東京暮色
1957年日本
監督・脚本 小津安二郎
脚本 野田高梧
撮影 厚田雄春
音楽 斎藤高順
美術 浜田辰雄
編集 浜村義康
録音 妹尾芳三郎
照明 青松明
出演 笠智衆、原節子、有馬稲子、山田五十鈴、杉村春子
上映時間 141分
| ストーリー |
| 銀行勤めの杉山周吉は、男手一つで二人の娘を育ててきた。長女の孝子は文筆家の沼田のもとへ嫁いで赤ちゃんも産まれ、後は次女の明子の将来が決まれば一安心というところであったが、最近、どうも雲行きが怪しい。 沼田と上手くいかなくなった孝子が子供を連れて帰って来るは、明子は明子で毎晩遅くなるまで家に帰って来ない。 明子は学校で知り合った男、憲二とつき合っていたのだが、どうやら明子が妊娠したらしい事が分かってからは、彼は彼女を避けているようなのだ。明子は毎日、下宿やバーやラーメン屋やマージャン荘など、憲二が行きそうな所を探し回っていたのだ。 そんな折、明子は偶然、彼女の母親らしき人物に遭遇する。周吉の妻喜久子は、明子がまだ物心も付かない頃に、男と一緒に満州に逃げていたのだ。男に死なれてから、新しい男と共に東京に帰ってきた彼女は、今は雀荘を切り盛りしていた。 彼女が自分の母親であると確信した明子は、果たして自分は本当に父の子供なのか、自分には母の汚れた血だけが流れているのではないかと自問し始める。 憲二と待ち合わせした明子はバーで待ち続けたが、約束の時間が過ぎても彼は現れなかった。そればかりか彼女は巡回中の刑事に補導されてしまう。 父に厳しく問い詰められた明子であったが、自分が妊娠している事などとても口には出来ない。黙りこくった彼女に対して父の言葉が突き刺さる。 「そんなヤツはお父さんの子供じゃないぞ!」 憲二に捨てられた事を確信した明子は、父の知人からお金を借り、産婦人科で子供を堕ろした。母のもとを訪ねた明子は、彼女に問い詰める。 「私は本当にお父さんの子供なの!?」 「あなたはそんな事までお母さんを疑うの!!」 泣き出してしまう明子。 「私はお母さんみたいにはならない! 子供を捨てたりしない! うんと可愛がってやるんだ!」 自らの言葉が自分自身に突き刺さる。 「お母さんなんて嫌い!!」 彼女は母を罵ると飛び出して行った。 一人、ラーメン屋で酒を飲みながら打ちひしがれている明子。そこに偶然現れたのは憲二であった。 「ずいぶん探したんだよ」 見え透いた嘘に怒りを爆発させた彼女は憲二の頬を平手打ちする。そしてラーメン屋を飛び出していくが、どこにも行き場を失った彼女の前には、もはや破滅しか残されていなかった・・・ |
| レビュー |
| 小津安二郎監督のフィルモグラフィーの中でもとりわけ異彩を放つ、暗いトーンの救いのない物語。 <孤独な魂の遍歴の映画> 小津の映画の主要なテーマの一つは、ズバリ「孤独」というものでしょう。『東京物語』の、家族に捨てられ、妻と死に別れ、一人で家に佇む老人の例を挙げるまでもなく、彼の映画は一人ぼっちになっていく人間の姿を凝視しています。ヴィム・ヴェンダースはこれを「家族の崩壊」と形容したのでしょう。 本作の主人公(の一人)明子は、自分が父の子供ではないのかも知れないという疑念に駆られていて、家族の中でアウトサイダー意識を持ってしまっています。それ故に家族を拒絶して外に愛を求めたのですが、外の世界においても彼女は遊離した存在です。 一途な彼女は、一時の遊びに興じる友達たちに溶け込む事が出来ません。ある意味で彼女は彼らの慰みものになっているに過ぎないのです。それ故に妊娠した彼女は、彼らから距離を置かれてしまいます。玩具としての価値を失ってしまったからです。 彼女は彼女自身のモラルによっても縛られています。これが現代的な娘だったら、「ちょっと妊娠しちゃったんだけどさ〜、堕ろしちゃったんだよね〜、ダル〜」とか言ってナニ食わない顔して片付けてしまうところですが、彼女にはそれが出来ません。自分を捨てた母親を責めながら、自分自身の事をも責めてしまうような人間なのです。 彼女は母親から、自分が本当に父周吉の子供であるという事を告げられて、ワッと泣き出してしまいます。明子は、彼女の父親に対する拒絶が故なきものであった事を知って、自らの父の対する仕打ちを恥じるのです。 彼女は絶望から自殺したように見えます。しかし、彼女は自分で自分を裁いてしまったのかも知れません。 孤独な魂の放浪の果ての哀れな最期・・・。救いのない残酷な物語です。しかし、本作の本当の残酷さが発揮されるのは実はこの後からなのです。 明子の葬式の帰りに雀荘の母のもとを訪れた孝子は、明子が死んだ事を伝えると、「お母さんのせいです」と言い残して去ってしまうのです。 愛する娘からの言葉にショックを受けた彼女は放心し、そのまま以前から話があった札幌行きを決めます。 これがもう最後の東京になるかも知れない。喜久子は列車の窓から必死に外を見やります。彼女は娘からの許しを求めているのです。しかしそこに孝子の姿はありません。 孝子自身、母の事を心底憎んでいたわけではありません。彼女も心のどこかで母を求めていたのです。しかし、彼女には父周吉の、そして今は亡き明子の悲しみがのしかかっています。 明子の仏前に花を供えにきた喜久子を彼女はすげなく追い返しますが、彼女が去った後、孝子は泣き崩れるのです。その姿を母喜久子が目にする事はありません。彼女の視線は誰も来ない駅のホームに漂うのみです。 <行き交う視線の物語> 小津監督は物語がメロドラマに傾きそうになると、ブレーキをかけて人々をバラバラのまま押しとどめます。決して和解の余地が残されていなかったわけではありません。しかし、その和解によって彼らが幸せになる事が出来たかと問われれば、それは疑問です。 ドラマというものは普通、人と人との交わりを描いています。しかし、本作は「行き交う視線」の物語なのです。 直情の馴れ合いは、得てしてエゴとエゴの交感以上のものには至りません。本作の主人公の内の二人、周吉と孝子の父子は自分の幸せよりも、身近な人の幸せを願っているが故に、自らの感情を押し殺してしまうのです。 これを不幸と見るのは早合点です。彼らは人の不幸を前に幸福を享受する事など出来ない人間なのです。 この視点はある意味で宗教的なものです。小津監督は、そのお墓の形状から察するに、恐らく禅宗系の宗派の信徒かと思われますが、その映画の中に、仏教的なニヒリズムと同時に、強い信仰とも言うべきものを塗り込めています。子を思う親の心、親を思う子の心が宗教的な強さを持ち得ないはずもないのですが・・・ 本作の中を行き交う人々の「念」、それは結実を見ないものかも知れません。しかし、決して空しいものではなく、彼らにとってかけがえのない大切な想いなのです。 「想いを遂げる」という言葉があります。しかし、その「想い」の中にこそ、遂げられるべき本質が宿っている場合があるのです。 ここに宗教性があります。フランスの思想家にして熱心なキリスト教徒であるシモーヌ・ヴェイユは、「自分が救われるなどとは考えないで神を愛せ」と言いました。この純粋にして強力な視線、これは本作の登場人物たちに対しても言える事です。 この視線のベクトルは、如何なドラマよりも力強く観客に訴えてきます。曇った列車の窓ガラスを拭う母の仕草とその一途な視線以上に、私たちの胸を打つものがあるでしょうか? 孝子を夫のもとへと送り出し、一人になった周吉は、彼女が忘れていった赤ちゃんのガラガラを見付けます。ガラガラを鳴らしながら笑顔を浮かべる彼の視線は一体どこへ向いていたのでしょうか? 彼はただ単にかわいい孫の事を思っていたわけではないはずです。それは、男手一つで育ててきた二人の愛娘、孝子と明子に対して向けられた視線でもあったのでしょう。 たった一人残された周吉が出勤していきます。行き交う視線の物語を締め括るのは、彼の背中に対してそそがれる私たち観客の視線です。 最後に本作のテクニカルな側面について少し触れておきましょう。 <リアリティー> いつもながらの完璧な映像美に関しては言うまでもないですが、本作の中でとりわけ印象的なのは、音楽、環境音の使い方でしょう。 明子の死の場面の背景に聴こえる飲み屋街からのお囃子、喜久子と孝子の母子の決別の場面に流れている陽気なBGMなど、悲しい場面になるほどに明るい音楽や環境音が際立ってきます。これは小津監督の悪趣味ではありません。 ハリウッドを中心とする世界の主流の映画においては、主要な登場人物が死ぬ場面など、これ見よがしに感傷的に盛り上げようとします。しかし、その大写しにされた不幸は、スクリーン全体を覆い隠し、普遍的な視点、世界に対する洞察というものを妨げてしまっている場合があるのです。 『ブラックホーク・ダウン(2001年米)』を見て下さい。あの映画では、米兵19名の死亡者は殊更に強調されていますが、ソマリア市民1000人の死を意識する事は、本編中では全く出来ないのです。これはファシスト的な演出です。 この映画は事実を意図的に湾曲させた極端な例かも知れません。しかし、世間の一般的な映画が現実というものを拒絶してしまっているのも事実です。誰も死や不幸を直視する事が出来ないのです。 対して小津は、意図的にずらされた環境音によって、周辺の世界の事を意識させます。その冷徹な視点は時として残酷で、時としてグロテスクですらあります。しかし、そこに小津映画のリアリティーがあります。 小津の映画は世界を拒絶したりしません。「リアリティー」とは、過激な映像や深刻な表情によってもたらされるのではなく、現実を拒絶しない姿勢から生まれるものなのです。小津の映画にこそ、真のシネアストの視点があります。 |
| ソフト |
| DVDは松竹からボックスで発売されました。『小津安二郎 DVD-BOX 第二集』に収録されています。他の収録作品は『晩春』、『麦秋』、『お茶漬けの味』、『早春』の四本です。 特典ディスクである『まほろば』の内容は以下の通り。 ・小津組の製作現場から ・ドキュメンタリー <シネマ紀行>麦秋(2000年製作) ・麦秋の予告編 ・インタビュー集(1993年収録) ・トピック ・小津の風景 〜ポスター・看板〜 予告編が『麦秋』のみなのはさみしいですねー。『第一集』のヴィム・ヴェンダースによるイントロダクションのようなものがなかった事も残念です。 映像はデジタル・マスタリングされているので基本的に綺麗ですが、全てのノイズが除去されているわけではなく、画面の縦揺れが目立つところもありますね。ソフト任せにしない手作業の修復で、『美女と野獣』ぐらい気合入れて直して欲しかった気もしますが、こういう至福の作品をDVDという形で半永久的に所有できるというだけでも満足です。 |