千年の古都、日本文化のふるさと京都は、東京に次ぐ、我が国の学都であり、また国際文化都市でもある。京都の各大学に学んでいる外国人留学生は常に増え続け、また世界各国から多数の学者・研究者が絶えず来訪していることは、周知のところである。これらの外国人は、日本の最もよい理解者として、学問・教育・産業・芸術その他いろいろの面で、国際的に重要な役割を果たす人々である。従って、これらの人々の受入態勢の整備は急務であるにもかかわらず、それが殆ど出来ていないのが、実状であった。
スイス東アジア・ミッション(Swiss East Asia Mission)の代表者として、日本に来られたコーラー博士(Dr. Werner Kohlerハイデルベルグ大学神学教授:1984年逝去)は、5年余にわたる日本人学生との共同生活の体験を通じて、厳選せられた内外学生が、秩序正しく謙虚に真摯に、かつ自由に真理を探究しあう共同生活こそが、国際理解の推進、ひいては世界の平和に寄与する有力な手段であることの確信を得て、帰国の後、その構想を具体化された。チューリッヒに建てられた「国際学生の家」(Haus der Begegnung, Zurish)がそれである。その成果に自信を得て、博士は、第二の故郷ともいえる京都にも、同じ構想を実現しようと、スイスにおける新しい世界奉仕運動(Brot fur Bruder)に呼びかけて建設資金の寄与を斡旋され、その寄付金は5500万円に達した。
かねて、外国人留学生のために学寮の必要を痛感していた京都の有識者たちは、コーラー博士の構想と計画に共鳴し、スイス国民が示された厚意と友情にむくいるために、学寮建設の具体的活動を開始した。 1961年11月19日都ホテルで発起人会を開き、1963年12月24日生産開発科学研究所で財団法人の設立を議決、1963年12月6日、その設置許可を受け、ここに、財団法人京都「国際学生の家」が設立され、理事長に湯浅八郎博士(国際基督教大学名誉総長及び元同志社大学総長:1981年逝去)が就任した。ただちに、学寮の建設事務所を生産開発科学研究所におき、学寮建設の実際活動に入った。国内に仰ぐ4000万円の募金にさきだち、竹中藤右衛門氏の厚意ある協力を得て、1964年7月14日竹中工務店の設計施工をもって、学寮の建設着手し、1965年3月31日竣工、1965年4月10日、特にスイスからコーラー、ヘルシュテルン両博士を迎え、心ある内外人の祝福の中に、学寮の献堂式をあげたのであった。
かくして、この独自の性格と使命とをもつ国際的な学寮は、内外有志の協力によって、京都に実現したのである。
- HdBに関する文書
- HdBについて1
- HdBについて2
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