| アワーミュージック | |
| Notre Musique | 2004年 フランス/スイス |
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| ジャン・リュック・ゴダール監督の2004年度の作品、原題『Notre Musique』は、ダンテの「神曲」に倣って、「地獄篇」、「煉獄篇」、「天国篇」の3つのパートで構成された映画です。彼が、このように明確に章分けされた、ある意味、様式的とも言える映画を作るのは珍しいことですが、おかげで幾分分かり易いと言うか、とっつき易くなっているように思います。 地獄・・・、それは人類が辿ってきた殺戮の歴史の記録・・・、いや、「記録」と言うより「記憶」と言うべきか。史劇、西部劇、戦争映画・・・、フィクションの世界の殺戮―ただし、それは過去に実際に起こったこと―に、現実の戦争の映像が絡められています。「人間たちは夢中になって殺し合う 生きている者がいるだけでも驚きだ」 冒頭のこのパートを見ただけで、齢七十三にして、ゴダールの感性が鋭敏で、映像派とか言われて評価されている、今日日の映画監督たちの遥か上を行っていることが分かります。今日日の映画監督たちは、映像と音楽のシンクロが快楽を生むと信じていて、映像を音楽に合わせることに一生懸命になっていますが、ゴダールは違います。それらを平気でズラします。時には、寄り添うこともありますが、それらは再び離れていく・・・。今日の多くの映画では、映像が音楽に隷属させられているような印象を受けますが、ゴダールの映画では、さながらオーケストラに参加している別の楽器のように、映像は、全体の構成要素であると同時に、確固たる一個の存在でもあるのです。もちろん、逆の言い方もできます。音楽を一つの映像として扱い、自在にハサミを入れ、編集しているのだと。協和も不協和も、一つの調和につながるような音楽を奏でるために・・・ 第二のパート、「煉獄」は、この映画の中で最も長く、恐らく最も重要なパートです。そこに映し出されるのは、紛れもなく、私たちが生きている現在の、現実の世界の映像です。私たちが生きているこの世界は、煉獄だというわけですね。リアリティーを強調するためか、ゴダール自身が、「映画監督ゴダール」として登場します。彼は、学生たちへの講演を頼まれ、戦禍も癒えぬサラエボに向かおうとしているのです。講演のタイトルは、「テクストとイマージュ」。 他方に、二人の、主人公と言える人物が登場します。一人は、フランス出身のユダヤ人で、イスラエルでフリーの記者を務めるジュディスという女性。彼女は、自身曰く「パレスチナ寄り」で、パレスチナ人作家へのインタビューと、ある個人的な目的のためにサラエボを訪れています。もう一人は、ロシア出身のユダヤ系フランス人の女性オルガで、ゴダールの講演を聞きに来ています。 彼女たちが時折覗かせる、眩しいほどの「若さ」が印象的です。意志の強さを感じさせる、凛とした風貌でありながら、時に少女のように可憐で、儚げな表情を見せるのです。恐らくゴダールは、「若さ」の中にある純粋さに、憧れを、期待を抱き、シンパシーを感じているのでしょう。ジュディスが口にする、「政治や軍事を話題にしないで、基本的なこと、人間の心理や倫理について語りたい」という台詞は、ゴダール自身の理想のようにも聞こえます。まあ、ゴダールは、この映画の中でも、多分に政治的な話題に口を挟んでしまっているのですが(笑)。ゴダールが書いた脚本である以上、ジュディスとオルガの人格も、ゴダールの一部だと言えるわけですが、彼は同時に、歳を取り、皮肉っぽくなり、現実に対して諦観的になっている自分をも、臆面もなく曝け出しているのです。現実に対して真剣に立ち向かおうとしているオルガを、「映画監督ゴダール」は、軽く受け流してしまいます。もし、あの時、何らかの対話があれば、悲劇的な結末を避けられていたかも知れないのに・・・ ゴダールの講演は、この映画の一つのクライマックスと言えるシーンです。そこでゴダールは、映画の基本的な技法である、「切り返しのショット」について語りながら、独自のモンタージュ論を展開します。ゴダールは、その講演までをも、一つの「映画」として、“モンタージュされたもの”として提示しようとしているので、話題は一つのことに定まりません。19世紀中頃にベルナデットという少女が聖母を見た話をしていたかと思えば、ユダヤ人とパレスチナ人、フィクションとドキュメンタリーについて語るのです。二つの映像、「ショット」と「切り返しのショット」・・・ 最後に、学生たちの手には、カール・ドワイエル監督の『裁かるるジャンヌ』の中間字幕をプリントしたものが配られます。 「ET LA DELIVRANCE ?(救いは?)」 「ET LA VICTOIRE ?(勝利は?)」 「CE SERA MON MARTYRE(それは私の殉教です)」 「JE SERAI CE SOIR AU PARADIS(私は天国に参ります)」 アンナ・カリーナを涙させた、あの有名な場面の台詞です。字幕と字幕の間に、それを見るオルガの顔が挿し挟まれるところが印象的です。あの中間字幕が、まるで、物言わぬ彼女の言葉であるように感じられる・・・、彼女は、現代のジャンヌなのかも知れない・・・ 強烈にエモーショナルなショットがあります。日本版DVDの付録の冊子か、もしかすると他のどこかで、誰かが指摘していたことなのですが、オルガが初めてスクリーンに登場する場面。初見の時はうっかり見落としてしまいそうな、さり気ないショットですが、結末を踏まえた上で見直すと、涙を抑えられなくなるほど心を動かされます。ジャンヌ・ダルクがあんな風に走ってはいけない。ジャンヌ・ダルクがあんな風に笑ってはいけない。そう思わせる軽やかさ・・・、そして儚さ・・・ 最後は、「天国」です。恐らく全員が・・・いや、もとい、ゴダールの映画をそれなりに好きな人全員が、「地獄」、「煉獄」と続いてきたところで、この映画の構成に気付いて、一体ゴダールが「天国」をどう描くのか、興味を持っただろうと思います。興味と言うより期待、期待と言うより不安かな? 天国・・・、恐らく最も映像化し難いもの。本家ダンテの「神曲」でも、「地獄篇」より面白くないと言われる「天国」。数多くの宗教画でも、洋の東西を問わず、「地獄」よりも抽象的に、曖昧に描かれる「天国」。ゴダールならそれを映像化できるかも知れないと思いつつも、ゴダールのことだから、適当にはぐらかすのかも知れないと、微妙な気分で見ていました。・・・結論から言うと、それは、天国でもなんでもない、いや、しかし、間違いなく天国と言えるような、不思議な映像でした。CGも、特殊な撮影も用いられていない、在りのままの、現実の映像。最初は、一瞬、はぐらかされたかと思いましたが、見れば見るほどに、それは天国でした。なぜなら、優しい幸福感に包まれていたから・・・ ゴダールが「地獄」を描くことはあっても、「天国」を描くことはないと思っていただけに、これは新鮮な驚きでした。しかし、やっぱり一筋縄ではいかない。この「天国」を守っているのは、天使たちではなく、USマリーン、アメリカ海兵隊だったのです(^^;。相変わらず論議を呼びそうな映像ですね。普段のゴダールからすれば、「天国にまで及ぶアメリカの支配欲!」とか言いたいところなのですが、今回ばかりは違うようにも思います。それほどまでに、この「天国」は、美しく、至福に包まれているのです。 ここに来て、「地獄」、「煉獄」、「天国」と仰々しく冠してありながら、実は、その全てが、「現実の映像」であったことに気付かされます。「地獄」は、もちろん現実です。あの殺戮、あの悲惨は、紛れもなく現実のものです。しかし、また、「天国」も、現実の光景を、そのまま写したものなのです。真ん中に位置する、一番長いパート、現在の現実の世界を映し出している「煉獄」に、全てのパートがつながっていくように感じられます。これは、肯定的にも否定的にも受け取れるメッセージです。私たちは地獄に生きている。しかし、天国にもつながっている・・・ 『Notre Musique』、「私たちの音楽」というタイトルの意味を、しっかり考え直す必要があるのでしょう。これは、「私たちの心の規範」のことではないでしょうか? “道徳的規範”ではありません。“心の規範”です。道徳は、宗教や民族によって異なります。もっと根源的なもの・・・、言うなれば、「心の奥底に流れているもの」です。それは、宗教的な対立も、政治的な対立も越えていく・・・ 若者たちは、そう信じています。しかし、ゴダールは、悲劇的な結末を提示します。これが年寄りの現実主義でしょう。世代間の隔絶があります。フィクションとドキュメンタリーも、イスラエルとパレスチナも相容れない。だけど、対話の可能性もあるのでは? そう訴えているように聴こえます。協和も不協和も、一つの調和につながるような音楽・・・ 余談ですが、私は、この映画に『アワーミュージック』という邦題を付けた配給会社の人間に、怒りを覚えずにはいられません。いや、怒りを通り越して、ほとんど悲惨としか言いようがありませんが・・・。これは、私たち日本人が、「私たちの音楽」を失い、アメリカ的価値観に支配されていることの表れなのでしょうか? 皮肉だとしたら、相当痛烈ですが・・・ まあ、そこそこ映画を見てきた人間が、今更、この程度の邦題に怒るのも大人気ないですね。それこそ“勝手にしやがれ”です。私たちが心の中で、『私たちの音楽』だと思っていれば済むことです。 ゴダールの他の多くの映画と同じように、この映画も、理屈抜きに楽しめる、美しい映画です。自然が美しく、人工物が美しく、女性が美しく、音楽が美しく、そして何より、編集が美しい。私たちが胸を打たれるのは、この映画が、紛れもない、「私たちの映画」であるからです。
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| DVDは、2006年5月にアミューズより発売されました。画質は良好で、80年代以降のゴダール映画に特有の、無照明のやや暗めの映像も、存分に堪能することができました。特典として、ゴダール自身が編集したオリジナル劇場予告編や「黒沢清監督×サエキけんぞう トークライブ」などを収録。充分満足のいく商品だと思います。 ただし、「本編80分」と表記しながら、実際には76分しかない点は問題ですね。実はコレ、PAL盤マスターを使用した、早回し版みたいなんです。早回しすると、音も若干高くなりますし、神経質な人だと気になるかも? 海外ではWellspringというメーカーが、原題の「Notre Musique」というタイトルで発売していますが、そちらは本当に80分の本編を収録している商品なので、マニアなら購入を検討してみてはいかがでしょうか? ちなみに、そちらの商品には、オリジナル劇場版予告編は収録されていません。代わりに、英語圏版予告編が入ってます。これは、あんまり嬉しくないですね。 |
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(2008/2/10)
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