essays


ここは、エッセイに類する小品を集めたものです。哲学的な論述もありますが、基本的には哲学を知らない人にも自然に読んでもらえるようにと思って記したものです。ただ、不思議なことに、専門的な哲学研究の文章よりも、これらの短篇の方に、個人的に愛着がある作品や、私の考え方の根幹を綴った作品が多く含まれています。

【新着】
blue diary: 青色鉱物生成記 (2006. 1. 1)

■ "私" を巡って

"私の" 告白
一人称単数の代名詞 "私" に、何故私は違和感を覚えるのか? その理由を、対話状況という観点や、私の中での私の隔たりといった概念を手掛かりとして論じた短編です。(2003. 8)

■ 記述すること

my praxis : 私はどうテキストを読んでいるか
私がどのように哲学系のテキストを読んでいるか(=どう研究を実践しているか)、その具体像を紹介したものです。なかなか反響のあった以前公開したものに、若干加筆・修正を施しました。(2003. 12)
一息で書く : 正しくない論文の書き方マニュアル
私が普段実践している論文の書き方を、大原則といくつかの技に分けて紹介したものです。「書く」ことにご執心な私が、自分が書く姿をそのままに記述したものとも言えます。ですが、自分で言うのもなんですが、どう考えても「正しくない書き方マニュアル」です。(2003. 11)
内的記述 (description intérieure)
私の哲学的営為において、対象を内把/内破する方法/目標である「内的記述」について、断章形式で記したものです(要するに、私の方法のマニフェスト)。さる研究会で発表した内容から、一部抜粋したものです。(2003. 3)

「内なる経路」と「外なる迂路」

Le passage intérieur (内なる経路) − 何の変哲もないある朝の形而上学的経験
現段階で私の考えていることを、平易な経験の中に凝縮させ、「私」の深奥に潜む「私のはずなにの私でない何か」を追求したものです。なお、この文章はstudy notesに掲載しているルキエの第一真理の探求のプロローグとして書かれたものです。(2002. 4)
Le détour extérieur (外なる迂路) − 何の変哲もないある夜の形而上学的経験
「内なる経路」を補完、ないしは根底から覆す続編です。私という内なる経路を辿っていった先に浮き上がる「考えること」の不可解さと、それを解く鍵としての「言語」を発見したものです。この文章はルキエの第一真理の探求のエピローグとして書かれたものですが、こちらは実験的というか、まだまだ完成途上です。(2002. 4)

■ もの論関連

blue diary: 青色鉱物生成記 new!!
別サイトにて掲載していた「青色鉱物」の成長する様子を日記として綴った観察記。(2006. 1)
食べられる世界に生まれて
世界は食べられるから偉大なのです。(2004. 7)
人間の条件としての無関心なもの: もの論へ向けての覚書(3)
ものが私たちに無関心でないと、私たち人間は、人間的たりえない。何故なら、無関心であるおかげで、人間はものに関われるのだから。そんな主旨の短文。(2004. 6)
ものを使うことで使わないこと(とその逆)
「ものを使うこと」の内奥に潜んでいる「ものを使わないこと」。そうした逆説的な関係を、高速道路と本棚を例として考えた短篇もの論。(2004. 4)
ものをもつということ−ものと人間的自由の逆説的関係
「ものを持つこと」とはどういうことかを、人間の自由の関係と絡めて考えたもの論。ものを持つことは、自由に不自由を選ぶことであるという、逆説を浮かび上がらせてみました。(2004. 3)
世界の裏側−マンホールを称えて
マンホールという具体的なものを巡って綴った、もの論。マンホールの蓋が、そして、冷蔵庫の扉が、垣間見せることさえせずに、裏側から指し示す「世界」とは何か。(2003. 11)
無意味なもの、無関心なもの: もの論へむけての覚書(2)
「ものは無意味である」「ものが無関心である」という私の主張の意味はどういうことなのかを整理した短編です。オグデン&リチャーズの名著『意味の意味』に対抗意識を燃やした『無意味の無意味』を目指します。(2003. 8)
Some-thing in the Pandora's Box: もの研究のはじまり(1)
ものを問うとは如何なる試みなのか、その私の考えを短い寓話に凝縮させた文章の前編です。前編では、もの研究の困難さを否定的筆致で記しています。なお、この文章は第1回 Res: もの研究会で発表されたものの一部です。(2002. 6)
Some-thing in the Pandora's Box: もの研究のはじまり(2)
前編に続き、もの研究の出発点ともの研究の意義を、肯定的筆致で、寓話の中に凝縮させた後編です。前編同様、第1回 Res: もの研究会で発表されたものの一部です。(2002. 6)
もの論へ向けての覚書 (1)
「もののもの性」をそのまま捉えることは可能か? 「ものへの固着感」「経験枠への脅威」「意味付与の手前」といった概念を手掛かりにして、私の考える「もの性 thingness」とは何かを綴った、もの研究へ向けての研究ノートです。(2002. 4)

■ 忘却論 2 編

忘れること − 忘却論 (1)
「忘れる」という精神の働きが、精神のうちにおいて働くにもかかわらず、私のなしうる行為ではなく、私に起こる他律的出来事であることを内観的に論じた短篇です。(2001. 10)
思い出すこと − 忘却論 (2)
(1)の忘れることに続き、忘れるという出来事ではなく、「忘れている」という状態とはどういう状態なのかを明らかにし、次いで、「思い出す」という出来事の他律性について反省的に論じた短篇です。(2001. 10)

■ その他

氾愛万物、天地一体 − 恵施の世界論
古代中国の論理学・恵施の思想における世界論の醍醐味を、簡単にまとめたものです。表題は「ひろく万物を愛す、天地は一体なり」と読みます。(2005. 3)
Word and/or Image − 表象の2形式が交わるところ
しばしば視覚的な情報伝達の2形式として「word / image」という対概念が想定されますが、その二つの形式が融合して機能する実例を、マンガ表現の中に求め、表象論の面白さを考えたエッセイです。(2002. 4)