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月刊誌『こぺる』を岐阜で発行して1周年 |
部落解放同盟二題 |
「生き合う姿」に励まされる日々 (2011/5/14記)
*本稿は、5月下旬発行予定の『こぺる』6月号「あとがき」濃水飛山記と重なる部分があることをお断りし ます。 |
地震に遭遇する (2011/3/26記)
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「多事争論・異論歓迎の精神」の大切さ ある人から、「上司にみんなの前で責任を声高に追及されたり、怒鳴られたり、ついには異動願いを書かされた」というメールが届いたのは昨年12月初めのことです。メールに添付された「異動願い」の文字には、こころの動揺が表われていました。とっさに、これはパワーハラスメント・不当労働行為ではないかと考え、異議申し立てをするようアドバイスするとともに、上司を監督する立場の機関に実情の調査と適切な指導を要請しました。 この上司は、これまでにも感情的になって複数の部下を難詰したことがあり、その一人の家族は弁護士をつけようかと悩んだといいます。その間の事情は、上部機関も把握していたにもかかわらず放置し、わたしの要請があってようやく重い腰をあげたようです。おそらく遠まわしに気をつけるよう注意したのでしょう。メー ルによれば、くだんの上司の態度がいくらか「穏やかになった」とか。 しかし要請から一カ月たってもわたしへの報告がない。そこでこの1月、事務所に出向き、その後の経過を 尋ねましたが、返答はお粗末きわまりないもので、「すべては、その人の将来を考えての叱咤激励だった」と いう上司の弁解をなぞったものにすぎませんでした。怒りを覚えて、わたしは思わず、「そういう弁解を〈巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すくな)し、仁〉(論語)というんです!」と言い返してやりました。 上司はこの三月で定年を迎え退職することになっています。そして、わたしに訴えてきた人は別の職場に異動 して「一件落着」にされる可能性が高い。 こうした上司の横暴が見過ごされている原因の一つは、職場に「多事争論・異論歓迎の精神」が欠如しているからです。全員一致を尊ぶ「和の精神」が過剰同調を強制し、「人間としての尊厳」を侵しても気づかない 風土をつくりあげている。 もう一つは、この職場には働く人の権利を守る労働組合がないからです。 「労組の意味さえ知らない若者も多い。〈一流校〉といわれる都内の大学で、教員が授業で労組について話 した。〈労組と経営者が対立関係だなんて、きょう初めて知った〉〈労組って悪いものなんでしょ。ドラマで 『あいつら労組だ』というセリフがあったし〉と言われた。〈どこから手をつけていいのか〉と教員はため息 をつく」(朝日新聞・11/2/1朝刊、記者有論、編集委員・竹信三恵子「就職のミスマッチ 『自衛策』伝えなかったツケ」)。 労働組合をつくること(団結権)は日本国憲法が保障する基本的人権であることを知っている人はわずか22 %にすぎず(NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第七版]』NHKブックス、10/2)、働く人の組合 加入率が18・5%という現実の反映として、上司によるパワーハラスメントが横行している。こういう上司と 監督機関が「人権尊重」を唱えている姿は、なんとも滑稽で醜悪です。 わたしはメールをしてきた人に、イェーリング『権利のための闘争』(岩波文庫)を読むように伝えるとと もに、「権利というものは、天が賦与するものではない。生まれながらに持っているものでもない。自分をおとしめ、差別する相手と闘ってかちとるものだ。1955年12月1日、アメリカ合衆国アラバマ州モンゴメリーに おけるバスボイコット運動の発端となったローザ・パークスさんの不屈の行動、ボイコット運動を指導したキ ング牧師の初志を思い返してほしい」とメールしました。事柄は個人の資質や性格の問題ではない。そうした 個別事情を超えた普遍的価値としての権利の擁護がもとめられているのですね。 (2011/2/19記)
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2010年から2011年へ 早速『こぺる』を送って頂き、ありがとうございました。故主人が病院のベッドの上で、私が病室に 入ると同時に『同和はこわい考』の本を手に、「藤田がこんな本を持って来てくれた」と嬉しそうに、な んか自慢気に渡してくれた彼の姿が目に浮かび、あの日の病院の情景が、鮮明に浮かび、懐かしく、何と も言えない思いです。すぐに仏壇に。他界して二十三年にもなるのに、本に載せてもらって、彼も、きっ と喜んでいることでしょう。いつ迄も、忘れずに、本当にありがとうございます。友情とは、その死後も続くものなんですね。15歳で知り合い、49歳で別れたN。その表情としぐさは、い まも若々しいままです。 ○2011年の年賀状 謹賀新年/昨年も読書と講演と月刊誌『こぺる』の編集、そしてプール遊びと山小舎暮らしで過ごす充実 の一年でした。生き方の基本は、「人や自然とよく生き合う」こと。内ネコ十匹、外ネコ六匹のほか、時 折顔を出すアライグマも書斎に棲みつくクモも、生き合う仲間なんですね。/この一年で変わったことと いえば、ある方から多額のご寄付をいただき、廃刊寸前だった『こぺる』があと二年間、岐阜で発行でき るようになったことです。初志ということばの意味をいまさらながらかみしめています。/二〇一一年 辛卯 元旦/藤田敬一戸田写植に原稿を送信したのが12/22、印刷された賀状500枚を受け取ったのが12/25。年内投函・元旦配 達という呪縛から解き放たれていますので、賀状の宛名書きと一筆添え書きは正月三が日の仕事なんです 。今年いただいた賀状の最少年齢者は孫(小学校1年生)でした。「おじいちゃんへ あけましておめでと うございます。ことしもよろしくおねがいします。りこより」。宛名・住所は母さんの筆跡。次は大阪市 立御幸森(みゆきもり)小学校2年生のN・Nさん。「あけましておめでとう ことしもよろしく 2011.元 旦」。一所懸命に漢字で住所を書いてくれましたが、どうも阜がむずかしかったみたい。差出人住所「大 阪府大阪市生野区勝山北」はきちんと漢字で表記されていて、そのがんばりに拍手しました。そして、横 浜市港南区丸山台のO・Yさん(中学2年生)。「寒いのでおからだにお気を付けて下さい」。この人は5年 生のとき同級生のいじめを訴え、友人で校長のNさんが急遽、わたしを招いてクラスで授業をしたことがあ ります。わたしを忘れずに賀状を送ってくれたことがとてもうれしい。一宮市のS・Aさん(大学4回生)か らは教員採用試験に失敗したけれども、再チャレンジしたいとの一筆あり。幾多の困難を乗り越えて高校 卒業認定試験に合格し、音大でピアノを専攻したAさん。彼女のふんばりを応援したい。 そのほか、若いころに家庭教師をしたことのあるT・Kくん、茨木の学習塾で教えたMくん、京都市桂の学 習塾で教えたNさん、Kさん姉妹…。岐阜大の卒業生からもたくさん賀状をいただきました。最高齢者は90 歳におなりになった京都市立光徳小学校の恩師T・M先生。「年賀状は虚礼だから、やらない」というのも 一つの見識。「齢をとったので、もうやめます」というのも一つの選択。住所も宛名も本文もすべてパソ コン作成の賀状であろうと、それはみな「元気でやっていますよ」というサインです。「いのちと存在の 確かめ合い」として、年1回の便りを出し合うのもいいもんです。 ところで、ある友人からの賀状に「差別より格差と貧困が今の日本社会の主要矛盾になっているように 思います」と書かれていました。「差別問題より格差・貧困問題の方が大事だ」ということでしょうか。 それもさることながら「主要矛盾」という表現が懐かしく、書棚から毛沢東「矛盾論」(大月書店「国民 文庫」版、58/2新訳第5版)を引っ張り出して久しぶりに通読しました。そこで気づいたのは、「主要矛盾 」という俯瞰的分析の危うさです。「どこに闘いの主要目標を定めるか」という問題の立て方の危うさと 言いますか。「一点突破・全面展開」というシナリオ、そうした戦略・戦術にもとづいて大衆・民衆・人 民・市民を指導する「前衛」党的発想。輻輳する利害・対立・相克の人間的諸相の平板化と単純化。なに よりもわたしは、「主要矛盾」なるものをころころと入れ替える理論家が信用できないのです。だから、 わたしはこれからも「人間にとって差別するとはどういうことか。それを克服するとはどういうことか」 を考え続けるつもりです。 ○新年最初の講演会─1/9、昨年に引き続いて岐阜市島公民館の「成人式」に出かけ、新成人百余人に「と もに生き合う」と題して30分間、話をさせてもらいました。「あなたたちは20歳。わたしは明日72歳の誕 生日を迎えるんや」と言うと、右側2列目端っこの青年が「おめでとうございます!」と声をかけてくれま した。昨年と同じ反応にうれしくなりました。その横に双子の青年が、ひときわ目立つ髪形をし、どちら も和服を着こんでいる。瞳が印象的。「福沢諭吉は好きかな?」「あの紙はね」「そうや。ぼくも紙の福 沢諭吉が好きやねん。でも最近、福沢さんは忙しそうで、あんまりウチに来てくれへんねん。あの福沢さ んとぼくは、実は誕生日が同じで明日やねん!関係ないか」などといった調子でやりとりしながら話し終 えました。返りぎわ、気持よく応答してくれた青年が、「思わず引き込まれて聞きました。いい話でした よ」とお礼を言ってくれ、新年の好スタートを切ったという次第。まずは、めでたし、めでたし。 (2011/1/10記)
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2010年を振り返る
○それでは、みなさん、よいお年を! (2010/12/25記) |
人権週間で各地をまわっています。
(2010/12/4記) |
『こぺる』11月号を岐阜で発行しました!
(2010/11/13記) |
『こぺる』、いよいよ岐阜で発行へ (2010/10/16記) |
「肩書き」について考える 火曜日の学習会は、「大学の名よ教じゅらしいから、前で長々と、えん説するのか。」と最初は思っていました。だけどしゃべり始めてから、「あ、こう言う人なんだなぁ。」と改めて思いました。「意外に、おもしろい人なんだなぁ。」とも思いました。/家に帰って、お母さんに話そうと思ったけれど、ほとんどは覚えていたはずなのに、家に帰って話そうとしたら、忘れていて、言葉が出てこない、と言っていいほど、どこから話せばいいかも分からないくらい、いい話で感動しました。笑いも少し入っていたので、楽しむこともできました。(小学4年男子)これは、2003年3月、岐阜県土岐市立土岐津小学校全校生徒600人に話をしたときの感想文。わたしに連絡してきた教員が、前年3月に岐阜大学を退職したわたしを「名誉教授」になっているはずだと勘違いして紹介したため、この生徒は身構えたようです。 『新明解国語辞典』第6版(三省堂、05年1月)にはこうあります。 めいよ[名誉](略)(造語)〔長年そこに関係し、功績が有ったために〕ある団体から尊敬のしるしとして、その呼び名(だけ)を与えられること。「─教授」「─市民」つまり「名誉教授」とは、大学からもらう「呼び名だけの尊敬のしるし」だということ。在職31年半を振り返ってみても、岐阜大学に何の功績もなく、「尊敬される」いわれもない。それに大学が、退職者を「名誉だと思う人」と「名誉だとは思わない人」にわける発想がおかしい。「教授在職何年以上、助教授在職年数は教授年数の二分の一に換算する」との授与規定にいたっては笑うしかない。加えて、わたしには、「わが大学は、あなたを名誉だと思っていますよ」という意味でだす称号を自分からぶらさげて歩く勇気がない。というわけで、「名誉教授」を辞退したのです。授与規定の改定を検討する委員会で「ほしい人には、みんなあげたらええやん」と発言して顰蹙(ひんしゅく)をかいましたが、いまでもこの意見を撤回する気はない。「退職したら肩書きがなくなりますから、名誉教授は役に立ちますよ」とか「科学研究費の申請資格があるから、もらっておいてください」など、つまらないことをいう人がいたけれど、わたしの意志は変わりませんでした。 ついでに「肩書き」について書いておきます。わたしは無職渡世の年金生活者ですから、「職業にともなう肩書き」はありません。各種書類の職業欄には「自由業」と記入しています。ただ最近、講演会の主催者や自治体には、「岐阜県人権懇話会会長」と「人間と差別を考える月刊誌『こぺる』の編集責任者」と紹介してもらうようお願いしている。前者は岐阜県における人権施策の基本方向と内容を審議する人権懇話会の認知度を高めるとともに自らの責任を明らかにするため、後者は『こぺる』を宣伝するためです。それらのお役が「御免」になるまで、しばらくこの「肩書き」を使うつもりです。(2010/7/9記) ●お詫び─前回の更新が4月30日でしたから、ほぼ二カ月のお休みになりました。体調が悪かったわけではありません。ひとえに忙しかっただけ。アクセスしてくださった方々にはお詫びします。7月と8月は、わりかしゆったりした日程なので、読書とプール、『こぺる』の編集と山小舎暮らしで過ごす予定。 |
『こぺる』が岐阜にやってくる! |
眠っている人を起こしても仕方がない 或る人、法然上人に「念仏の時、眠りにおかされて行(ぎょう)を怠(おこた)り侍(はべ)る事、いかがして、この障(さわ)りを止め侍らん」と申しければ、「目のさめたらんほど、念仏し給へ」と答えられたりける。いと尊かりけり。つまり、「目がさめたときに念仏すればよろしい」といいうわけです。佐竹さんは「眠たければ、とにかく一眠りするがいい。頭が痛ければ、薬を飲んで治すに如(し)かず。…不可抗力としての『懶惰』は、取り上げるに足りない」と説く。眠気がさしてあくびをしたり、居眠りしたりするのは「不可抗力」です。「しかし、『精進』の可能な状態の下で『且(しばら)ク懈(おこたる)』事、『今日ノ所作ヲ明日作(な)ス』『懈怠』は、必ずや後悔の種になる。毎日の『懈怠』を重ねているうちに、死神は背後から忍び寄って、突然、ぽんと肩をたたく」。 この一節を読みながら、30年以上前のわたしを思いだしていました。郵便局の職員研修で、居眠る人をたたき起し、聞く気がない(と思った)人には出ていってもらっていたからです。使命感と自負心と、そして思い上がりが、そうさせたのでしょう。それが、取り返しのつかない誤りであることを教えてくれたのは、郵便局の外務職員でした。白いヘルメットをかぶり、赤い単車で走っているあの人びと。彼らは話がおもしろくなければ私語するし、眠気がおそってくればあくびもする。居眠る人さえいます。しかも研修はだいたい午後1時半ごろからはじまりますから、お腹がふくれて眠くなって当然です。それなのに「ケシカラン」と怒りを爆発させていた。ああ恥ずかし。 外務職員たちが、ことばではなく、態度で教えてくださったのは、「話を聞いてほしいのなら、聞いてほしいと願うものが、聞いてもらえるように努力すべきだ」ということでした。「橋がかかっていない川の向こうに逢いたい人がいれば、逢いたいと願うものが、逢うための努力をするしかない」。それがわかってから、わたしは一方的に話をするのではなく、ワイヤレスマイクをもって出席者のなかに入り、質問に答えてもらうといったやりとりをするようになりました。そうすると一瞬会場に緊張感がただよいますが、そのうち「これは試験やない。遊び、プレイや」とわかってくると、なごやかになり、笑いも起こる。「女性が衆議院議員選挙で投票や立候補できるようになったのはいまから何年前?」「ずっとむかしです」、「労働三権とは?」「愛知ケン・岐阜ケン・三重ケン」で大爆笑。これは、こころのウオーミングアップなんです。こころが温かくなると、こころの扉にかけられたカンヌキがはずれやすい。カンヌキがはずれれば、こころは自然に開かれる。いつしかわたしはそう考えるようになりました。法然の「目がさめたときに念仏したらよろしい」というのと通じるものがあるような気がします。(2010/3/20記) |
「頸椎性神経根炎」はおさまりました! 謹賀新年/昨年も読書と講演と月刊誌『こぺる』の編集で過ごしましたが、人と出会い、つながることの喜びをかみしめる一年でもありました。とくに幼児園の年長さんに話をさせてもらい、九十九歳の方から「元気で話をつづけてください」と励まされたことが忘れられません。/母親に「片づけしなさい」と怒られた三歳の子が「僕らはみんな生きている〜、生きているから怒られる〜」と鼻歌で答えたといいます(朝日新聞09・10・19朝刊「あのね」)。機知に富んだこの応答に感動できるかぎり、わたしの「青春時代」は終わらない。そう思い込んで今年も生きる所存。/庚寅 元旦/藤田敬一三歳の子の臨機応変、当意即妙の応答に感動するこころをもちつづけたいと切に願っています。加齢にともなって、感受性は鈍くなるでしょうが、いまのところ自覚症状はまったくありません。孫二人(まもなく三人目が誕生します)、そして各地で出会う子どもたちから刺激をうけているからかもしれません。 パソコン騒動顛末記 5年ほど前、ノートパソコン(「VAIO」)に水割りを飲ませてしまったことがありましてね。すぐに酔わはりました。やむなく富士通の「FMV」デスクトップを買いました。金20万円也。人生で、あんな高い水割りを飲んだこともなければ、人に飲ませたこともない。 ところが、このパソコン、買って1、2年もしないうちから「ウーン」と唸りつづけるんです。「がんばったはるんや」と感心していたら、昨年12月ごろから突然シャットダウンしたり、画面が暗くなったりしはじめました。そのつど再起動を繰り返していたのですが、原稿やレジュメなどが消える可能性があり、何より連絡がとれなくなる。ウジウジ迷っていたら、家人のJ1に「必要経費なんだから、買い替えたら」とアドバイスされ、この一言で1/16、近くの家電量販店でノートパソコン(富士通「BIBLO」)とコピー機(EPSON)をゲットしました。1/19、業者に設定してもらったとき、「古いパソコンの不具合はゴミが原因かもしれない」といわれびっくり。J1がすでにパソコン裏側のほこりをとり、空気吸入口に貼られていたビニールをはずしてくれていまして、後日、別室に設置して恐る恐る電源を入れると、ちゃんと動くではありませんか。あ〜あ。でもまあ新しいパソコンで気分一新するというのもまたいいもんです。 各地をまわる 1/10から2/10まで、愛知県(豊田市高嶺[たかね]小学校2/2・豊田市職員研修2/3、JR東海名古屋駅職員研修1/26)、岐阜県(岐阜市島公民館成人式1/10、養老小学校1/12、瑞浪市職員研修と市民講座1/14・職員研修1/22、真宗大谷派大垣教務所仏教公開講座1/18、JR東海高山駅職員研修1/27・高山市職員研修と市民向け講演会2/5、岐阜市立長森中学校2/1・島中学校2/9)、三重県(菰野町菰野公民館講座1/13、津地方法務局同和問題研修会2/10)、奈良県(葛城市・シャープKK社員研修1/21)、兵庫県(尼崎市・特別養護老人ホーム園田園「ボランティアグループ園」講演会1/24)に出かけました。お世話になったみなさんに感謝。いい出会いがあり、楽しい再会がありました。「友と酒と肴」の三拍子がそろった宴もあって、言うことなし。大垣・尼崎・高山ではカラオケも。森田公一とトップギャランの「青春時代」を歌ったのはどこだったかなあ。 ある光景 背中にカイロをはって出かけるほど寒い日でした。会場の武道館には3年生が畳の上にじかに座っている。ストーブは、前列左端と後列右端にあるだけ。ところが右奥のストーブの前に中年の男性教員がどかっと座りこんでいる。そこは言わば特等席で、誰もが座りたい場所のはず。もちろん、教員が座ってはならないということはありません。でもねぇ。しかも彼は何やら書類を開いて仕事をしている様子。以前のわたしなら、と思わぬでもありませんでしたが、そこは人間ができてきたわたしのこと、ぐっと我慢しましたよ。アッハッハ。そしてマイクを持ってまわり始めたら、さすがに彼は「内職」をやめました。教員の中に、ときおりこういうみっともない人がいて、日ごろ生徒たちとどんな向き合い方をしているのか気になってしまいます。(2010/2/10記) |
またもや頚椎を痛める 各地をまわる 『こぺる』の編集に全力投球する 相変わらずの乱読暮らし 山小舎暮らし |
やっとかめ(久しぶりという岐阜の方言)です。 各地で子どもたちと出会う 東京都内で7月末にあった「第8回いのちの教育実践のための研修会」をのぞいたら、聖ヶ丘病院(東京都多摩市)のホスピス医師、三枝好幸さんが、小中学校にゲスト講師に招かれた経験を話していた。/先が長くない患者さんたちとの会話や交流について話すと、子どもたちは静かに聞き入るという。話題は自然と「死」に触れるが、子どもたちは「生きる」ことについて考え、感想文を書く。ただ、学校で「いのち」や「生と死」の授業をするのは簡単ではない。三枝さんはその理由を、現役の先生たちに聞いてみた。/時間の余裕がない。宗教っぽい。教科優先の管理職が反対する。講師を呼ぶと費用や準備が大変……。/「子どもたちが平気で『死ね』と言い合う現実を前に、何らかの取り組みは必要と感じている。しかし、教材や指導法がわからず、同僚の支援もなく、何より忙しいのでそのままになる」という声もあった。/研修会に参加した教師からは具体的な提案も出た。「関心のある親たちを味方にする」「死を前面に出さずに伝える」「共に考える、という視点を前面に出しては」/新しい学習指導要領では授業時間数が増え、理数を中心に内容も多くなる。比較的自由なテーマに取り組める総合的な学習の時間も減るので、三枝さんを呼ぶような学校の取り組みはますます減るのかもしれない。/それでも、「いのちの教育」は広がってほしいという熱気が会場に満ちていた。「逆境で、続けるのは大変だけど、また頑張ろうと思いました」と、参加した中学校の先生が帰り際に話していた。(上野創)」(朝日新聞名古屋本社版、09・9・13朝刊)この国の教育は根幹からしておかしくなっている。しかし、一方で記事にあるように一所懸命努力している教員たちがいることも事実です。生徒対象の講演会を企画し、管理者を説得し、同僚の了解をとり、教育委員会とかけあって講師料を捻出して依頼してくる担当者がおられます。そういうこともあり、加うるに生徒さんたちに直接話しかける機会を逃したくないという気持が強く働いて、時間の許すかぎり出かけることにしています。 かくして、9/3から10/30まで、千葉県立千葉南高等学校、愛知県(豊田市立東保見小学校、野見小学校、逢妻中学校、井郷中学校)、岐阜県(恵那市立東野小学校、瑞浪市立日吉小中学校、関市立博愛小学校、岐阜市立岩野田中学校、養老町立高田中学校)、大阪市立金津小学校に寄せてもらいました。このあと11/14から12/18まで、千葉県立検見川高校、愛知県(豊田市立下山中学校・崇化館中学校・松平中学校・猿投台中学校・豊南中学校・高嶺小学校・堤小学校、知多市立東部中学校)、岐阜県(岐阜市立三輪北小学校、笠松町立笠松小学校、各務原市立桜丘中学校、大垣市立北中学校、養老町立養老小学校、中津川市立小学校2校)、大阪府(豊中市立第五中学校)とつづきます。 人権教育という枠組みだからこその招聘であるにしても、それは担当者の熱意と苦労があってのこと。こうした人びとの努力によって、わたしの講演行脚は成り立っている。あだやおろそかにしてはならないと自戒しています。(09/11/8記) |
人権擁護委員をやめる 思索と発言はやめない 危機感を強くした藤田は、部落解放運動を解体に導かないために運動の自浄が必要であるとして、あえて歯に衣着せぬ苦言を呈するという試みに出た。藤田の主張の柱は、差別・被差別関係の止揚に向けた「共同の営み」としての運動を創出することにあり、それは彼自身が、学生時代から京都を拠点に部落解放運動に参加してきた経験に根ざしていた。「同和はこわい」という意識をなくすためには、差別・被差別の「両側」が、その「立場」や「資格」へのこだわりをこえる努力をしなければならないというのである。(略)『こわい考』から22年、『「部落民」とは何か』から11年、雑誌『現代思想』の特集「部落民とは誰か」に「部落解放運動の現在─差別-被差別関係の止揚を求めて」を寄稿してから10年、季刊『現代の理論』の特集「異議申し立て─いま部落解放運動を問う」に「『同和はこわい考』の二〇年を振り返って」を寄稿して(07/4)から2年余。今後も、わたしは思索を深め、意見を公表しつづけるつもりです。わたしが「もうええやん」といいはじめたら、それはまちがいなく耄碌(もうろく)の証しです。(09/7/19記) |
ごぶさたしました。 石牟礼 私の周りの年寄りたちは子どもを褒める時に「おまえは魂の深か子じゃね」と言うんです。「勉強ができるそうだね」とは言わない。「魂が深い」というのは、その子の人格の将来をおもんばかった、とてもいいことばです。褒められた方も意味を考えますし。要は、人様を思いやることができるかどうかだと思います。そういう心根のやさしさを、どうやって身につけていくかでしょう。いい話でしょ? 方言(地方語)の大切さを指摘するところにも同感。わたしの話を聞いて、「藤田さんの方言がとても温かかった」と書いてくれた豊田市の子どもがいます。わたしは、どうしても関西弁が抜けないんです。だからかな、いわゆる共通語・標準語で展開される授業に、よそよそしさを感じてしまう。授業に方言をいかす工夫が欲しい。子どもたちが日常的に使っている生活語としての方言の復権は、わたしの年来の提案なんです。(09/6/28記) |
ありがとう! 藤田敬一さんから人権の話しを聞きましたきょうなきそうになりましたみんなちがってみんないい!! この一ことをわすれませんきょうはしゃべれなかったけど言いたかったことわ「ありがとう」こころの中でそう言っていました。藤田敬一先生ありがとうございました(涙顔のイラストあり)来年もあいましょういのちを大切にするってほんとうにすばらしいですね。(原文のまま)2/5(木)、名古屋市立常安(じょうあん)小学校3年生2クラス合同の集まりで話したときの感想文です。「ありがとう」がひときわ大きく書かれている。「今日のお話を聞いて、○○のことが心に残りました」といった教員の指導どおりに綴るものとはちがい、Mくんの真情が素直に表現されていて、こころが震えました。「ありがとう!」と感謝したいのは、わたしの方です。 わたしは人権の話をしたつもりはないんです。「いのち」の話をしたのです。しかし、教育委員会から人権教育の研究指定を受け、その一環としての企画だから「人権の話を聞いて」と題する感想文を書かせたようですが、それでは困るんです。「いのち─生き合う」が教育のベースにあって、その上で人権という考え方がじっくりと形作られていくのでないと。小学校では人権という漢字二文字を使わなくていいと思う。ところが教員の頭は硬くできているから、人権から入るわけ。教員の頭とこころを柔らかくする方法はないものかと目下思案中。 常安小学校には2年間、通いました。Mくんは「来年もあいましょう」と書いてくれたけれど、研究指定が終わったので再会できそうにありません。ここが「50分講師」のつらいところです。長年、公立中学校で国語の教師を勤めた大村はまさん(1906〜2005)のことば。 私の受け持った卒業生は、「先生のことを忘れない」と言ったこともないし、また私も忘れてほしいと思っています。私は渡し守りのような者だから、向こうの岸へ渡ったら、さっさ歩いて行ってほしいと思います。後ろを向いて「先生、先生」と泣く子は困るのです。「どうか、自分の道を、先に向かってどんどん歩いていってほしい。私はまたもとの岸にもどって、他のお客さんを乗せて出発しますから」。卒業した生徒が何か自分で言ってこない限りは、私はあとを追いません。「どうぞ新しい世界で、新しい友人を持って、新しい教師について、自分の道をどんどん開拓して行きますように」そんなふうに子どもを見送っています。(大村はま『新編 教えるということ』ちくま学芸文庫、03年・3月第8刷、70・71頁)プロの教師とはこういうものかもしれません。しかし、わたしは生徒と一緒に向こう岸に渡り、一緒に歩みたいという願望が断ち切れない。所詮はアマチュアなんですね。 ●いまひとたびの「ちょっといい話」 『関のまちのちょっといい話─よりよく生き合うために』(岐阜県関市社会人権同和教育推進委員会企画・発行、「いきいき・生き合い講座」発展研修会メンバー文。09・3)が送られてきました。文庫版14頁。挨拶文にはこうあります。 関市のまちの「ちょっといい話」は、「いきいき・生き合い講座(関市の人権講座)」発展研修会のメンバーが見聞きした出来事です。発展研修会は,講話を聞くだけの受身的な研修から、実践や行動を通して主体的に学ぼうとする人たちの会です。身の回りの「心温まる出来事」、よりよく生き合おうとしている人の姿を紹介することを通して「温かい心」「心豊かなまちづくり」について考えようとする取り組みです。関のまちの「ちょっといい話」をいっしょに受け止めてみてください。講師を引き受けて16年になりますか。2年前、「"ちょっといい話"を集めてみませんか」と呼びかけたところ、何篇か集まり、それが市民会館「わかくさプラザ」のホールに掲示され、そしてついにこのような冊子にまとめられたのです。驚くやら、うれしいやら。 わが子をベビーカーに乗せて散歩に出た。田中の道が気持ちよく、少し足を伸ばしてみると、急に雨が降り出し、嵐になった。傘をさしたが、風にあおられ骨が折れてしまった。子どもを抱きかかえ、容赦なく降りかかる雨に困り果てていると、近くの畑で仕事をしていた女性が気づき、車で来て乗せて下さった。思いがけない助け舟に胸が熱くなった。その上、「もっと早く気付いてあげればよかったね」と温かい言葉を掛けられ、涙がこぼれた。(嵐〜いたわりのある言葉かけ」) ある日、近所の保育士をしてみえる娘さんから「こんにちは」と声を掛けられた。話をするうち、障がい者であるうちの息子が元気でがんばっているか気遣いをしてくださった。若い頃は、自分のことで精一杯であろうに息子のことを覚えてくださったことは、とてもありがたく、こころ温まった。また、娘さんが優しい女性に成長されたことをうれしく思った。(「久しぶりです〜気遣う心〜」) 定期的に行われる可燃ゴミやビン・カンの収集日に必ず来てせっせと分別している女性がみえます。町内の担当役員でもないのに雨が降ったり、霜が降りた寒い朝でも黙々と分別しておられる姿に、いつも心が打たれます。今までほとんど言葉を交わしたことのない私ですが、一度話をしてみたい魅力を感じています。岐阜県瑞浪(みずなみ)市日吉町に続いての「ちょっといい話」の収集と出版。この試み、ひょっとした広がる可能性がある。そうなれば、ほんとにうれしいのだけれど。 なお関市社会人権同和推進委員会の連絡先は〒501-3802 関市若草通2丁目1番地 学習情報館内 生涯学習課(0575−23−7777)です。ちなみに前回紹介した岐阜県瑞浪市日吉町人権教育総合推進会議の連絡先は〒509−6251 瑞浪市日吉町2370−1 日吉小学校(0572−69−2009)です。こちらは、宛先を書いた角2封筒と140円切手を同封して送れば冊子を届けてくださるとのこと。 |
「ちょっといい話」を集める 病院から「息子さんの義足ができましたよ」と電話があった。出かけて受けとった義足は重かった。外へ出ると、あいにくの雨模様。困っているところに民間の宅配業者の車が止まった。「近いところですが、配達してくださいますか」とお願いすると、「ああ、いいですよ」と快く引き受けてくださいました。翌日届いた息子の義足の上には、「がんばって!」という張り紙が貼ってありました。うれしかったです。これは十数年前、新聞の投書欄で見つけたものです。こんなちょっとした日常の出来事に、人のこころは温まり、それを伝え聞く者のこころも温かくなる。こころが温まれば、他者にやさしくなれるのではないか。こころ温まる投書や記事を意識的にたくわえていけば「ちょっといい話」の実行者になれるかもしれない。そう考えて、最近では「"ちょっといい話"を集めよう!」と呼びかけています。 そんな呼びかけに応えて、「ちょっといい話」の収集に取り組んでくださっている人びとがいます。ひとつは岐阜県関市教育委員会の生涯学習課。集めた話をパネルにしてセンターのロビーに掲示している。もうひとつが、岐阜県瑞浪(みずなみ)市日吉町人権教育総合推進会議のみなさん。わたしは文科省指定「人権教育推進地域事業」のアドバイザーとして昨年6月以来4回、日吉町に寄せてもらっているのですが、さっそく実行に移し、『ちょっといい話』と題するパンフレットまで作成なさったのです(09/2)。 その日は、夜遅くまで出かける用事があり、帰りは一時をまわっていました。雨なのに傘を持っていなかった私は、交差点の信号で「早く変わらないかな」と待っていました。道路には、信号で止っているトレーラーがいて、「こんなに遅くまで働いている人は大変だな」と思いました。しばらくして信号が変わり、足早に家へと向かっていると、私の横で車のブレーキ音がします。顔をあげてみると、さっきのトレーラーらしき車で、助手席の窓が開いています。「濡れちゃうでこの傘持っていって! もういらん安い傘だから!」そう言って透明なビニール傘を差し出してくれます。正直、びっくりしました。あの交差点から、わざわざぐるっと回って見ず知らずの人のために傘を貸してくれるというのですから。本当にうれしい出来事で、少しの思いやりがこんなにも人を温かな気持ちにさせるのだと改めて思いました。ささやかな、あまりにささやかな取り組みかもしれません。「そんなことで、この国、この社会が直面している困難な課題を解決できるのか」と一蹴されそうですが、「ものは考え様」です。新聞やテレビを賑わせている政治家・企業人などを眺めていると、柳田邦男さんではないけれど、「人間が壊れていっている!」という思いを強くします。「ささやかな、あまりにささやかな」ことを馬鹿にしていると、「人間の崩壊」は止まるところ知らずということになるでしょうね。 なお瑞浪市日吉町のみなさんは、『心と心をつなぐ言葉』というパンフレットもつくっておられます。 何気なく使った言葉が「あとがき」の全文です。詩のようなこの文章には、みなさんの胸いっぱいの思いがこめられているようで、ジーンときました。(09/2/21記) |
2009年の年賀状 この一月で古稀を迎えました。体調はいたってよろしい。その証拠に、お酒がうまい。呵呵大笑。今年もこれまでどおり読書と講演と月刊誌『こぺる』の編集で過ごすことになるはずです。柳田さんと鹿野さんの文章を引用したのがミソ。「お二人とも大切なことを指摘してはるなあ」とこころにとめておいたのです。 前者は、神谷恵美子さん(1914〜79、精神科医)の「日記」1960/1/3(『神谷恵美子著作集』第10巻、みすず書房)の、「清水幾太郎『社会心理学』読了。頗る面白かった。しかし社会主義革命により「個人と集団とが一つのものになり人間の中のもやもやした願望や欲求までもみな満たされてしまうという推測はあまりにも単純すぎないか。むしろ社会問題が解決したそのあとでも、もっと純粋に人間の精神自体に内臓される問題が出て来るのではないか」を紹介する文章の一節です。清水幾太郎(1907〜88、社会学者)といっても、いまでは知らない人が多いでしょうが、当時は安保闘争の旗振り役を担っていた、いわゆる「学者・文化人」の一人でした。そんな人が描く「人間の未来」像の危うさを喝破する神谷さんの眼の確かさ。「自らの体験を出発点として思索を深める」は、論理や観念に身をまかせて宙を舞うことへの警告です。 鹿野さんの指摘もまた「体験を手放さない」ことに通じています。引用箇所の前には、「わたくしは、思想という言葉を、もう少しひろい意味に用いたいと考えています。(略)一つは、意識と思想を切りはなさず、むしろ意識を、思想発酵の素と捉えたいからです。自己を秩序に埋没させきらず、そこに芽ばえる」とあり、「秩序への違和感は…」と続きます(5頁)。大系化された思想にひるまず、自らを包み込み捉えて放さない秩序への違和感や、「これでいいのか。これからどうすればいいのか」という問いを大事にする。そこから、「わたしの思想」が形成される、とおっしゃるのですから励まされて当然。ぜひともみなさんに「おすそ分け」したくて引用しました。 いただいた年賀状のうち、いちばん若い人は大阪市立御幸森(みゆきもり)小学校5年1組のT・Rさん。「あけましておめでとうございます。げんきですか。Rがあげたペンもってる?」とあり。去年、送ってくれたペンがどう扱われているか気になるみたい。住所が書かれていないので、「大阪市生野区桃谷 御幸森小学校5年1組内 T・R様」と宛名書きし、「ちゃんと大事にしまってあるよ」と返事しました。次は、数年前、インターネットを通じて「人はなぜ人を殺すのですか。人はなぜ自殺するのですか」と質問をしてきた岐阜市内に住む、いまは高校1年生になっているはずのK・Mさん。弟さんとのツーショットがいい。そして友人の娘さんのAさん。「今年成人式です。また藤田先生にお会いしたいです」には、「こころの成人になってね」と応答。 今年の年賀状の特徴は、何といっても、わたしの健康状態を気づかい、励ましてくださるものが多かったことです。何があってもおかしくない年齢になった証かな。 年賀状に添えられた「一筆」から。 ●「ご多忙のようですが、お身体に気をつけて。ご自愛の程を」。住所も氏名も書かれていなくて応答できず。ああ残念。 ●「日本中の少年少女に元気を分けてあげて下さいね」(京都 Tさん)。京都木屋町の、秋田の料理と冷酒がうまいお店「秋田屋」の女将さんから。年に1、2回ぐらいしか立ち寄らないのですが、こうして気にかけてくださるのがありがたい。 ●「先生のおもしろい後半生を、楽しんで見させていただきます」(岐阜 Iさん)。岐阜柳ケ瀬のスナック「サフラン」のマスターから。たしかにおもろい後半生になってきました。それをかたわらから見つめてくださるというのだから、うれしいやおまへんか。 ●「いつも『こぺる』、有難うございます。こちらの方で、しっかり読ませていただいています。藤田さんの人とのつながりを見ることができ、心を打たれます。寂しい思いもされているでしょうが」(鳥取 Wさん)。ふとこころによぎる寂しさも乗り越えていくしかないのでしょうね。 ●「『こぺる』の鴨水記をいつも楽しみに読ませて頂いています。『ちょっといい話』は記憶にあり、心が温かくなりました。私も『世の中もまだまだ』と思ってもらえる人になりたいです」(岐阜 Tさん)。岐阜大教育学部の卒業生で小学校の教員をしている人から。新聞の投書や記事の「ちょっといい話」を読むだけで、こころが温かくなり、豊かな気分になる。こころって、ほんまに不思議です。 ●「御幸森小のDVD見せてもらいました。おもしろい5年生と先生の熱い語り…感動的でした」(大阪 Nさん)。「御幸森小のDVD」とは、08/7/10、5年1組でおこなった授業風景を撮ったもの。あの出会いは忘れられない。子どもたちとは今年も会えそうで、いまから楽しみにしています。 ●「昨年はとうとう同盟を退会しました。何にむかって生きているのかわかりませんが、とりあえず前をむいて生きていきます」(大阪 Nさん)。同盟とは、もちろん部落解放同盟のこと。生き方(人生への態度)はさまざまであっていい。ただ組織や集団からはなれることが、もっと広い世界への一歩につながることを念じるのみ。 ●「藤田さんが古稀とは信じられない思いです。とはいえ、私もあと十年程で停年です。何を大切に日々を過ごすか、自分の心が試されているような気がします」(三重 Hさん)。元同僚だった友人。誠実な人柄が滲み出ている「一筆」です。さて、わたしは何を大切にして日々を過ごしているか。そうだなぁ、「人との呼応の関係」かな。電話を取るとき、「はいっ! 藤田です」と元気よく答えるのは、その一例。どなたからかかってきてもこの調子なんです。もっとも、「マンション経営のお勧めです」とかいう勧誘電話にはがっかりするけれど、だからといって自分の流儀を変えるつもりはありません。アッハッハ。 ●「大切な御生涯の後半、健康に気をつけられ信念を貫く活動に一層専念されることを祈っています」(靜岡 Kさん)。学生時代、部落問題研究会でともに活動し、卒業後も賀状のやりとりだけは途絶えなかった数少ない友人の一人です。数年前、静岡県袋井市の講演会場で再会しました。Kさんは、わたしが来ることを知って出席してくれたのです。「信念を貫け」というメッセージには励まされます。 何はともあれ、わたしの2009年は順調にスタートしました。「古稀青年」として自らの信じる道を進むつもりです。(09/1/16記) |