源為朝
評者:マフムード

【統率】 65

【武力】 79

【知力】 30

【政治】  8

【魅力】 79


【特殊能力/修正】 強弓 伝説化


 強弓:武力+12
 伝説化:魅力+10

 

【統率チェックポイント】

おそらく相当誇張されているのではあろうが、九州だの伊豆大島だの、流刑される度に現地で勝手に独立勢力を打ち立ててしまったこと自体は事実らしい。

【武力チェックポイント】

九州や伊豆七島を本当に制圧したのかどうかによって変わってくるが、とりあえず保元の乱での活躍だけから評価。大軍を指揮したわけでもなく、わずか一夜の戦いで結局負けたわけだが、なにしろ個人的武勇があまりにも桁外れなので、優秀レベルの最高点としておく。

【知力チェックポイント】

どう見ても知性派の雰囲気は感じないが、軍議で断固夜討ちを主張したり(その意見が的確だったことは、その後敵方が実際に夜襲をかけてきたことによって証明される)、「兄に弓引けば神仏の加護を失う」という義朝に対して「父に弓引くのはどうなんだ」と言い返したりと、それなりに頭の回転はよかったよう。

【政治チェックポイント】

確認できる限りで政治的なことは何もやっていない。しいていえば白川北殿の軍議で天皇方へ夜討ちを仕掛けることを主張して藤原頼長に一蹴された程度か。となるとあとはフィーリングで評価するしかないので、フィーリングでこの数値。

【魅力チェックポイント】

実際どうだったのかは難しいところだが、とりあえず都の貴族たちには異様奇怪な豪傑として一種の人気を集めていたようだし、あとは流刑先の実力者の娘とくっつく話がやたらと多い。まあこのくらいの魅力がなければ、流刑地で独立なんて反則技は難しいだろう。

 

【列伝】

 源為朝(1139〜1170?)
 平安時代末期の武士、鎮西総追捕司(自称)
 活動地域:日本
 異称:鎮西八郎為朝

――黒潮の伝説――

 平安末期、源氏の棟梁・源為義の第八子。源義朝の弟、頼朝の叔父。確かな史実として言えるのは、彼が保元の乱で父とともに上皇側に立って奮戦するが、敗れて伊豆大島に流されたことと、無類の弓達者であったことである。

  多かれ少なかれ脚色されているであろう『保元物語』の記述によれば、為朝は容貌魁偉・勇猛果敢・傍若無人であったため、13歳で父に勘当されて九州へ追われた。しかし彼はその地で暴れ周り、わずか3年で九州全土を制圧して鎮西総追捕司を称するにいたったという。たぶん史実が三十倍ぐらいに誇張されているのであろう。
  1156年、崇徳上皇と後白河天皇の対立によって保元の乱が勃発すると、為朝は二十八騎の九州武者を引き連れて上洛し、白川北殿を守って奮戦する。しかし形勢利あらず、父や兄弟とともに逃走し、近江の坂田で捕えられることになる。
  為朝は武勇を惜しまれて一命を許され、伊豆大島へ流罪となった。ところが(史実なんだろうか?)彼はたちまち大島を制圧したばかりか、はるか八丈島・青ヶ島にいたる伊豆七島の全域を支配してしまう。
  とうとう業を煮やした伊豆介工藤茂光が為朝討伐の院宣を手に入れて攻め寄せたので、為朝は強弓で軍船一艘沈めるという滅茶苦茶な反撃をしてから自害した。

 ……ということになっている。
 ここまではいちおう大筋において史実と認められているが、さらにレベルアップした伝説によれば、彼は伊豆七島の支配に飽き足らず、さらに琉球に遠征してこの地を従え、琉球王朝の祖となったとされていう。おいおい、そこまでやるか。