5年が経ちました




       2003年の9月24日。
       朝の9時から始まった私の手術。
       7月の最後の日に「子宮がん」の告知を受けてから、私の人生は変わった。
       死んでしまうのではないかという恐怖。
       これは、この5年間一時たりとも私の心からなくなることがなかった。
       どこかが痛くなったり、具合が悪くなれば再発や転移に怯える。
       「がん」との闘いは手術で終わると思っていたのに、実際は始まりだった。
       
       私の家族や周りの友人達との病気をする前と同じような日常が始まっても
       いつも私の横には「命の砂時計」がさらさらと、落ちていくような感覚。
       周りの人の「私だって明日は事故にあって死んじゃうかもしれない」・・・
       それは健康だった時の私だって同じように思っていた。
       でも、そういう事って5年後も10年後も生きている自信があるから言える言葉なんだよね。

       私はステージが1bー1期で手術前に5年生存率は70%だと聞いていた。
       70%・・・それを高いと感じるのか、100人いたら30人は死んでしまうと感じるのか?
       ネガティブにしか物事を考えられない私にとって、5年間は長かった。

       毎年、お誕生日はケーキを買ってお祝いをしてもらってたけど、手術をした日は
       あえて何もしないで来た。
       桜が咲いても夏が来てもクリスマスを祝っていても、来年同じように迎えられる保証のない日々。

       2008年の9月24日は静かに過ごした。
       何故なら夏にPETを受けていて、翌25日にその結果を聞いて初めて私の5年が終わると
       思っていたから。

       毎回、定期検査に行くたびに心臓がドキドキする。
       今回は腫瘍マーカーが上がっているんじゃないかと、こんな思いを5年間。

       2008年9月25日。
       子宮がんは治っているかもしれないけれど、新たな「がん」が出来ていたら・・・
       そう思うと新橋から病院までのタクシーが、いつになくあっという間に感じた。

       Drから「子宮がんはもう大丈夫。身体の何処にも今は癌はありません」
       その言葉を聞いて私の「子宮がん」との闘いは終わった。
  
       病院内を普段は怖くて回る事など出来なかったけれど、ゆっくりと歩いてみた。
       入院していた病棟、子供達と会っていたデイルーム。
       入院中に知り合った方達と暇さえあれば集まってしゃべっていた喫煙所。
       毎日、お散歩がてら行っていた売店、術後しばらくしてからやっと飲んだ
       コーヒーとベーコンが美味しかったレストラン。

       改めて国立がんセンターにして良かったと思った。
       まだ、築地には何となく行けないけれど病院の外から見上げた建物には
       たくさんの闘病している方達がいて、受け付けでは不安な表情でレントゲン等の
       資料を持ち、受診の手続きをしている人達がいる。

       「がん」になって良かった・・・・なんて言葉も想いも一生ないと思う。
       
       入院前に貪るように読んだHP。
       その方に一方的だけれどお礼のメールをした。
       そしてお返事を頂き私もHPを作ろうと思った。

       パソコンなんて触った事もない私が夫の協力で勢いだけで作ったHP。
       そんなつたないHPで沢山の方達と知り合う事が出来た。
       時には悲しい知らせもあったけれど。

       発病当時、小学2年生だったT河。
       幼稚園の年長さんだったS河。
       2歳だったK河。
       この子達の幼稚園の卒園、小学校の卒業式、ましてやT河の中学生姿が
       見る事が出来るなんて、夢のようだった。
       彼等の成長を見ていきたい!
       私の希望はそれだけだった。

       T河には酷だと思ったけれど、子宮や卵巣の描かれている本を使ってきちんと話しをしてきた。
       術後、麻酔から覚めかけの私の所に家族がやってきて、ベットの柵越しで触ったT河の手の感触。
       「生きなきゃ」って心に決めた瞬間。
     
       入院中、毎日子供達3人を連れて横浜から築地の病院まで通ってくれた母。
       仕事帰りには毎日来てくれた夫。
       週末の土曜、日曜は朝から夫と子供達は病院に来てくれてた。
       手術をすると聞いて献血手帳を持って駆けつけてくれた三郷にいる叔父夫妻。
       子育てで忙しい友人も横浜からお見舞いに来てくれた。
       
       お陰で入院中は寂しくなかった。
       でも、運動会シーズンだったから行かれない私に代わって両親や夫が行ってくれて
       夕方には夫がビデオを届けてくれた。
       夜、消灯になってから音を消して見た、あのビデオ。
       半分以上、涙で見れなかった。

       同室の方はとても良い方達ばかりだけれど再発した方が多く精神的に参ってしまって、
       1ヶ月の予定の入院も自己導尿を条件に無理やり退院してしまった。
       家に帰るとマンションの入り口に母と子供達が待っててくれた。
       玄関には「ママ、お帰りなさい」のコメントや絵、飾り付けまでしてくれてた。
       夫がベットのレイアウトを変えてくれていたり、排尿や排便のコントロールが出来ていない
       私がトイレにこもっても何も言わないでいてくれた。

       今、闘病されている方、ご家族にがん患者のいる方々。
       どうか支えてあげて下さい。
       「がん」は一人で闘うのは辛すぎます。

       今は、生きている事に感謝。
       支えてくれた沢山の方達に感謝。

       何より心配をかけてしまった家族に感謝。

       これからも、「がん」であった事を隠す事無く、たくさんの方達に検診を受けてもらいたい。
       「がん」になってしまった者としてその事をこれからも訴えていきたいと思っている。

       このHPを見てくださった全ての方の健康とお幸せを心から祈っています。

        



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