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音楽という生業(その5)
メジャーメーカーともなると、一枚の新作CDにかける予算もただごとではない。制作費はもとより、宣伝広告費/人件費の金のかけ方がすごい。なんせ一枚のCDを制作・販売するために、やれプロデューサーだのA&Rだの広報だの営業だのと人事の限りを尽くしその作品の販売努力を惜しまない。それは当たり前のことだ。売るために制作しているのだ。金と人を使えば使うほどCDは売れる。TV、ラジオ、雑誌、インターネット、駅貼りポスター、フライヤー、レコ発イベント、サイン会...あらゆるメディアを利用し広告宣伝する。制作費に500万くらいかけて広告費に1,000万くらい使用したとして、1,500万。一方CD一枚の価格を例えば2,500円(税抜)とすると、問屋に5掛けで卸したとして1,250円。1,500万円を回収するには単純計算して12,000枚の販売がリクープラインだ。しかしこれには人件費が含まれていないので、プロデューサー、A&R、広報、営業、各々一人ずつ担当したとして、一人の一ヶ月の給与を25万づつ、そしてそのCDにかける労働時間を全ての労働時間の5掛けとしても25万×4人×0.5で残り50万。つまりプラス400枚分売上の上乗せが必要だ。締めて12,400枚の販売でトントン。それ以降の売上が企業の純益となる計算だ。(ただしリクープ後のアーチストへの印税などを含めると「純益」とは言い難いが、印税率はとても低いのが現状。)
一枚のCDはこのように制作/計算されている。予測として12,400枚という販売数を見込めないのであれば定価を上げることも可能だ。定価3,200円にすれば上記と同条件で9,688枚の販売でリクープラインとなる。だから、よく国内盤の定価が高すぎるのは企業努力が足りないなどというわがままな意見を聞くが、そのように逆算して定価を決定する場合もあるのだから、それは事情を分かってない者の言い草だろう。新作のCD制作というのはことほどかように厳しい世界なのである。だからこそメジャーは原盤を持っているタイトルの低価格再発やら紙ジャケ化やらリマスター化やらコンピレーションやらとコストのかからないノー・リスクの作品をこれでもかと出してくるのである。そしてそれにつられるファンも情けない(オレを含む)。やれ限定紙ジャケでリマスターといえば全タイトルに飛びつき、ブルーノート1500円廉価盤に飛びつき(レコード持ってるのに...)、という具合に、ファンの方でも得体の知れない新作に金を出す余裕はない。さすがメジャー様はその辺のマーケティングとファン心理をしっかりと把握しているわけである。
しかし音楽というものは生活に直接必要なものではない。音楽がなくても生活できるということはこのサイトでも何度も述べてきた。しかしそこに制作費と広告宣伝費を○×千万円かけ、それ以上の回収を見込めるからこそ音楽業界は成り立つわけであって、それだけわれわれが豊かになったとも言えるが、個々人の音楽に対する思い入れは薄くなってきたとも言える。広告宣伝費をかければかけるほど売れるとはどういうことか。つまりメーカーは消費者の「世間の話題に乗り遅れまい」という妙な心理を非常に上手くつかまえているということだ。各小売店やメディアがこぞって発表する「売上ベスト10」などの、音楽の経済状況発表はその心理に拍車をかける。少なくとも上位
3つくらいは聴いとかなきゃ的な焦燥感を煽る。しかしあれに惑わされてはいけない。某雑誌の売上順位
などは広告出稿料やメーカーとの政治的関係によって大部分が捏造されているものである。「売れてるから買わなきゃ」的な心理。ここで「買う」行為と「聴く」行為が混同される。もしくは「売れる」音楽と「いい」音楽が混同される。実に巧妙な宣伝広告なのである、売上ベスト発表というのは。
私もレーベルを立ち上げた以上は音楽経済活動の真っ直中に(再)突入していくわけだが、ここの部分はキッパリと分けて考えようと思っている。「いい音楽作品を音楽家とともに作る」ことと「音楽を売る」行為は全く別
のことなのだ。そしてそれを両立させなければならないというジレンマに常に身を置かなければならないということ、これは音楽家はもちろん、音楽に関して生業を立てている人間であれば誰もが当たり前に自覚しなければいけないことである。自分の意志を曲げてまでカネに食らいつく音楽家は悲しいし、自分の意志を貫徹して喰えない音楽家もまた悲しい。それは同様に、音楽に頼って生業を立てている者にもいえることなのである。(続く)
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