... ヴエルタ・ア・エスパーニャ 2003 レースレポート
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* 本日の結果:
ステージ優勝:オンセ
イゴール・ゴンザレスデ・ガルデアノのコメント:「ここヒホンは縁起がいいんだ。兄のアルバロも、ヒホンで区間優勝したことがあるのさ。」
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総合首位: イゴール・ゴンザレスデ・ガルデアノ(ONC) マイヨ・オロ=黄金ジャージという意味ですが、98年の時のマイヨ・アマリヨ(イエロージャージ)との違い、かなり微妙です。 98年のジャージへJUMP |
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山岳賞:ヤン・フルスカ(ONC) 山岳ジャージの色はバレンシアオレンジを彷彿とさせるオレンジ色です。 |
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| ポイント賞:イゴール・ゴンザレスデ・ガルデアノ(ONC) ツールではやせたクライマーが着る赤い水玉ジャージを、ヴエルタでは どちらかというとがっしりした選手が着ることになる。 |
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オールラウンダー賞:イゴール・ゴンザレスデ・ガルデアノ(ONC) この賞の名前はコンビナダ(コンビネーション賞)。山岳でも平地でも強い選手を選ぶために設置された賞で、オールラウンダの証。オールラウンダ賞と呼ぶこともあり、こちらの方がぴったりくるので、この名称を採用。この賞だけは、ポイントは小さい方がいい。 |
* オールラウンダー賞(コンビナダド)のポイント換算の仕方:
このオールラウンダー賞のポイント換算の仕方ですが、どこにも書いていないので、独自で分析してみました。その結果、多分こういうことと思われます。
総合順位+総合ポイント順位+総合山岳ポイント順位を合計してポイントを出すものと思われます。
例えば本日のガルデアノの場合、総合1位、ポイントでは1位、山岳では4位。1+1+4=6で、彼はコンビネーションのポイントは6ポイント。一方この賞で2位につけているホアキン・ロドリゲスは、総合2位、ポイント2位、山岳3位で合計7ポイント。以下、3位のフルスカは3+3+1で同じく7ポイント。ロドリゲスの方が総合順位が上なので、2位になっているのでしょう。
* Course Outline - コース概要:
* レース・レポート:オンセ雪辱 & イゴール・ゴンザレスデ・ガルデアノがリーダージャージ ・ アイトール・ゴンザレスはパンクで出遅れ!(写真は2002年ツールのチーム表彰の時のもの。拡大写真あり。)
オンセがツールの雪辱を果たし、初日TTTで優勝。オンセ内ではチームのリーダー、イゴール・ゴンザレ・スデ・ガルデアノがトップでラインを踏んで初日のリーダージャージを着た。ヤクシェとプラデラが最初の登りで脱落して7人での戦いだったが、サイス監督の采配は当った。ちなみにヤクシェとプラデラの2人は、2人で先頭交代をしながら、トップから4分30秒差でゴール。
USPは、最初の上りで出遅れ中間タイムで7位だったものの最後には挽回し、2位につけた。この日トップでスタートしたバネストは、ツールの時同様 上々のタイムで3位。またツールのTTTで不甲斐なかったケルメとエウスカルテルは、それぞれ4位と6位と、今回は上位につけた。カセロ擁するビアンキは、8位で、ツールの時のような快走とはいかなかった。
一方でアンラッキーだった人々も。昨年の覇者アイトール・ゴンザレスはラスト1.5キロ地点でパンクに見舞われた。ゴールは近い。選手が5人集まればとりあえずゴールはできる。待つのか、行くのか。判断は微妙だったためか、意思統一が乱れ足並みが乱れた。結局 チームは彼を待つことになり、バイク交換の間、20秒ほどロスした。 結果 首位から1分25秒遅れの13位に甘んじることに。ゴンザレスのコメント:「ついていなかった。でもまだ先は長い。調子がいいことが今日確認できたから、今後に期待したい。」
それからもうひとりのアン・ラッキーは、サエコのイヴァン・ワランタ。なんとTTTスタート直後3キロ地点でリタイヤした。初日TTTでは、唯一前半にカテゴリー3の上りがあるだけで、あとはフラットな28キロ。この唯一の登りの箇所でリタイヤ。何があったのか?ちなみにクワランタは来年からはコルパックへ移籍する。
4人がTTTでクラッシュ。初日から災難のCRF。
そして、この日一番の災難は コルチョン・リラックス・フエンラブラダ(CRF)だろう。
チームの選手のうち、4人が、トップから6分以上遅れるという異常事態が発生した。ニエト、ブルゴス、ブランコ(かつてバネストにいたサンチャゴ・ブランコは今このチームにいる)が6分37秒遅れ。そして、マエストレが7分38秒遅れ。彼らは7.8キロ地点でクラッシュしたのだった。
ラプロビデンシアの最初の下りカーブだった。先頭を走っていたナバスがかなり勢いよくカーブを下っていき、これが落車を誘発した。ブランコは頬を強打し赤くはれ上がっている。その影響で目に水腫ができ、目の周りは真っ黒に腫れあがり、左目の視界が遮られている。レース続行できるか微妙なところだ。
一方、ブルゴスとマエストレも地面にたたきつけられ、前者は手首と膝を、後者は腰を強打した。レース後、X線写真を撮って病院で検査をした。ブランコの痛々しい表情はこちら。--->
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* レース・リザルト:
第1ステージ結果
1 ONCE 32.01 (52.47 km/h) 2 US Postal ---------- 0.10遅れ 3 Ibanesto.com ------- 0.24遅れ 4 Kelme -------------- 0.45遅れ 5 Quick Step -------- 0.48遅れ 6 Euskaltel ----------- 0.50遅れ 7 Cofidis ------------ 0.56遅れ 8 Team Bianchi -------- 1.01遅れ 9 Lampre ------------ 1.03遅れ 10 Phonak ------------- 1.04遅れ 11 Rabobank ---------- 1.18遅れ 12 Paternina --------- 1.20遅れ 13 Fassa Bortolo ------ 1.25遅れ 14 Team Telekom ------- 1.26遅れ 15 Alessio ----------- 1.26遅れ 16 Team CSC ---------- 1.27遅れ 17 Milaneza ----------- 1.30遅れ 18 Saeco ------------- 1.39遅れ 19 Domina Vancanze --- 2.01遅れ 20 Saunier Duval ----- 2.04遅れ 21 Relax-Fuenlabrada 2.30遅れ 22 Labarca-2 Cafe Baque 3.06遅れ
![]() | copyright@Diario AS (Sep. 2002) 拡大写真なし。 ヴエルタ回顧 2002: ケルメは嬉しい悲鳴。リーダーが2人とも大活躍。ただ、山岳でアイトール・ゴンザレスがセビーヤのアシストを優先させずに、更に最後のITTで優勝をさらい、チーム内がややぎくしゃくした。やや義理人情的なセビーヤと、あくまでマイペースのアイトール。 そんな中、いかにも人の良さそうなベルダ監督が、2人の仲をとりもつために、レース終了後に奔走したのは感動のストーリーだった。(写真はヴエルタ2002が終了して 数日経ってから撮影されたもの。) |
* ヴエルタ・データ:
ヴエルタは今回で58回目を迎える。過去57回のうち、スペイン選手の優勝が最も多く、25回。ついで、フランス人9回、ベルギー人7回、スイス5回、イタリア4回、ドイツ3回、アイルランド、オランダ、コロンビアが1回ずつだ。スイス人が5回優勝しているのは、ロミンゲルとツーレの貢献による。(ロミンゲルが3回、ツーレが2回優勝)。過去の表彰台選手についてはこちらへ(JUMP)。
ヴエルタもネスレ・アクアレル
ツールドフランスでミネラルウォーターのスポンサーとしておなじみのネスレ・アクアレル。ヴエルタでも3年のスポンサー契約をしたそうだ。今回ヴエルタで供給するボトルの数は合計25万本。ツールでオフィシャルスポンサーとなった最初の年、ネスレ・アクアレルは気前良く、観客に1リットルボトルを何度もばらまいており、この年は水をほとんど買わずに済んだ記憶がある。
* 観光情報:
ヴエルタ初日はUSPのルビエラの住む町ヒホンでスタートだ。彼は たくさんの応援を受けることだろう。アストゥリアスはスペイン北部に位置し、自然が豊かなことで知られる。山と海が共存し、森の影が川面に影を落とす、そんな自然に満ち溢れた場所。学習意欲旺盛な人は、ここのサイトで、アストゥリアスの正確な位置を確認しましょう(JUMP)。
そのアストゥリアス自治州の州都はオビエドだが、オビエドよりも人口が多く、産業が栄えている町として知られているのがこの海岸の都市ヒホン。全ての道はヒホンに通じるというぐらい、交通の要所となっている。とはいえ大都市というわけではない。人口は27万5千人だ。
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