもきっと見たことがあるでしょう。
高橋健次郎一等卒「新堀村大字新堀」は、現在の「石鳥谷町新堀(いしどりやちょうにいぼり)」
小田嶋鉄次郎伍長「根子村大字下根子(しもねこ)」は、現在の「花巻市下根子」
瀬川昇助伍長「花巻町大字北万丁目」は、現在の「上北万丁目」、「中北万丁目」、「下万丁目」のどれか?士族出身。
阿部忠蔵二等卒「宮野目村大字上似内(かみにたない)」は、花巻空港ICの周辺の「花巻市上似内」
大木弥左衛門上等兵「矢沢村東」は、JR新花巻駅周辺にある「花巻市矢沢」?「宮沢賢治記念館」があります。
藤根市太郎二等卒「湯本村大字二枚橋」は、JR花巻空港駅のすぐ近くの「花巻市二枚橋」

■宮沢賢治
明治29年稗貫郡生まれ。詩人・童話作家・教師・農業指導など多くの面を持つ。「イーハトーヴ」は岩手をエスペラント後風に発音した造語。「理想郷」の意味で使われ、賢治の岩手への愛情を感じさせます。いっぽうで岩手の現実が困難と困窮を極めたことは賢治の有名な詩「雨にも負けず」から想像することができます。稗貫郡出身の隊員が入隊したころに賢治が生まれているので、彼らがどんな環境で育って入隊に至ったか、賢治の詩は教えてくれます。
■花巻温泉
花巻といえば花巻温泉。いくつもの温泉がハシゴできたり、6月中旬〜10月下旬が開花シーズンのローズガーデンなど、乙女心が刺激されます。雪中行軍隊員は入れなかった温泉ですが(1923年開湯)、すぐ近くの台温泉(600年以上の歴史)なら、入りに入ったことがあるかも知れません。

岩手/和賀郡 14人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 岩手南エリア
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 岩手南エリア
まえ和賀郡、いま北上市
千田権次郎上等兵「和賀郡岩崎村」は、現在の「北上市和賀町岩崎」
富澤兼松一等卒「和賀郡黒沢尻町」は、現在の「北上市黒沢尻」
軽石三蔵二等卒「和賀郡立花村」は、現在の「北上市黒沢尻」
小原忠三郎伍長「和賀郡二子村」は、現在の「北上市二子町」かな?小原さんは郷里にもどって村役場に勤務しましたが、通勤が困難なため退職し、自宅で駄菓子屋をはじめたそうです。
まえ和賀郡、いま花巻市
藤本左近曹長、福山勉吉伍長の「和賀郡笹間村」は、現在の花巻市「北笹間」、「中笹間」、「南笹間」のどれか?
小原房松二等卒「谷内(たにあい)村砂子」は、現在の「花巻市東和町砂子」
大松庄七一等卒、菅野喜七一等卒「谷内(たにあい)村倉沢」は、現在の「花巻市東和町倉沢」
朝倉豊治一等卒「谷内(たにあい)村田瀬」は、現在の「花巻市東和町田瀬」
まえ和賀郡、いまも和賀郡 国土交通省「特別豪雪地帯」指定の地
菊池連次郎一等卒「和賀郡沢内村大字猿橋」は、現在の「和賀郡西和賀町沢内字猿橋」。秋田県境に近い和賀川流域にあります。ヤマメやイワナを釣って遊んだかも。
菊池慎吾一等卒、照井勇次郎一等卒、高橋多吉二等卒「和賀郡湯田村」は、和賀川流域の「和賀郡西和賀町湯田」 湯田の名物:湯本温泉、雪合戦大会、すっぽん鍋、ゼンマイやきそば、湯田牛乳

■さき織り
ささ織りとは、明治以前から花巻あたりで伝承されている古布のサイクル技術。古い布を裂いてよこ糸にして縦糸に織り込む。市内には何ヶ所か工房があるようです。隊員のお母さんもやっていたことでしょう。
■豪雪地帯
国土交通省HPの「豪雪地帯の地域指定図」をみると、岩手県全体が豪雪地帯に指定されていますが、和賀郡西和賀町は特に「特別豪雪地帯」に指定されています。
国土交通省HPの「豪雪地帯の地域指定図―岩手―」

岩手/江刺郡 12人
雪中行軍隊出身地マップ 岩手南リスト
雪中行軍隊出身地マップ 岩手南エリア
まえ江刺郡 いま奥州市江刺区
紺野作治一等卒「江刺郡愛宕村」は、現在の「江刺区愛宕(おだき)」?
伊藤大右衛門二等卒「江刺郡伊手村」は、現在の「江刺区伊手」
菅原藤兵衛伍長、佐藤勝輝特務曹長「江刺郡岩谷堂町」は、現在の「江刺区岩谷堂」。岩谷堂町名物として岩谷堂羊羹、岩谷堂箪笥があります(詳しくは下欄にて)。
菅原忠左衛門一等卒、石川善四郎二等卒「江刺郡田原村」は、現在の「江刺区田原」付近?
安部長寿郎伍長候補上等兵「玉里村」は、現在の「江刺区玉里」。人首川(ひとかべがわ)という北上川の支流流域にあります。ちょっと怖いネーミングですがきれいな清流だそうです。
まえ江刺郡 いま奥州市水沢区
阿部寿松一等卒「江刺郡黒石村」は、現在の「水沢区黒石町」。黒石寺の「蘇民祭」が有名。
高橋繁三郎一等卒、橋村清七伍長「江刺郡羽田村」は、現在の「水沢区羽田町」 江戸時代から続く鋳物産業の地で、南部鉄器を製造しています。昭和初期にはじまった「火防祭(ひぶせまつり」も有名です。
まえ江刺郡 いま北上市
菅野源蔵一等卒、昆野三喜之助伍長「江刺郡福岡村」は、現在「北上市」に編入。

■岩谷堂羊羹
岩手で羊羹といえば「岩谷堂羊羹」のことを指すほどの名物らしい。強い練りで黒糖の風味しっかりと出しているのが特徴。300年の歴史があるというのだから、江刺出身の雪中行軍隊員は、祝いの席などで口にしたのでは?
■卵めん(らんめん)
玉子を麺状にしたお菓子。300年の歴史があって、宗教迫害を受け長崎のキリシタン信者が、江刺岩谷堂に伝えたとされています。きっと高価なものだったでしょう。お祝いの席などで食べたことがあるかもしれませんね。
■岩谷堂箪笥
良質の木材を使った美しい木目に漆を塗って、細かい細工の金具を取り付けた重厚な風合いの箪笥。18世紀後半が起源とされる箪笥なので、製造に関わった隊員もいるかも。
■南部鉄器
仙台・伊達藩の庇護によって作られたのが水沢の南部鉄器。鍋釜モノが得意。丈夫で長持ちで保温性が良い特徴をいかし、今ではごはん釜、パン焼き器、ダッチオーブンなども作られている。ダッチオーブンいいわ〜
■黒石寺の「蘇民祭」
五穀豊穣を願う黒石寺の「蘇民祭」は、1000年以上の歴史がある五穀豊穣を願う裸まつりで、岩手県を中心に日本各地に分布している。ポスターのデザインが刺激的(?)ということで、駅構内での掲載を拒否されたことで、全国的な話題になりました。阿部一等卒もお祭りに参加したかもしれません。
阿部寿松一等卒のお孫さんのHP
■江刺金札米(えさしきんさつまい)
明治から大正初期にかけて江刺のお米はあまり評判が良くなかったそうです。しかし新品種を開発して良い評価を得て、昭和5年に「金札」を付けて出荷できるようになりました。いまでは「江刺」は良質米の生産地です。

岩手/胆沢郡 14人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 岩手南エリア
農耕と水の歴史のまち奥州市
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 岩手南エリア
まえ胆沢郡(いさわぐん) いま奥州市前沢区
菅原辰之進二等卒「古城村」は、現在の「前沢区古城(こじょう)」
菊池亀蔵一等卒、石田一二三二等卒「前沢町」は、現在の「前沢区」に編入。
まえ胆沢郡(いさわぐん) いま奥州市水沢区
佐々木辰吉伍長、及川弥平上等兵「佐倉河村」は、現在の「水沢区佐倉河」
及川幸三郎伍長「水沢町」は、「水沢区」の一部?
まえ胆沢郡(いさわぐん) いま奥州市胆沢区
高橋吉治一等卒、遠藤六兵衛一等卒、小野寺善四郎一等卒「小山村」は、現在の「胆沢区小山」
千田重蔵二等卒「南都田村(なつたむら)」は、現在の「胆沢区南都田」
千田権七伍長候補上等兵、菅原久右衛門二等卒「若柳村」は、現在の「胆沢区若柳」
まえ胆沢郡(いさわぐん) いま胆沢郡金ケ崎町
高橋辰蔵一等卒「金ケ崎村西根」は、現在の「胆沢郡金ケ崎町西根」
後藤惣助一等卒の詳細は不明。(マップでは奥州市でカウント)

■胆沢平野
胆沢の地形をじっくりみると、「岩淵ダム」から東に広がる典型的な「扇状地」であることがわかる。本来なら水田に向かない土地だ。それをかつての胆沢の人たちは、用水路を整備し、苦労のすえに豊かな水田を作り上げた。
■散居の町
胆沢の扇状地には、先人たちが築いた水路があり、近隣の地域にも潤いをあたえています。民家がまるで島のように水田に点在する「散居集落」は、のどかで貴重な風景です。
■前沢牛
前沢といえば前沢牛。食用として一般的になったのは昭和に入ってからのようだ。地元の良質な稲わらを飼料にしているらしい。
■胆沢ダム通信「ササラ」
治水を目的になた胆沢ダムは2013年完成に向けて建設中で、完成すると「岩淵ダム」は水没する。胆沢ダム通信「ササラ」は、“「胆沢ダム」を核とした地域づくりを、みんなで考えていくためのコミュニケーションツールとして”発行された冊子(発行終了)。内容はかなり面白そう。胆沢ダム通信「ササラ」トップページ

岩手/東磐井郡 20人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 岩手南エリア
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 岩手南エリア
まえ東磐井郡 いま一関市川崎町
明治時代には北上川での運送で栄えまた川崎町。
和泉郁之助上等兵「薄衣村(うすぎぬ)」は、現在の「一関市川崎町薄衣」 夏に「ちゃっこい村のでっかい花火大会」が行われています。
佐藤竹雄伍長、千葉胤雄伍長「門崎村」は、現在の「一関市川崎町門崎」。ここにある「河崎の柵(擬定地)」は、1056年の前九年の役で、安倍貞任が朝廷軍源頼義を迎え撃つために兵を構えたとされる場所。
東磐井郡 いま一関市室根町
国重要無形民俗文化財の指定を受けた「室根まつり」が有名な室根町
芳賀卯一郎喇叭手二等卒「大津保村津谷川(つやがわ)」は、現在の「一関市室根町津谷川」
佐々木乙三郎一等卒「矢越村上折壁字高沢」は、現在の「一関市室根町矢越字高沢」
三浦武雄伍長「矢越村上折壁字湯舟」は、現在の「一関市室根町矢越字湯舟」
千葉五右衛門一等卒「矢越村上釘子」は、現在の「一関市室根町矢越」のどこか。釘子の「いろは歌留多」には千葉一等卒が登場する。※1
東磐井郡 いま一関市千厩町
太田丈市郎一等卒、柏福太郎上等兵「奥玉村」は、現在の「一関市千厩町奥玉」
東磐井郡 いま一関市大東町
小野寺八百蔵一等卒、佐藤卯一郎伍長「大原村」は、現在の「一関市大東町大原」
藤野信太郎二等卒「興田村鳥海」は、現在の「一関市大東町鳥海」
佐藤吉治二等卒「興田村中川」は、現在の「一関市大東町中川」
小野寺佐平二等卒「猿沢村」は、現在の「一関市大東町猿沢」
佐藤徳松伍長「摺沢村」は、現在の「一関市大東町摺沢」
東磐井郡 いま東磐井郡藤沢町
藤沢焼が有名なまち
武田清五郎一等卒、石田仙右衛門上等兵「東磐井郡黄海村(きのみ)」は、現在の「東磐井郡藤沢町黄海」
東磐井郡 いま西磐井郡平泉町
山田惣之進一等卒、千葉胤次上等兵「東磐井郡長島村」は、現在の「西磐井郡平泉町長島」
及川平助一等卒の詳細は不明

■もち料理
一関を含む(旧伊達藩北部)は、もち料理が名物。もち御膳、もち弁当、もち菓子など、もち三昧できる。
■釘子の歴史「いろは歌留多」※1
岩手県東磐井郡室根村(現・一関市室根町)の室根村立釘子小学校の先生が作ったカルタには、釘子出身の千葉五右衛門一等卒(青森第5連隊)のことが読まれている。
釘子の歴史「いろは歌留多」ページトップページ

岩手/西磐井郡 11人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 岩手南エリア
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 岩手南エリア
まえ西磐井郡 いま一関市
佐藤専三郎上等兵「一ノ関町」は、合併を経て一関市に編入。
佐藤碧舜伍長「厳美村」は、現在の「一関市厳美町」。
佐藤太平看護手「永井村は、現在の「一関市花泉町永井」
菅原厚次伍長「中里村字山日町」は、現在の「一関市中里」
菅原多重一等卒「真滝村滝沢」は、現在の「一関市滝沢」。JR大船渡線・真滝駅周辺。
佐藤兵作二等卒「油嶋村蛾嶋」は、現在の「一関市花泉町油島」
小野寺市兵衛一等卒、黒澤慶助二等卒、金野清助二等卒「涌津村」は、「一関市花泉町涌津」
まえ西磐井郡 いま西磐井郡平泉町
石神清吉一等卒、菅原辰四郎二等卒「平泉村」は、現在の「西磐井郡平泉町」

■厳美町の風景
佐藤碧舜伍長が育った「厳美村」は、先祖代々の土地が住民の強い意志により維持され、現在もその農村風景は14世紀に描かれた絵図とあまり変わってないそうです。佐藤伍長が見た景色が見られるのです!
■厳美渓の郭公だんご
磐井川中流の渓谷・厳美渓。団子が空中をロープに下がってやって来る「空飛ぶだんご」がある。
■平泉の歴史
平安時代末期に、奥州藤原氏の根拠地となった町。水運と金で栄華を極めたが、やがて奥州藤原氏が滅亡し、金産出量が激減すると、都市は急速に衰えた。江戸時代に平泉を訪れた松尾芭蕉は、当時を偲ぶものがない風景を見て、「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」という句をのこした。建物や遺跡の多くは、明治後期から再建がはじまっているので、平泉出身の雪中行軍隊員は、荒れた姿しか見たことがないかもしれない。
■世界遺産候補
奥州藤原氏が独自に発展させた寺院や庭園が、自然と一体になった平泉の景観だが、2008年の世界遺産登録審議で登録延期が決定された。

岩手/下閉伊郡 10人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 岩手北エリア
地形が豊かな宮古市は、陸中海岸で育った雪中行軍隊員と、林間部で育った雪中行軍隊員がいます。
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 岩手北エリア
まえ下閉伊郡(しもへいぐん) いま宮古市
伊藤伊勢次郎上等兵「重茂村大字音部」は、現在の「宮古市音部」
八重樫寿伍長「鍬ヶ崎町下町(くわがさきしもまち)」は、現在の「宮古市鍬ヶ崎下町」 近くに三陸を代表する景勝地「浄土カ浜」があります。
佐々木理助一等卒、攝待辰治郎一等卒、木村松兵衛一等卒「山口村大字山口」は、陸中海岸から3キロほど内陸にある現在の「宮古市山口」
佐々木留吉一等卒、南舘忠平二等卒「千徳村」は、現在の「宮古市千徳」 宮古市中心地から4キロほど離れた近内川支流の山あいにある町です。むかしこの地域が旱魃に襲われたとき殿様が泉をみつけて住民を救ったため「泉徳」と名付けられ、いまの「千徳」に変化したそうです。
記事参考 宮古の情報Webサイト・・・ドメスティックな宮古情報満載です
まえ下閉伊郡(しもへいぐん) いまも下閉伊郡
佐々木千太郎二等卒「岩泉村大字乙茂(おとも)」は、現在の「下閉伊郡岩泉町乙茂」 小本街道と小本川沿いにある地域です。近くにある龍泉洞は日本3大鍾乳洞のひとつ。名水の地でもあります。
古舘要吉一等卒、佐々木正教二等卒「川井村」は、現在も「下閉伊郡川井村」 国道106号や閉伊川沿いにある地域です。「夏屋」は夏屋川の支流にあります。

■宮古の歴史
宮古は平野が狭く山に囲まれた地域。内陸からの物資の輸送が困難な「陸の孤島」は、いくども飢饉に襲われました。その地形から津波の被害も多く受けました。明治には、旧幕府軍が宮古港に停泊する新政府軍の艦隊を奇襲し失敗に終わった「宮古港海戦」の舞台になりました。
■陸中海岸
陸中海岸の一帯は国立公園に指定されています。その詳細を環境省HPからコピペしました。
陸中海岸国立公園は、東北地方の太平洋側約180kmに渡って指定されている、海の景観が美しい国立公園です。大断崖が続くさまは壮観で、「海のアルプス」とも賞されています。また、ウミネコやオオミズナギドリなどの海鳥の繁殖地があり、野生生物を間近に観察することもできます。気仙沼・釜石など日本有数の水揚げを誇る漁港を有しており、新鮮な海の幸を味わうことができるのも魅力の1つです。
環境省HP「国立公園」トップページ

岩手/気仙郡 11人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 岩手南エリア
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 岩手南エリア
まえ気仙郡 いま気仙郡住田町
四方を山に囲まれた地形の気仙郡住田町は、山あいの支流沿いに集落が点在している。淡水魚がとれ、海洋性気候のため温暖な地域。
記事参考 住田町情報サイト「SUMITA好いネット」・・・なんだか元気が出てくる管理人日記
水野栄七二等卒、千葉長右衛門一等卒「下有住村(しもありす)」は、現在の「気仙郡住田町下有住」
紺野市治郎二等卒、吉田小右衛門一等卒「世田米村(せたまい)」は、現在の「気仙郡住田町世田米」
まえ気仙郡 いま陸前高田市
及川良平一等卒、佐藤辰三郎一等卒「小友村」は、現在の「陸前高田市小友町」 広田半島を観光するには小友駅からバスやタクシーに乗る。半島の沖合1キロに浮かぶ椿島は、国の天然記念物に指定された「ウミネコの繁殖地」。漁業の「魚探」の役割としてむかしから大切にされたウミネコは、繁殖期には数万羽以上になるらしい。
佐藤哲治伍長、公下千松二等卒、千葉春吉二等卒「矢作村」は、現在の「陸前高田市矢作町」 この付近の山地はデボン紀から白亜紀までのアンモナイト化石が見つかる日本で唯一の地域らしい。
記事参考 陸前高田市「海と貝のミュージアム」HP・・・陸前高田は貝塚がいっぱい!まけるな大森!
まえ気仙郡 いま大船渡市
リアス地形の大船渡港は天然の良港として発展しました。明治14年に明治政府の軍艦が入港したのをきっかけに大船渡港の重要性が注目され、いまでは貨物基地として主要な港になっています。海岸部では、波によって磨かれた黒い玉砂利がある碁石海岸、洞穴に打ち当たる波がゴロゴロ音を鳴らす雷岩、波しぶきが豪快な乱曝谷などの観光物件に、大船渡の波の激しさを感じさせます。
及川礼三郎一等卒「立根村(たっこん)」は、現在の「大船渡市立根町」
佐々木清治郎一等卒「盛町(さかりちょう)」は、現在の「大船渡市盛町」には大船渡市役所がある。

岩手/上閉伊郡 6人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 岩手南エリア
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 岩手南エリア
まえ上閉伊郡(かみへいぐん) いま遠野市
懸田良蔵伍長「遠野町八地割」は、現在の「遠野市遠野町」
佐々木忠太郎一等卒「達曽部村(たっそべ)」は、現在の「遠野市宮守町達曽部」
菊池徳三郎二等卒「上郷村平野原」は、現在の「遠野市上郷町平野原」
佐々木栄太郎二等卒「土淵村大字栃内(ちない)」は、現在の「遠野市土淵町栃内」
まえ上閉伊郡(かみへいぐん) いま釜石市
古川幸吉伍長、小笠原孫之丞一等卒「鵜住居村鵜住居(うのずまい)」は、現在の「釜石市鵜住居町」

■遠野地方のくらし(江戸〜明治)
この時代の遠野のくらしを考えることは、遠野だけでなく東北地方だけでなく、庶民が生きる苦労そのものを感じさせてくれる。そして雪中行軍隊員たちが生まれ、私たちが生まれたのだ。
江戸時代、遠野地方は寒冷地であるため稲作が発達せず、農家はヒエ、アワ、ムギを生産して税を納めていた。一方の藩(南部藩)もかつては金鉱で豊かな財政を誇っていたが続かず、金脈が枯れると、湾岸部と内陸部の物資の通行や、家屋の窓の数までも税の対象にして、藩の収入としていた。
収穫の5割が年貢になるため、農家の手元にはわずかな穀物しか残らず、しかも「冷害」で凶作になると飢え死にする人が相ついだ。財政が破綻している藩は救民対策をすることもできず、ついには「ワラの食べ方」を指南するにいたる始末であった。労働人口が減った農地は荒れ果てたが、税の負担は変わらなかった。
藩も参勤交代や外国船の警備など出費を減らせない。
農民は「一揆」をおこした。一揆の要求は受け入れられることもあれば、反古されることもあった。しかも一揆の首謀者は刑罰された。やがて農民は、運送業、水産加工業などのあたらしい産業の日雇いとして働くようになったが、藩はこれらにも細かく税を掛けた。しかし藩の財政も信用もすでに尽きていた。そして明治維新。
明治政府になっても税の負担は変わらず、一揆は続いた。いっぽうで、寒さに強い高原野菜や西洋野菜の栽培がはじまり、農業技術の進歩で水田が開発された。鉄の需要は高まり、大規模な製鉄工場が釜石に作られた。しかしそれは富める者とそうでないものを2極化した。
人は農地を捨てたり、大都市に働きに出たり、軍人になったりして、遠野の地を去るしかなかった。
記事参考 遠野市社会科副読本Web版「ふるさと遠野」

山形 3人

青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 山形
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 山形
独眼流政宗が生まれ、米沢藩の城下町として栄えた「米沢市」は、倉石大尉、伊藤中尉、大橋中尉の出身地です。3人ともに「士族」なので、親類が戊辰戦争に出兵しているかも知れません。

大橋中尉は、代々上杉家の馬周り組(主君の身辺を護衛する役目)の家に生まれ、興譲小学校(現・米沢市立興譲小学校)、興譲館(現・県立米沢興譲館高等学校)に進みました。陸軍士官学校の考科表(一部)には、「性質:質朴にて気概あり、品行方正、品格:高尚にて厳威あり、才能:老成統御の才あり」と書かれるリーダーシップの才能にあふれる人物のようです。

■芋煮会
山形といえば「芋煮会」。江戸時代に起源した行事なので、3人ともやったことがあるかも。想像したらお腹が空いてきたー。
■米沢牛
米沢といえば「米沢牛」。明治4年に米沢藩の外国人教師が米沢からつれてきた牛を横浜の外国居留者にご馳走したことで、そのおいしさが全国に広まった。3人とも食べたことがあるでしょう。きっと。
■忠臣蔵
吉良上野介の妻は米沢藩上杉家の娘。二人の間の子は、世継ぎがなくなりお家断絶の危磯にあった上杉家の養子になり藩主となりました。

宮城 48人

宮城県は、本吉郡(10人)、登米郡(17人)、栗原郡(18人)、そのほかの地区(3人)
本吉郡 10人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 宮城
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 宮城
気仙沼エリア
岩手県に飲み込まれたような県境の「気仙沼市」はリアス式海岸が特徴的です。気仙沼漁港で有名な「ふかひれ」は江戸時代末期から生産していましたが、ほとんどは中国への輸出用で、地元民は食べられなかった(そもそも食べる部分じゃなかった?)かも。高橋他一伍長、菅原梅作上等兵、小野寺庄右衛門上等兵候補一等卒、加藤八重治一等卒、小野寺辰之進一等卒、熊谷熊蔵一等卒、清野幸太郎二等卒は、波が打ち寄せ、潮が吹き上げるダイナミックな気仙沼の岬で太平洋を見て育ったんでしょう。
南三陸町エリア
「南三陸町」は現在、沿岸部一帯が「南三陸金華山国定公園」に指定されています。リアス式海岸特有の美しい海岸線は、一方で津波の影響を受けやすく、1896(明治29)年の「明治三陸大津波」で南三陸町はもっとも大きな被害を受けました。南三陸町出身の三浦十吉上等兵、伊勢浅治一等卒の家も津波の被害を受けたかも知れません。

宮城/登米郡 17人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 宮城
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 宮城
北上川と迫川の流域にある広大な登米平野は、かつては江戸の食糧基地で、今でも「ひとめぼれ」や「ササニシキ」を多く産出している穀倉地帯です。

見わたす限りの稲穂の中で育った登米出身の隊員たち。
当時の地名が今で残ってます。佐藤富蔵一等卒、浅野佐吉伍長が出た「米谷村」は「東和町米谷(とうわちょうまいや)」。東和町は「蛍」と「隠れキリシタン」の里として有名です。キリスト教は製鉄の技術と一緒に東和町に伝わったそうです。岩手と宮城の県境にある東和町は、現在では人口密度の高い地区になっています。渥美貞亮上等兵、浅野金右衛門伍長が出た「米山村」は「米山町(よねやまち)」。後藤良五郎一等卒、宍戸五郎左衛門一等卒が出た「南方村」は「南方町」。及川篤三郎伍長、三塚市右衛門二等卒が出た「新田村」は「迫町新田」。千葉勘三郎一等卒、春日林太夫喇叭手二等卒、猪俣源太郎一等卒が出た「宝江村」は「中田町宝江(たからえ)」。千葉慶三郎一等卒、千葉文之助伍長が出た「石森村」は「中田町石森」。千葉宗平上等兵、小野寺熊三郎上等兵が出た「石越村」は「石越町」。二階堂富十郎上等兵が出た「上沼村」は「中田町上沼」。田中善治一等卒が出た「登米町大字日根牛(とよままちおおあざひねうし)」はそのままで現存しています。

■2大マンガ家出身の地
登米は米の産地であり、マンガ家の産地(?)でもあるようです。「009」「仮面ライダー」の作者、石ノ森章太郎さんは石森村の出身でペンネームの由来にもなっています。「AKIRA」の大友克洋さんは迫町の出身。作品の世界観も似ているような。
■登米物語
雪中行軍隊員人口密度が高い登米。どんな歴史をもつ地域なんでしょうか?調べてみたらこんな本がありました。いつか登米を訪問する時、その前に読みたい本です。ハガエンタープライズ発行の「登米物語」

宮城/栗原郡 18人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 宮城
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 宮城
栗原市エリア
「栗原郡」の多くは「栗原市」になって、一部は「大崎市」に編入されました。秋田と隣接している山岳地帯は温泉が点在し名水の産地でもあります。水の恵みを受けた東側の低地のほとんどは水田として使用されています。

大場喜作上等兵、白取新兵衛二等兵が出た「築館町」は今の栗原市の中心地であり、登米市とまたがっている大きな沼(伊豆沼と内沼)は、渡り鳥や水草の保護地になっています。
高橋彦市上等兵が出た「高清水村」はかつては宿場町として発展し、その名のとおりの名水地です。
高橋多蔵一等卒、後藤正三郎一等卒が出た「鶯沢村」は1000年以上の歴史を持つ鉱山の町でした。(今は閉山)
近藤留三郎伍長(沢辺村)、鈴木清左衛門上等兵候補一等卒(金成村)の出身地「旧金成町」は、今「沢辺ゲンジホタル発生地」として有名です。
柴山捨治上等兵が出た「有賀村」は「若柳有賀」に、鈴木与四郎伍長が出た「富野村」は地名は無くなって築館町の一部になっているようです。佐藤吉内二等卒が出た「長崎村」も地名は無くなっていて栗原市一迫の一部になっているようです。鈴木清男伍長が出た「藤里村」も旧瀬峰町に変更したのちに栗原市の一部になったようです。金田陽治一等卒が出た「金田村」は「栗駒稲屋敷金田」として地名が残っています。後藤房之助伍長が出た「姫松村」は「姫松地区」として地名の名残りがあります。いずれも地名が無くなっても学校名などで当時の名前が残っています。

■岩手・宮城内陸地震 2008年
もっとも大きな被害を受けた宮城・栗原市。雪中行軍隊員も多く輩出している地域ですが、隊員の出身地は山岳地帯ではないため大きな被害を受けなかったようです。それでも隊員の親類・ご子孫には山岳方面に関係している方もいらっしゃるでしょう。毎日新聞2008年7月5日地方版に、「岩手・宮城内陸地震:「八甲田山」後藤伍長の長男一家被災で、励ましの電話/青森」という記事が載りました。その内容は「毎日jp」で見ることができます。青森幸畑の資料館のボランティアガイドさんが、地震直後に後藤伍長のご長男さんに、安否気遣う連絡を入れたそうです。このようなやりとりが新聞記事になることが、不幸な災難のなかで、ひとつの希望を感じさせてくれます。ほんとうにご無事でよかったです。
大崎市エリア
栗原郡の一部は「大崎市」に編入されました。「古川市」と言ったほうがピンとくるでしょうか。大崎の地も栗原市と同様に水源に恵まれた穀倉地帯です。斉藤安右衛門二等卒が出た「清滝村」は「古河清滝」、氏家善四郎二等卒が出た「宮沢村」は「古河宮沢」で当時の地名が残っています。小野寺熊治郎伍長が出た「松倉村」は地名が消滅したようです。
不明 教えてー!
高橋房治伍長が出た「栗原郡小野村」と、佐藤政右衛門二等卒が出た「栗原郡大沢村」は調べがつきませんでした。

宮城/そのほかの宮城県 3人
青森第5連隊 雪中行軍隊出身地リスト 宮城

青森第5連隊 雪中行軍隊出身地マップ 宮城
小野軍之進軍曹の出身地「遠田郡南郷村」は「南郷町」を経て現在は「遠田郡美里町」。

小田山新特務曹長の出身地「仙台市外記丁通(げきちょうどおり)」は仙台藩士・斎藤外記の屋敷があったことが由来してます。現在宮城県庁のすぐそば「上杉一丁目」付近の一等地。さすが士族!(?)

渡辺幸之助軍曹の出身地「刈田郡福岡村」は白石市中心地から5キロも離れていない高台の「白石市福岡長袋」。ちなみに白石は江戸初期から続く「温麺(うーめん)」が名物。管理人宅も白石からお取り寄せしてます。渡辺軍曹も食べていたでしょう。

石川 1人

青森第5連隊 雪中行軍隊員出身地リスト 石川
青森第5連隊 雪中行軍隊員出身地マップ 石川
加賀藩の城下町金沢。加賀藩は一時幕府側についたこともあって明治政府に冷遇されましたが、学校や陸軍第九師団(旅順戦)の設置で「学都・軍都」としてふたたび栄えました。
雪中行軍隊員で唯一石川出身の永井軍医は「士族」です。22歳のときに志願兵で入隊しました。どんな家柄だったのか?それまで医学を勉強していたのか?「池田町一番丁」の住所は香林坊南側の住宅街に現存しています。

■兼六園
金沢といえば「兼六園」。歴代藩主が愛したこの庭園は、明治7年に市民に一般開放されました。永井軍医は見学したでしょうか?それまでは士族でも入れなかったのでは?

東京 1人

青森第5連隊 雪中行軍隊員出身地リスト 東京
青森第5連隊 雪中行軍隊員出身地マップ 東京

山口少佐は、幕臣成沢家の3男として東京市下谷区に生まれました。幼少時に一時、静岡・沼津に移り住みましたが、ふたたび下谷区の家に戻りました。その後、士官学校で学び、名古屋などで勤務して、36歳の時に山口家の養子になりました。武家屋敷が多く建っていた町だった「下谷区下谷西町」も、関東大震災や戦災を経て、現在上野駅東側周辺の「台東区東上野」という地名に変わっています。
国立国会図書館所蔵写真帳「写真の中の明治大正」 東京の写真のデジタルライブラリー(下谷地区あり)

■上野周辺(山田少佐ゆかりの地)
東京上野周辺は、山口少佐が生まれ幼少期を過ごした場所です。生誕地はビル街に様変わりしてますが、当時の成沢少年(山口青年)が手を合わせたであろう「下谷神社」が現存します。
くわしくは当サイトの「Let's Go 日本のあちこち」の記事をご覧ください。
■廃兵院
「廃兵院」とは、病床兵を国費で扶養することを目的とした施設で、雪中行軍隊の生存者、小原忠三郎伍長が入院していたことがあります。「傷兵院」と改称し第二次大戦後に廃止されましたが、巣鴨公園内(東京都豊島区北大塚)に廃兵院址の石碑があります。
記事参考 Webサイト「Z旗」・・・「坂の上の雲」情報サイト

神奈川 1人

青森第5連隊 雪中行軍隊員出身地リスト 神奈川
青森第5連隊 雪中行軍隊員出身地マップ 神奈川
かつて幕府が置かれた政治の中心地「鎌倉」は、三方を山で囲まれ海が正面に広がる地形になっている。

雪中行軍隊員で唯一神奈川出身の水野中尉は「華族」。
かつては新宮藩主(和歌山県新宮市)だった水野家が鎌倉に移った理由や時期は不明だが、もしかしたら鎌倉幕府の存在に由来があるのかも知れない。
水野家が作った「高松寺」には、水野中尉の父・忠幹さんの墓(水野中尉も?)があったが、昭和6年に水野家の都合で廃寺になった。水野中尉は東京生まれで、学習院に入学したあとに陸軍幼年学校に転学し、そのまま陸軍士官学校を経て士官しているので、鎌倉の思い出は乏しいのかも知れない。「鎌倉市西御門」の住所は鶴岡八幡宮の後方に現存している。ちかい内に鎌倉へ行きたいな

■神奈川県人のグルメ
水野中尉はどんな神奈川グルメしてたんでしょうか?神奈川県民の大好物「崎陽軒のシウマイ」は昭和3年に販売開始(営業開始は1908年)。大船の「鯵の押し寿司」は大正2年に販売開始。横浜中華街は開国とともにできたけどまだ料理店はあまりなかったらしい。「鳩サブレー」は明治だけど何年なのか不明。

川崎の「長十郎梨」は川崎大師参拝の途中に食べたはず。ガリリッとかじると、ちょっと青くさい甘みがひろがる多摩川流域特有の梨で、正岡子規も長十郎梨の句を詠んでいる。さらに、鎌倉・建長寺のお坊さんがつくったのが発祥の「けんちん汁」やも食べてたかも。そして「泉平(いずへい)のいなり寿司」も外せない。創業天保十年、横浜・馬車道のいなり寿司専門店で、シンプルなかんぴょう巻きも絶品である。ヨダレが・・・

・・・ということで、1時間にわたって考察された「水野中尉神奈川グルメ問題」は、けんちん汁と長十郎梨と泉平のいなり寿司いう結果になったが、いかがであろう?
■国立箱根診療所
現在の「国立病院機構箱根病院」は、雪中行軍隊の生存者、小原忠三郎伍長が最後をすごした場所(小田原市風祭)です。昭和45年2月5日までこの世をみつめていました。

長野 1人

青森第5連隊 雪中行軍隊員出身地リスト 長野
青森第5連隊 雪中行軍隊員出身地マップ 長野
西筑摩郡は現在の「木曽郡」。江戸時代は尾張藩の支配下にあり、幕府によって関所が置かれ、中山道の宿場や林業で栄えました。雪中行軍隊員で唯一長野出身の今井特務曹長は「士族」。どんな家庭環境だったんでしょうか?「木曽郡木曽町福島」はJR木曽福島駅周辺に現存しています。

■福島関所
中山道の中間あたりにある四大関所のひとつ。跡地は観光物件になっています。このあたりは狭いので各観光物件を歩いて周れるそうです。便利ですね。
■長野グルメ
海抜800メートルの山間の町は、農地が乏しいため、少ない食料を工夫を凝らして保存したそうです。
ご飯にクルミなどの特製たれをつけて焼いて祭りの日などに捧げた「五平餅」。端午の節句に小麦粉を練った皮に餡をくるんだ餅の「ほう葉巻き」は、江戸時代からつづく今井特務曹長が食べたであろう食べ物です。長野といえばイナゴや蜂の子佃煮のイメージですが(ワタシだけ?)、伊那や諏訪方面の食文化らしい。

佐賀 1人

青森第5連隊 雪中行軍隊員出身地リスト 佐賀
青森第5連隊 雪中行軍隊員出身地マップ 佐賀
雪中行軍隊員で唯一佐賀出身の今泉少尉は、豊かな農地が広がる「三日月町」出身。「三日月町金田」の住所は、JR長崎本線「くぼた」駅近くに現存している。
佐賀藩(鍋島藩)の支藩が置かれた小京都「小城(おぎ)」の小城公園は、「日本のさくら名所100選」に選ばれている。「羊羹」は江戸時代からの銘菓で、今泉少尉の大好物だったかも。雪中行軍隊の荷物に羊羹があれば、多少状況は変わっていたのかな・・・。

熊本 1人

青森第5連隊 雪中行軍隊員出身地リスト 熊本
青森第5連隊 雪中行軍隊員出身地マップ 熊本
熊本城の城下町として発展した熊本市。明治10年の「西南の役」で、全市が焦土と化すダメージを受けた。

雪中行軍隊員で唯一熊本出身の興津大尉は「士族」。西南の役には身内が関わって、奥津大尉も復興の中で育ったのではないでしょうか?「熊本市京町」の住所が熊本城北側に現存しています。ところで興津大尉の先妻は、子供を残して、役者とかけおちしたというのは本当だろうか?(「吹雪の惨劇」より)

■夏目漱石
熊本には夏目漱石が明治29年〜33年に英語の教師として赴任していました。この時期すでに奥津大尉は任官してましたが、漱石の噂をきいたりどこかですれ違ったりしたかも・・・と妄想する管理人です。
■太平燕(たいぴーえん)
熊本の名物料理「太平燕」は具だくさんの春雨スープ。伝わったのが明治後期。食べたことがあるかな?

管理人後記
2008年6月14日、土曜の朝、家族とテレビを見ているときグラリとゆれました。関東ではめずらしくないゆれです。しかしそれが岩手・宮城の内陸に発生した地震で、地形が変わるほどの土砂被害になったと知るのに、さほど時間がかかりませんでした。ニュースを見ていてふと、「このあたりは雪中行軍隊員が育った場所だぞ」と思い出しました。なにか自分にできることはないだろうかと考えて、この「雪中行軍隊員 出身地マップ」の制作に取りかかることにしました。210名のひとりひとりがどこに住んでいたのか記録に残しておきたかったのです。
隊員ひとりひとりの生活を想像する作業は、キツく、時間がかかり、岩手の144人の壁には音をあげそうになりました。しかし続けられたのは励ましの言葉と、根拠の無い使命感と、隊員たちへの一方的な想いでした。
まだまだまったく未完成なページです。
本来なら現地に出向き、隊員ひとりひとりをじっくりと調べるべきでしょう。それができない自分に歯がゆくもあります。もし情報がありましたらご一報ください。これからもどんどん更新していきます。
最後になりましたが、雪中行軍隊員のみなさんに感謝します。<北大路キンコ>