。。。。。。。。。。。。公表のための認証済

  
・・  カリフォルニア州第4地区控訴裁判所第3部
    
・・ジョン・Aとルアーネ・H・ブザンカの婚姻

         被告 ジョン・A・ブザンカ

                対

        原告 ルアーネ・H・ブザンカ
          G 022147、G 022157
           (Super.Ct.No.95D002992)

                主文

オレンジ郡高等裁判所ロバートD.モナーク裁判官による判決を取消す。

Van Deusen, Youmans and Walmsley and Robert R. Walmsley for Appellant.Daniel E. Lungren, Attorney General, Roderick E. Walston, Chief
Assistant Attorney General, Carol Ann White, Statewide Child Support
Coordinator, Mary A. Roth, Deputy Attorney General, Taylor Flynn,
Mark Rosenbaum and Leslie Ellen Shear as Amici Curiae on behalf of
Appellant. Schwamb & Stabile, Thomas P. Stabile and Mark A. Hewitt for Respondent. Jeffrey W. Doeringer, under appointment by the Court of
Appeal, for Minor.











                序

ジェイシーは、ジョンとルアーネ・ブザンカが自分たち両方共に遺伝的な繋がりのない胚を、子を妊娠し出産する女------- サロゲート-------- に移植することに合意したことによって誕生した。受精、胚移植、妊娠の後、ジョンとルアーネは別れ、誰がジェイシーの法律上の親か、という問題が一審裁判所に持ち込まれた。

ルアーネは自らと自らのかつての夫が法的な親であると主張したが、ジョンは金銭上を含むいかなる責任をも否定した。一方、子を出産した女は、子に関していかなる[権利]主張もしなかったことを申し出た。

一審裁判所は、その後異常な判決を出すに至った:ジェイシーには法律上の親がいない。第一に、ジェイシーを出産した女は母ではない;裁判所は-----------驚くほど-------すでに彼女と彼女の夫のいずれも「遺伝的な」親ではないという契約条項を受け入れていた。第二に、ルアーネは母ではない。一審裁判所によれば、彼女は子が誕生するに際し、卵子でも出産でも貢献していないので、母とはなり得ない。そして、ジョンも精子で貢献していないので、当該子と遺伝的な繋がりがなく、従って父とはなり得ない、というものだった。

我々は同意しない。この点について焦点を当ててみよう;ジェイシーは、ルアーネとジョンが、サロゲートに受精卵を移植することに合意していなかったら、決して誕生していないであろう。

一審裁判官は,現行カリフォルニア州法では、法律上の母子関係が[子を]出産するか卵子で貢献しているかのどちらかのみによって確証されると考えたことにおいて誤ったのである。彼は、父子関係が、当該子に出生をもたらしたこと、又は遺伝的な繋がりがあることとは切り離して確証されることが時々可能であるとする、優れて考案されたるカリフォルニア州法の枝条項と法体系とを考慮
し損なったのである。

典型的な例としては、不妊の夫が妻に対して人工受精を受けることを許可することに同意する場合である。我々の最高裁判所が30年以上前にこのような状況で指摘したように、彼が妻の繁殖に同意したから、夫は「法律上の父」である。(People v.Sorensen(1968)68 Cal.2 d 280、284−286.)

夫が妻の繁殖に同意したから、夫は「法律上の父」である、とすることと同様の規則は------- 最初のサロガシー事件であるジョンソン対カルバート((1993)5 Cal.4th 84)において、我々の最高裁判所が導き出した法理と等価することによって------- ここでいう夫と妻の両方に適用されるべきである。それはちょうど、妻が夫の同意した人工受精によって出産する場合、夫とは[遺伝的]に無関係な子であっても、[夫は子の]法律上の父であると考えられるように、夫と妻の代わりに、サロゲートが[当該夫と妻とは]遺伝的に無関係な子を出産した場合も、当該夫と妻も子の法律上の親と考えられるべきである。各実例に於いて、意図された親の意思によって医療処置が同意され開始されたので、子は創造されたのである。この事件における唯一の相違点は、--------- 人工受精の場合とは違って--------- 夫と妻とを区別する理由はまったくないことである。したがって、我々[裁判所は]一審判決を取消し、ルアーネとジョン両名はルアーネの法律上の親であると宣言し、新しい判決を命ずる。(脚注1参照)

              事実

ジョンは,婚姻期間中に子ができなかったと主張して、1995年3月30日に婚姻関係の解消を求めて提訴した。ルアーネは、関係者がサロゲート・コントラクトという方法によって子[ができること]を期待していたと主張して、4月20日に彼女の反対の主張をした。

ジェイシーはその6日後に生まれた。1996年9月、ルアーネはジェイシーの母としての地位を確認するために別の訴訟を提起した。彼女の訴訟は離婚訴訟に併合された。1997年2月、裁判所は、子を出産することに同意した女とその夫は子の「実の親」ではない、とする契約条項を受け入れた。(脚注2参照) 3月に行われた審尋で、口頭弁論及び提出された証拠全般に基づいて、一審裁判所は、ルアーネは当該子の法律上の母ではなく、それで、ジョンも法律上の父ではありえずまたいかなる養育の義務もない、と決定した。

一審の裁判官は言った:ここにある証拠、規定、からこう考えた。また私はもうこれ以上考えようとは思わない。第一に、ルアーネと当該子との間には遺伝的なつながりがない。第二には、彼女は子を出産した母ではない。第三に、彼女は当該子と養子縁組をしていない。それが、人々に、私に、重要な、彼女が法的な母ではないという明らかで説得力のある証拠である。

5月7日に行われた別の審尋で、弁護士料金は、離婚訴訟の中で保留となっていた問題であって、ジョンの当該子の養育費を支払う義務を終結させること、そして、ルアーネはジェイシーの法律上の母ではないと宣言し、また、「ジョンの子に関する養育費については、禁反言の原理を適用する」と宣言する、との決定が[ジョン側から]請求された。ルアーネはかような決定を出さないように求める上申書を提出し、さらに[その請求に対して]彼女は抗告をした。この裁判所は、それでジェイシーのための養育命令の発効を保留にしておくことを容認した。我々は、同様にこの令状を先の抗告に併合した。

この控訴審において被告人答弁書の中で、ジョンは-------実際にはそれを言うまでには至っていないのだが--------ジェイシーが彼の前妻とのサロガシー・アグリーメントの結果として生まれなかったと示唆しようとする。彼は、現実の書面としてのサロガシー・アグリーメントは1994年8月25日に署名されたが、[胚の]移植はその2週間よりわずかに満たない1994年8月13日に行われたという事実を指摘する。当該答弁書はこう指摘る:胚移植が執行された時点で、この訴訟の関係者間に有効なサロガシー契約は存在しなかった。

ジョンが提出した被告人答弁書の含意について、この裁判所はジョンの弁護士に対して口頭弁論の中で問いを発した。ジョンが提出した被告人答弁書に含まれる意味は、移植が行われるまでジョンが契約書面に署名しなかっただけ、という事実に基づく人の注意をそらすものだったと判明した。陪席裁判官らは、この事件で実際にあったことに基づいてジョンが提示したであろう防御物をすべて述べるように弁護士に求めた。ジョンの弁護士は1996年3月に於ける審尋では特にそのような防御物を述べていなかった;彼は、一審の裁判所が「推定」した事実よりも「証言されたであろう事実は幾分違っているであろう」、と曖昧に述べただけだった。

もう一度言うと、そこには暗示された以上のものはなかった。書面としてのサロガシー・アクリーメント上にあるジョンの署名は偽造されたものではなく、また、それ以外のなにものでもなかった。

彼が持つ切り札のひとつは、--------- 繰り返しされる質問の回答を切り抜ける手段として、また、当陪席裁判官らが彼に対して強く要求する「最も十分な事実」を彼が明瞭に表現するものとしては、--------次の通りである;どのような子が生まれても、ルアーネが[その子に対する]すべての養育の責任を自身が引き受けるであろう、との話を彼にしたことに対する効果を証言として申し出ること。そして、ルアーネだけが「出産の負担」を引き受けること。

このような訳で、この問題について一審裁判所では実際の裁判がなかったけれども、この控訴裁判所では、ジョンがこの点について提出した証拠と、ルアーネが実際に自分ら間で口頭によって、熟慮されたるサロガシー・アクリーメントの中でジョンが子の養育に関して責任がないと約束していた、と結論づけていたことを一審裁判所裁判官は信じたのであろうと推定する。


              
                理由

子と[遺伝的な]繋がりのない夫を法律上の父とする人工受精を規制する規定は、この事件における意図ざれた親両方ともに適用する。

おそらく、ジェイシーを法律上の孤児とする結果になる[法の]欠缶欠状態を認識して、ジョンは今サロゲートがジェイシーの法律上の母であり;そしてさらに、その事実によって、サロゲートの夫は法律上の父である、と強く主張する。彼の推論は、次のように展開していく:ユニフォーム・ペアレンティジ・アクトの下で、そして特にカリフォルニア州ファミリー・コード第7610条に規定があるように、女にとって法律上の母を確証できる方法は2つの方法のみが存在する。つまり、出産するか、遺伝的に貢献することである。(脚注3参照)遺伝的な貢献者がこの裁判所には知らされていないので、つまるところ、残された法的な母に違いないと考えられる[女は]サロゲートだけである。ジョンの弁護士は、口頭弁論で、サロゲートとその夫がジェイシーを養育できないならば、[養育の]負担は納税者が負うべきである、と述べた。

この法律は、ジョンが言うようには言っていない。それはこのようには言って
いない:「母と子の法的な関係は、彼女が当該子を出産したこと、又は遺伝的に繋がっていることを証明することによってのみ確証されるべきである」。その法律は、「ことができる」と言っているのであって、「べきである」とは言っていないし、「この法律のもとで」と言っているのであって、「遺伝によって」と言っているのではない。ここに第7610条の完全な条文がある:「親と子との関係は次の場合に確証されることができる:(a)子とその実母との関係は、その女が当該子を出産したことを証明することによって、又は、この法律のもとで確証されることができる。(b)子と実父との関係は、この法律のもとで確証されることができる。(c)子と養親との関係は、養子縁組の証明によって確証されることができる」。

この制定法は、このように、何ら遺伝[すなわち、血液検査]について直接には言及していない。ジョンソン判決は、我々に遺伝がただ「この法律のもとで」の語句の中に包摂されるにすぎないということを教える。この事件で裁判所は、遺伝的血液関係が出産したことの証拠としての「母の証明」として等しく受け入れることができると考えたのである。(Johnson v.Calvert,Supra,5 Cal.4th at p.93.)

しかしながら、「この法律のもとで」という語句が遺伝子検査を含むと解釈することに関しては、ジョンソン事件における最高裁判所が、エビデンス・コード(前のEvid. Code,892条,895条,895.5条)のいくつかの条項はすべて父子関係のみに適用される、として引用したことは深い意味を持っている。(ジョンソン対カルバート事件supra,5Ca. 4th at pp.90-92.)参考:(脚注4参照)我々の最高裁判所が「等価の法理」によってそれらの制定法を適用したのは直面していた訴訟たる「父子関係の証明」のみであったが、それはまた「母子関係の問いにも方向性」を与えたのである。(同判決92頁)

要点を反復すると:それは、直面している父は誰か、と言う問題を論じる際に、ジョンソン対カルバート事件の母は誰か、という論争において行き着いた結論を、ただ「等価の法理」という制定法の解釈方法によってのみ解釈したのである。ジョンがその理由を我々に提示するように、ジョンソン事件における裁判所の法理を解釈したので ------- ユニフォーム・ペアレンティジ・アクト下において、女は、それらの[法律の]文言に描かれた原文の母子関係に当てはまる場合だけが、当該子への正当な母であると確証することができる、と厳密に意味を[父子関係とは異なって]解釈したので、-------- 裁判所は反対の結論に行き着いたのであろう。(脚注5参照)

血液検査のほかに、その法律には父子関係が確証されることを認めるいくつかの他の方法がある。それらの方法は必ずしも生物学上の繋がりがある場合ばかりではない。すなわち、その法律のもとで、次の方法によって父子関係を確証することができる:

------ 婚約中である、又は婚姻中である、又は子が生まれる時にその子の母と婚姻しようとしている(第7611条(a)項、(b)項 参照)。

------ 子が出生した後、子の母と婚姻しようとしている、又はその子の出生証明書の父欄に名が記載されることに同意している(第7611条(c)(1)項)、若しくはその子の養育について書面上の約束がある(第7611条(c)(2)項 参照)。

妻の人工受精で、ファミリー・コード第7613条の規定に該当する場合、男はこの法律の下で父と断定される。(脚注6参照) 当該制定法の規定:「免許を所持した内科医および外科医の監督のもとで、そして夫の同意を得て、妻が夫の精子ではなく他の男の精子で人工受精を受けるとき、その夫は法的にはあたかもこのようにして懐胎した子の実父として処遇される」。(脚注7参照)

ジョンソン[事件の判決]で知られたように、「裁判所は、法律を制定する議会の意向から制定法を解釈するのではなく、設定された事実の中で解釈しなければならない」(Johnson v・Calvert Supra,5 Cal.4th at p.89.)。ここで、勿論、遺伝物質の提供者が裁判所にはわかっていない妊娠サロガシージ事例に人工受精規定を適用することは、議会で十分な想定がなかったであろう、というのは本当である。たとえそうだとしても、2種類の人工生殖はまさに次の重要な点で類似している:両方とも、遺伝的な繋がりはなくても、子を創造しようと考え、子を育てようと意図するある人たちの同意で医療措置が始められたものである。

実際に、夫が妻の人工受精に同意するとき、[当該人に]父権を構築することとそれに続く養育の義務を課すことは、うまく構築されたファミリー・ローの役割の一つである。(脚注8参照)

この国におけるリーディング・ケースはSupra 68 Ca.2d 280にみる行政対ソレンセン事件(New York family court in Adoption of Anonymous(1973)74 Misc.2d 99, 345 N.Y.S.2d 430,433に詳細がある)であって、この事件で我々の最高裁判所は、婚姻中に匿名の提供精子を使って妻に子を生ませた男が、子の養育費を支払わなかった場合は、刑事上の責任があるとさえ判示した。

ソレンセン[事件]では、彼が子に対していかなる生物学的繋がりも持っていなかったが、最高裁は[子の]出生をもたらした夫の役割を強調した:[A]自らの希望で妻の人工受精に同意し積極的に参加し、子が生まれた暁には自分の子として処遇しようと考える男・・・道理をわきまえた男・・・は、そのような行動が[当該子と]父子関係があるとする法的責任を伴い、[子を]養育しない場合は刑事上の責任を伴うことを知っている。(前出.285頁,強調は筆者)裁判所は、夫は子の「存在」に「直接責任がある」と言い続けて、「被告の積極的な参加と同意がなければ、子は出産されていないだろう」というポイントを繰り返した。(前掲書)

「ソレンセン事件は他の裁判地でも一般に調和する規則をもたらした。この問題を審理した裁判所は、専ら人工受精に夫の同意があったことを証明する行為に基づいて、親としての責任を彼に割り当てた」。(ln re Baby Doe(S.C.1987)353 S.E.2d 877,878;同意:Gursky v.Gursky(1963)39 Misc.2d lO83,242 N.Y.S.2d 406,411-412〔子は当時ニューヨーク州法の下で法技術的に「非合法」だっが、夫が[妻の]人工受精に同意したので、禁反言の原則を適用し、子を養育することを要するとした〕;Anonymous v.Anonymous(1964)41 Misc.2d 886,246N.Y.S.2d 835,836−837[Gurskyと同趣旨];K.S. v.G.S.(1981)182 N.J.Super.102,440 A.2d 64,68[夫は人工受精措置に対する同意を撤回したことについて、明確で説得力がある証拠を提示しなかったので、彼は、より以前に与えていた当初の同意に拘束され、それに基づいて、子の法的資格がある父であるとして[判決が]下された];ln re Marriage of Adams(Ill.App. 1988) 528 N.E.2d 1075, 1087 [一審裁判所は、人工受精に「明示の同意」があったことを認定し、子の養育権があることを決定した];(脚注9参照)K.B. v. N.B. (Tex.App. 1991) 811 S.W.2d 634, 639 [たとえ夫が[妻の]人工受精に対して書面上の同意がなくても、[子の養育を]拒否する前に、彼は人工受精に関して十分な知識を持っていてしかも希望して参加し、分娩室に入り、その子を「自分の子」として[第三者に]話し、[その子と]時間を過ごした経過があるので子の養育に責任がある]; Levin v. Levin (Ind. 1994) 645 N.E.2d 601, 605[夫が妻の人工受精に同意すれば、そこで生まれた子はあたかも婚姻中に養子縁組されたようになり、「婚姻中の子」であるので、夫は養育の義務を負うことを意味する].)

あるニューヨーク家庭裁判所は、男装をして婚姻証明書を得て、[人工]受精に先立って結婚式を挙げたような、レズビアンの配偶者が人工受精によって生まれた二人の子に対して養育の義務があるとさえ判示した。( Karin T. v. Michael T. (1985) 127 Misc.2d 14, 484 N.Y.S.2d 780.)(脚注10参照)

因果関係論とこの事件の根底に横たわっている事柄との禁反言の原則とを繰り返し、裁判所は、レズビアンのパートナーはこの事件における一連の行為によって、------ 二人の無邪気な子をこの世にもたらしたのであって、彼女の行為によってもたらされた子と社会一般の損失から、彼女は「利益を得ることは許容されるべきではない、と判示した。(484 N.Y.S.2d at p. 784.)(脚注11参照)

実際に、遺伝的繋がりがそのようにないからという理由ではなく受精処置に同意がなかった、という理由で、その夫に裁判所は養育の義務を課さなかった事件が存在することを我々[裁判所]は気づいている。(ウィットペック-ワイルドハーゲンの婚姻[事件](Ill.App. 1996) 667 N.E.2d 122, 125-126[人工受精に決して同意しなかった夫に[子の養育義務を課すのは「不当」であろう]参照)

関係者が子をこの世にもたらした事件に対してこの人工受精規定を適用する際に、既に確立している判例法の基本理念 ------ ハンス・ケルゼンの有名な法律学に関する語彙の借用による一種の基本的規範 ------- を実際に反映させることがこの法律の立法者意思であることを留意しなければならない。この理念はしばしば「禁反言」という法律用語で要約される。禁反言というのは ------ 子を生み出す行為に同意しその後全ての責任を放棄するような ------ 無節操な行為と意見に対して、法的嫌悪感を表現する中世のフランスで生まれた(「栓」または「ふさぐもの」という意味をもつ)低俗な語彙である。

ジョンソン対カルバート事件において、裁判所は判決文を書くに際して[制定法の]全体構造から推敲するよりはむしろユニフォーム・ペアレンティジ・アクトに依拠しておれば事足りたのであるが、この法律が制定される前に、カリフォルニア州裁判所は、父子関係を確証する際に、既に判例法の禁反言の原理を基礎とする判決を出してきたことも事実である。我々[裁判所]は既にソレンセン事件でこの種の事件に対して判決を出してきた。その裁判では、前夫に対して、子をこの世に送り出す原因を作ったことを考慮に入れ、責任を放棄する事に対して反言を禁ずる判決が出された。判例法・禁反言は、1961年のクレベンジヤー判決(ClevengervCIevenger(1961) 189 Cal.App.2d 658, 662)にさかのぼって見られるように、父子関係を確証しそれに付随する責任を割り当てる基礎[となる原理]であった(夫は、自己の家に私生児を連れて帰り、その子を養育する責任を回避するために[子が]非合法であることを主張し、彼独自の判断で「禁反言」を持ち出し「子[の養育]を放棄する」と主張したのだった)。

この現前の事件に対して、ここでは確かにその原理が適用されるが、我々[裁判所]が判決文を書くために、禁反言の原則のみに依拠する必要は全くない。ファミリー・コード第7613条は、ソレンセン事件で明確に表現された判例法規則の成文化である:子の出生をもたらす医療処置に同意することによって-------ソレンセン事件において裁判所が判例法・禁反言に基づいて父子関係を確証したように ------ 夫は[その子と]父子関係があるとする法的な身分と責任を負う。(Sorensen, supra, 68 Cal.2d at p. 285頁参照)

ジョンは結局、彼の妻が出産しなかったので、この人工受精規定が適用されるべきでないと主張する。しかしながら、この制定法の基本理念として判例法の禁反言の原理が流れているので、ルアーネが出産しなかったという事実は無関係である。この制定法は、意図された父(母と同様に)が医療処置に同意すれば、例え子と生物学的繋がりが全くなくても、結果として法律上の父子関係があると確証することを想定しているのである。

ジェイシーの法律上の母は、サロゲートではなく、匿名のエッグ・ドナーでもなく、ルアーネである。

現前の事件で、ルアーネは人工受精において、妊娠とその結果として子が誕生するきっかけとなった医療処置に関して、いわゆる夫のような立場に置かれている。従って彼女の母としての地位は、その同意によって「この法律のもとで」確証されることができる。我々[裁判所]の判断としては、サロゲートが法律上の母として判示されるべきであるとするジョンの主張は根拠がない。この事件は、ジョンソン対カルバート事件のように、母としての地位がこの法律において二人の女のうちのどちらかに「確証」される様に見えたのであるが、この緊張関係はサロガシー・コントラクトにおいて親たらんとする意思によって突破されたのである。(Johnson v. Calvert, supra, 5 Cal.4th 93頁参照)唯一の相違点は、この事件ではルアーネとサロゲートとは同じような条件下にはないということである。ルアーネは明らかに意図された母であっただけでなく、サロゲートを真剣に法律上の母と確証しようとする何らの試みも存在しなかったのである。(脚注12参照)

我々[裁判所]は受精と移植に使われた卵子を提供した女は、後日においてさえ何ら母としての立場の確証を求めてきてはいないのであるということを付け加えておかなければならない。もう一度言うと、この法律のもとで、ジョンソン[事件]で判示があった、母としての立場が確証可能であるのは二人の女間にあるとする緊張関係は、この事件における意図された親であるルアーネに有利な形で突破されたのである。

ジョンが依拠するモスチェッタの婚姻[事件] supra, 25 Cal.App.4th 1218, における我が[裁判所]の判断は、[この事件のそれとは]異なり[この事件に援用するのは]適切ではない。モスチェッタ[事件]において、当該裁判所は、「トラディショナル」サロガシー・アグリーメントによってこの契約が実施されたのであって、ここではサロゲートが単純に[意図された親の]夫の精子で受精されていて、意図された親がサロゲートの意思に反して受精を執行してはいないと判示した。(前掲書1231貢)形勢はサロゲートに有利であり、[意図された母である]彼女は法律上の母ではなく子を養子とする事をあきらめなければないであろう。(前掲書1231,1233頁参照)モスチェッタ[事件]において、サロゲートは出産と遺伝子両方共の母だった;サロガシー契約で意図された母とされている女は、その子に関する全ての主張を断念せざるを得なかったのである。(前掲書1223−1225貢参照)実際に、控訴審において、彼女は生みの母に有利なように働く意見陳述さえしたのであった。(前掲書1224頁参照)

モスチェッタ[事件における判決]は法理に適わない、なぜならこの裁判所は子の出生を引き起こして親として彼女に責任を負わせる基礎を形成したであろうサロガシー・アグリーメントに、当初女が参画したかどうかについて何ら審理をする機会を持たなかったからである。彼女は[自らが当該子と母子関係があることを]断念せざるをえなかった。この事例は本件の先例ではない。ジョンソン事件と違って、この法律のもとで母として確証される緊張関係は、二人の女間には全く存在しなかった。(前掲「突破すべき
緊張関係が存在しない」参照)裁判所が[訴訟への裁判所の]仕事を考えなかった時、過去のその判決は先例とはなりえないものである。(例:American Federation of Labor v. Unemployment Ins. Appeals Bd. (1996) 13 Cal.4th 1017, 1039; Roberts v. City of Palmdale (1993) 5 Cal.4th 363頁, 372頁.)

モスチェッタ[事件]は、子を出産し卵で子に
貢献した女が当該子どもの養育権は自らにあると主張し裁判所に裁判を求めたのであって、本件とは峻別可能である。その事件はただ、子を出産しておらず、また遺伝子でも貢献していない女との二者択一であって、その女は子の親権を断念したのだった。(前掲書1224−1225頁参照) モスチェッタ[事件]において、サロガシー・コントラクトが効果的に執行されていれば、当該裁判所は、父の主張を容認し排他的な親としての権利があることを裁定できていたであろう。そこにはサロガシー・アグリーメントの効力に関して裁判所間に[認識の]違いがあることと、サロガシー・アグリーメント中で表明された意思に基づく法的判断にも違いがあるのである。(前掲書1230頁,1235頁23行目参照)またさらに、サロガシー・コントラクトの効力と、その契約それ自体が子の出生を引き起こした医療措置を設定したものであるという根拠に基づく法的判断にも重大な差異がある。この前の[モスチェッタ]判決のように、ジョンが我々[裁判所]に対して信じさせようとしている、彼がルアーネと共に口頭と書面で締結したサロガシー・コントラクトの効力[への疑義]に、我々[裁判所]は関心がない。一審裁判所によって採用されて、現在ジョンが私たちに力説している法的なパラダイムは、意図された親が子と全く生物学的繋がりも持っていない場合、そのような型の人工生殖はすべて法的な親が存在しない子をもたらすものであるというものである。それは、養子縁組ができていない状態であって、このような子は、州の保護下にあるであろう。このパラダイムはいわば「アドプション・デフオールト」モデルと表現できる。これは人工生殖に関して、特別な規定が存在しないということは、その実施面において、立法府がこの[法の]欠缶欠状態を養子縁組規定に転換するという観念である。根底に流れる理論は、意図された親が生物学的繋がりを持たないで人工生殖に訴える時、立法府は第一に[そのような過程を経て生れた子は養子縁組規定によって対応されることを望んだのだ、と見なすというものである。(このようにして、ジョンは、彼の信念において、サロガシー・コントラクトは州による見落としの産物に違いないと論じた)。

しかしながら、「アドプション・デフオールト」モデルは制定法とジョンソン[事件]における最高裁判所判決の両方に違反している。制定法に関して言えば、立法府は、公共の福祉(付け加えて、常識)とは、いつでも可能な限り、法的な親子関係を確証することは併せて責任をも持たせるものであるということを意味している、と既に完全にはっきりさせているのである。ファミリー・コード第7570条(a)項は「全ての子に親子関係を確証することは、州の利益にかなう」と規定する。その制定法は、次に、父子関係を確証することが、良いことである理由を詳しく述べ続ける:それは納税者以外の誰かが子に責任がある、ということを意味する:「父子関係を確証することは、子に保護を与える第一段階である、それは、逆にいえば、子に平等権を保証することと、福祉を享受させること・・・」(前掲書)このはっきりした公共福祉理念を考察すると、第7570条(a)項に続き、「強制的に父子関係を確証する単純な方法を容認している」(ファミリー・コード第7570条(b)項参照)。

第7570条は必然的に、母子関係にも同様に適切な立法上の理念を表現する。父子関係を確証することが州の利益にかない、母子関係の確証がそうでないと結論付けるならば、それは立法府にとって狂喜じみているであろう。立法府が「母子関係」に関し[父子関係]と並行して明確な規定を置かなかった理由は、人工生殖にまつわる諸問題では特殊な事例を除いて、殆ど問題が起こらないと考えたからである。

非常に明らかに、立法府は子の養育と保護とに関する責任を、優先して個人に課す宣言をした:納税者に任せないで。それが、両親が[子の]養育の義務を履行することを保証するかなり気の長い理由であった。(Moss v.高等裁判所1998年2月2日、事件番号S057081:比較)Cal.4th ___, ___[子の養育義務を課す立法の優先権に注意].)アドプション・デフオールト理論は当該立法府の価値観に反する。

この裁判所が、ジェイシーB対高等裁判所(1996) 42 Cal.App.4th 718, 731,で示したように、ジョンソン裁判では、我々の先例として「非常に多く的確な事例」が存在すると、断定する機会を持った。その言辞は再び引用に耐えるのである:「遺伝的に繋がっていなくても、受精のための子宮の供給者でなくても、子が誕生した後その子の養育を引き受ける意思があるという非常に稀な事例中に、我々[裁判所]は、意図された親が子の法的で実の親であると認める規則を、確実にそして安定的に推進しなければならないのである」。(ジョンソン対カルバート、最高裁判所,5 Cal.4th at pp. 94-95.)その言辞は、我々の現前の事件に対して、非常に正確に当てはまる形で述べている:子宮を使わず出産もしなかった女も、出生した後その子の養育を引き受ける意思があるものと期待した。

ジョンは今、ジョンソン事件におけるその最高裁判所が言っている事は、[ジョンソン事件のように]意図された親が子と遺伝的に繋がっている場合のみに適用されるべきである、と主張する。しかしながら、ジョンがいう文脈は、より広い目的を明らかにする。すなわち、意思を判別するために規範にさらなる知性と功利性を強く求めていくことになるのである。

先に引用した見解は、94頁の下部と95頁の上部に記載があるものの、文脈的には、それは93頁から始まる一連の開発的理念の一部である。ジョンソン裁判所はちょうど「遺伝的血族」と「出産」とが競合した場合には、意図された親が法律上の母である、という判断を判決として強く述べたところである。(脚注13参照) さらに裁判所は、この事件の判決用として、数人の法学者(前掲書93頁)の論文中に「養育」を発見し、そのうち第一の人物はヒル教授であって、彼は意図された親が[子を]創造する関係において最初の原因または主たる動機を作った、と指摘した(前掲書、Hill著What Does It Mean to Be a "Parent"? The Claims of Biology as the Basis for Parental Rights (1991) 66 N.Y.U. L. Rev. 353頁,415頁から引用)。裁判所はさらにロー・レビュー論文から2点を引用し、それらはヒル教授[の論文]と同様の趣旨を強調したものだった。(脚注14参照)これは、次の点で、子を存在させることを「選択」した人々は、心の中に子の最善の利益、(脚注15参照)を抱いているであろうと推定することができ、このことによって、法律上の母になろうとする彼女の期待に反するサロゲートの立場に対して直ちに同等の立場を設定する、とする裁判所の根拠となった。(Johnson v. Calvert, supra, 5 Cal.4th 94頁.)「非常にまれな状況」と我々がすでに引用した文章は、----- 我々の先例が正確にそうであったように ----- 出産していない女も卵を提供していない女も子供が誕生した後、その子の養育する意思を持っていれば、----- それで、そのような意思を認定することは、子のための福祉を確実に安定して促進する最も優れた規範である、というところから来た。

さて、その状況において、最高裁判所の良く考えた判断は、現在手中にある事件に適用可能である。その文脈は、ジョンソン型の状況すなわち子を出産した女と卵で貢献した女間にのみあてはまるだけでなく、「意図された親の努力がなかったら」子は決して誕生していないであろう全ての状況に当てはまるのである。(前掲書94頁、Hill論文から引用,op. cit., supra, at 415貢)最終的に、立法上明確に規定がある公共福祉理念と我が最高裁判所の判例とに違反していることに加えて、アドプション・デフオールト・モデルは子を保護する際に我々[裁判所]が適用している制定法の本務を損なうものである。自分自身の子を創造するとき親には子を選択する余地はないが、人には他人の子を養子にするときは選択の余地があり;養子縁組をしようとするとき、他人の子に選ばれるものでもある。それは、子が自身の親から無視されたり虐待されたりしないようにするための保護法の役割である。アドプション・デフオールト・モデルは本質的に言って堂々巡りの推論の中における練習問題である。というのは、すなわち、その観念は人工生殖の結果として生まれる子は始めから他の誰かの子であることをあらかじめ仮定しているからである。

この前の[一審]判決では、ルアーネがサロガシー・アグリーメントを発意し、ルアーネのために子を妊娠・出産することに同意している女に胚を移植することによって、ジェイシーの受胎と出生とを引き起こしたのだ、という議論が絶対的に存在しなかった。遺伝物質の提供者がわかっていない妊娠サロガシージ事例に人工受精規定を適用するに際して、ここで我々が先に述べたように、夫と妻を区別する理由は全くない。子をこの世に存在させる行為への同意に関して、[夫と妻]両者は平等の立場にある。(脚注16参照) したがって、ルアーネはジェイシーの法律上の母と断定されるべきである。

ルアーネがジェイシーを養育する責任を全て引き受けると約束していても、ジョンはジェイシーの法律上の父である。

ルアーネをジェイシーの法律上の母であるとする法理は、ジョンもジェイシーの法律上の父であることを積極的に求めるものである。たとえ胚移植と受胎の段階で書面上のサロガシー・コントラクトに署名がなくても、受精・胚移植とそれに続く妊娠が起こったのは、それらを思いえがく口頭による同意に端を発していて、直接その結果としての出来事であった。したがって、この事件が最初に我々[裁判所]に出訴があった時、我々[裁判所]が考えたように、実際上ジョンはジェイシーが受胎するに際し、旧式の方法でなしたのと同じくらいあらゆる場面で多くのことをなした、と今でも正確にいえる。(ジェイシーB.,supra, 42 Cal.App.4th at 730.頁)

口頭弁論でジョンが示すことができるであろう「最良の事実」に関して証拠を提示するように求められた時、ジョンの弁護士は(申し立てによれば、と我々は付け加えておかなければならないが)、ルアーネがその子のための責任を全て引き受けると約束していてさらに彼に子のしつけの責任を負わせないであろう、と約束した点を持ち出した。しかしながら、この点に関して本事件が一審に差し戻されても(我々[裁判所]はルアーネが当該申し出に関して反対の主張をするであろうと推測する)、ジョンが法律上の父であることに関して何ら変わることない。親は子が養育を受ける権利を制限したり放棄したりすることはできない、とアグリーメントは上手に構想されている。(脚注17参照)

この規範はIn re Marriage of Ayo (1987) 190 Cal.App.3d 442事件から説明できる。そこでは、夫が妻の前の婚姻中にできた子を養子にして、その後夫婦は関係が壊れた。(同判決445貢) 関係が壊れてから一年後、その息子の実父が(彼が既に養子縁組をされたという事実にもかかわらず)彼を訪問し始めた。(同書)実父にとっての新しい動機に照らして、また共有財産の分割にかかるいくらかの未払い金問題と子の分割養育費向けての問題で、解決のために子の関係者は妻の発意による書面上のアグリーメントに入った、それはちょうどルアーネがこの事件で既に約束していたことと似ているのだが、[裁判所は]「どのよう種類のいかなる主張も彼女の子に害のないように」と判示した。(同判決447−448貢参照)

そのアグリーメントは、その裁判所で書面上の約束として、「これはこのように命じられた」と書いた一審裁判官による署名さえ添えて封印された。(同判決448貢)5年以上の歳月が経過した後、その妻は当該アグリーメントに反し夫に対して子の養育義務の更新を求めた。(同判決445頁)上訴裁判所は、そのアグリーメントは論拠が乏しく「このアグリーメント下に於いて、関係者が接触する機会を持つ権利は、子の福祉に影響を与えない範囲内で」との法理を提示した。(同判決441頁)

親が子どもに対し養育の義務を履行しなくてもよいとするアグリーメントの執行に相対する規範はStephen K. v. Roni L. (1980) 105 Cal.App.3d 640,から説明できる。この事件は実質的にはルアーネが申し立てた約束と要点が共通している。スティーブン K.[事件]では、女が経口避妊薬を飲んでいると嘘を言ったとして男から訴えられた。男は女の言葉を「信用」して性行為を持った。(同判決642貢)女はその後妊娠し、父子関係存在確認訴訟を起こした。一方、その男は父子関係存在を否認するための論拠として、当該女が嘘を言った事を持ち出さない一方で、彼女の詐欺的言辞に基づき女に対し損害賠償を請求する反対訴訟を提起し、同じ結果を獲得しようとした。一審裁判所は異議申し立て人から提起された反対訴訟を却下し、上訴裁判所も原判決を維持した。当該反対訴訟は、「彼らの個人的な性行為環境の中で、2人の成人間でなされた約束に対する監督を裁判所に対して申し出ている以外の何ものでもない」。(同判決644−645貢)

スティーブン K.[事件]で明確に判示された規範と、ここの状況との間には何ら深刻な違いはない------ 実際に、その[事件の]結論は現前の事件に なおさらを適用する:スティーブン K.[事件]において、子を創造する可能性を開いた行為に係わった男に単純にその結果に対してその責任を負わせるとするならば、子の創造をもたらそうとの意思を持って医療措置に自身の同意を表明した男にはどれくらい多くの責任が課されるべきであろうか。したがって、ジョンの妻であるルアーネが妊娠しなかったことは重要ではない。ジョンもまた「創造の行為」に係わっていた。より明瞭な言い方をするならば、出産の創造者は、原因を造った受精者と同じくらい責任がある。(脚注18参照)

            判決

ルアーネとジョンは両方共ジェイシーと遺伝的な繋がりがなくても、意図された親として彼女の創造と出生を発意した役割に基づいて、彼女の法律上の親である。そして、生物学的繋がりが存在しないことは本事件を並はずれたものにしている一方で、このような判決を出すにおいて、この裁判所は法的根拠と先例を全く持っていなかったわけではない。実際に、いつの時代に於いても子を保護する為の2つの有名な判例、(脚注19参照)そして、ジョンソン対カルバート事件における我々の最高裁判決、当裁判所はこの判決における究極の根拠を、親になろうとする意思に置いた。(脚注20参照) 幸いに、ジョンソン裁判所が指摘したように、親になろうとする意思は、子の最善の利益と「かなり関連性」がある。( Johnson v. Calvert, supra, 5 Cal.4th at p. 94, quoting Schultz, op. cit. supra, at p. 397頁)それは、子を法的な孤児にする法モデルよりもはるかに[利益が]多いということができる。(脚注21参照)

再び我々は、人工生殖に関係している人々への親としての権利と責任を、制定法から割り当てる作業をしなければならない。

人がどのような人工生殖を考えようと、(全ての組み合わせの)トラディショナルと妊娠サロガシー、そして ----- 今日あまり遠くない未来に、クローニング、および遺伝子組み替え技術さえ現れるとき ------ 、裁判所はこれからも法律上の親を決定する問題に直面するであろう。子は粗末に扱われることがあってはならない。たとえ人工生殖に関わった医師と関係者に厳しい刑事罰を科し全ての手段が不法とされても、真の法律上の親は誰かを、そして誰が、------納税者以外に ----- 子に対して扶養と養育を提供する義務があるのかを、裁判所は決定することを求められているのである。このような事例はなくなることがないであろう。裁判所は、何らかの壮大な計画を課すというわけではなく、不完全に設計されたユニフォーム・ペアレンティジ・アクトを見ながら増加して止まない一団の判例法を参考にしつつ、適用可能なファミリー・ロー原理に光を当てて、特定の目的に限って必ず判決を出し続けることができる。

また、立法府は、ケース・バイ・ケースによるので完全ではないかもしれないが、人工生殖技術を活用しようと希求する人々に、何等かの予見をもたらすことができ得るより包容力の大きい道理を課すために行動することができる。法学者として、我々も古い法的原理を新しい技術に適用するに当たって、コモン・ロー(すなわち、定式化された裁判例)の伝統的な役割を認識している。(例えばHurtado v. State of California (1884) 110 U.S. 516, 530参照[
コモン・ローは成長と適応のための柔軟性と能力とを兼ね備えており、それは特有の誇りであり価値でもある];Rodriguez v. Bethlehem Steel Corp. (1974) 12 Cal.3d 382, 394[コモン・ロー体系において、発展のための第一義的な手段は、現前に持ち込まれた豊かな多様性を持った個々の事件に対して、定期的に判決を下す裁判所である].)しかしながら、我々はまだ、すべての選挙民の代表性を基礎として一般的な規則を形成する能力を持った立法府が、法律を造るためのより望ましい公開討論所であると信じている。

而して、我々は手中にある仕事の結論を出さなければならない。

(1)ルアーネ・ブザンカはジェイシーの法律上の母でない、と宣言する判決部分は取り消される。彼女が法律上の母であると宣言する新しい判決を下すことを指示し、この事件を差し戻す。一審裁判所は、ルアーネ・ブザンカがジェイシーを法的に保護する立場にあることを保証するために、ジェイシーの出生証明書にはルアーネ・ブザンカが母であることが反映されるように書き改められることを含む、すべての適切な命令を下すものとする。

(2)ジョン・ブザンカはジェイシーの法律上の父でない、と記述がある範囲内で当該判決は取り消される。彼が法律上の父であると宣言する新しい判決を下すことを指示し、この事件を差し戻す。この判断と調和して、本日の判決は彼とジェイシーとの関係を発展させる方法として、監護と訪問が将来生ずる可能性を指摘し、ジョンへの偏見を払拭するものである。(脚注22参照) またこの判断には、ジェイシーの出生証明書にはジョン・ブザンカが法律上の父であることが反映されるように書き改められるものとすることを含む。

(3)子の養育に対する備えがない程度に於いて、その判決は取り消される。適切で永続的に子を養育する命令を出すために、この事件を差し戻す。その時まで、一時的に子の養育命令は有効なままで残っているものとする。(Jaycee B. v. Superior Court, supra, 42 Cal.App.4th 730貢参照)

ルアーネとジェイシーは抗告のための費用を取戻すであろう。

SILLS裁判長裁判官

我々は同意見である:

WALLIN裁判官

CROSBY裁判官
















(1)技術的には、人工受精は2種類に分類される。(1)夫の精子を使うものと、(2)夫の精子を使わないもので、それらは、AIH並びにAIDとして知られている。( People v. Sorensen, supra, 68 Cal.2d at p. 284, fn. 2.参照)この判決で人工受精に関するものを引用する場合、われわれはAIDを引用しているのみである。

(2)裁判所が、サロゲートはジェイシーの「遺伝的な」親ではない、とする前提条件を受け入れたとき、ジョンの弁護士は法廷に出頭していた。彼は反対の主張をしなかった。しかし、抗告書および口頭弁論で、彼は、サロゲートが[この度]出産した子・ジェイシーと、遺伝的に繋がりのある法的な母であると主張していた。この反応の矛盾は、彼が[サロゲート・コントラクトの]執行レベルに於いて、サロゲートを親であるとの観念からはずしておくことに反対しなかったので、サロゲートは法的な母である、との点を持ち出せば、ジョンは[反対の主張から自身の主張を]防御できると考えたからであろう。

(3)ユニフォーム・ペアレンティジ・アクトは、ウエストズ・ロー・アノーティドのボリューム9B、287頁以下にみることができる。

(4)それら3条項は、父子関係の紛争解決を含む訴訟手続きのために設計された。いずれも母子関係について言及しているものではない。ここに、1993年、ジョンソン事件の判決が出されたとき、その条項の主要部分がある。強調は我々による。

エビデンス・コード第892条:「父子関係の存在をめぐる民事上の訴訟において、裁判所は、母と子ならびに推定父に血液検査を受けることを命じる・・・・ことができる。このような検査の受検を拒否する場合、いかなる関係者間に対してでも、裁判所はそのような関係者間における父子関係に関する紛争を解決することができ、関係者が任意に検査を受検すれば、父子関係を決定する訴訟手続きにおいて、証拠として採用されるものとする。

エビデンス・コード第895条:「すべての専門家によって当該推定父はその子の父ではないとの結論に至ったと裁判所が思量する場合、父子関係の紛争はそれ相応に解決するであろう。もし専門家間で・・・・意見が合わないなら、あるいはもし当該検査で推定父が父としての可能性があるなら、当該紛争は・・・当該検査を基礎とするものを含めてすべての証拠によって、検討されるべきである」。

エビデンス・コード第895.5条:「裁判所が父子関係のインデックスとして認識するのであれば、現存する父子関係に対して、それを覆すための反証に影響を与えうる[父子関係]推定の種類は、・・・・・100種類以上ある」。

ファミリー・コードの導入によって、前のエビデンス・コード第895条、892条、895.5条はそれぞれファミリー・コード、第7554条,7551条,7555条に移項した。[法律上の]文言には本質的な変化がない;この法律は父子関係にのみについて規定するものである。

(5)モスチェッタの婚姻[事件] Moschetta (1994) 25 Cal.App.4th 1218, 1224-1226で裁判所は、遺伝子と出産の両方の母であった女の主張を覆すために、この法律中に父子関係の推定を適用しようとする訴えを却下した。ザチャリハ・D.(1993)6Cal.4th 435に於いて我々[裁判所]は、この法律は時々性別を交換して適用することができない場合があるかもしれないことを洞察した。(モスチェッタsupra,25CaI.App.4th at p.1225,fn.8.参照)モスチェッタ[事件]では、その父によって提示された父子関係を確証する規定は、単に推定を具体化しただけだったので、生物学的に繋がりのない意図された母に適用しないのは理解できた。その規定は:(1)夫が性交渉不能又は不妊症でない限り、子が出生した時点で自らの夫と共に同居する妻の子は、最終的には夫婦の子であると推定されるとの推定(ファミリー・コード第7540条参照)、(2)その男がその子を自宅に受け入れ、自分の子として対外的に紹介すれば、その男はその子の実父であるとの推定(ファミリー・コード第7611条第(b)項参照)我々[裁判所]は、それら[の規定]を女にも適用することができると推定する場合であっても、単なる父子関係係争事件のように、それらは、推定だけであって実際の遺伝的関係を示す血液検査によって覆される場合があるので、これらの推定の主張を却下した。(モスチェッタ,25 Cal.App.4th at pp. 1225-1226.) さらに根源的には、我々[裁判所]が1226頁の意見で指摘したように、[その規定は]子の遺伝上の父が、[親としての]決断をするように証拠となる規定として設計されたので、それらは「違法な旧法」を淵源とすることになり、それらの推論は法理に適っていない。

モスチェッタ[判決]はその主張を擁護するためには適当ではない、なぜなら[モスチニッタ判決で]適用された規定はその法律の一部であり、特定個人の性に関する問題を他の個人の性に関する問題に断定的に適用することは決して出来るものではないのである。

一つの理由として、モスチェッタ[判決]は決してそのようにはいってはいない。もう一つの理由として、そのような幅の広い主張は、ジョンソン判決において最高裁が援用した原理と矛盾するであろう。

(6)カリフォルニア・ファミリー・コード第7613条は、ユニフォーム・ペアレンティジ・アクトの中の人工受精に関するカリフォルニア州法の第5節である。

(7)当該規定の全条項は次の通り:免許を所持した内科医および外科医の監督のもとで、そして夫の同意を得て、妻が夫の精子ではなく他の男の精子で人工受精を受けるとき、その夫は法的にはあたかもこのようにして懐胎した子の実父として処遇される。このような夫の同意は書面で、そして夫と夫の妻によって署名されなくてはならない。その内科医および外科医は彼らの署名と受精の日付を証明して、そしてその夫の同意を医療記録の一部として保持するべきである、そしてそれは機密で、封印されたファイルにしておかれるべきである。しかしながら、その内科医および外科医がかようにする事に失敗しても父子関係に影響を与えるものではない。受精に関するすべての書類と記録は裁判所向けの永久保存記録の一部、または監督する内科医および外科医によって、あるいは他のところで保管されたファイルの永久保存記録の一部かどうかにかかわらず、裁判所から正当な理由の提示があった場合のみ閲覧に供することができ
る。(b)精子提供者の妻以外の女へ人工受精をするために、その内科医および外科医に供給された精子の提供者は、このようにして懐胎した子の法的な実父として処遇されない。

カリフォルニア州ファミリー・コード第7613条は、改正されたバージョンからは(b)項の「女」という語句の前に、「既婚の」という語句を削除した点で[改正前のバージョン]とは異なっている。これはカリフォルニア州議会が独身女による人工受精を考慮に入れた証左である。

(8)これらの実例は、Annotation, Rights and Obligations Resulting From Human Artificial Insemination (1991) 83 A.L.R.4th 295.に集約されている。

(9)アダムス[事件]で裁判所は、手続き上の問題から[準拠法が]イリノイ州法ではなく、フロリダ州法であったので、その観点からさらに審理を尽くすために、事件を一審裁判所に差し戻した( In re Marriage of Adams (Ill. 1990) 551 N.E.2d 635.参照)。

(10)マイケルTの元の名はマーリーンだった。(Karin T., supra, 484 N.Y.S.2d at p. 781.)

(11)カリンT対マイケルT[事件に於いて]裁判所は、子の養育問題に関してレズビアンのパートナーが「正にそのような責任がある'親'」であると判示した。(484 N.Y.S.2d at p. 784.)対照的に、ナンシーS対ミシェルG(1991)228カリフォルニア州App.3d 831では、パートナーは「2人の子の受胎と出生を促進することに協力した」と申し立てたが、人工受精で2人の子を生んだ女のレズビアン・パートナーが養育と訪問を目的とする親でないことを判示した。(ld.at p.836.)その経緯は、裁判所はその状況に禁反言原則の適用を承認したが、ナンシーSが[子を]養育する義務に関する資料を全く提示しなかったので、それは「親でない人としての養育権と訪問権とを与える目的」のために禁反言原則を承認する方向に傾いていった。同様に West v. Superior Court (1997) 59 Cal.App.4th 302 で裁判所は、元レズビアンのパートナーには子を訪問する権利を獲得しえない、とさえ判示した。それは、ナンシーSの[事件の]ように、受胎と出生におけるパートナーの役割に基づいた子の養育のための資料提示が全くなかったからである。

現前の事件では、受胎の時点で婚姻していてしかもサロガシー・アグリーメン
トに署名済みの男と女[との事件]を扱っているのであって、我々[裁判所]は、第7613条の規定から推論をしており、親子関係なかんずく妻に生れた遺伝的な繋がりのない子との父子関係について議論している。我々[裁判所]が婚姻している夫婦に対して推論しているように、第1613条が「等価の法理」によって、結婚していないカップルに適用可能かどうかに関しては、先例がない、我々[裁判所]はその答えに関して推論する意思はない。

(12)上記脚注2で述べたように、一審裁判所がサロゲートとその夫を[この事件の当事者から]外すとする前提条件を受け入れた時、ジョンの弁護士は何ら反対の主張をしなかった。

(13)この規則には、付随的に、両方の場合に有益な効果をもたらす。というのは、もし意図された母が受精に適した卵を持ち合わせておらず提供を受けた卵で胚を造り移植を受けて子を妊娠・出産した場合、その法はまだ独断的で恣意的な判断よりはむしろ関係者の意思を反映しているであろう。

(14)ジョンソン裁判所は、シュルツ教授[の論文]から「その意思が、自発的な選択であって、思慮があり、協定を締結していれば、法的な親子関係があると推定する根拠をなす」(Johnson v. Calvert, supra, 5 Cal.4th at p. 94, quoting Schultz, Reproductive Technology and Intent-Based Parenthood: An
Opportunity for Gender Neutrality (1990) Wis. L.Rev. 297, 323),ヤレ・ロー・ジャーナル「子に対する精神的な繋がりは、その創造をコントロールする要因である」(Johnson v. Calvert, supra, 5 Cal.4th at p. 94, quoting Note, Redefining Mother: A Legal Matrix for New Reproductive Technologies (1986) 96 Yale L.J. 187, 196 (our emphasis).)を判決に引用した。

(15)Johnson v. Calvert, supra, 5 Cal.4th at page 94, 貢参照,引用はSchulz論文quoting Schulz, op. cit. supra, 397貢

(16)上記脚注5で述べたことに関して、----- この間題についてはここでは結論を得る必要はないが ----- この法律のもとでは、遺伝的繋がりに加えて父子関係の確証が可能な他の規定のうちいくつかは性別を超えて「交換可能」ではない。(モスチェッタ,supra, 25 Cal.App.4th at p. 1225頁参照)しかしながら、人工受精規定は最も確かなものとして存在するのである。「違法な旧法」(前掲書1226頁参照)をその淵源とする父子関係を確証するための推定とは異なり、人工受精規定は、どのような生物学的繋がりとも別に、医療措置を受けることによって直接に親であることを立証するものである。

(17)ジョンが申し立てた、ルアーネが全ての責任を引き受ける【と約束した】との主張は、【弁護士が】弁護を依頼されたものだった。子のために指定されたカウンセラーは、子のための冒頭陳述で、11ページ(脚注11参照)に亘ってこの点について先取りして指摘していた。ルアーネが申し立てたその約束が【ジョンが主張するものとは内容が】異なっていることを立証しようと試みるよりも、ジョンの弁護士は被告人答弁書の中で、単にその約束を「契約を構成する全ての局面は、・・・を含み、法令または事実に対する誤認の問題、詐欺、強制と脅迫に限定しない」について考えるという漠然とした必要性を示唆するのみであって、ジョンが「一審裁判所の独断的な裁定」によってこれらの問題に関して証拠を提出することができないようにされていたと主張する。ジョンには、このサロガシーにおける彼の口頭または書面上の意思が【ルアーネが主張しているものとは】違っているなら、流れを変えるために裁判所に事実の証拠の申し出をする機会がこれまでに3回 −−−−(Jaycee B.v.Superior Court,SuPra,42Cal.App.4th718)で、一審裁判所で、彼の被告人答弁書の中で−−−−−−あった。彼女【ルアーネ】の冒頭陳述で、【ジョンは】子のカウンセラーが指摘した箇所に異議申し立てをしない方法を選択したので、今、ジョンにはそれを聞く機会がなかったとして異議申し立てをすることができない。さてもう一度公平に事を進めるために、ジョンの弁護士は、ルアーネが主張する約束は特に重要なものではなく、控訴審レベルでこの議論を持ち出せばたいてい思慮が浅いと言われてもしかたがない、と自認したようである。家族法を扱う全ての弁護士は、裁判所は「どのよう種類のいかなる主張もその子に害のないように」一方の親による他方の親への約束を認定するであろうことを知っている。

(18)この特定論旨は、シェアー弁護士から家族法専門家協会法廷助言者に助言された。「カジュアルな受精者」という語句はin Michael U. v. Jamie B. (1985) 39 Cal.3d 787, 797. で、モスク裁判官によって鋳造された。

(19)See I Kings 3: 25-26 (2人の独身の女による生存子への身元論争、それぞれ子は最近分娩され、うち一人は生産でもう一人は死産だったが、親になろうとする意思を探し出すように考案された新しい証拠探索装置によって解決された。)

(20)各々のケースに於いて、二人の論者のうち一方は(親になろうとする意思を)持っていて、もう一方は遺伝的繋がりを主張するとき、親になろうとする意思は、タイ・ブレーカーとして機能してきたこれまでの経緯とは別に、解決するように求められて、全く生物学的繋がりも必要としないとする法的理念を裁判所が採用してきたことは否定できない。

(21)ジョンソン事件の判決における多数意見が、より弾力的でより優れたケナード裁判官が提唱する意見を支持したことは画期的でさえある。(前判決118頁参照 (dis. opn. of Kennard, J.))これは一審裁判所が全く述べていなかったことである。ルアーネはジェイシーを幼児の頃から養育してきた;彼女は誰もが知っているジェイシーの唯一の母である。この事件に直面して、そしてジェイシーへの養育提供者としての彼女の役割を考えれば、最善の利益テストの下でルアーネを法律上の母と判決しないことは考えられないだろう。

父については、彼が本当にそれを引き受けることを望んだかどうかにかかわらず、子を誕生させる責任に関して、ジョンはその役割を演じたことに基づく最初の人ではないであろう。子は粗末に扱われることがあってはならない。

(22)ルアーネには当初からジェイシーに対して実際に身体的な養育行動があった。この事実に照らし、ジョンが直ちにジェイシーの養育権を求めることは、軽薄であろう。しかしながら、ジェイシーへの最善利益に鑑み、彼は確かに訪問権があることが確認されなければならない。我々の今日の判決は、ルアーネとジョンを、幼児時代以来母によって排他的に保護されているその子との関係において、他のすべての離婚した夫婦と同じ立場に置くものである。

そして、ルアーネが形式的行為を突破することを許す便宜として、ジョンが受精と移植に同意したので、妊娠が起こったことは真実である一方で、彼が将来ジェイシーとどのような関係を展開させるかを誰が知っているだろうか?人間関係は静的ではない;1人の個人が知覚した法的な障害物を克服することを助けるために行われる単純な仕事は、時々はるかに意味があるものになることがある。(例えばNicholson, Shadowlands (1990) 参照、イギリスのどこにでもある民間の会館で、これは本当にあった話だが、アメリカ市民と著名なイギリス作家が婚姻したが、その後その行為が縁で彼女はその国で生活することになり:そして、さらに深い関係が展開した)。