mas ciclismo ...追悼:ホセ・マリア・ヒメネス


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12/6/2003 22:00
バネストのライダー、ホセ・マリア・ヒメネスが亡くなった。心筋梗塞によるあっけない死だった。2002年初頭にうつ病となり、レースには出られない日々が続いた。2002年10月、カセロやベルトランたちが来日した時、ヒメネスは復帰できるだろうか?と聞いたところ、「無理だろう」とみんなは話していたが、やはりそのまま自然引退の形になった。闘病は続いたが、回復傾向にあり、2003年5月には、かねてから交際していた彼女と結婚したばかり。スペインでは、最も花のあるスター選手のひとりだった。

チャバ
"チャバ" ヒメネス Vuelta98
copyright@ mas.ciclismo
"チャバ" ヒメネス Vuelta98
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"チャバ" ヒメネス vs パンターニ Tour2000
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1998年、初めてヴエルタを見に行った。バネストのエースはオラーノだったが、序盤イエロージャージ(当時は黄金ジャージになる前のイエロージャージ=マイヨアマリーヨだった)を着たのはホセ・マリア・ヒメネスだった。ファンから黄色い声援を受け、常にスター的に振舞う彼は、オラーノよりも華々しかった。

チャバ
""チャバ" ヒメネス vs パンターニ" Tour2000
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"チャバ" ヒメネス Tour2000
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"チャバ" ヒメネス Tour2000
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"チャバ" ヒメネス vs パンターニ" Tour2000
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ツール2000、クールシュベルのアルプス決戦。山頂に陣取って選手が来るのを待っていた。最初に来たのはアームストロングではなかった。パンターニとヒメネス。付近が沸いた。ピュア・クライマーの対決を目の当たりにした。また、休息日、レース後、ファンからのサイン、インタビューとヒメネスは相変わらず忙しかった。 。

トクダネ 過去に掲載されたヒメネスの記事から(最近のもののみ)
(写真はヒメネスとガルシア・アコスタ(右))

JMヒメネスが走れない。引退説の真相。 ( 4.5.2002 )
iBANのホセ マリア ヒメネスが今シーズンスタートを切れず、家に閉じこもっている。精神的な問題で、レースはおろか、練習さえもままならず、走ることができないということで、とにかく私情は挟まず、アーエスの新聞記事を 下記にそのまま訳します。

記事和訳>>
記事No.1 − 見出し:チャバ(ヒメネスの愛称)、引退の瀬戸際
ヒメネスは、今 一番きついステージを走っている。今までの人生で、最も難しいコースだろう。1人の選手として、そして、1個の人間として、どうにかこの局面から脱出しようとしている。今シーズン、まだスタートをきれず、トレーニングもままならないヒメネス。家族によると、原因は個人的な問題で、相当な欝状態にあるという。

写真copyright@aviladigital
ヒメネスは、チームのボスを含め、ごく親しい人たち以外とは、一切接触したくない状況にある。電話にも応答せず、伝言にも応じない。現在エルバラコの街でヒメネスと一緒に暮らしている彼女のアスセナが、インタビューに不承不承応じた。欝の原因が、中毒症状による、という一部の噂には憤慨し、「コカインですって!やめてよ。馬鹿なことは言わないで。彼は欝状態なだけ。でも、もうすぐ治るはず。こうした悪い報道が、彼を更に落ち込ませるんだから。」

「余り、私的なことは話したくないけど、悪い噂を消すために口を開くわ。今年最初は、ホセは元気だったの。でも、最初に口腔炎症(年初、キャンプをそのため途中で離脱した記事が確かにでていた)、そして次に(白血球の一種の)単球増加症に悩まされたの。その間、プライベートでもいろいろあったり、私が病気になったりして、彼はトレーニングもできなくなって。更に31歳という年齢にも多少彼の精神に影を落としたりして、とにかくいろんな要因で彼は落ち込んでるの。でも、今なんとか脱出しようと戦っているのよ。」

丁度このインタビューが終わった頃、ヒメネスの義弟でCSCに今年移籍した義兄弟のサストレがトレーニングから帰ってきた。彼は、「最近ホセとは話していない。彼については、そっとしてやってほしい。誰にだって 悪い時はある。今は ただ家に閉じこもって、誰とも話したくない状況なんだ。説明は、監督のウンスエに聞いて欲しい」と語った。

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記事No.2 ― 見出し:ウンスエ監督「彼がこれで終わりだとは信じたくない」
(ウンスエ監督)「チャバは少しずつ良くなっている。個人的な問題を抱えているが、乗り越えられるだろう。彼には電話をしたりして、できるだけ力になろうと頑張っている。彼はひとりで戦っているわけじゃないんだ。早く集中できるよう、回復してほしい。自転車選手として、これで彼は終わりじゃない、そう信じたい。」

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記事No.3 ― 見出し:JMヒメネス、「危機的状況だけど、僕は終わっちゃいない」
(ヒメネス独白)「個人的な危機に直面している。でも徐々に良くなっているんだ。脚を骨折して、数ヶ月走れない選手だっているじゃないか。僕に起こったことも、似たようなこと。但し、問題の性質がやや違うだけ。僕はここ数ヶ月、何かにおびえている。練習しようとしても力がでない。どんどん落ち込んでいく。疲れてるんだろう、そういう人もいるけど、今回のケースは違うんだ。でも僕は引退しない。アーエス新聞が どう書きたてようと、言いたい奴には言わせておけ、そう思う。ただ1つだけはっきり言っておく。僕は必ず戻ってくる。

人生はアップダウンさ。こういうこともある。今はエアポケットに入ってしまっただけ。でもチームには感謝している。昨年は対立したが、今はとても良好な関係で、いろいろとサポートしてくれている。(ボスの)エチャバリ、ウンスエ、ドクターたちには非常によくしてもらっている。今世間で言われている噂は一掃したい。勝っている時はちやほやされるが、その後ちょっとすると、酷評されるようになる。ちょっとした妬みってやつさ。」

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続報― ヒメネスはあせらずじっくりと ( 4.8.2002 )
現在心療治療を受けているヒメネス。担当医師によると、「こういった病気の場合、15日で完治することもあれば、15ヶ月のこともある。人によって完治への道はケースバイケースなので、辛抱が大切」、と語っている。チームも、「今から彼のツールやヴエルタ出場について考えるのはナンセンス。チームとしては、今は彼の今年度プログラムは白紙にしている。彼を支援し続けるだけだ。今まで、パンターンニやVDBのケースを見ても判るとおり、余り本人の復帰を急いでプレッシャーを与えるのは良くない。今は静観の時だ。」と述べた。

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チャバ、トレーニング再開 まずはMTBで ( 4.22.2002 )
欝の症状が所見され心配されていたヒメネスことチャバが、19日、バネストのジャージを着て70キロをロードで走った。トレーニング再開は、最初の関門であり、これが一番難しい段階とされていた。2月1週目以来、約2ヶ月半ぶりのトレーニングとバネストのジャージだ。ラ コバティヤを含め、ベハールとピエドライタの間を走った後、チャバはこう語った。「いい感じで走れた。今もまだ長距離は無理だけど、フィーリングがつかめたと思う。鍵は、モチベーションと意欲だ。」

現在、チャバは、ラ コバティヤの麓にあるホテルに滞在している。ここは、2002年ヴエルタのゴールの町。チャバは、数日前から、ここに来たいというセンセーションを感じていたという。「完全に病気を克服して、9月ヴエルタで、またこの地に戻ってこよう、そして、区間優勝を遂げてやろう」、そう心に誓ったそうだ。実は、チャバは、16、17日に、ラ コバティヤにバイクで登っていた。しかしMBTで登ったという。感触を掴んでから、ロードバイクでの挑戦を果たせたのは、その2日後の19日だった。
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ヴエルタ2003、JMヒメネスが発言( 12.14.2002 )
ヴエルタ2003の発表は12月17日だが、その前にアンドラの観光大臣が、ヴエルタ2003のゴール地としてアンドラがヴエルタと契約したことを明かした。

エルチャバことJMヒメネスが、今度はTV出演し、約3分にわたって、現状を告げた。2001年9月20日、ヴエルタの山岳TTオルディノのステージ(オルディノーアルカリスまでの18キロ)で優勝したのを最後に、その後競技活動からも遠ざかっていた。このほどインタビューに答えて、次のように語った。「僕の鬱病は、かなり深刻で、周囲はレース復帰は無理だろうと予想していた。でも、病気を克服し、漸く復活できるまでになった。今までサポートしてくれた人々に感謝したい。」と。

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自転車界の労使交渉 冬の時代( 1.17.2003 )
(前略) チャバことヒメネスに至っては、カナリア諸島で自主トレをしているものの、未だにバネストチームから声がかからない。ウンスエ監督からは、以前、病気が完治したら再雇用すると言われていて、何度もマスコミを通じてデモンストレーションをしているのだが、まだチームに戻れる目途はなし。一体何のために自分はトレーニングをしているんだろう、このままでは、カナリアをあとにして、自宅のあるエルバラコに帰るかもしれない。」なかなか将来設計が描けない今の現実に、匙を投げてしまう寸前の状態だ。自転車界の労使交渉は、なかなか厳しい状況だ。


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