| 鼻 | |
| Le Nez | 1963年 フランス |
(ジェネオン エンタテインメント) |
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| ある床屋の主人が朝食を食べようとパンにナイフを入れたら、中から一つの「鼻」が出てきた。そんなもの人に見られたら大変なことになるよと奥さんに言われ、外に捨てに出る床屋の主人。しかし、人目が気になってなかなか捨てられない・・・ 一方、夢から醒めたある男は、自分の「鼻」が無くなってしまっていることに気付いて驚いていた。そんな彼の前に現れる、巨大な鼻のような“鼻人間”。彼は思わず“鼻人間”を追いかけるが・・・ |
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| ロシア出身のアニメーション作家、アレクサンドル・アレクセイエフの、『禿山の一夜』(1933年仏)と並ぶ代表作。ゴーゴリ原作の「鼻」を「ピンスクリーン技法」を駆使して映像化した11分ほどの短編です。(*「ピンスクリーン技法」については、『禿山の一夜』のレビューを参照のこと。) 凄い! 凄過ぎる! この映像には圧倒されます。洗練された銅版画作品のような画。それが動く! ゆっくりとさして来る朝日、ひび割れ流れ出す流氷・・・。壮観です。アレクセイエフは元々挿絵作家だったそうですが、その画のセンスが遺憾なく発揮された上、アニメーションとして結実しています。初の映像作品『禿山の一夜』から30年を経て、ピンスクリーン技法はここに完成を見ました! これは映像面についてのみ言えることではありません。物語を語るという点においても、この作品は完成されています。いや、アイデアの源泉はもちろん原作者のゴーゴリにあるのですが、それを表現するという点において、アレクセイエフほど、ピンスクリーン技法ほど適任はなかったということです。 鼻を失くした男、巨大な鼻のような“鼻人間”・・・。こうしたものを通常のセルアニメーションで、もしくは特殊メイクや合成を駆使した実写で表現したとしたらどうでしょう? それらは必要以上に滑稽に、必要以上にグロテスクになってしまうはずです。銅版画の質感を持ったピンスクリーンだけが、これらを文学の世界に同化させることに成功したのです。さながら小説の挿絵のように・・・ この映画には、ロシア文学特有の、根の暗い、不気味なモチーフが満ちています。地面から浮かび上がる謎の影、そしてもちろんあの鼻・・・ この物語における「鼻」とは、一体何の暗喩なのか? ごくごく一般的な解釈をさせてもらえば、個人のアイデンティティーを構成する一部品、その人をその人足らしめる要素のことだと言えるでしょう。形而上学的意味で言うところの「顔」の一部です。しかし、目ではなく、また口でもない。それらほど重要ではなく、どれを失うか選べるとしたら、恐らくみんなが選ぶであろうもの。それが「鼻」です。しかし、そんな取るに足らないように思えるものが失われることによって、人はたちまち“存在”の危機にさらされる。この喪失感、この疎外感・・・。街に“鼻人間”が溢れ出すというのも、単純に解釈すれば、「鼻」という存在が主人公の心の中で巨大に膨れてしまったことを表しているのでしょう。 「なぜ鼻なのか?」という点に関しては、もう一つ理由を提示できます。それは「鼻」という器官の特質によります。 鼻毛が生えてたり、鼻クソが出たりするせいか、「鼻」は、顔の中では恥部に見られています。言い換えるなら、肉感的・・・、いや、もっと端的に、“肉的”とでも言うべき存在です。精神性が(それほど)介在していません。その証拠に、「鼻の無い人間」と言っても、「目の無い人間」、「口の無い人間」と言うほどには意味が生じてきません。余計な意味が介在してくることを拒否し、物語のテーマを明確にするために「鼻」をモチーフとしたのでしょう。 ちなみに、ちょっと想像してみて下さい、巨大な目のような“目人間”を、巨大な口のような“口人間”を・・・。映像にしたら、なんだかカッコ良くなってしまいそうでしょ? キザでちょっと浮ついています。一方、“鼻人間”はダサい(笑)。でも、その“ダサさ”が逆に魅力になっているんですよね。重さがあって、ぼたんとしている感じ。この“肉的”感覚が、実存的なのです。 「鼻」がただ失くなったわけではなく、床屋によって切られたように思えるところも、この物語を理解する上での重要なポイントでしょう。つまり、他者による剥奪です。原作の書かれた土地、そして監督の出生地であるロシアという国の体制、歴史のことを思うと、不穏な憶測を禁じ得ません。思想の統制、人間性の剥奪・・・。度々現れては監視するかの如くに登場人物たちの様子を窺っているあの謎の影は、まるで「秘密警察」のよう・・・。いや、そこまで具体的ではないが、明らかに不吉なもの・・・。これはロシアという国に限った話ではありません。問題になっているのは、もっと普遍的な事柄です。 言葉に頼らずに物語を語っているこの映画の中に唯一登場する台詞は、ラスト、悪夢から目覚めた主人公の顔に床屋がカミソリを近付ける場面で流れる、「気をつけろ!」。この警鐘は観客に向けられています。「床屋」は日常性の記号です。誰しもが通う場所です。私たちも日々の生活の中で、知らず知らずの内に、“自分を自分足らしめるもの”、そうした大切なものを失っているのかも知れない、奪われているのかも知れない・・・、そんなことを考えさせられました。 見るからに異様な“鼻人間”が登場したりすることから、この映画は「シュールレアリズム(超現実主義)映画」と呼ばれますが、これは現実からかけ離れているという意味ではないのです。シュールレアリズムもまたリアリズムです。たとえ強調されていたとしても、ここに描かれているような不安、恐怖は、紛れもなく現実のものなのです。 私はこのレビューを書きながら、少々混乱をきたしています。映画について語ろうとして、物語のこと、文学のことを語ってしまい、文学のことを語ろうとして、映画のことを語ってしまったりしています。しかし、これは無理もないことです。この映画はそれくらい、主題、モチーフと完璧に融合しているのです。 普通、挿絵というものは、文章の合間に挿入されて観客のイメージを助けるものですが、この「動く挿絵」は、言葉の助けを借りずに文学の世界を表現しています。凄い! 凄過ぎる! 『鼻』は、アニメーションの歴史に残る傑作です。滑稽で、幻惑的で、圧倒的な作品です。
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| DVDは・・・2003年中からアナウンスされていたのになかなか発売されなくてヤキモキしていたのですが、2006年7月にやっと・・・ジェネオン
エンタテインメントより発売されました。どうやら2004年にフランスでデジタル修復されたマスターを使用しているらしいので、そんな関係から発売が遅れていたのかも知れませんね。アレクセイエフが制作した全映画を収録している他、以下の通り特典も充実! 素晴らしい商品です。是非一家に一枚! 収録作品 ・『禿山の一夜』(1933年)/8分 ・『道すがら』(1944年)/2分 ・『鼻』(1963年)/11分 ・『展覧会の絵』(1972年)/10分 ・『三つの主題』(1980年)/7分 映像特典 ・コマーシャル作品20篇/29分 ・習作『振り子』(1951年)/2分 ・習作『イリュージョナリー・ソリッドの研究』(1960年)/10分 ・ドキュメンタリー「ドクトル・ジバゴのための挿絵」(1960年)/8分 ・ドキュメンタリー「ピンスクリーン」(1973年)/39分 ・ドキュメンタリー「『三つの主題』メイキング」(1980年)/1分 |
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