藤田敬一(ふじた けいいち)

1939(S14)年1月10日、京都市下京区に生れる。
1958(S33)年4月京都大学文学部入学。部落問題研究会創設に参画
1960(S35)年夏、矢田部落総合実態調査に参加
1962(S37)年3月京都大学文学部史学科(東洋史学専攻)卒業
1968(S43)年3月京都大学大学院文学研究科(東洋史学専攻)博士課程修了
1969(S44)年 京都薬科大学非常勤講師
1970(S45)年 岐阜大学教育学部(史学科)講師。のち生涯教育講座教授(歴史学・人権教育担当)
1974(S49)年冬、岐阜で太平天国社の創設に参画
1984(S59)年夏、岐阜で交流会(翌年、部落問題全国交流会と改称)を開く(参加者50人)
1987(S62)年5月『同和はこわい考』出版(阿吽社)/6月「『同和はこわい考』通信」発行
2002(H14)年3月 岐阜大学退職
2005年(H17)12月 「第53回中日社会功労賞」(中日新聞社)受賞
2006年(H18)7月 岐阜市民栄誉賞(岐阜市)受賞
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現在
岐阜県人権懇話会委員
岐阜県地方改善促進審議会委員・岐阜県人権啓発連絡協議会委員
岐阜市同和行政推進協議会委員・岐阜市人権擁護推進協議会委員
人間と差別を考える月刊誌『こぺる』(こぺる刊行会発行、阿吽社発売)編集責任者
個人誌「『同和はこわい考』通信」発行(現在、休止中)。
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以上は、いってみれば履歴書風、「講師紹介」むけの型どおりのもので、味もそっけもない。そこで、岐阜県主催「人権シンポジウム」(03年7月24日、サマランカホール)むけのパンフレットに寄せた自己紹介を再録します。

 1958(昭和33)年、学生時代に部落問題(いわゆる同和問題)がこの社会に存在することを知り、木村京太郎さん(1902〜1988。当時、部落問題研究所常務理事、部 落解放同盟中央本部会計。住井すゑ『橋のない川』の主人公・畑中孝二のモデルといわれる)のアドバイスにしたがい、京都や大阪の被差別部落(いわゆる同和地区)に出かけて部落問題を学び、その後、部落解放運動に加わる。運動のなかでの経験と思索をまとめたのが『同和はこわい考』で、その波紋にいまもゆさぶられている。
 現在は、部落問題の解決のためにも豊かな人権感覚の広がりと深まり、「響き合い、重なり合う」感性、人間らしい人と人との出会いとつながりが不可欠と訴えつづけている。講演のほか、執筆と編集活動に専念し、最近では小中高の生徒たちに話をさせてもらう機会も増えた。それが楽しくてしかたがない。
 ついでに、というのも変ですが、「シンポジウムに期待するもの」と題して上掲パンフレットに書いたレジュメも再録しておきます。
 1.シンポジウムをとおして、この間の人権問題への関心の高まり、取り組みの前進をよりたしかなものにしたい。
 2.「人権」ということばから出発するのではなく、具体的なことがら(実状)から出発したい。各パネラーには、これまで直面してきた実状と改善の歩み、いまの課題を語ってもら いたい。
 3.その場合、「人権の諸課題に重い軽いはなく、優先順位をつけない」視点が大切ではないか。肝心なのは「響き合い、重なり合う」感性だと思う。
 4.人権は「よりよく生き合いたい」という願いに根ざすもの。「生き合う」力が弱っているいまだからこそ、人権ということばの空洞化と形骸化に気をつけたい。
 5.一人でできることは高が知れているが、一人だからこそできることがある。そのような「一人の私」から出発してはじめて「私たちができること」にむけて力を合わせる人び との輪がうまれる。このシンポジウムがそのきっかけになればうれしい。
ウズと(2003.9)


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