* 読書の周辺 *

絵・S

 福沢諭吉は明治元年(1868)、山口良蔵あての書簡で、「最早武家奉公も沢山 に御座候。此後は双刀を投棄し、読書渡世の一小市民と相成候積」と書いた(『福沢 諭吉選集』13巻46頁、岩波書店、81/11)。これをもじっていえば、わたしは財布面では「無職渡世の年金生活者」であり、生活面では「読書・講演・ミニコミ発行渡世の一小市民」です。なかでも読書は生活の基軸といってよろしい。お酒が趣味でないのと同様、読書は趣味ではありえない。なぜならお酒も読書もいのちのもとだからです。アッハハ。

 ところで読書には、どうも二つの型があるようです。一つは、ひいきの店にカンバンまで居座る型。もう一つは、次から次へと店を渡り歩くハシゴ型。わたしの場合、前者は、たとえば阿部謹也、網野善彦、長田弘、鶴見俊輔、藤田省三、横井清など。後者は、最近の例でいえば、荒畑寒村『谷中村滅亡史』(岩波文庫、99/5)から布川清司『田中正造』(清水書院、95/5)へ、それから林竹二『田中正造-その生と戦いの「根本義」』(田畑書店、77/10)へ、さらに『新約聖書』(マルコによる福音書・マタイによる福音書・ルカ文書。岩波書店、95/6、95/10)へというぐあい。どちらの型にもおもむきがあって、優劣をつけるわけにはまいりません。

 いずれにしても退職後の読書は当分のあいだ濫読にならざるをえないと思ってます。若いころに読めなかったもの、読みたくなかったものが読めるようになる。そうして次第に落ち着くところに落ち着くでしょう。時間はあまりなさそうだけれど、あせることはない。このコーナーでは、そんなわたしの読書の周辺を書いていきます。(03/6記)



INDEX
08 多田富雄『懐かしい日々の想い』(朝日新聞社、02/8)
07 網野善彦/横井清『日本の中世6 都市と職能民の活動』(中央公論新社、03/2)
06 V・E・フランクル(山田邦男監訳)『意味による癒し─ロゴセラピー入門』(春秋社、04/2)
05 櫛谷宗則編『澤木興道─生きる力としてのZen』(大法輪閣、03/11)
04 中島義道『ぐれる!』(新潮新書、03/8、6刷)
03 田中孝彦『生き方を問う子どもたち─教育改革の原点へ』(岩波書店、03/5、1刷)
02 溝口敦『食肉の帝王─巨富をつかんだ男 浅田満』(講談社、03/5、第1刷)
01 佐高信『逆白波のひと・土門拳の生涯』(小学館、03/7)



多田富雄『懐かしい日々の想い』(朝日新聞社、02/8)
 著者(1934−)は著名な免疫学者。01年5月、旅先の金沢で脳梗塞に倒れ、意識が戻ったあとリハビリに励み、やっと左手でワープロのキーをたたいて書いたあとがき「『懐かしい日々の想い』によせて(跋にかえて)」からは「生きていること」「生きること」への切実な思いが伝わってくる。「私は歩けるようになって、何ものかが自分の中に生まれつつあることに気付いた。まだ言葉はまったくしゃべれない。食べるのも命懸けだ。歩けるといっても、一足一足薄氷を踏む思いだ。つまずいて時々転びそうになる。転んで骨折したら最後だ。私はまだきわめて脆い存在にすぎない。だが、何ものかが確実に生まれはじめている。それは、生きるという意志らしい。何時の間にか私の中に、生が形となって生まれていたのだ。それはようやく死の願望を凌駕し、雪のなかに芽生え、弱々しいながら育とうとしていた。/私の中に生まれたもの、それは確実な生の感覚だった。生きるのは実際には、それほど確実なことではない。それでも生きる意志は確実なのだ。どうなるかわからないが、それでもいとおしんで生きる。」(295頁)鶴見和子との往復書簡『邂逅』(藤原書店、03/11、6刷)巻頭に収録されている「鈍重なる巨人(抄)」は発表当時(「文藝春秋」02/1)大きな反響を呼んだという。柳澤桂子との往復書簡『露の身ながら』(集英社、04/4)ともども、騒がしい世の中から一歩も二歩も身を離して「生」を見つめる視線と視野を示唆してくれる。多田の作品を知ったのは、たまたま寺島書店の棚に『独酌余滴』(朝日新聞社、99/10)を見つけ、書名から酒にまつわるエッセーだろうと勘違いして買い求めたのがきっかけ。こういう勘違いもまた愉快。(04/5/22記)


網野善彦/横井清『日本の中世6 都市と職能民の活動』(中央公論新社、03/2)
 網野さんが亡くなられて多くの人が追悼文を新聞に寄せ、書店では諸作品がならべられている。しかし網野さんの日本中世史像を振り返り、検証する作業はむしろこれからの 課題となるはずだ。門外漢のわたしは、その成果を期して待つだけだ。さて、網野さんは本書冒頭で「古代が都市及びその小領域から出発したのに対して、中世は農村から出 発した」という唯物論研究会訳『ドイツ・イデオロギー』の一節を掲げ、「このテーゼは、敗戦後の日本中世史研究に、決定的な影響を与えた」といい、そこから日本封建制研究の総括に向かう。石母田正批判の激しさもさることながら、自らを問い学問を問う気迫が読む者に伝わってくる。そして清水三男(1909-47)論。「清水氏の学風は(略)京都帝国大学の三浦周行氏に源流を持っている。それは民俗学の方法もとり入れた文化史学を主唱するとともに『国民精神』の昂揚にも力を注いだ西田直二郎氏、荘園の研究を通して、南北朝動乱期を境に神から人へ、米から銭へ─現物経済から貨幣経済への転換があったとし、『悪党』を『荘民の味方』とした熱烈な南朝中心論者中村直勝氏にうけつがれていくが、『転向』後の清水氏はまちがいなくこの潮流の正統な継承者の一人であったといってよい。(略)そして実際、敗戦後、文化史・芸能史研究の伝統は林屋辰三郎氏によって見事に継承され、京都大学の枠をこえ、本書の共同執筆者横井清氏をはじめ、中世京都の都市生活の研究を中心に多くの研究者たちによって、豊かな実りを結びつづけていることはいうまでもない。とくに特筆すべきは被差別部落形成史の本格的な研究の基礎がしっかりと固められた点で、これは本巻のテーマの一つである職能民の問題とも深く関わるこの潮流の開いた重要な分野であった。」(p.24〜25)このようなまとめ方、とくに「部落」史研究の総括が当たっているのかどうか、わたしにはわからない。共著者の横井清さんにお尋ねしたいところだ。その横井さんのいつもながらの柔らかくて軽やかな筆致には感嘆させられる。随所に『徒然草』が引用され、「都と鄙(ひな)」をめぐる箇所では、ある人物が浮かんできて思わずニヤリとしてしまった。またぞろ『徒然草』を書棚から取り出したくなった。(04/4/21記)


V・E・フランクル(山田邦男監訳)『意味による癒し─ロゴセラピー入門』(春秋社、04/2)
 本書第1章「意味による癒し」は『意味への意志』(春秋社、02/7)と一冊のものだったという。そして「ロゴセラピー入門」と副題にあるように精神療法の解説でもある。「結局のところ、人間は自分の人生の意味が何であるかと問うべきではなく、むしろ、問われているのは自分であるということを認識しなければなりません。一言でいえば、各々の人間が人生から問われているのです。そして各人は、自分自身の人生に対して責任を担うこと(answering for)によってのみ人生に答える(answer)ことができるのです。各人はただ人生に対して責 任を担う(リスポンシブル)ことによってのみ人生に応答する(リスポンド)ことができるのです。」(p.22-23)人生に対して責任を担うとは、意志、選択の問題だということだ。そこにフラ ンクルの思想、哲学の根幹がある。「確かに、人間は有限な存在であり、従ってその自由も制限されています。人間の自由は、さまざまな条件からの自由ではなく、それらの条件に 対して何らかの態度を取る自由なのです。例えば、私の髪が灰色であるという事実に対しては、確かに私には責任がありません。けれども、おそらく多くの婦人たちがしているように、 美容院に行って髪を染めてもらわなかったという事実に対しては私は責任があります。このように、たとえ髪の色の選択というようなことにすぎないとしても、どんな人間にもある程度 の自由が残されているのです。」といい(p.52-53)、「人間は、たとえそれがどのような条件であろうとも、その条件に対して何らかの態度を取ることができる能力を有しているということ を無視する人間観」を汎決定論と呼んで批判してやまない(p.54)。教育界でよく使われる「自己実現」論に対する批判(p.25)も参考になる。(04/4/21記)


櫛谷宗則編『澤木興道─生きる力としてのZen』(大法輪閣、03/11)
 学生時代に一度だけ京都安泰寺の接心で澤木興道さん(1880-1965)にお会いしたことがあり、20年たってその著作に親しむようになった。本書は孫弟子にあたる櫛谷さんによって編まれたもの。「今日の既成宗教というものは有難いことを言葉で唱えておるものである。覚えたことで役に立たぬことにしてしまう。ソラで覚えソラで知っておるけれども自分のものではない。」「聞法(もんぽう)ということはポンプの迎え水じゃ。凡夫という接続の悪いポンプに入れてグシャンクスンとやると具合がよくなって、その迎え水はみな出てしまうが井戸の底から水が出てくる。それは師匠の水やら仏の水ではない、自分の井戸の底から出てくる。」(いずれもp.10)「仏さまの教えとは結局、自分をどう片づけるかということである。ところが衲(わし)は修行すれば、自分というものが思い通りに何とかなるものと思って、一生懸命にできるだけの型の通り修行してきたのであるが、やはり自分だけは何ともならん、やはり自分というものだけは始末がつかん。」(p.70)じかに話を聞いているような気持になる。「自分というものだけは始末がつかん」というのがいい。(04/4/21記)


中島義道『ぐれる!』(新潮新書、03/8、6刷)
 先日(10/14)、四日市市社会教育委員の会議で「不登校」問題を話し合っていたと き、ある委員がこの本を紹介しつつ、「不登校は“ぐれる”姿だ」と発言したことを 耳にして読む気になった。しかし、著者は「世間一般の価値座標を自分固有の価値座 標へと座標変換すること」(137頁)をやや過激に、そして皮肉をこめて、つまり反語 としてごくまともなことを語っているにすぎない。しかし反語は理解されにくい。少 なくともくだんの委員には著者の意図は伝わらなかったようだ。「東大院修了、ウ イーン大修了、哲学博士、電気通信大教授、カント研究者、著書多数」の著者が「ぐ れてる」わけがない。「人の何倍も懸命に働きつづけ、手に入れようと願ったもの は一通り手に入れた」(186頁)人がいうことをとりちがえてはならない。「葬式に も結婚式にも、教授会にも入学式にも卒業式にも、定年教官を送るパーティーにも、 あらゆる授賞式にも出版記念パーティにも、ほとんどの学会にも出席しない」(136 頁)からといって、「ぐれる」「下りる」を売り物にすることはないと、わたしなん かは思うけれど。しかしまあ、それも人それぞれの趣味の問題ということだ。(03/11/3記)


田中孝彦『生き方を問う子どもたち─教育改革の原点へ』(岩波書店、03/5、1刷)
 書名にまず惹かれた。小学生から中高校生に話をし、その感想文を読むと、「人間 が生きるということはどういうことか、平等な人間として生きるとはどういうことかといった根本問題を、多くの子どもが考えている」(17頁)という著者の意見に賛同する。「『人は何のために生きるのか』というような哲学的問題を話し合う場とか人が、大人にも友だちにもいなくて……。(略)親も先生も、ぼくたちが言うことにちゃんと耳を傾けずに、命令だけする。(略)みんな少しは生きる意味というものを考えてほしい。(略)でも、社会一般の常識の範囲というのが、もうぼくらの声に耳を傾けなくなって、言ってもむだだという限界みたいなものを感じるのです」(23〜24頁)。14歳の少年の意見である。「べつに」「うるせー」。表現力の問題があるにせよ、そこには深いあきらめ、絶望があるように思えてならない。ところが田中は、この子どもたちの問いを根源的と評しながら、どこかで「確かな回答」があるかのよ うに述べる。つまり、田中自身が問いを共有していないと、わたしは感じる。「ある べき生き方」が前提にされている匂いがしてならいないのだ。田中が提唱する臨床教 育学がどういうものであろうと、人間存在の根源的な問いにみずから立ち向かう気概 がなければ、それは屋上屋を架すむなしい努力に終わるしかないだろう。(03/11/2記)


溝口敦『食肉の帝王─巨富をつかんだ男 浅田満』(講談社、03/5、第1刷)
 溝口敦『食肉の帝王─巨富をつかんだ男 浅田満』(講談社、03/5、第1刷)を読み終える。
 3月に「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」を、9月に第25回講談社ノンフィクション賞をうけた作品。『週刊現代』連載中から話題になっていた。「今なお解放同盟や同和問題に対するタブー視は続いている。こうした流れの中で、解放同盟のありようを歯に衣着せず批判できたのは全解連=共産党=機関紙『赤旗』だけという現実があった。解放同盟系や、中立を装う文献、資料はあっても真っ正面から解放同盟に批判を加えた文献は全解連のもの以外、ほとんど見るべきものがない。」(30頁)だから本書がやってやろうというのだろう。しかし描かれるのは浅田満という人物の「成り上がり」物語である。それがこれでもかといわんばかりに書かれているので、追うだけで疲れてしまった。レポートされている事柄が事実として、それがどうして実現できたのかという肝心のところがよく伝わってこない。
 たしかに「あとがき」で「浅田と彼の富が漂わせるある種のいかがわしさの半分は彼のせいではない。部落解放同盟に籍を置く者たちは何をやっても自由、払うべきものを払わなくても自由という『聖域』を許した官僚エリートの臆病と事なかれ主義、バラ撒き行政が浅田にど外れた富を許し、同時にその富を汚したのだ。(略)官僚の無責任と無自覚、無気力はここに極まっている。彼らは国民の血税を預かっている自覚を持たない。さらにいえば『エセ同和』や『社会運動標榜団体』の原型が部落解放同盟による『糾弾』にあったことは明らかだろう。」(229-230頁)とあるけれど、あまりにも大雑把すぎはしないか。背景として随所にちりばめられるのは「部落問題と暴力団」との関連だが、問題はその底にある「こわい」という意識なのだ。そこのところの分析と叙述が平板で表面的。だから「タブー視はまだ完全には打ち破られてはいない。差別を許してはならないし、同時にタブーを復活させてはならない。差別や逆差別を解消し、一般社会の中に完全に同化しなければならない作業はこれからも続いていく。」(241頁)という結論も取って付けたような印象を与える。それはともかく、部落問題の解決のための取り組みのなかで生じたある種の放恣、放埓の原因を「官僚の無責任と無自覚、無気力」にのみ求めるかぎり、これからも本書がレポートするような事態は引き続き起こるにちがいない。なぜなら根はもっと深いところにあるのだから。(03/10/10記)


佐高信『逆白波のひと・土門拳の生涯』(小学館、03/7)
 「朝日」書評欄の嵐山光三郎による紹介で知り(03/7/27)、二日後、寺島書店の新刊コーナーの棚で見つけて買い求めた。
 「人生の最大の不思議は、出会いだと思う。(略)出会いの相手が人であれ本や絵や映画であれ、自分も相手もそれぞれに独自の背景があって人生を歩んでいたり創作されたりしたものなのに、まるで危機や転機に直面した自分のために用意されていたかのように、絶好のタイミングで目の前に現われるのだ。これを不思議と言わないで、何と言おうか。/そういう出会いの私自身の大事なものの中に、土門拳氏が一九六〇年の春先に出した『筑豊のこどもたち』がある。私は大学生活を終え、NHKの記者としてジャーナリストの道を歩もうとしていた。六〇年安保の年であり、エネルギー政策転換を背景にした三池炭鉱大争議の年だった。まさに政治の季節だったのだが、私はそういう騒乱の時代だからこそ、既成の観念的な政治論にとらわれずに、自分の目で社会と人間の実像を見つめ、自分なりの世界観を持たなければと考えていた。そのために記者の道を選んだのだった。折しも書店の店頭に平積みになっていた『筑豊のこどもたち』が目にとびこんできたのだ。/(略)その日から、私は『筑豊のこどもたち』を常に私の机の上に置き、出勤する時も帰ってからも、必ず視野の中にあるようにした。それは、ジャーナリストとして持つべき視点―高座からの『論』ではなく、生身の人間、弱い立場の人間と同じ目の高さで見つめ、その側に寄り添う視点の具体的なあり方を、私の網膜に、脳みそに、強烈に焼きつけるためだった。/あれから四十年以上経つが、『筑豊のこどもたち』は、今も私の意識の熱いマグマ溜まりとなっている」と柳田邦夫は書いている(「時代を超えたメッセージ」、『土門拳・腕白小僧がいた』201、201頁。小学館、02/9所収)。わたしぐらいの世代にほぼ共通する「土門拳体験」といえるだろう。
 当時、わたしは大学2年生、矢田部落総合実態調査の準備がすすめられていたころ で、『筑豊のこどもたち』には衝撃をうけた。ただ、わたしの場合、それは京都や大阪の被差別部落での衝撃とダブっていたように思う。しかし、柳田ほどではないにしても、『筑豊のこどもたち』『るみえちゃんのお父さんが死んだ』の二冊は、ずっと身近にあって、わたしの視座、視点を検証しつづけてきたことにちがいはない。
 本書には、佐高信による評伝が入っていて、こんなことが書かれている。「弁当を持ってこられない子どもが絵本を見ている姿などを写したこの写真集に、ただ土門拳の娘真魚(まお。土門拳の長女。現土門拳記念館館長)だけは「おかしい」と思った。/子どもはもっとたくましく、エゴイストのはずなのに、みな哀れっぽく、かわいそうに映っているではないか。/それは作者、つまり土門拳が対象を冷たく突き放して見ることができなかったからだ、と娘は断じる。/そうかもしれない。そこにまた、土門拳の真骨頂があった。『歌うな』と歌う心情である。」(75、76頁)。紹介されているかぎりでは真魚さんの意見はつまらない。「子どもはもっとたくましく、エゴイストのはず」というのは、真魚さんの体験、経験であっても、それをもって子ども一般に押しつけるわけにはいかない。「たくましく、エゴイストのはずの」子どもが、あの情況でどのように振る舞ったらお気に召すのだろうか。そんなことをたずねたくなった。