●2005.7.31(日) 福岡県久留米市の教員グループの「県外学習会」で話すため滋賀県長浜市へ。正午、長浜着。どこかいい店はないかなと探していたら、なんとも古びた食堂の暖簾「中島屋」が目にとまる。テーブルはじめなにもかも時代もの。お寿司がついた「天ぷらうどん定食」750円を注文する。出しなに勘定場に座っているおばあさんに気づき、思わず話しかける。「何年のお生まれで」「へぇ、明治43年です」「ほんなら95歳ですか」「へぇ、そうです」「お元気ですなあ。この店はいつから」「明治からです」「お元気で!」。☆駅前から歩いて10分足らずで「国民宿舎豊公荘」。玄関を入ると、東京の友人Nさん、Tさんがいる。やあやあと挨拶。二人とも福岡県出身で、東西の中間地点ということで長浜での研修となったらしい。「HP、見ていますよ」と声をかけてくださる人あり。例によって『こぺる』を配って購読をお願いする。購読料期限切れで郵送を止めていたNさんとTさんから購読料をいただく。久留米でもとってくださる気配が濃厚。うれしいなあ。☆研修の基本テーマは「どうして、今なお部落差別があるのか。どうしたら解放できるのか」と理解した。この大きなテーマの輪郭が明らかになるまででも少なくとも三日間の討論が、それも学際的な、たとえば『シンポジュウム 差別の精神史序説』(三省堂選書、77/8)のようなレベルでなされる必要がある。もちろん主催者はそれを承知で、とりあえずわたしに問題提起を依頼してきたのだろう。わたしのとりえは、開始時間に遅れないことと終了時間を厳守すること。「部落問題とわたし」と題し、問題の所在を簡潔に、ぴったし1時間で話し終える。あとは入浴と夕食、そして部屋に帰っての懇親会。 |
●2005.7.29(金) 「人権擁護委員同和問題講習会」で津法務局へ。昨年につづいての講師。早朝、車でJR岐阜駅に向かう。時間調整のためいつもの喫茶店でモーニング。横でペチャクチャ携帯で話す人あり。名古屋から近鉄急行。車中の読書は、海老坂 武『サルトル─「人間」の思想の可能性』(岩波新書、05/5)。熱心なサルトル読者ではなかったから、論じられていることの半分も頭に入らない。サルトルの作品でくりかえし読んだのは『ユダヤ人』(岩波新書、59/8、8刷)ぐらい。でも、なんとか読み終えようとがんばってみるものの眠ってしまった。☆参加者は二十数名。表情がいくぶん硬い。無理もないなと同情する。「足を踏んでいる者に、踏まれている者の痛みがわかるか」と、いまだに言い募る人がいるのだから。そんなことをいわれても、なおしなやかな心でおれるわけがない。委員の心の硬さをほぐすことからはじめるしかないと思い直して1時間半話す。終わりごろには、ちょっと笑顔も見られてホッ。 |
●2005.7.28(木) 朝9時から岐阜市立東長良中学校「校内人権同和教育研修会」。夏休みは子どものものであって、教員は通常勤務ということで、こんな研修が開かれるのだろう。「夏休みは、じっくり本を読むなど栄養補給の時期ですよ。それができないと、そのツケは9月に入って確実に生徒にまわされるんです」と語りはじめる。一番後ろの席で退屈そうにしている教員あり。「なんで、こんな話を聞かされるのか」という気持が顔に表れている。そらそうだ。これまでの取り組みの成果と課題の上に立って開かれる研修じゃないもの。「学校生活の中で生徒の人権感覚を養うために、どう指導していけばよいのか。くらしの中や学校生活の中など身近なところで大切にしたい人権感覚について」というのが事前にもらった依頼内容だが、教員自身の課題はほとんど意識されていない。そんなこともあってか、「教員は、なぜ生徒に話すとき、『先生は』と自称するのかなあ。なぜ教員はお互いに先生と呼びあうのかなあ」などと、たぶん教員にとってはわけのわからぬことを口走ってしまった。校内研修の講師を引き受ける前に、きちんと研修の位置づけを問いたださないとアカンと反省す。 |
●2005.7.25(月) 昨夜仕上げたものの送信できなかった黒野会館での講演(7/22)要旨に「言わずもがな」の言が多すぎることに気づき、書きなおして送信す。会館の電話が深夜のファックスを受信してくれなかったおかげ。これを「怪我の功名」という。☆「効率と利潤」をもとめて血マナコになっている某企業に勤める人から暑中見舞いがとどく。「人間関係につかれました。またメールします。よろしくお願いします」という添え書きあり。職場の人間関係に疲労困憊しているらしい。この国はこんなところからも壊れつつあるのだろう。☆島根県邑智(おおち)郡川本町教育委員会の佐藤さんから先日(7/16-17)の講演へのお礼と感想文と『通信』カンパの切手がとどく。お便りに「梅雨が明け、川本も猛暑の毎日です。そういえば、先生が来町された頃より暑くなったような…。先生が情熱とともに高気圧まで連れてこられたのでは…。先生はいかがですか。プールに行かれながら、元気ハツラツでしょうね。元気なことも、他者に思いを伝える大切な要素だと今回つくづく思いました。(略)先生の著書・編著を読んでましたが、二日間ご一緒して、まだまだ知的理解だなあと思いました。しかし、動くことによって見えるものの多さは多少実感してきました。そして教育にたずさわる者として、『生きる力』ではなく『生き合う力』を育むことを肝に銘じておきたいと考えます」とあり。元気を示すことも重要なパフォーマンスだとは知らなんだ。ヨレヨレ・ヨボヨボで「よく生き合うこと」なんていってもアカンわなあ。「教育の原点は“ハ行”であると教えられ、納得いたしました。私には子供が四人おりまして、人生の目的において、幸福『感』を求めていって欲しいと願い、そのためには、他のために生きることのできる人間関係をつくれる自分の心をつくることと言ってきていますが……。まず自分がそのようになり、感動しなければとあらためて思いました」(無署名)。「教育の原点はハ行」とは、最近の口癖。「ハッ」「フーン」「ヘー」「ホー」は、驚きと感動のことば。それがない授業がおもろないのはあたりまえ。☆「第32回奈良県部落解放研究集会」の開催要項がとどく。9/3(土)、9/4(日)の二日間、生駒郡斑鳩町いかるがホールで開催される。今回も第2分散会「地域共同体と共生」のコーディネーターを務めることになっている。友人との再会が楽しみだ。 |
●2005.7.24(日) ポンプのことが気になって山小舎へ。10時半到着。水の出が悪いけれど、なんとか我慢しながら使う。8月は友人を2組、迎えることになっているので、それまでに直しておかないといけない。そこでポンプ屋さんに電話する。「エアーが入ったんだね」とのこと。週末までに調べてくれるらしい(25日、修理したとの電話あり。ホッ)。☆帰途、プールで身体をほぐす。54.04キロ→53.7キロ。帰ると莉子一家がきている。書斎で仕事をしていると、2階から大きな泣き声。3階への階段を上っていた莉子が振り向きざまに仰向けに落ちたらしい。コブができていて、氷で冷やすと「痛いー」と泣く。“痛い”がいえるんだと妙に感動してしまう。 |
●2005.7.23(土) 変てこりんな夢を見ながらうつらうつらしていたら息子のK2から電話あり。莉子を連れて山小舎へ行きたいという。一緒に行きたいけれど、今日は講演が入っていて断念す。ああ悔しい。☆今日は資源ゴミを出す日だ。寝惚けマナコで収集場に。帰ってコーヒーと菓子パン半分の朝食をとる。朝刊を読み、記事を切り抜く。「教員がセクハラ─減給の懲戒処分─岐阜大」(「朝日」7/22朝刊)。「教員の肩書や学部は『被害学生の特定につながる』として明らかにしていない。(略)男性教員は事実を認め、大学側には女子学生に謝罪したと説明しているというが、女子学生は『十分な謝罪がない』と話しているという」。わけのわからぬ話だなあ。なぜ教員の所属学部を公表しないのだろう。不愉快きわまりない。☆1時15分から岐阜信用金庫本部ビルで百名ほどの支店長に「人権をどう受けとめるか─企業にとって人権とは」と題して話す。「この時間は、まことに困難な時間帯です」というと、「ワーッ」と笑いが起こった。みなさん、事情の飲み込みが早い。「眠くなって当たり前なんだ」と納得してくださることから、話ははじまる。「長良(支店長)さん。35年前、岐阜大学に赴任したとき、最初にお金を預けたのは、大学に近かったお宅の長良支店。お世話になりました」というと、支店長が頭を抱えたのは、なんでかな。☆夕方、莉子一家が山小舎から帰ってくる。夕食後、ビデオを観ると、莉子は川に入っておおはしゃぎ。よほどうれしかったと見える。今年の夏、莉子は何回山小舎に来てくれるだろう。J2から「秋のTIPI交流会でぜひ莉子をみなさんに紹介したいよ」とのメールがとどく。そうやなあ。秋ともなれば莉子は1歳と8か月。ことばも自我もいよいよはっきりしているはずだ。 |
●2005.7.22(金) うだるような暑さに閉口する。こういう日はプールへ行くにかぎる。サウナ、水中ウォーキング、水泳などでたっぷり遊ぶ。53.7キロ→53.4キロ。☆7時過ぎ、黒野会館へ。「平成17年度ハートフル事業─あなたの疑問に答えるなぜ? 何? 人権講座」の第1回目で「同和問題─なぜ今もあるの?」と銘打って話す。参加者は70人弱。このテーマがクセモノなんだな。「同和問題とは何か。いまもあるのかどうか。あるとすれば、なぜ今もあるのか。どうすれば解決するのか」という問いをふくんでいるからだ。「それがわかれば苦労はしない」というのが、わたしの答え。それではあまりにも失礼だから、あれこれと話す。法律や制度上ではなくなったはずの同和問題の基底にある部落差別意識が残っているのは、「地域(共同体)と個人の記憶と伝承」による心性の問題だからであり、“偏見にもとづく記憶と伝承”を断ち切る人びとの輪が広がり深まることしか解決への道はないと語る。「山水河原者又四郎」のことば、「某(それがし)一心に屠家に生まれしを悲しみとす。故に物の命は誓うてこれを断たず。又財宝は心してこれを貪らず。(略)昔日、路上において蚊帳(かや)四五片を拾えり。某、その人を追いて、これを与う。今に至るもこれを謝すと。予、おもえらく。又四郎それ人なり。今時の円顱方袍(僧侶)の所為は屠者に及ばず。慙愧慙愧」を久しぶりに紹介しながら、あらためて又四郎の「生き方の選択」を想う。「物の命は誓うてこれを断たず」。そうはいかないのが人の定め。だからこそ「命をもてあそばない生き方」がもとめられる。「財宝は心してこれを貪らず」。つつましやかに生きること。全国水平社以来の先人やわたしの友人のなかにも、財宝にとらわれて生き方の選択を間違った人が多い。「起きて半畳、寝て一畳」というではないか。「それでは監獄と一緒」と半畳を入れないでほしい。時代とともに生活レベルは確実に上がったけれど、大事なのはそれに溺れないことだ。 |
●2005.7.19(火) 9時半、莉子が母さんに連れられてやった来た。またトビヒにかかったらしい。保育園をやすんで夕方まで西改田に。午前中2度、J1から出動要請があって2階にあがる。お風呂場で水遊びする莉子。2階と3階の階段を上がり降りする莉子。ヒヤヒヤするからどっと汗がでる。それにしても今日も暑いなあ。☆高知の野町さんから部落問題全国交流会の日程問い合わせのメールがとどく。高知「モード・アバンセ」不正融資事件で、高松高裁が背任罪に問われた元副知事に懲役2年2か月、元商工労働部長に懲役1年8か月の実刑判決をだしたことへの感想もつけくわえられている。こちらでも「朝日」05/7/13朝刊に記事あり。「同和問題の解決」を目的としたはずの政策的融資が厳しく断罪されたというわけだ。12億円にのぼる高知県民の税金が雲散霧消した責任が二人にだけにあるわけがない。筋が通らん話に怒りがわいてくる。 |
●2005.7.17(日) 朝6時、川本町「笹遊里」のロッジで目覚める。ちょっと二日酔い気味かな。シャワーを浴びたあと、ウグイスの声を聞きながらムクゲの花に蜜をもとめて飛び交う蜂を避けながら散策す。気分よし。8時半、「笹遊里」を出発しようとすると、来客あり。松江の阪本清君だ。喫茶店で朝食をとりながらあれこれ話をする。終わって阪本君は松江に戻って行った。おみやげの清酒もうれしかったが、片道2時間、往復4時間かけて逢いに来てくれた友情にはただただ感謝するのみ。☆10時から、「家庭教育サポート推進協議会」で、「子育てと人権感覚─生き合う力をはぐくむために」と題して講演。参加者は50人ほど。生涯学習グループの女性たちも参加してくださっている。心の開きが早いのはここでも女性。彼女たちを見ていて、思わずおふくろや姉のことを話してしまう。「数時間を川本町図書館で過ごそうと“悠邑”にきました。入り口で、本日のこの講演を知り、参加しました。とても、わかりやすく、ユーモアのある話で、楽しい有意義な時間を過ごすことができました」。本を読むつもりで来たのに、ふと目にとまった集まりに参加してみたら…というのがいいなあ。☆川本町を12時過ぎ出発。途中で昼食。広島駅着は2時半。送ってくださった佐藤さんと宇山さんに別れを告げ、新幹線改札口へ。時刻表を調べてみるが接続がうまくいかない。やむなく岐阜羽島まで鈍行各駅停車の新幹線となる。広島発2時50分「こだま」、岡山発4時33分発「ひかり」、岐阜羽島着6時42分。ああ4時間の長旅。前夜の睡眠不足もたたってウトウトのしどうし。読書もせず。ビールも飲まず。 |
●2005.7.16(土) 今日は島根県邑智(おおち)郡川本町での講演。6時起床、6時45分出発。岐阜羽島駅の喫茶店でモーニング。「ジパング倶楽部」の割引を使用するから「のぞみ」には乗れない。まあ、急ぐ旅でもないし、のんびり行こう。車中の読書はシモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』(岩波文庫、05/4、2刷)。期待はずれ。これは『シモーヌ・ヴェーユ著作集』第1巻(春秋社、93/11新装版第1刷)では要約になっている作品。要約にされたわけがわかる気がする。☆10時15分、広島着。出迎えは教育委員会の佐藤徹さん。1年数か月ぶりの再会だ。広島と浜田を結ぶナントカ自動車道を走る。12時前、川本町に到着。ここは江川(ごうかわ・ごうのかわ)沿いの古い町で四方を屏風のような山が囲む。美しい閑静なたたずまいが気に入った。たしか二十年以上も前、「解放新聞」の取材で邑智(おおち)町に来たとき、川本町を通っているはずだなのだが、記憶にない。☆午後2時半から、川本町同和教育推進協議会の研修会。「同和教育について考える─人権の視点から」と題して話す。参加者は百人ほどか。2列目あたりに感じのいい青年が座っている。「今日は、あなたに決めた」といって、ちょっと強引に応答していただく。あとで聞くと小学校の教員だとか。「何ひとつ正しく答えられなくて」と後日のメールにはあったけれど、なんのなんの。会場を和やかな雰囲気にするために協力してくださっただけでもう十分。☆夜は、里山の中の“ふれあい公園・笹遊里”でバーベキューを楽しみながらの懇親会。地酒がおいしい。佐藤さんが自慢するだけのことはある。人よし、酒よし、肴よし。すっかりいい気分になってロッジのベッドに寝たのが何時だったか、とんと覚えがない。 |
●2005.7.14(木) 名古屋市の職員研修で中区役所へ。街路樹から蝉の声がすごい。街なかでよく生きていけるものだと感心する。「仕事に人権感覚をいかす」と題して1時間半話す。参加者は500名。後日とどいたお礼のなかに感想文が抄録されていた。「“丸ごと命いっぱいの人間と向き合う”という言葉に感動した」「これまで受けた研修や講義とは、全く違う切り口での内容に吸い込まれ、講義を聞けたことを大変嬉しく思った」などなど。わたしは、このような感想に励まされ、支えられて生きている。「丸ごといのちいっぱい」は、内山興正さんから学んだことば。まだ理解が足らないかもしれないけれど、気に入っている。☆『こぺる』7月号の「鴨水記」で振込用紙の通信欄に書かれた短いコメント(「いやなことが溢れすぎている世の中で、『こぺる』を読むと心が洗われるように感じることがあります。ここには人を信じようとする力があるからかな」)を紹介した大阪のSさんからお便りあり。「私にとって、『こぺる』から得ているものは何なのかについて、今度こそは短文であっても私の気持ちが伝わるメッセージをと、前から考えていました。そして7月号に紹介していただき、気持ちは伝わったかな、とうれしく思っていた矢先、HPの『川向こうから』で、私のメッセージに対してコメントして下さっていた方の文章を発見。びっくりするくらいうれしかったです。何ひとつ面識のない方が、『こぺる』を通して、私の心を感じて下さった。これが藤田さんのおっしゃる呼応の関係の初期段階なのかなと思いました」(大阪府熊取町 Sさん)。呼応の関係に初期も中期も終期もない。一瞬の呼応。それが大事なんだ。そして、こうした呼応の関係が見えない感性の糸でつながってゆくよろこび。いまどき珍しいのではないかな。 |
●2005.7.12(火) 「総合雑誌『こぺる』、七月号も充実していますね。特に恩智氏のが有益でした。『通信』、印字が変わりましたね。コンピューターですか。細い字画はすっきりしていてきれいですね」(岐阜市 Kさん)。『こぺる』7月号に掲載した恩智理さんの「歴史の逆説─『蘇北・蘇北』の場合」への感想がありがたい。高知の野町さんからも同様の感想をいただいた。恩智文をむずかしいと感じる人もあれば、おもしろいと感じる人もある。『こぺる』の読者層は多様なんだ。☆莉子がやってきたとたんに両足で飛ぶしぐさをする。「いやあ、地球の引力から脱出したぞ!」と叫ぶと、まわりのみんなは怪訝な顔。だってそうでしょうが。両足で飛ぶ、跳ねるなんて、すごいことやない? |
●2005.7.11(月) 愛知県知多地区人権教育教材制作委員会の企画で大府(おおぶ)市立共長(きょうちょう)小学校6年生3クラスに45分授業をする。一応、授業メモをつくっておいた。主題は「いのちといじめ」。しかしビデオ撮影を意識してしまって3クラスとも同じ内容にすることができず、申しわけないことをしてしまった。昼食後の短い打ち合わせで3クラスのビデオを編集して人権教育教材をつくるということになる。よろしくとお願いするしかない。☆子どもたちは積極的に質問に答えてくれたといえるだろう。ただ、どういう企画なのか事前に知らされていなかったらしく、子どもも担任も戸惑い気味だった。もう少し事前打ち合わせが必要だったと思う。後日、生徒さんからとどいたメールに、「この間の授業、すごく感動しました。友達たちも感動して泣きそうになったぁ!と言っていました」とあり。こころを開いて聞いてくれたということだ。 |
●2005.7.9(土) 三重県私立幼稚園協会「新規採用教員研修」で津市へ。「会場の私学青少年会館までは歩いて10分ほどですが、なじみのない町を歩いていただくのは、つろうございます。津駅からタクシーをご利用ください」とのこと。行き届いた文章がうれしい。でも、そんな近距離にタクシーを使うのはもったいないと歩く。会館前で旧知のHさんが待っていてくださる。「歩いてみえたんですかあ。タクシー代をはらいましたのに」と声をかけられる。こういうのもうれしい気配り。昨年につづく研修。「生きあう力をはぐくむために─幼稚園教員に期待するもの」と題して1時間半話す。深夜、メールがとどく。「今日は短い間でしたが、藤田先生の講義が受けられて良かったと思いました。子どもに、人間はなんのために生きるのか?と問われたら、私は自分でも分からないのに、何とか答えようと必死に綺麗な言葉を並べていたと思います。そして、子どもはすぐに見抜くと先生はおっしゃいましたが、その言葉がすごく重く感じました。(略)私はまだ家庭をもっていません。その分、大好きな子どもたちと楽しさ、うれしさ、悲しさを共有し合い、子どもの前で私自身が素直になり、子どもから尊敬される教師になります。まだ3ヵ月ですが、怒られたりも当然します。でもめげずに前へ進んで行きたいと思いました。本当に心に響く講義を有難うございました」。 |
●2005.7.8(金) 10年ぶりに兵庫県川西市人権・同和教育協議会の講演会に招かれる。東海道線を使ってのんびり向かう。新大阪駅で途中下車し、いつものラーメン屋さんで昼食。本屋で読みたい本をメモする。あとで寺島書店に注文するため。新大阪から新三田行きの普通に乗る。尼崎をでてしばらくするとJR西日本福知山線の事故現場を通過。乗客は見ようともしない。キョロキョロしているのはわたしだけ。田舎もんということかなあ。☆演題は「よく生きあうということ─心の扉を開けるために」。参加者は100人ほど。前列右側の女性たちは、当初、あてられると避けるそぶり。しかし次第に「心の扉」を開き、応答してくださって、ホッ。終わって懇親会。楽しいひとときだった。Yさんに川西池田駅まで送ってもらい、最終電車で岐阜に着いたのは11時50分。長い一日だったが、疲れを感じない。きっと充実していたからだろう。 |
●2005.7.6(水) 岐阜県児童福祉協議会の施設長会で「子どもの人権と施設職員の姿勢について」話す。下準備のため「児童憲章」(51/5)や「子どもの権利条約」(89/11)を読みなおす。各種の児童福祉施設でいまも子どもの人権が侵される実情が少なからずあるという。本来、子どもの人権が守られるべき場所での人権侵害。話にならないのだけれど、なんとかしようという機運は高まっているらしい。できるだけの協力はしなければと思う。 |
●2005.7.5(火) 『通信』167号への感想がとどく。「相変わらず歯切れが良いなと感じています。(略)豊田市立上郷(かみごう)中学校での講演後の感想文中、『藤田さん(先生ではなく、藤田さんというのが新鮮ですね)、“人間”とは誰かと巡り合うためにありと、私は思っています。うまく言えませんが、私はそんな気がしています』。“素晴らしい”の一言です。さらにもう一つ。166号から『人は何のために生きてるの?』とたずねて、母親から『知らないよ、そんなこと』と言われた6歳の男の子が『自分の心をさがすためだよ』と…。“素晴らしい”の一言です。『通信』・『こぺる』、楽しみにしています」(京都市 Tさん)。「祝『通信』再刊! 京都の街中に住みながら『こぺる』の読書会にも交流会にも参加していない身ではございますが、いつも先生のメッセージを楽しみにしております。『通信』休刊=先生休養と理解し、今後をさらに楽しみにしております」(京都市 Aさん)。「拝読し、今までにも増して藤田さんのお心のあたたかさ、解放問題への持続的な取り組みの基底にある情熱を感じました。半世紀にもわたるご尽力が聞く者の『胸にとどく』ものになっていると存じます。人の心に訴えるのは、持続的な実践の背景をもつ言葉だと思います。心と心が通い合う状況が少なくなってきたと感じる昨今だけにより強く感じているところです」(兵庫県小野市 Kさん)。☆静岡県教育委員会東部教育事務所の研修会(6/23、韮山町)の感想文(抄録)がとどく。「“人間に関心がない”子どもに“スッポンポン”の『ただのわたし』が借り物でない“自分らしい”ホンネの言葉で語り、子どもの問いを共有し、答えることの大切さを痛感したしました」。子どものすごいところは、オトナが立場や肩書き・役割で語っているに過ぎないことを見抜く力があるということ。みーんな見抜かれているんだ。それに気づかない鈍感さ。それこそオトナの特徴というべきか。☆兵庫県のある市での講演会が突然中止に。これって、いわゆるドタキャン? この18年、ほぼ決まっていた講演を断ってきたのは2件。宮崎県H市と愛知県T市。いずれも部落解放同盟への遠慮によるものとみて間違いはない。さてさて今回のドタキャンの原因は何か(後日、判明したところによると、事務局長の独断専行への反発が原因らしい。ああつまらない)。 |
●20005.7.4(月) 『通信』167号への感想。「おひとりで500部も発送していらっしゃるとは…。なんだか本当にすみません。167号の中で心に強く残ったことが2つありました。その1。西改田簡易郵便局の局員さんの話。藤田先生のために記念切手をとっておいてくださったとは…。先生と局員さんとの間でかわされた会話が見えるようでした。いつもきれいな切手をありがとうございます。その2。豊田市の中学生の感想文。『“人間”とは、誰かと巡り合うためにある、と私は思っています」と。そんなこと、ずーっと、ずーっと考えたことがありませんでした。素敵な中学生さん!! 満員電車で“不機嫌”になっていてはいけませんよネ」(東京都 Tさん)。「通信が私のところに届くまでの“道のり”を想うと、本当に胸がいっぱいになります。“ゆうせいTOKAI”に先生が執筆して下さっている『仕事に人権感覚をいかす』も、とてもすてきですが、“切手”をはってくださる瞬間は先生をひとりじめ…みたいな温かい気持ちが一緒に届きます」(愛知県一宮市 Sさん)。 |
●2005.7.3(日) 7時半、東本願寺大谷婦人会館2階和室で目覚める。昨夜、第22回部落問題全国交流会について、飲みながら遅くまで議論したため、やや睡眠不足気味。9時再会。12時前終了。10月22日(土)・23日(日)、「部落のいまを考える─同対審答申40年」をテーマに開催することに決まる。話題提供者はお二人で、熊谷亨君がNさんに、わたしが石元清英さんに依頼することに(石元さんからOKの返事をいただく)。☆夕方、帰宅。『通信』167号を受け取ったというお便り3通。「先生のホームページを覗いては更新履歴を見て、新しいのがあるとそこを拝見するという形をとらせていただいていますので、『通信』167号が苦労の上6月11日に発行されたことがわかりました。今回は1週間たっても2週間たっても届かないため、よほどこちらから確認させてもらおうかと思いながら、まだ修理ができず宛名印刷が出来ないのだと自分に言い聞かせてきました。ホームページで予告を見た感じであっただけに『通信』が届くのが待ち遠しい思いでした。早速拝見し、待ち遠しかった思いを私も『顔が見える呼応の関係』でと、今回は書面をしたためました」(三重県津市 Oさん)。6月11日払暁原版完成、午前印刷と折り畳み終了、24日ルポ直って無事ご帰還、24日宛名印刷、25日と26日宛名ラベル貼り、27日切手貼り、28日第一次投函、29日第2次投函という日程だったからOさんのようにHPを見てくださっている人なら「なんで発行された通信がとどかへんねん」といぶかしく思われても無理はない。申しわけないことをした。☆岐阜県教委研修管理課から先日(6/28)の研修参加者の感想文がとどく。「先生のお話をお聞きして、人権、同和の何が教育されるべきなのか自分の中で整理できたように思います。ありがとうございました。こういっては失礼ですが、先生がお孫さんの『母さん』と表現されたことが印象的でした。このような場合、『嫁』とお逃げになる年配の方が多いようですので。あらためて、是非とも人権同和職員研修会の講師にと強く期待し、帰校して伝達講習いたします」。莉子の母親を嫁と呼ぶ習慣はわたしにはなく、「莉子の母さんは保育士なんです」と紹介することがあるが、そこに特段の意味が込められているわけでもない。でもそれが印象的だったとおっしゃる。おもしろいなあ。「日頃、どれだけいろいろなものにとらわれ、無駄な力を肩に入れていたかということに気づいた。先生の講話半ばあたりから、場に自分が溶けこんでいるような住みやすさを覚え、最後には、素で在ることの軽やかさに包まれながら、問いに対して思うままに答えられる自分に変化していた。この自己変容こそが藤田先生がなされた人権教育だと痛感した。“知らない”ことの恐ろしさも改めて認識した。社会の現象に対して鈍感であってはならないと強く思った。多くを感じることが“わたし”発の言葉となって生徒の心に届くかもしれない可能性を考えると、その責任は大きいと感じた。生徒にどんどん声をかけていきたい。人に、社会に、もっともっと関心をもちたい。そして語り合いたい。“生き合いたい”。たくさんの決意ができた。お茶を頂いた優しさも忘れません」。ミニペットボトルのお茶を、つぎつぎと繰り出す質問に答えてくださっている教員に思わず差し上げたことへのお礼に痛み入る。 |
●2005.7.1(金) 朝方、雷雨があったみたい。熟睡のため気づかず。この雨で田や畑の生き物たちはほっとしているはず。コーヒーと菓子パンの朝食。お便りに返事を書く。横浜のHさんには近況報告をかねて『通信』167号を同封する。静岡県伊豆の国市(韮山)のYさんと淡路市Tさんへはお礼の葉書。J1を泌尿科医院へ送る。☆午後、スポーツクラブへ。ジムでウオーキング30分。サウナと水中ウォーク。400グラム減の53.75キロ。☆奈良のSさんからメールがとどく。「敬やん。『同和はこわい考通信』167号、届きました♪ 敬やんは『複製歓迎』なので、前回の『通信』、私のコラムに載せさせてもらって、好評でした。私自身、パソ君の画面の字を読むのが苦手やけど、送ってもらった『通信』をコラムに採録すると(長い文章は抜粋してましてん)、今の若い世代は本よりも『パソコン』という人も多いので、たくさん仲間に読んでもらえて嬉しかったです♪ 私のために(父もです)、『紙に印刷したアナログ通信』、これからも、よろしくね♪ ではでは♪」。「複製歓迎」は87年6月の創刊いらい『通信』の最後に載せていることば。佐藤秀夫さん(1934-2002。元日本大学教授。日本教育史・教育文化史・教育史料研究専攻)がえらく喜んでくださったことが忘れられない。「不許複製」はあっても「複製歓迎」をかかげる出版物は少なかったはず。「一人でも多くの人が読んでくださればうれしい」という気持から自然に浮かんだことばだ。☆愛知県教委知多教育事務所のAさんから豊田市上郷(かみごう)中学での「人権を考える集い」(5/31)のビデオとお便りがとどく。「宅急便の方の心温まるメモのお話には、その場でも、あとから思い返しても涙が出てきました。人に生かしていただいている自分を先生との出会いの中で、より一層実感し、感謝に包まれた日々を送っております」。「宅急便の云々」は、講演の最後に紹介する話。宅配の運転手さんがとどけてくださった息子の義足の上に「がんばって!」という張り紙が貼ってあったという投書を読んで、「人間は基本的に信頼できると信じて生きたいと思う」と結ぶことにしている。Aさんがそれに感応してくださってうれしい。 |