常遇春
評者:地理公

【統率】 67

【武力】 90

【知力】 53

【政治】 45

【魅力】 61

【特殊能力/修正】

 

【統率チェックポイント】

主に徐達に従い副将として各地で戦うことが多かった。上都攻略の遠征の際には、李文忠を副司令官に置いて司令官としての役割もこなしたが、やはり大局眼のある総司令官のもとで戦うのが最も適していると思われる。

【武力チェックポイント】

元末明初で最高の武力を持つ男だろう。攻勢、追撃が得意で常に先陣を切り、「最も功あり」と数度にわたり記されるなど、戦場での働きは群を抜いていた。五万の敵に単騎突っ込んでいくなど無茶な勝利もあるが、伏兵を巧みに使うこともできる。野戦も攻城戦もこなし、南では水戦、北では騎馬での戦いに勝利し続け、向かうところ必ず勝つと評された(唯一、杭州攻めに失敗しているが敗北というより攻めあぐねた印象である)。学はなかったがその戦い方は必ず理にかなっていたという。

【知力チェックポイント】

敵を攻める際、直截に敵の本拠を突くべきだという主張をしたが、朱元璋には却下された。二度同じようなことがあったので、速戦即決の戦略を好むようだ。それはおそらく深い考えあってのものというより彼の性格的なものであろう。

【政治チェックポイント】

常遇春は将軍であり、内政や派閥の調整などの業績はほぼ皆無であった。一度留守居役になったときは法律を厳格にして城下の民を服させたが、それはむしろ統率で評価すべき事柄だと思われる。

【魅力チェックポイント】

特に魅力があったり逆に憎まれたりはしなかったようだ。配下の兵卒をよくいたわっていたという。謹厳実直で小心なところが見える徐達に比較すると、「十万の兵を率いて天下を横行してみたい」と言い兵士に「常十万」と仇名されるなど、豪放磊落なイメージがある。

 

【列伝】
 常遇春(字・伯仁)1330〜1369
 明の将軍。

 朱元璋の天下平定に最も功があったとされる「二王」といえば徐達と、この常遇春である。はじめは群盗の一人である劉聚に従っていたが、将来性に見極めをつけて朱元璋の下へ走った。その際、常遇春が寝ていると、夢に武装した神人が現れ「起きろ、起きろ、主君が来たぞ」と言った。驚いて飛び起きると、ちょうど朱元璋がそこへやってきたところだったという。それからは将軍として各地で戦い、自ら矛を奮い、次々と功を立てていく。このころから徐達に従って戦うことが多かった。
 当時、朱元璋が最も信頼していた三人の将帥の一人に挙げられる。邵栄、徐達、常遇春である(そのうち邵栄は朱元璋に対し反乱を企てて誅された)。朱元璋に従って、江南で覇を競っていた軍閥の陳友諒、張士誠らを破り、大功をあげる。

 南方を平定したのちは、徐達を司令官、常遇春を副司令官(のちに馮勝とともに左右の副将軍になった)として北伐が行われた。徐達と共に元末の名将ココテムルを破り、大都を占領する。更に各地を転戦してことごとく勝利を収めた。更に北へ向かい、上都開平府を落として元の皇帝をモンゴル高原に追いやった。
 しかし、そこから帰る途中に急に病を得て死亡した。歳わずかに四十であった。

【コメント
※徐達との比較
 徐達は北伐の総大将であり、朱元璋麾下の諸将でもっとも功があったとされていますが、負けが何度かあり、武力では常遇春に一歩を譲ります(敵に囲まれた徐達のところへ常遇春が来援したこともあります)。戦い方でも、先陣を切って敵に突撃する常遇春に比べ、徐達は伏兵を布くのが得意で知略に秀でているという違いがあります。おそらく徐達は統率、武力が80台、知力が70〜80台と総合的に高く、軍のトップを任せるには最適の司令官タイプとなるでしょう。
 常遇春はそれに比べると武力突出型で、戦場での勇者という側面が強いと思います。