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 1993年 1号〜9号
1号(1993年4月号)
運動は人と人との関係を変えたか―対話がとぎれる現状をみつめる藤田敬一
表情というコトバ―日常のコミュニケーション池村六郎
『特殊部落一千年史』への原題復帰を求めて師岡佑行
2号(1993年5月号)
<特殊部落>という言葉の意味するもの―高橋貞樹『特殊部落一千年史』への改題をめぐって沖浦和光
<暖かくて冷たい>状況―double bind池村六郎
3号(1993年6月号)
ふたたび『特殊部落一千年史』への原題復帰を求めて師岡佑行
上品な・身振り・しぐさなど池村六郎
4号(1993年7月号)
部落解放教育の岐路住田一郎
差別落書とその反応山城弘敬
本音の中身池村六郎
5号(1993年8月号)
第三期の部落解放運動とイメージ戦略―差別反対キャンペーンの得失灘本昌久
あしたから町の子やなあ嵐 清治
カれー・ラいスの挨拶池村六郎
6号(1993年9月号)
失われた時を今畑辺初代
同和行政をどう『見直す』べきなのか熊谷 亨
『被差別部落一千年史』に関する岩波書店文庫編集部の見解平田賢一
7号(1993年10月号)
現代社会の中での同和事業崎山正毅
市民的権利と解放理論梅沢利彦
『特殊部落一千年史』復刻によせて脇田 修
8号(1993年11月号)
岐阜県水平運動史覚書二則高田嘉敬
文字が差別を助長するか柴谷篤弘
原点に帰る工藤力男
スペイン・モロッコの旅と「野生の夜に」松岡 勲
9号(1993年12月号)
『特殊部落一千年史』復刻について布川 弘
部落問題"翻訳"事情本田 豊
はだかのクイーン師岡佑行
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 1994年 10号〜21号
10号(1994年1月号)
「桶を桶といふ」こと ―高橋貞樹著『特殊部落一千年史』の改題について室伏修司
それもそれ、これもこれ梅沢利彦
マルク・シャガールと祖父中島久恵
人間性について恩智 理
11号(1994年2月号)
職場と同和研修谷 亜生
「桶を桶」は、余りにも乱暴 ともいきみかず
「部落」は「集落」か師岡佑行
いま考えていること山本由美子
12号(1994年3月号)
近代部落史研究の課題黒川みどり
みえない刃先―宗田さん「山脇東洋」を読む土方 鉄
職場と部落問題柴田則愛
13号(1994年4月号)
部落差別と私津田ヒトミ
囚われたままの秋水師岡佑行
地域における啓発活動―その現状と課題藤本俊幸
14号(1994年5月号)
文化活動からみえてくるもの中村 勉
勦るかのごとき@師岡佑行
15号(1994年6月号)
仏教と平等・差別廣澤隆之
小沢詣で師岡佑行
松本修著『全国アホ・バカ分布考』灘本昌久
16号(1994年7月号)
「特殊部落」とはなにか―近代部落史の一視点小林丈広
勦るかのごときA師岡佑行
博物館展示と歴史的呼称亀岡哲也
17号(1994年8月号)
部落解放運動新時代の可能性(上)大賀正行+藤田敬一
18号(1994年9月号)
部落解放運動新時代の可能性(下)大賀正行+藤田敬一
19号(1994年10月号)
部落解放運動に、いま問われているものは山下 力
廣澤隆之「仏教と平等・差別」への所感梅谷繁樹
20号(1994年11月号)
大学における同和教育から近藤祐昭
河合文化教育研究所編『上野千鶴子著「マザコン少年の末路」の記述をめぐって』灘本昌久
21号(1994年12月号)
「いまなお厳しい差別の実態」という見方石元清英
ある貼紙から見えたもの東谷修一
賀茂街道の秋師岡佑行
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 1995年 22号〜33号
22号(1995年1月号)
施設入所者の人権をどのようにとらえていったらよいのか―療育現場に身を置くものとして岡崎拓巳
全同教大会に参加して住田一郎
竹田青嗣・小浜逸郎『力への思想』灘本昌久
23号(1995年2月号)
奈良の部落解放運動から―奈良県連の「分裂」をめぐって吉田智弥
シェルビー・スティール著『黒い憂鬱』 野町 均
24号(1995年3月号)
筒井康隆氏の敗北柚岡正禎
あいまいな日本師岡佑行
25号(1995年4月号)
『反差別論』以後柴谷篤弘
阪神・淡路大震災師岡佑行
26号(1995年5月号)
人と人との「あいだ」―中井久夫『精神科治療の覚書』を読む恩智 理
27号(1995年6月号)
部落問題の現実についての点描八木晃介
『ある紅兵衛の告白』(上・下)灘本昌久
28号(1995年7月号)
差別的表現に関わる二つの事例から(上)高木奈保子
『争うアメリカ』野町 均
29号(1995年8月号)
差別的表現に関わる二つの事例から(下)高木奈保子
人権問題についての調査と教育の関係多田敏行
30号(1995年9月号)
古地図の復権師岡佑行
31号(1995年10月号)
「綱領改正案」の議論に先立つもの中村 勉
問題の捉え方がおかしいのではないか―「部落問題の現実についての点描」を読んでともいきみかず
32号(1995年11月号)
部落解放同盟綱領改正をめぐる論理的諸問題小森龍邦
「視界の相互性」の拡幅をめざして―ともいきみかずさんの批判にかかわっての再論八木晃介
33号(1995年12月号)
量よりも質吉田賢作
「仕事と福祉」の白昼夢土方 鉄
歴史の真実を知りたくて―師岡論文「古地図の復権」に思うすみだいくこ
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 1996年 34号〜45号
34号(1996年1月号)
人間の現実から角桶平一司
北山散所について岡 佳子
35号(1996年2月号)
自立と援助小林 茂
古地図などの公開・展示をめぐって師岡佑行
36号(1996年3月号)
「らい予防法」を越えて―病気と差別を考える池田士郎
「学力」について高田嘉敬
37号(1996年4月号)
やさしさとぬくもりのある関係をどうつくるか山下 力
「人権」概念を中心にすえた解放同盟綱領改正案の意義柴谷篤弘
38号(1996年5月号)
部落差別と共同体意識の関連について―畑中敏之著『「部落史」の終わり』と住田一郎「論稿」への感想 原口孝博
人権啓発についての疑問多田敏行
39号(1996年6月号)
現状認識の過渡的表現と歴史評価―部落解放同盟綱領改正案・覚書八木晃介
「オール・ロマンス伝説」と私前川 修
三重県立図書館で焚書―部落問題が特別扱いされる意味を問う山城弘敬
40号(1996年7月号)
瀬川丑松、テキサスへ行かず(上)―『破戒』のキーワード「隠す」と「引き受ける」について 灘本昌久
41号(1996年8月号)
瀬川丑松、テキサスへ行かず(下)―『破戒』のキーワード「隠す」と「引き受ける」について灘本昌久
正義なるものの相対性について―三重県立図書館の焚書事件から考える山城弘敬
42号(1996年9月号)
同和行政と制度疲労―京都市議会での質問から鈴木正穂
「傳通院」と「伝通院」 野町 均
43号(1996年10月号)
部落解放理論の行方 柚岡正禎
シンポジュウム「近世政治起源説をめぐって」          師岡佑行
44号(1996年11月号)
〈解放教育の終焉〉を考える 松岡 勲
率直で開かれた議論の必要性―シンポジウム「同和行政と制度疲労」の議論を聞いて 熊谷 亨
45号(1996年12月号)
進歩史観から落ちこぼれたもの―部落史研究の意味        網野善彦+藤田敬一+師岡佑行
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羽ネコ1997年〜2002年:ただいま更新中。しばらくお待ちください。

 2003年 118号〜129号
118号(2003年1月号)
部落差別の解消は可能か山本尚友
夫婦別姓論と家名への継承鎌田明彦
編集人への手紙―気になること  
119号(2003年2月号)
河原の「カメレオンパニック」巻田利高
「世間」小考吉田智弥
120号(2003年3月号)
知的障害者を援助することとは何か岡崎拓巳
老人ホームいろ模様中村大蔵
121号(2003年4月号)
差別糾弾への憧憬と幻滅―わたしの生活史との関連で八木晃介
隣保館職員になって思ったこと・したいこと原 和子
122号(2003年5月号)
「人種」概念と部落問題―国際シンポジウム「人種概念の普遍性を問う」(2002年9月19日)に参加して黒川みどり
ひとつぐらいしたい放題のことがあっても中村大蔵
123号(2003年6月号)
自立と連帯、そして自由へ―少数者であることの意味松岡 勲
答えるべきことはないのか―部落解放同盟中央本部<『別冊宝島 Real 同和利権の真相』への見解>を読んで寺園敦史
124号(2003年7月号)
感性と技術―岡ア拓巳さんの文章(3月号)を読んで高田嘉敬
「冷え物」論争への私の批判吉田智弥
「ありがとう」という言葉中村大蔵
125号(2003年8月号)
「部落史」は墓標となるか―「人権」看板の氾濫する下で畑中敏之
親・世間・国家を敵として吉田智弥
私の老後はどのタイプ中村大蔵
126号(2003年9月号)
ADHDという憂鬱中西 仁
『INTERVIEW「部落出身」―12人の今、そしてここから―』とカムアウトについて住田一郎
127号(2003年10月号)
啓発の風景野町 均
たとえ何があろうとも中村大蔵
128号(2003年11月号)
続・知的障害者を援助することとは何か―高田嘉敬さんのご指摘(7月号)に応えつつ岡崎拓巳
エロ・グロ・テロ・過労・岐路吉田智弥
吉田智弥に土方鉄
129号(2003年12月号)
『同和利権の真相』の深層角岡伸彦
障害者を援助することとはなにか石原英雄
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 2004年 130号〜141号
130号(2004年1月号)
生業として、障害者を援助することとは何をすることか―岡崎さん(11月号)に応える高田嘉敬
私の目で見た奈良県の同和教育の現状次田哲治
第21回目を迎えた部落問題全国交流会熊谷亨
私にもわからんこと、聞くな中村大蔵
131号(2004年2月号)
実感的「在日」論仲尾 宏
全国人権同和教育研究大会に見られる特措法以後住田一郎
132号(2004年3月号)
論楽社づくりは村づくり―ある実践の中間報告虫賀宗博
運動・行政を批判する資格と専門性―角岡伸彦「『同和利権の真相』の深層」に答えて寺園敦史
133号(2004年4月号)
明仁天皇論―天皇皇后夫婦の「県立劇場おきなわ」こけら落とし来場に寄せて師岡佑行
「喪主」が選んだ宗派でやればいいのです中村大蔵
134号(2004年5月号)
もうすこし、すっきりとさせたくて大沢敏郎
役割と居場所はいつになっても中村大蔵
135号(2004年6月号)
ドキュメンタリー映画『わたしの季節』を撮影しながら考えたこと小林 茂
資格と専門性は必要ない、と逃げるな角岡伸彦
136号(2004年7月号)
インタビュー:生き方を選ぶ(1)石原成子+藤田敬一
学級崩壊高田嘉敬
市民としての感覚から石原英雄
「楽しい子ども時代をありがとう」坂倉加代子
137号(2004年8月号)
インタビュー:部落問題と出会う(2)石原成子+藤田敬一
体験実習高田嘉敬
妻なるか、母なるか―「かあちゃん!」中村大蔵
岐阜県清見村への旅―子どもの情景坂倉加代子
138号(2004年9月号)
インタビュー:たじろがず個人として生きる(3)石原成子+藤田敬一
マイワーク高田嘉敬
雀百まで……中村大蔵
彼女たちの孤独坂倉加代子
139号(2004年10月号)
『身分・差別・アイデンティティ』について住田一郎
鳥追の光景野町 均
外出、喧嘩は最良のリハビリ中村大蔵
父と母、そして夫を想う―女が働くということ坂倉加代子
140号(2004年11月号)
「部落解放」運動の二面性(1)本田 豊
野中広務さんを垣間見る―著書『老兵は死なず』と講演録と『野中広務 差別と権力』(魚住昭著)から福岡ともみ
児童虐待山城弘敬
141号(2004年12月号)
「酒うんめかった、仲間いてうんめかった」―私と新潟水俣病事件旗野秀人
他人を知るということ高田嘉敬
記録は夜作られる中村大蔵
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 2005年 142号〜153号
142号(2005年1月号)
「ミー"me"」と「ミーム"meme"」のはざまで―「在日」のかさぶた夫徳柱
「老人と障害者はちがう」か?高田嘉敬
本のある風景坂倉加代子
143号(2005年2月号)
永井荷風と部落問題4―尾崎紅葉の出生と「憂悶の情」をめぐって野町 均
金賛汀著『在日、激動の百年』と『朝鮮総連』を読む仲尾 宏
「障がい」者とはだれのことか?高田嘉敬
医療と介護の「不幸な」出会い中村大蔵
144号(2005年3月号)
「私」を主張すること、伝えること福岡ともみ
「障がい」者とはだれのことか?(続)高田嘉敬
老いと向き合う坂倉加代子
145号(2005年4月号)
差別の解消をめざすあらたな試み―愛媛県東予市庄内地区をたずねて住田一郎
大沢敏郎著『生きなおす、ことば 書くことのちから―横浜寿町から』を読み返す中西 仁
紐をくわえてやって来る犬中村大蔵
146号(2005年5月号)
なぜ『同和利権の真相』は売れたのか―寺園・角岡論争を読む石川憲三
阿波根昌鴻著『命こそ宝・沖縄反戦の心』 吉田智弥
もう一つのボランティア高田嘉敬
日韓福祉民間交流は進む中村大蔵
私の庭―花、そして…坂倉加代子
147号(2005年6月号)
人権擁護法案への私的な感想八木晃介
山下力著『被差別部落のわが半生』を読む―被差別部落民である自分と向き合うこと住田一郎
痴呆を認知症と言い替えて何が変わる、何を変える中村大蔵
148号(2005年7月号)
『解放新聞』全国各紙を読む俵原丈治
歴史の逆説―「蘇北・蘇北人」の場合恩智 理
辻ミチ子著『女たちの幕末京都』を読んで―歴史叙述の魅力熊谷 亨
「問題老人」は開拓老人中村大蔵
専業主婦たちの"つぶやき"坂倉加代子
149号(2005年8月号)
福祉のしくみが変わるとき―障害者自立支援法をめぐって高田嘉敬
「人権擁護法案への私的な感想」にかかわるわたしの「弁解」 佐々木寛治
斎藤美奈子著『物は言いよう』―自らの性差別意識をチェックする坂倉加代子
介護現場は常に薄氷を踏むが如し(前編) 中村大蔵
150号(2005年9月号)
学校教育「うらおもて」史の今日的意義―佐藤秀夫著『教育の文化史』を読む四方利明
出あいなおしの訪れ 虫賀宗博
介護現場は常に薄氷を踏むが如し(後編) 中村大蔵
時間の過ごし方に学ぶ―「めだかの学校」のことなど坂倉加代子
151号(2005年10月号)
インタビュー:部落解放運動とわたし(1)―部落問題から目をそらして生きた日々山下力+藤田敬一
各位の生きざま野町均
震災なかりせば出会わなかった人々と暮らし中村大蔵
子どもを大切にするということ―スウェーデンの旅から坂倉加代子
152号(2005年11月号)
インタビュー:部落解放運動とわたし(2)―目覚めから運動へ、そしていま山下力+藤田敬一
最近読んだ本から 8 島田洋七著『佐賀のがばいばあちゃん』 坂倉加代子
プロとアマのちがいについて高田嘉敬
介護保険は入居老人の旅行を認めない?中村大蔵
153号(2005年12月号)
アジアの側から考えるとは―日高六郎さんの『戦争のなかで考えたこと ある家族の物語』を読む師岡佑行
『同和利権の真相』をめぐって高田民彦
制服と上履き中西宏次
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 2006年 154号〜165号
154号(2006年1月号)
〈尼崎だより〉人と居場所と癒し―家庭裁判所から少年補導を受託して中村大蔵
〈ひろば〉友人がアルカイダ? いざとなるとあたふたした私の人権感覚次田哲治
〈ひろば〉私の視点―遺書・軍隊・差別―安達五男
155号(2006年2月号)
〈部落問題全国交流会報告〉部落のいまを考える
―第22回部落問題全国交流会に参加して
熊谷 亨
〈最近読んだ本から〉先入観を捨てる―山本美芽著『りんごは赤じゃない―正しいプライドの育て方』坂倉加代子
〈ある光景〉自分を問いなおす重信陽子
〈横浜・寿識字学校から〉人間全体を学ぶ場大沢敏郎
156号(2006年3月号)
インタビュー:町をつくりかえる(1)地域への愛着心を育てる中村 勉+藤田敬一
〈ひろば〉いのち―生き合う(1)杉山光洋
〈ある光景〉荒れた作業所高田嘉敬
〈学校の風景から〉部活動中西宏次
157号(2006年4月号)
インタビュー:町をつくりかえる(2)町づくりの基本は子育て中村 勉+藤田敬一
〈ある光景〉私に何ができるか片岡 健
〈横浜・寿識字学校から〉未完の架け橋大沢敏郎
〈学校の風景から〉組立体操長谷川洋子
158号(2006年5月号)
〈部落のいまを考える〉ある大学入試の設問をめぐって野町 均
〈最近読んだ本から〉過去を記憶する意味―化製業の軌跡を追う―中島久恵著『モノになる動物のからだ―骨・血・筋・臓器の利用史』恩智 理
〈ある光景〉歴史を学ぶ女性たち重信陽子
〈ひろば〉いのち―生き合う2杉山光洋
160号(2006年7月号)
〈ひろば〉関係のなかで生きる「知」を―『差別とハンセン病「柊の垣根」は今も』を読む福岡ともみ
〈尼崎だより〉老人ホームで一八年―思い出すこと多し中村大蔵
〈四日市から〉DV被害者を支援する坂倉加代子
161号(2006年8月号)
〈師岡佑行さんを悼む〉梅雨の終わり―沖縄にて中村大蔵
〈師岡佑行さんを悼む〉師岡佑行さんを偲ぶ藤田敬一
〈横浜・寿識字学校から〉戦火のなかでの学び大沢敏郎
〈学校の風景から〉校長退職―鳥の目と虫の目 長谷川洋子
〈ひろば〉いのち生き合う杉山光洋
162号(2006年9月号)
「学力保障」で保障できないこと中西 仁
君、何ぞはるかなる―師岡佑行さんの最期岡田輝雄
白菜年賀状―小学校三年生たちからの便り三谷素子
163号(2006年10月号)
部落問題はなぜいまも残っているのか―角岡伸彦著『はじめての部落問題』を読んで柚岡正禎
韓国旅行記―二人だけの団体旅行高田嘉敬
プール中西宏次
164号(2006年11月号)
対談:人間と差別について考える(1) 子どもたちと向き合う鶴見俊輔+藤田敬一
三味線と猫重信陽子
165号(2006年12月号)
対談:人間と差別について考える(2) 子どもたちと向き合う鶴見俊輔+藤田敬一
遠のく被災の記憶、だが…中村大蔵
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 2007年 166号〜177号
166号(2007年1月号)
対談:人間と差別について考える(3) 子どもたちと向き合う鶴見俊輔+藤田敬一
きくこと・聞くこと・聴くこと大沢敏郎
167号(2007年2月号)
「部落解放同盟は解散すべきとき」なのか福岡ともみ
学力大合唱の時代に原田琢也
宴の作法―飲酒運転問題に思う野町均
いのち―生き合う5―死別体験者として杉山光洋
168号(2007年3月号)
「当事者」とはだれのことか高田嘉敬
暮しの中で―ボランティア・犬食・そして…重信陽子
草原の風に吹かれて―モンゴル滞在記坂倉加代子
体育館中西宏次
169号(2007年4月号)
〈尼崎だより〉人間の限りない優しさを知ったハンセン病療養所中村大蔵
〈学校の風景から〉世代交代長谷川洋子
〈横浜・寿識字学校から〉識字・〈声〉の文化大沢敏郎
〈ひろば〉いのち―生き合う(6)―エージレス・ネットワークの仲間たち杉山光洋
170号(2007年5月号)
インタビュー:部落解放運動再生への道を考える(1) 「不祥事」をどう受けとめるか山本義彦+藤田敬一
〈ひろば〉自著を語る―『ぼくたちは生きているのだ』小林茂
2006年度『こぺる』会計報告
171号(2007年6月号)
インタビュー:部落解放運動再生への道を考える(2)周囲との関係をつなぎ直すことからの再出発山本義彦+藤田敬一
精神の棺おけづくり大沢敏郎
子どもの視点に立って考える―森田ゆり著『子どもが出会う犯罪と暴力―防犯対策の幻想』坂倉加代子
172号(2007年7月号)
同和教育の具体的な検証を―子どもの自立を阻むもの中西 仁
学校の儀式―卒業式と入学式山内陽子
モノが語りかける人間の歴史―松井章著『環境考古学への招待―発掘からわかる食・トイレ・戦争』font>重信陽子
あっぱれなおんな長谷川洋子
173号(2007年8月号)
部落解放運動再生に向けて―運動にかけた夢をあきらめない佐々木寛治
裸になること大沢敏郎
生きる力と生きづらさ長谷川洋子
174号(2007年9月号)
問われているのは何なのか―次のステージへ 福岡ともみ
問うこと・問われること大沢敏郎
六ヶ月目長谷川洋子
175号(2007年10月号)
白い黒人―フィリップ・ロス『ヒューマン・ステイン』を読む 恩智 理
近隣の小さな大学に関わって中村大蔵
向こう三軒両隣のおつきあい坂倉加代子
それでも免疫療法を受けたい長谷川洋子
天皇直訴事件の報道解禁日をめぐって 野町 均
176号(2007年11月号)
〈対談::部落問題、そして『神聖喜劇』(1)〉大西巨人+藤田敬一
ホスピスでボランティアをする坂倉加代子
夏の終わりに長谷川洋子
177号(2007年12月号)
〈対談::部落問題、そして『神聖喜劇』(2)〉人間と差別について考える大西巨人+藤田敬一
部落解放運動に居場所はあるか山下 力
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 2008年 178号〜189号
178号(2008年1月号)
同和教育の成果をなぜ活かさないのか―京都市「学習施設事業」の廃止をめぐって 北村 淳
幼・少年期の記憶について大沢敏郎
"おしゃべり"について考える坂倉加代子
屠畜への眼差しから見えてくるもの―内澤旬子『世界屠畜紀行』小澤 覚
〈いのちを生きる〉東京一夜長谷川洋子
179号(2008年2月号)
自著を語る―『笑顔を取り戻した女たち マイノリティー女性たちのDV被害―在日外国人・部落・障害―』福岡ともみ
沖縄のチムグクルに触れる中村大蔵
詮方なし―行間を読む重松陽子
〈いのちを生きる〉自由のたてがみ長谷川洋子
180号(2008年3月号)
〈「部落解放運動への提言」を読む(1)〉危機のありかを見つめ、私にできることは何かを考える佐々木寛治
問われているのは誰か―北村淳さんの意見を読んで 高田嘉敬
郷隼人のこと 大沢敏郎
〈いのちを生きる〉職場に復帰!長谷川洋子
181号(2008年4月号)
〈「部落解放運動への提言」を読む(2)〉部落解放運動は再生できるか次田哲治
〈尼崎だより〉通夜、葬儀が教えたもの 中村大蔵
〈自分史のこころみ〉わたしと部落問題 阪本 清
〈いのち―生き合う 続〉ぬくもり―『プチ紳士からの手紙』のこと杉山光洋
〈いのちを生きる〉一年ぶりの学校長谷川洋子
182号(2008年5月号)
〈「部落解放運動への提言」を読む(3)〉「提言」は実状を踏まえているか山下力+藤田敬一
〈差別・被差別―混沌の泉〉井戸を掘る 山口公博
〈いのちを生きる〉泣いたらあかん!長谷川洋子
183号(2008年6月号)
〈「部落解放運動への提言」を読む(3)下〉古い衣装を脱ぎ捨てて、新しい舞台へ山下力+藤田敬一
〈自分史のこころみ〉 京都・学習施設とわたし―「主体性」と「責任」のはざまで 中西 仁
〈いのちを生きる〉桜再会長谷川洋子
184号(2008年7月号)
〈自分史のこころみ〉当事者への想像力―私の運動の原点を振り返る藤崎 昇
〈尼崎だより〉老人ホームへの手紙から中村大蔵
〈四日市から〉灰谷健次郎先生を偲ぶ坂倉加代子
〈いのちを生きる〉花冠長谷川洋子
185号(2008年8月号)
〈ひろば〉沖縄へ―「ルーツを探る旅」をつづけて沼尾 実
〈横浜・寿識字学校から〉石川一雄さんのこと大沢敏郎
186号(2008年9月号)
〈部落のいまを考える〉「人権のプロ」の虚像と実像福岡ともみ
〈差別・被差別―混沌の泉〉一枚の記念写真山口公博
〈ある光景〉差異へのまなざし重信陽子
〈いのちを生きる〉めぐりあえた日本の映画長谷川洋子
187号(2008年10月号)
〈対談:日本の近現代思想と人権(1)〉「人間と差別」をめぐる体験と思索から鹿野政直+藤田敬一
〈ひろば〉特別支援教育について考える原田琢也
〈いのちを生きる〉うれしい知らせ長谷川洋子
188号(2008年11月号)
〈対談:日本の近現代思想と人権(2)〉人間の佇まいから考える鹿野政直+藤田敬一
〈読書余話〉学歴と軍隊野町均
〈いのちを生きる〉風前の灯火であろうとも長谷川洋子
189号(2008年12月号)
〈尼崎だより〉介護施設の今―仮題は山積みだが、しかし…中村大蔵
〈差別・被差別―混沌の泉〉注連縄 山口公博
〈最近読んだ本から〉本を読むとはどういうことか―渡辺有里子著『図書館への道―ビルマ難民キャンプでの1095日』 坂倉加代子
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 2009年 190号〜201号
190号(2009年1月号)
裁判員制の狙いは何か梅沢利彦
市民自治への道―福井県丹南地域の取り組みに学ぶ香川明英
「ひろしま」への旅長谷川洋子
191号(2009年2月号)
世の中には男と女しかいないのか?田中良
生活支援の仕事にかかわって思うこと吉田朱美
めざせ、一キロ六分半長谷川洋子
192号(2009年3月号)
〈大沢敏郎さんを受け継ぐ(1)〉続く道吉田浩司
〈大沢敏郎さんを受け継ぐ(2)〉一本の道を歩む石川千幸
〈大沢敏郎さんを受け継ぐ(3)〉識字学校との出会い竹村早織
193号(2009年4月号)
紋切り型の「在日論」を乗り越えるために―小熊英二・姜尚中『在日一世の記憶』高田嘉敬
お気楽な「放談」に終始する理由が知りたい―組坂繁之・高山文彦『討論 部落問題』を読む佐々木寛治/font>
あきらめないぞ!長谷川洋子
194号(2009年5月号)
介護施設の今(続)―生活のバリエーションを豊かに中村大蔵
「親密な関係」にひそむもの福岡ともみ
いのちをかこむ坂倉加代子
三度は負けない!長谷川洋子
195号(2009年6月号)
部落解放運動と情報公開稲野明英
溝を埋め、壁を超えるためには―部落解放同盟「行動指針」を読む山下力
見えないものを大切にする 坂倉加代子坂倉加代子
「小さなゲバラ」を探す長谷川洋子
196号(2009年7月号)
ケニアのストリートチルドレンと過ごした日々―『チョコラ!』を語る小林茂
躍動する女性たち坂倉加代子
『チョコラ!』を観る長谷川洋子
197号(2009年8月号)
父親との対話―バラク・オバマ『マイ・ドリーム』を読む恩智 理
この国には性暴力禁止法が必要だ―京都教育大学生による性暴力事件を糾す福岡ともみ
乾杯の夜長谷川洋子
198号(2009年9月号)
自由民権運動と町田―横浜開港百五十年に寄せて工藤力男
犬や猫がケアの質を高める中村大蔵
ひとつの時代の終わり長谷川洋子
199号(2009年10月号)
子どもの虐待をめぐる危うい言説石元清英
子どもと向き合う坂倉加代子
ロスコの言葉長谷川洋子
200号(2009年11月号)
父を靖国神社から早く取り戻したい―合祀取消訴訟原告のひとりとして松岡 勲
こころが縛られるということ福岡ともみ
さあ、再挑戦だ!長谷川洋子
201号(2009年12月号)
この国で生きて七十一年東原清子+藤田敬一
いのちいっぱい学びたい―夜間中学生の「学びの力」吉岡千代美
「在日」から見えてくるもの(1)―民族との出会い金 光 敏
職員室に大声が響く長谷川洋子
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 2010年 202号〜213号
202号(2010年1月号)
人は人にかかわって、はじめて人となる中村大蔵
「朝鮮」を受け入れる―「在日」から見えてくるもの(2)金 光 敏
あらためて「屠場差別」について考える―佐川光晴『牛を屠る』小澤 覚
うれしい出会い長谷川洋子
203号(2010年2月号)
地域で共に生きる―障害者政策の新しい動き大谷 強
個性的な自分史として―ホーキング青山『差別をしよう!』 高田嘉敬
通夜の席で 長谷川洋子
204号(2010年3月号)
「ごちゃまぜ」の生き方―一歩前へ坂倉加代子
性犯罪と裁判員裁判―傍聴して考えたこと福岡ともみ
自己を見つめ、歴史につながる―「在日」から見えてくるもの金光敏
人びとが幸せになれるお金の使い道とは長谷川洋子
205号(2010年4月号)
アメリカにおける「両側から超える」試み―ウィリアム・J・ウィルソン『アメリカのアンダークラス』への遅れた訳者解説平川 茂
「生身といのち」を実感してほしい長谷川洋子
206号(2010年5月号)
無限に広がる世界―点字大山口博子
自分のいまを見つめる町田宏美
三年ぶりの卒業式長谷川洋子
207号(2010年6月号)
韓国「併合」100周年と現代日本社会―「脱植民地化」論雑感井口和起
マイノリティであることを考える―李清美『私はマイノリティ あなたは?』金光敏
208号(2010年7月号)
人に関わるということ中村大蔵
学生時代と今をつなぐ「ひとすじの道」坂倉加代子
人間について深く感じ、広く考える日々長谷川洋子
209号(2010年8月号)
「差別・被差別関係」論へ―「両側から超える」構想の意義平川 茂
私は部落差別をどうとらえてきたか 福岡ともみ
自己申告票という怪物長谷川洋子
210号(2010年9月号)
「ADHDという憂鬱」―その後中西 仁
就職希望の学生に伝えたいこと早川万年
学校の悲鳴長谷川洋子
211号(2010年10月号)
生き方を学んできた―尼崎・ボランティアグループ「園」の22年尼崎・ボランティアグループ「園」+藤田敬一
212号(2010年11月号)
『同和はこわい考』が提起し続けているものは―無視と断罪を越えて住田一郎
なぜ本を読むのか角谷昌紀
夏の旅長谷川洋子
213号(2010年12月号)
「土地差別調査事件」と部落解放運動の課題佐々木寛治
私が「在日」であることの意味金光敏
「大阪砂漠」を思う長谷川洋子
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 2011年 214号〜225号
214号(2011年1月号)
なぜ学生たちは部落に対してマイナスイメージをもってしまうのか石元清英
ある無縁墓のこと―島根の聞き取り調査から森昌義
冬の到来坂倉加代子
215号(2011年2月号)
無言館感傷紀行工藤力男
いま本を読むということ影山秀和
Kへの手紙森永都子
216号(2011年3月号)
ゆったり生きる―自閉症の彼と出会って 田井外志雄
問い問われながら生きる関係福岡ともみ
「自分にできることをする」ということ長谷川洋子
217号(2011年4月号)
少しであっても、可能性にかけてみよう―非行少年補導委託の現場から中村大蔵
同和教育の新しいあり方の提示―石元論文が提起するもの―平川 茂
わたしの村と「無縁社会」井貝順子
がん告知について思う長谷川洋子
218号(2011年5月号)
共に生きる―子どもたちの成長を信じて 長縄良樹
夜間中学は本当に事業仕分けの対象にしていいのか次田哲治
五年目の春長谷川洋子
219号(2011年6月号)
子どもたちが教えてくれた大切なこと―"言葉にできない"野元里佐子
東日本大震災の現場へ中村大蔵
東日本大震災に思う長谷川洋子
220号(2011年7月号)
アメリカにおける「両側から超える」試み(続)―M.O.エマーソンとG.ヤンシーの「相互責任アプローチ」論について平川 茂
企業内同和研修の担当者として考えたこと井村 絋
四月の東京長谷川洋子
221号(2011年8月号)
映画作りと私の人生小林 茂
福島第一原発事故に思う阪本 清
広島の午後長谷川洋子
222号(2011年9月号)
仕事としての出会いから考えたこと谷 亜生
被災地で起こっている高齢者の"深層死"中村大蔵
職業への眼差しについて考える小澤 覚
223号(2011年10月号)
生きのびる記憶虫賀宗博
震災復興とは新たな暮らしを創造すること中村大蔵
メダカの夏長谷川洋子
224号(2011年11月号)
『坊つちやん』の喧嘩―旧制中学校と師範学校の対立を考える野町 均
東日本大震災と向き合う女性たち坂倉加代子
葬られた金網長谷川洋子
225号(2011年12月号)
イメージが変われば意識が変わる山田晏弘
遥かなるアイヌの響き―"けせんぬま"に惹かれて中村大蔵
ナディアからの贈り物長谷川洋子
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 2012年 226号〜
226号(2012年1月号)
人民・部落・革命、そして……福岡ともみ
高知で村木厚子さんの講演を聴く坂倉加代子
「変な感じの集まり」に参加する長谷川洋子
227号(2012年2月号)
「部落・在日・障害者」問題との三十七年高田嘉敬
人が生きていく上で大切なことを体感させる中村大蔵
Nとの「再会」長谷川洋子
228号(2012年3月号)
父との葛藤を通して考えてきたこと 住田一郎
昭和歌謡に誘われて坂倉加代子
原発をどう教えるか長谷川洋子
229号(2012年4月号)
同和地区を知ろうとすることはすべて差別ですか ―東近江市の事案をとおして考える石垣敏昭
次への旅たちをみんなして見送るまでがターミナルケア中村大蔵
学校の風景―ある異動希望長谷川洋子
230号(2012年5月号)
『こぺる』終刊に寄せて 1 誌名「こぺる」誕生秘話山本尚友
『こぺる』終刊に寄せて 2 自由にものが言える孤高の小冊子小澤 覚
定点支援・継続支援・永続友好を目指す中村大蔵
介護の常識をくずす―「かいご学会」に参加して 坂倉加代子

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