幸運と機運 

柊つかさの場合



 わたしのどこかで、何かが動いた。
 そして、何かに気づいた。
 お姉ちゃんが料理をしたいって。
 いったい、誰のために?
 思い当たるのは、たった一人しかいなかった。



 明日、学校のお昼休みに食べるお弁当の用意を早くにしておこうと、台所に行ったとき。
 いつもなら、夜のニュースの前に始まるダイエットの番組を観ているはずのお姉ちゃんが、声をかけてきた。
「つかさ、お弁当を作るの?」
「え? ああ、うん。あしたの分を仕込んでおこうと思って」
「あの、つかさ」
「なあに、お姉ちゃん?」
「私にも、ちょっと料理を教えてくれる? その、ね。ちょっと身に着けておきたいかな……って」
「お姉ちゃん……?」
 わたしは、恥ずかしそうに眼をそらして、右の人差し指で頬を掻いているお姉ちゃんを見つめていた。
 左利きのお姉ちゃんが、右手で何かをしている時は、何か隠していることがあるか、とても大切なことがある時。
 小さい時からずっと一緒にいるわたしは、すぐにそのことに気づいていた。
「べ、別にね、変な意味じゃないの。ただね。ダイエットをするなら食べる方や作る方にも気を使わないと。そうでしょ? だからさ」
 わたしが何も言わないうちから、お姉ちゃんが両手を忙しく動かして、あわてて話を続けている。
 何だか、お姉ちゃんなのに、とってもかわいく見える仕種だった。
 そして、お姉ちゃんが誰のために必死になっているのか、わたしにも心当たりがあった。
「あった」どころじゃなくて、お姉ちゃんがお弁当を作りたい相手なんて、たったの一人しかいない。
 ちょっと、いやすごく悲しくなったり、胸が重くなったりしたけど、何とか笑顔を作ったわたしは、お姉ちゃんに答えた。
「うん、いいよ。一緒に作ろう」
 わたしの返事に、お姉ちゃんの表情が輝いた。
 たとえようもなく、うれしそうな笑顔で。
「ありがとう、つかさ! 私、何が何でも覚えるから! ぜったい、おいしいお弁当を作れるようになるから!」
「誰のために?」って聞きそうになったけど何とか抑えて、黙って笑顔を作って頷いた。
 頬の端が、微かにひきつっていたのが、わたし自身にも伝わってくる。
 お姉ちゃんがお弁当を作りたい相手は、わたしと同じクラスで、いつも明るくてあたしを元気付けてくれる子だった。
 その相手に向かって、とても楽しそうにお弁当の準備をしているお姉ちゃんを見ていると、何だか複雑な気持ちになる。
 でも、その想いを口にするわけに行かなかった。
 お姉ちゃんは、とても大切な相手を見つけることができた。
 そのことを、「きょうだい」のわたしは、お祝いしなきゃいけない。
 一種の使命感みたいな感情で、わたしがお弁当の用意をしていると、お姉ちゃんの鼻歌が微かに聞こえてくる。
「空に蒼い流星……」
 わたしが聞いたことのない歌詞をお姉ちゃんが口ずさんでいた。
ちょっとだけ暗く重い何かに引き寄せられて、わたしが聞いてみる。
「お姉ちゃん、その歌ってどこで覚えたの?」
「え? ほら、カラオケで歌ったじゃない。この前の週に」
 少し驚いた顔になっているお姉ちゃんが、冷蔵庫からにんじんを取り出しながら答える。
 そう、確かに前の週にカラオケに行った。
 一緒に行ったのは、わたしとお姉ちゃん、そしてゆきちゃんだった。
 そして、もうひとり。
「こなちゃん、良くチョココロネばかり食べてるから、栄養とか心配だよね」
「そうね、もっとビタミンとかタンパク質とか摂ってもらわないと。でないと毎日」
「毎日、なあに?」」
「もちろん、毎日……私と」
 そこまで言いかけたお姉ちゃんが、見事に固まった。
 まるで、ビデオテープのリモコンで「一時停止」を押されたみたいに。
「つ、つかさ……まさか」
 ひどく不自然で奇妙な動作で、お姉ちゃんがわたしを凝視する。
「どうしたの? お姉ちゃん」
 わたしは、明るい笑顔を装って、お姉ちゃんに答えた。
「き、気づいていたの?」
「なにを?」
 笑顔のままで、お姉ちゃんに答えたわたしは、ひょっとすると怖い顔になっていたかもしれない。
「お姉ちゃん」
「な、なに?」
「きのうから、ずっとご機嫌だね」
「え、そう?」
 少し恥ずかしそうに、そして強張ったお姉ちゃんの顔を見ていると、何かが次々に口を突いて出てくる。
 まるで、わたしが胸の奥に押さえ込んでいた思いが、次々に言葉の形になって吹き出した感じだった。
「こなちゃんでしょ? お姉ちゃんがお弁当を作って渡したい相手って。とっても楽しそうだったもんね」
 お姉ちゃんが、顔を真っ赤にして黙り込んだ。
 そんな顔を見ていると、もう止まらなくなった。
「そんな顔しないでよ、お姉ちゃん」
 わたしは、無理して笑顔になって言った。
「お姉ちゃんが、こなちゃんが幸せになるなら、とてもうれしい。でも、でもね」
 気づかないうちにわたしは、重く錆びたような声で、お姉ちゃんに話していた。
「最初に、こなちゃんと仲良くなったのも、お友達になれたのも、わたしなのに」
 軋み、歪んだように聞こえる声は、わたし自身さえ聞いたことがないほど強い「負」の力を帯びていた。
「つかさ」
 ひどく悲しそうな表情と声で、お姉ちゃんがわたしを見つめる。
 わたしは、そんなお姉ちゃんの表情を、暗い何かを覚えながら見つめ返していた。
「そんな顔しないでよ。わたしは、お姉ちゃんが幸せになってくれて、本当にうれしいんだから。でも、でもね」
「つかさ……」
「どうして、どうしてなの? どうしてお姉ちゃんが幸せになれるひと、大切に思っているひとが、わたしと同じでなくちゃいけないの? いつも成績が良くて、お父さんやお母さん、いのりお姉ちゃん、まつりお姉ちゃんにも褒めてもらっているのに、このうえ」
 わたしは、考えていたことを次々に口にしていた。
 言いたいこと、話したいことを少しでもまとめておきかたかったけど、何もできないまま、ただひたすらに。
「わたしは、わたしは、こなちゃんと一緒に居られるだけで楽しいのに、お姉ちゃんは、わたしから」
 そこまで言った時、不意にお姉ちゃんが、わたしを抱きしめた。
「ごめんね」
 お姉ちゃんの声は、とても優しく、深く、そして温かかった。
 わたしのどこかにあった、動いていた暗くて澱んだ何かが、まるで春の光を浴びた雪の像みたいに、静かに消え去っていく。
「お姉ちゃん……」
「つかさは、私が思っているよりずっと、苦しんでいたのね。なのに、ごめん。本当にごめんね」
 お姉ちゃんの声を聞いているうちに、いつの間にか胸が熱くなり、やがて両眼から、大粒の涙がこぼれ出る。
「良いのよ、つかさ。思い切り泣いても。泣きたい時だってあるし、私にも、理由が理解できるから」
 お姉ちゃんが、小さい時にしてくれたように、わたしの頭をやさしく撫でてくれる。
 一緒に幼稚園へ通っていた時のこと、小学校であったことを思い出しているうちに、涙が止まらなくなったわたしは、しばらくぶりに大きな声を上げて泣いていた。
 泣いて泣いて、泣き続けた。
 わたしの泣き声に気づいて、お父さんやお母さん、上のお姉ちゃん達が心配して来てくれたけど、お姉ちゃんが全て引き受けてくれた。
 お姉ちゃんの説明に納得してくれたお父さん達、上のお姉ちゃん達が引き返した後も、泣き続けていた。
 泣きつかれた私が、しゃくりあげるばかりになったころ、優しく温かい声が聞こえてきた。
「気が、すんだ?」
「お姉ちゃん……」
 わたしは、お姉ちゃんに頭を撫でてもらっているうちに、わたし自身でも驚くほど気分が穏やかになっていることに気がついた。
 上のお姉ちゃん達や、お母さんに同じことをしてもらった時でも、ここまで気分が落ち着いたりすることがなかった。
 たぶん、わたしとお姉ちゃんが双子で、いつも一緒にいるから、だと思う。
 だから、だから。
「ごめんね、つかさ。私は、つかさのいちばん大切な」
「言わないで、お姉ちゃん」
 わたしは、お姉ちゃんの髪に顔をうずめた後で、続けた。
「お姉ちゃんは、今までずっと、ずっとわたしを守ってくれた。いつも、わたしを大切にしてくれた。そんなお姉ちゃんが、大好きだった」
 わたしは、顔を上げてお姉ちゃんの頬に唇をあてた。
「そんなお姉ちゃんに、お礼ができないかって、いつも思っていたの。だから、これで良いの」
「つかさ」
 お姉ちゃんが、驚いた顔でわたしを見つめてくる。
 わたしは、そんなお姉ちゃんに頷いて答えた。
「それにね、お姉ちゃん。わたしは、お姉ちゃんもこなちゃんも、どっちも本当に好きだから」
 こみ上げてくる涙を懸命に抑え、震えそうになる声を強引に普通の声に変換して、言い足した。
「ふたりが、幸せになってくれたら、とても、とてもうれしいんだ。それにね、幸せなふたりを見ているわたしだって、きっと幸せなはずだもん。そうでなくちゃ」
「そうね、『そうでなくちゃ、いけないもの』よね」
 わたしが言おうとしたことを、お姉ちゃんが先回りして言ってくれた後、私を強く抱きしめてくれた。
「つかさに約束する。私は、私達は、必ず幸せになって見せるって。つかさの想いの分を、きっちり受け止めてね」
「お姉ちゃん……」
「こなたも、きっと同じことを言うと思うから。こなたって、そう言う気遣いができるもの」
「だから、お姉ちゃんもわたしも、とっても好きになったんだよね」
 わたしの言葉にお姉ちゃんが黙って頷いた後、ふと笑顔になって話しかけてきた。
「私達の苗字、『柊』って言うでしょ」
「うん、そうだけど?」
「柊って日本だと節分で使われることで有名だけどね、海外だとクリスマスで使われているの」
「クリスマス?」
 まだ五月も過ぎたくらいに、七か月も先のことを話され、わたしが軽く首を傾げた。
 そう言えば、かぼちゃも日本と海外と、どっちでも使われているってことを、前にゆきちゃんが教えてくれたこともあった。
「クリスマスの日にね、教会で飾られた柊を持ち帰って家の部屋に飾ると、その部屋に翌年から幸運がやってくる、って言われているの」
「へえ、そうなんだ。節分の魔よけに使うだけじゃないんだね」
 お姉ちゃんの説明を受けて、玄関に飾られていた柊の枝とイワシの頭を思い出しながら、わたしは応じていた。
「つまりね、柊の木って言うのは、色々なところで良い方の『おまじない』として使われていたの」
「だから、きっとわたし達も、その良い『おまじない』に助けられているんだね」
 わたしは、お姉ちゃんの言いたいことを察して、笑顔で答えた。
「そうね。けど」
 お姉ちゃんが、優しく穏やかな表情から一転して、ひどく真剣な面持ちになっていた。
「つかさの気持ちは、忘れない。きっと、こなたも同じことを言うはずよ」
「うん。でもわたしは、お姉ちゃんが心配することないと思うよ」
 わたしの言葉に、お姉ちゃんが長い髪をなびかせて首を傾げた。
 そしてわたしは、ちょっとからかうような感じで、お姉ちゃんに言ってみる。
「こなちゃんと、お姉ちゃんなら、きっと幸せになれるよ。なれなきゃ、おかしいもん。だって『柊』をお部屋に飾ると、幸せになれるんだから」
 私の言いたいことを察したお姉ちゃんが、真っ赤な顔になっていた。
 顔だけでなく、耳まで赤くしたお姉ちゃんが、小さな声で「ありがとう」と言ったのが聞こえた。
 その横顔を見ていると、お姉ちゃんが大切な相手を、とても大切に思っていることが、とても良く伝わってきた。
 どこか寂しくもあったけど、これで良かった気もする。
 なぜって、お姉ちゃんとこなちゃんは、確かに見ていてすごく似合っていたから。
 少しだけ寂しさを覚えながら、わたしはお姉ちゃんのお弁当つくりを手伝うことにした。




幸運と機運 高良みゆきの場合
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