詩人の血
Le Sang d'un poete / The Blood of a Poet 1930年 フランス
クライテリオン盤
スタッフ/キャスト
製作: ド・ノアイユ伯爵(資金提供)
監督: ジャン・コクトー
脚本: ジャン・コクトー
撮影: ジョルジュ・ペリナール
編集: ジャン・コクトー
音楽: ジョルジュ・オーリック
 
出演: エンリケ・リベロ
エリザベス・リー・ミラー(彫像)
ポリーヌ・カルトン
オデット・タラザク
Feral Benga(黒い天使)
51分(モノクロ)
レビュー
 20世紀フランスを代表する詩人にして、演劇や絵画などにも才能を発揮した元祖マルチ・アーティスト、ジャン・コクトーが手掛けた初の映画作品。
 夢と死の世界を縦横無尽に旅する詩人の物語で、後年の傑作『オルフェ』(1949年)や『オルフェの遺言』(1960年)の雛形とも言える映画ですが、自由な制作環境に恵まれたということもあり、彼がその創意を思う存分発揮することができたこの『詩人の血』は、コクトーが手掛けた映画の中でも最も先鋭的な作品となっています。
 『アンダルシアの犬』と並ぶアバンギャルド映画の古典にして、ニューヨークの映画館では20年以上に渡るロングラン上映を続けたという、カルト映画の元祖的存在でもあります。

 ちなみに、コクトーがこの映画を自由に撮ることができた背景には、名門の貴族であるシャルルとマリー=ロールのド・ノアイユ伯爵夫妻の存在があります。パリに集う芸術家たちの支援者となっていた夫妻は、映画に対しても深い関心を寄せていて、映画制作に関してはずぶの素人だったコクトーに対して、ポンと100万フランを提供したのです。夫妻は採算を取ろうとはせず、コクトーの全面的な自由を保証しました。
 また夫妻は、同年に、当時はまだ新進監督だったルイス・ブニュエルとシュールレアリスム画家のサルバドール・ダリが共同監督した『黄金時代』にも資金提供している他、写真家のマン・レイの映画作品もプロデュースしています。
 芸術が貴族のものだった時代を彷彿とさせるエピソードではありますが、意欲は持ち続けながらも、コクトーの次の映画制作が16年後の『美女と野獣』まで実現されず、その後も出資者を見つけるのに苦労をしていたことを思うと、1930年当時のパリは夢に溢れたいい場所だったんだなあと思わされますね。今のお金持ちも、お金を持て余すぐらいだったら、こういうことに使えばいいのに。閑話休題。

*ここから下は、映画の内容を逐一紹介していますので、新鮮な気分で映画を見たいという方はご遠慮下さい。まあ謎解きや犯人探しがあるような映画ではないので、所謂ネタばらしにはならないかと思いますが・・・

 映画は冒頭、絵画の制作に励む画家、と言うか「詩人」の部屋から幕を開けます。彼は女性の顔を描いているのですが、ふと目を離した隙に、画布に描かれた口が呼吸し始める! びっくりして思わず手で擦って掻き消したところ、今度はその口は彼の手のひらに移ってしまう! 詩人は手のひらの口に体中をキスさせて恍惚に浸ります・・・
 彼は次に、その口を女性の姿をした彫像の顔に移します。すると彫像が語り出し、鏡の中に飛び込めと言い出します。詩人が鏡の中に飛び込んで、さあここから夢の世界に突入です♪

 手のひらに口が出来て話し出すというのは、書くことによってものを表明する詩人の性の表現ですね。自慰行為を暗喩するような映像が続くことから、詩作というものを極めてセクシャル且つパーソナルな行為として捉えていることが窺えます。口の悪い批評家の中にはよく、自分が理解できない作品を見ると、「こんなのは作り手のマスターベーションに過ぎない」と言って揶揄する人がいますが、そんな批判には御構いなしですね。寧ろ全面的に肯定してます。そうですよ、詩は私的でいいんです。私的だからこそ深いところに響いてくるんです。コクトー曰く、「詩人が詩を書くのは、自分と同じ言葉を話す人間を見つけるためだ」とのこと。
 また、この章には「怪我をした手、または詩人の傷」というタイトルが付けられていて、この「怪我」という表現からは、自らの特殊性を病癖として捉えるネガティブな思考を見て取ることができます。言うまでもなく、手のひらに口のある人間は、ある種のフリークであり、人々から阻害される孤独な存在なのです。詩人の部屋を訪ねた友人が、彼の手を見て逃げ出してしまうところなどは暗示的です。しかし、この傷の中にこそ創造の秘密が隠されているのであり、それは詩人を導き、夢の世界へといざないます。

 夢の世界は、とあるホテルとして描かれています。廊下にはドアが並んでいて、各部屋の中ではそれぞれ奇妙な光景が繰り広げられています。
 メキシコの砂漠、鉄砲隊に銃殺される男。彼は地面に倒れ伏せますが、フィルムが逆回しになって、何事もなかったかのように起き上がります。そして再び繰り返される銃殺刑・・・
 一方、隣の部屋では誰かがアヘンを吸っています。パイプにアヘンを詰める様子がシルエットで映し出されます。
 また一方、その隣の部屋では少女が空中浮遊の訓練を受けています。厳しく叱咤し、鞭打つ老婆に対して、天井まで上った少女が舌を出します。
 そのまた一方、廊下の角の最後の部屋では、コクトー曰く「両性具有者の絶望的な交感」が試みられています。男とも女ともつかない者が、その下腹部を覆った布を取り去ると、そこに現れるのは「死の危険」の文字・・・

 う〜ん、「夢とはいくつにも分かれたホテルの部屋ようなものである」とフロイトだか誰かが言っていた気がしますが、これはまさに夢のように、思いつくままに羅列されたイメージであって、敢えて解釈を加える必要はないと思います。詩人の作品に解釈を加えるなんて野暮ですよね。
 もちろん、繰り返される銃殺に「歴史上の虐殺」、「民衆の悲劇」を読み取り、その隣で悦楽に溺れるアヘン中毒者の姿と関連付けて、世界の様相の縮図として捉えることだって可能です。でも、コクトーが伝えようとしているのは、世界情勢などに関連付けられる具体的な「事象」ではなく、あくまでも単なる「印象」なんだと思います。言わば、運命論的な悲劇の印象です。
 それが詩人の心を打ちのめしたのでしょう。彼は拳銃を手渡されると、「使い方: 銃口をこめかみに当てて引き金を引く」という取り扱い説明のままに、自分の頭を撃ち抜いてしまうのです。
 頭から血を流した詩人は、神話の登場人物のように飾り立てられ、そこにナレーションが被さります。「栄光よ、永遠なれ!」

 「もう、たくさんだ!」、夢の世界にすっかり嫌気がさした詩人は、再び鏡を通り抜けて自分の部屋へ戻ってくると、ハンマーを手に取り、彫像に復讐します。白煙を上げて崩れ落ちる彫像。しかし、白煙を浴びて白くなった詩人は、今度は自分が彫像になってしまうのです。コクトー自身の声で、「彫像を破壊したものは、その報いとして、自らもまた彫像になる」と語られます。痛烈な皮肉ですね。人々は破壊者を崇め奉るというわけです。戦争によって破壊されたかのように見える廃墟の前に、その彫像は置かれます。
 すると今度は、そこに子供たちが現れて、雪合戦を始めます。子供たちが雪をぶつけ、夢中になって遊んでいる内に、破壊者の彫像は崩れ去っていきます。なんとも痛快で、生き生きとした映像。
 この雪合戦は、コクトーの小説「怖るべき子供たち」の中の有名なエピソードの映像化でもあるんですね。ダルジェロスも登場しますよ。このシ−ンは、ジャン・ピエール・メルヴィル監督が制作した『恐るべき子供たち』の中にも描かれているので、見比べてみるのも一興です。メルヴィル版では女優が演じていたので女の子みたいだったダルジェロスが、コクトー版では眉毛も太い男らしい少年なので、やっぱりホモの人はこういうごっつい感じのが好きなのかなあ・・・、なんて思っちゃったりして(笑)。

 まあ、冷静に評価させてもらえば、映画制作の経験がない人間が勢いで作ってしまった映画なので、決して完成度が高いとは言えないんですよね。特に、原始的な映像トリックを駆使することに躍起になっている前半部は、今日びの観客たちの失笑を誘うはずです。コクトー自身も自筆の字幕で、「映像技術の脅威、または、私はいかにしてシネマトグラフの罠にはまったか」と言ってますが、まさに新しいおもちゃを手に入れた子供がハシャいでる感じ。でも、これは最新CGを駆使して作られた映画が数年後に古びて見えるというのとは違いますよ。コクトーが用いているような撮影技術は、1930年当時でも特に目新しかったわけではないんです。当時から既に観客の失笑を買っています。でも、コクトーはそんな侮蔑はどこ吹く風といった様子で、30年経っても同じトリックを使っているんです。コクトーは、トリックそのものを愛しているんですね。単純なら単純なほどいいんです。
 コクトーにとって「フィルムの逆回し」は、もはや単なるトリックではありません。それは既に、彼の文体を構成する固有の表現となっています。
 ・・・と言いつつ、やっぱり人に見せる時には誤解を恐れて赤面してしまうのですが、後半に入ると、コクトーもだいぶ手馴れてきたのか、語り口もすっかり堂に入ってくるので、安心して見ていられるようになります。そしてイロニーが明確になると同時に、たたみ掛けるようなポエジーが炸裂! もう、ラストまでウットリです。

 原作と同じ様に、ダルジェロスの投げた雪球が少年の胸を射抜き、少年は血を吐いて倒れます。すると、その傍らに、再びあの詩人が現れて、ポーカーを始めます。周りには大勢のギャラリー。彼の対戦相手の女は、人間の姿をしているが、その正体は詩人の部屋にあった彫像です。そう、詩人と彫像との戦いはまだ続けられていたのです。
 あと一枚、ハートのエースが足りないがために敗れそうになった詩人は、倒れていた少年の胸から「ハート」を抜き出すと、そのハートを持ち札に加えて勝負を挑もうとします。しかしその時、黒い天使が現れ、少年の魂を導くと同時に、詩人が奪ったハートを取り返していくのです。命を賭けた勝負に敗れ、詩人は再び自分の頭を拳銃で撃ち抜きます。滴り落ちる大量の鮮血・・・。高見の見物をしていた観衆が拍手を送ります。
 勝利した女は、彫像の姿に戻ると、黄泉の国へと帰っていきます。彼女はミューズ(詩の女神)だったのでしょうか? ハープと地球儀をたずさえた女神は、長い眠りにつきます。
 コクトーのナレーションが流れて映画は幕を迎えます。「不死者を襲う死に至る倦怠・・・」

 最後に来て、この映画が詩人と詩神との戦いを描いた物語だったということが分かります。これは命を懸けた戦いです。ゴダールは、1960年に作られたコクトーの遺作『オルフェの遺言』を評して、「詩作が命懸けの仕事であるということを示した」と賛辞を送りましたが、それはこの『詩人の血』についても言えることです。
 傷ついた少年をブルジョワ風の人たちが高見の見物しているというのも意味深です。詩人の作品は浮世離れした空想などではなく、残酷な現実の反映だということですね。詩人の命を懸けたゲームを見ながら観衆が笑っているというのも皮肉っぽい。ちなみに、拳銃自殺が二回に渡って描かれますが、コクトーの父親は、拳銃自殺をしているんです・・・
 いやいや、やっぱり詩人の作品に解釈を加えるというのは野暮ですよね。解釈しなくていいというのが詩のいいところ。とにかく面白い! それでいいじゃない♪
 この映画は、説教臭い頭の固い映画ではありません。寧ろ、遊戯的な軽やかさに満ちています。コクトーが度々語っていたように、こうした軽やかさは、硬質な美と相容れないものではないのです。
映画の印象
/
降水確率10%
「日中はいくらか雲も出ますが、
夜になるときれいな月が見られるでしょう。」
勝手に総評
1 5 10
私が愛している度
私が評価している度
一般人気度
マニア人気度
オススメ度
ソフト
 2005年12月現在、国内ではDVDは発売されていません。昔、オーマガトキという会社がLDを発売していましたが、現在では手に入れるのは難しいでしょう。ああっ、悔しい!
 そんなあなたにオススメなのが、米クライテリオンから発売されている「Jean Cocteau's Orphic Trilogy: Criterion Collection」です。このBOX商品には、今回ご紹介した『詩人の血』の他に、『オルフェ』、『オルフェの遺言』、それとエドガルド・ゴザリンスキーという人が監督したドキュメンタリー、『ジャン・コクトー/知られざる男の自画像』が収録されています。
 いつも原典に忠実なクライテリオンにしては珍しく、この『詩人の血』に収録されている中間字幕は、原語のフランス語ではなく、英語字幕になっていて、その点が少々不満ではありますが、画質自体はいいので充分満足できる商品だと思います。まあ、現状では入手できる唯一の盤ですし、選択の余地はないのですが・・・(^^; 国内盤の品質が悪い『オルフェ』も入っているので、ついでの購入でもいいですよね。

 と思っていたら、なんとこの『詩人の血』、日本盤も存在していたことが明らかになりました! 2005年7月にソッピースキャメルという会社が「CULT MOVIE SELECTION 第一弾」として発売しています。(moharaさん、情報提供ありがとうございました。)
 ソッピースキャメルのHPlivedoorデパートで購入できる他、秋葉原の石丸電気(石丸電気本店、SOFT ONE、SOFT TWO)でも取り扱っているようです。amazonなどの大手サイトで取り扱ってないのでちょっと不便ですが・・・
 まだ購入していないので盤質は不明ですが、こういう商品を独自に発売してくれる会社の存在は貴重ですよね。この「CULT MOVIE SELECTION」の第2弾、第3弾がどんなラインナップになるのかということにも期待が高まってしまいます。

(2005/12/12)

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(HP解説当初に書いたレビューということもあって内容が散漫極まりないです。その内、書き直す予定ですが、一応紹介を・・・)


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