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学会行事



2011年度 遺跡調査報告会が開催されました

20111217日(土)、北海道大学文系講義棟11番教室にて2011年度遺跡調査報告会が開催されました。今年度実施された北海道内の遺跡調査について9件が報告されました。当日は、会員・一般・学生など113名の方々にご来場いただきました。また、開催にあたり例年通り発表遺跡の資料と地域ごとの発掘調査の概況を掲載した資料集も刊行・販売しました。


 ※2011年度遺跡調査報告会のポスターはコチラ(※pdfファイル)

○資料集の販売○
2011年度北海道考古学会 遺跡調査報告会資料集』を1 1,000円にて販売しております。
購入をご希望の方は、北海道考古学会事務局宛にお問い合わせください。郵送の場合は、別途送料が必要となります











2011年度 北海道考古学会 遺跡見学会が開催されました

 

 今年度の遺跡見学会は、「噴火湾の貝塚とだて噴火湾縄文まつり」をテーマとして、8月28日(日)に実施しました。今回は55名のご参加をいただき、登別市・伊達市・洞爺湖町の遺跡や発掘現場、展示施設を巡りました。残暑の厳しい一日で、屋外での見学時間が長かったため、参加者の方々は疲労困憊のご様子でした。しかし、各担当者による熱心な解説に聞き入り、人の背丈よりも厚く堆積した貝層の断面を目の当たりにして、見応えのある遺跡見学会だったと満足いただけたようです。参加者の方々は、登別市富岸川右岸遺跡の密集した落とし穴群から推測されるエゾシカ猟、伊達市北黄金2遺跡や洞爺湖町入江貝塚の貝層に見られる季節的な漁撈サイクルなどから、縄文時代の人々の生業や食生活に思いを馳せていらっしゃいました。また、だて噴火湾縄文まつりの会場でのイベントや昼食も楽しい思い出となりました。

〔見学コース〕

1.                          登別市のぼりべつ文化交流館カント・レラ(菅野修広氏)

2.                          伊達市北黄金貝塚・北黄金2遺跡(大島直行氏・湯川枝里子氏)

3.                          だて噴火湾縄文まつり *昼食

4.                          伊達市噴火湾文化研究所「縄文エコミュージアム」(湯川枝里子氏)

5.                          伊達市有珠6遺跡(湯川枝里子氏)

6.                          洞爺湖町入江・高砂貝塚(角田隆志氏)


休日にもかかわらず対応してくださった各担当の方々にお礼申し上げます。


   
   
   







2011年度 北海道考古学会 研究大会が開催されました


 開催日:2011423() 
 会  場:北海道大学 学術交流会館

 ★ 研究大会ポスターは コチラ(※pdfファイル)

今研究大会は『北海道の縄文文化研究の今』をメインテーマに6名による研究発表とディスカッションが行われ、北海道の縄文文化研究の現時点における成果と今後の研究の方向性を探った。山原敏朗氏「旧石器から縄文へ−大正3遺跡の評価−」では、北海道における縄文時代草創期の存在が確かめられ、更新世末期の本州文化が存在したと考えた。ただし、これが北海道全域におよんだのか、更新世から完新世へと連続したのかなど残された課題は多く、北海道の旧石器文化の位置づけとも関わって今後も議論を要すると指摘した。

福田裕二氏「北海道における盛土遺構研究の現状」では、多くの遺構名称が明確な定義付けの不備を示すと指摘した上で、42例を集成しつつ時期毎の遺構のあり方や立地、形状、関連する遺構等の特徴から類型化を試みた。今後「盛土遺構」の定義付け、遺構形成の目的による厳密な分類を確立し、明確な類型化の作業がなお必要であることが再認識された。

「北海道縄文人によるサケ資源の集約的利用の確立・展開−石狩紅葉山49号遺跡の評価−」の石橋孝夫氏は、縄文中・後期の19カ所にのぼる杭列が、遡上魚類の定置式漁労施設であり、旧発寒川の流路更新の度に改修が行われたことを示すとした。また、直線や上流に向く「逆ハの字」構造が、アイヌのサケ捕獲施設「テシ」や「ウライ」と共通する点を指摘。さらにたたき棒、銛、大型のタモ(枠)、松明などともに、これがサケ類の捕獲施設であると判断した。以後続縄文から近世までの河川設置カ所の変動の背景は、道外地域との交易という枠組みを探る上で重要な視点となる。

國木田大氏による「北海道における縄文時代年代研究の現状と課題」では、北海道における年代測定研究をたどりつつその課題が提示された。海洋リザーバ効果、暦年較正、ウイグルマッチング法が取り入れられる一方で、実験処理やデータ解釈の議論が少ないこと、また特に海洋リザーバ効果の北海道資料への適用基準などが今後克服すべき検討事項であると指摘された。

西脇対名夫氏は「形態学的な方法−“謎”の側縁有溝石器の場合−」をテーマに、側縁有溝石器をモデルとして形態学的アプローチの一方法を示した。「論理以前の行為」や「論理以前の法則性」が無文字社会の遺物を対象とすることに「意味」をもたせることになる。側縁有溝石器は視覚的情報によって中期前葉の石冠を起源とする可能性が示された。

「東北地方からみた北海道の縄文晩期」の発表において関根達人氏は、続縄文文化と弥生文化の分岐点が何処に求められるかについて、縄文晩期における北海道と北東北間の交流、道内地域集団間の交流に視座をおきつつ土器の比較検討を行った。縄文後半に北海道で亀ヶ岡式の様相が強まるが、晩期末葉では両地域の遺跡数や土器の様相が相互に異なり、それまで両地域の一体性が失われていた可能性が指摘された。これを北東北における稲作受容への胎動ととらえることの是非は当初の問題点に立ち帰ることにつながり、土器以外の面からの検討を今後の方向性とした。

 その後の討論では、各発表者の事実確認や会場との活発な議論が展開し、北海道の縄文文化研究の課題の把握と今後の研究の方向性を確認することができた。











■2010年度 遺跡調査報告会が開催されました

 20101225日(土)、北海道大学学術交流会館講堂にて2010年度遺跡調査報告会が開催されました。今年度実施された北海道内の遺跡調査について8件が報告されました。当日は、会員・一般・学生など94名の方々にご来場いただきました。また、開催にあたり例年通り発表遺跡の資料と地域ごとの発掘調査の概況を掲載した資料集も刊行・販売しました。


 2010年遺跡調査報告会のポスターはコチラ(※pdfファイル)


○資料集の販売○
『2010
年度北海道考古学会 遺跡調査報告会資料集』を1冊 1,000円にて販売しております。
購入をご希望の方は、北海道考古学会事務局宛にお問い合わせください。郵送の場合は、別途送料が必要となります。












■2010年度 遺跡見学会実施報告

 今年度の遺跡見学会は、「縄文文化にふれる道南の旅」をテーマとして、8月21日(土)〜8月22日(日)に1泊で実施しました。今回は43名のご参加をいただき、函館市・木古内町・七飯町などの遺跡や発掘現場、展示施設を巡りました。2日間とも好天に恵まれ、見学先の担当の方々は暑さをものともせず、熱弁をふるって解説してくださりました。大船遺跡の竪穴住居跡の大きさと出土品の豊かさ、国宝の中空土偶(本物)の写実性と精巧な造り、盛土遺構の土層断面に突き刺さる円筒下層式土器の密集度などに、ご参加の方々は感嘆されることしきりでした。


〔見学コース〕

1.             函館市大船遺跡(福田 裕二氏)





2.             市立函館博物館(大矢 京右氏)





3.             木古内町大平遺跡(立川 トマス氏)





4.             木古内町木古内1遺跡・木古内2遺跡(大泰司 統氏)





5.             七飯町歴史館(山田 央氏)





休日にもかかわらず対応してくださった各担当の方々にお礼申し上げます。









2010年度 北海道考古学会 研究大会が開催されました



研究大会は平成22年4月24日、北海道大学学術交流会館2階講堂を会場として開催された。今大会は『オホーツク文化とは何か』をテーマに、5名の発表者による研究成果の発表と、その後のディスカッションが行われた。




基調講演「オホーツク文化とはなにか」において天野哲也氏は、5〜13世紀に展開した文化が生業・集落形態・交易の面でいかなる特徴をもっていたかを概括し、サハリン南部における前期十和田式期から中期以降どのように発展しつつ南下・拡散をとげ、さらに変容と消滅したかに言及した。ただし、オホーツク文化の形成過程、移動・拡散の要因などについては、サハリンの様相が不明瞭であることなどにより、研究者間の見解に少なからぬ相違があることから、今大会での議論に期待したいとした。

 臼杵 勲氏は「アムール流域・サハリンとオホーツク文化」において、斉一制が指摘されるオホーツク文化であるが、実際は領域や文化要素の面で一貫する点がとらえにくいことを指摘した。領域が分散・点在する前期に比べ、大きく拡大する中期では土器の器形・組成にも劇的な変化がみられるが、それは靺鞨系文化との関わりを示すものであり、背景に各地の集団が靺鞨系集団との関係を意図的に強めた結果ではなかったかと指摘した。後期には交易の減少など、その関係が緩やかになり、各集団本来の地域色を強めることとなったことが、サハリンや北海道における多様な地域性をうながしたと考えを提起した。斉一制が指摘されることの多いオホーツク文化が地域的・時間的に多様な要素から成っており、それは周辺地域との関連性の有無や強弱を反映している可能性が高く、今後の研究はこの点に視座をすえることが必要との展望を示した。

 「北海道東部のオホーツク文化集落について−最近の調査成果から−」の発表を行った熊木俊朗氏は、網走市最寄貝塚と北見市トコロチャシ跡遺跡および同遺跡オホーツク地点の大規模な調査の成果をもとに、道東部における刻文期から貼付文期の住居と墓制の地域差、時期差について検討を行った。オホーツク文化では住居の建て替えが特徴的であるが、入れ子状や重層、拡張などいくつかのパターンが読み取れる。十和田式期では建て替え例は僅少で、刻文期から沈線文期ではいく例かがみられるが、そこに何らかの傾向は読み取れない。貼付文期では入れ子状縮小・重層・拡張・建て替えなしなどすべての例があるが特定のパターンは読み取れないという。むしろ遺跡ごとに建て替えのあり方に差があり、時期を超えて踏襲されているのではないか、それは拠点的集落とそうでない集落という性格の違いに起因している可能性を指摘した。
最寄貝塚にみられる住居と墓の数の不均衡は、当遺跡が他の集落の構成員も埋葬する場であったのではないか、墓の配置は時期ごとのまとまりが看取されず、刻文期から貼付文期まで一定した利用のあり方が維持されたらしいと推測した。

 「オホーツク文化人骨の形態特徴と生活誌復元」をテーマとした石田 肇氏は、1980年代以降オホーツク文化人骨の出土が増加し、各地で幅広い年齢層の資料が得られたことにより、オホーツク文化人の形態の把握と時期差・地域間の比較研究、アイヌ集団へのオホーツク文化集団の影響などに迫ることが可能となったとし、その成果の一部を紹介した。形態学の分野では、頭蓋骨の形態小変異の分析研究から、サハリンやオホーツク海沿岸域のアイヌに北東アジア地域に由来するオホーツク文化人の形質的影響があることがわかった。また、骨に残る変形や病変の所見より、当時の生業活動など日常的な作業・行動のあり方を復元することが可能となり、考古学資料とのクロスチェックをもとにオホーツク文化人の生活誌をより詳細に解明できる見通しをもつにいたったとした。また、安定同位体分析によって食生活を復元し、北海道北部と東部では摂取した動物性タンパク質の内容が異なっていた可能性が示唆され、これまでの貝塚の発掘調査から得られた当時の食のメニューを再考する必要性が提起されたといえる。

 増田隆一氏は「遺伝子からみたオホーツク文化人の特徴と起源」をテーマに、ミトコンドリアDNAの分析研究から明らかになった成果を発表した。オホーツク文化人78体から得られた遺伝情報を16タイプに分類したが、10タイプがニブフやウリチなどの現代アジア集団と共有することが判明した。また、5タイプがアイヌの16%に共有されており、オホーツク文化人とアイヌが遺伝的に関連する部分があることが明らかとなった。このことより、オホーツク文化人が現在アムール川下流域に居住する集団に遺伝的に近く、またこの集団からオホーツク文化人を介してアイヌへの遺伝子流動があったらしいことが推測された。 さらに、北海道縄文人にないハプロタイプYがアイヌに認められ、オホーツク文化人と現アムール川下流域の集団に高頻度であることより、ここでも北方集団からアイヌへの遺伝子流動の可能性が高まったという。

 今後、サハリンやアムール川下流域、沿海地方の古代人の遺伝子比較分析によって、以上の成果をさらに検証する必要があることを強調した。



 その後のディスカッションは、菊池俊彦氏を司会に進められた。靺鞨文化がオホーツク文化に影響を与えたというが、アムール川下流域では靺鞨文化が認められない。形質人類や遺伝子分析によって、オホーツク文化人はウリチやナナイなどのバイカル型モンゴロイドに近いとされたが、オホーツク式土器が鞨系文化との関連を示唆する器形や組成をもつ点とは矛盾するのではないか。道北からオホーツク海沿岸や道東域に分布を拡大したのは人口爆発が要因とされるが、前期末における人口の急増は想定しにくいのではないか。最寄貝塚における蕨手刀の大量の出土の意味するものは何か。オホーツク文化人はなぜ千島列島に進出したのか、海獣狩猟なかんずくラッコ猟のためか。日本海地域への進出はなぜ島づたいだったのか、沿岸は続縄文人の領域だったからか。など、あらためて多くの疑問点、問題点が提起され、今後の研究課題として再認識された。



 道民カレッジ連携講座でもあった今回の研究大会は、多くの聴講者の参加のもと、午前10時から午後5時の長時間にわたって興味ある研究発表と白熱した討論に終始した。5名発表者の方々、司会の菊池先生、大会運営関係者、会場となった北海道大学に心より御礼申し上げます。

(文責 高橋 理)



★ 研究大会ポスターはコチラ(※pdfファイル)







■2009年度 遺跡調査報告会が開催されました

 20091219日(土)、北海道大学学術交流会館小講堂にて2009年度遺跡調査報告会が開催されました。今年度実施された北海道内の遺跡調査について7件が報告されました。また、報告後には、北海道大学総合博物館との共催により、レベジンツェフ.A.I 氏(ロシア科学アカデミー極東支部、北東総合科学研究所 考古学・歴史学研究室長)に、近年のオホーツク海北岸の遺跡についてご発表をいただきました。当日は、会員、一般の方、学生など110名にご来場いただきました。開催にあたり、例年通り発表遺跡の資料と地域ごとの発掘調査の概況を掲載した資料集も刊行・販売しました。


 2009年遺跡調査報告会のポスターはコチラ(※pdfファイル)


○資料集の販売○
『2009
年度北海道考古学会 遺跡調査報告会資料集』を1冊 1,000円にて販売しております。
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 遺跡調査報告会の様子


 遺跡調査報告会の様子

  レベジンツェフ.A.I 氏による発表の様子





遺跡見学会報告 


 8月23日(日)に実施した遺跡見学会は63人が参加し、「アイヌ民族の歴史と文化にふれる」をテーマに旭川市の遺跡や施設を巡りました。当日は雨の予報でしたが、現地では雨が降ることもなく、予定どおり見学することができました。立岩山チャシ跡遺跡では、東海大学の皆さんが作製した「橋」のおかげで参加者全員が無事に壕を渡りきり、熱心に解説を聞くことができました。


見学コース

1.   旭川市神居古潭竪穴住居遺跡、神居古潭チャシ、神居古潭変成帯の岩壁

2.   旭川市アイヌ文化の森伝承のコタン

3.   立岩山チャシ跡遺跡発掘調査現場

4.   旭川市博物館


 ご多忙にもかかわらず、対応してくださった北條先生をはじめとする東海大学の皆さん、旭川市博物館の皆さんにお礼申し上げます。


 
神居古潭竪穴住居遺跡見学風景  アイヌ文化の森伝承のコタン見学風景
   
立岩山チャシ跡遺跡見学風景   立岩山チャシ跡遺跡見学風景  







■2009年度 研究大会・総会 終了しました

 と き  :200959日(土) 
 場 所  :北海道大学 学術交流会館
 研究テーマ:「擦文文化における地域間交渉・交易」
            
ポスターはコチラ