あずみ
2003年 日本
スタッフ/キャスト
製作: 山本又一朗
中沢敏明
企画: 濱名一哉
遠谷信幸
監督: 北村龍平
原作: 小山ゆう
脚本: 水島力也
桐山勲
撮影: 古谷巧
 
出演: 上戸彩
原田芳雄
小栗旬
成宮寛貴
小橋賢児
松本実
オダギリジョー
142分
ストーリー
 時は関が原の決戦を経た徳川の治世。しかし、徳川の統治を良しとしない者たちが世に再び戦乱を巻き起こさんと暗躍しており、世情は不安に包まれていた・・・

 育ての親の爺(じじ)の下、刺客となるべく鍛えられた少女あずみは、一緒に育った九人の仲間と共に使命を果たす日を心待ちにしていた。しかし、爺から下された最初の指令は、仲間同士殺し合うことだった。非情に徹し切れない人間では、爺の望む“理想の刺客”足り得ない。爺の期待に応えようと、殺し合う少年少女たち・・・。あずみを含む五人だけが生き残り、戦を起こさんとする者たちを抹殺する「枝打ち」の使命を果たしていくことになった。

 世を再び豊臣の天下に戻さんと画策する武将たちを討ち果たす使命を与えられたあずみたち。しかし、標的加藤清正の側近井上勘兵衛は抜け目のない男で、あずみのたちの奇襲を退けた上、忍びによってあずみたちの居場所を突き止め、逆に刺客を送り込んできた!
 刺客たちとの戦いの中で、一人また一人と命を落としていく仲間たち・・・。遂には爺が囚われてしまい、あずみは百人の敵が待ち受ける中へ飛び込んでいくことになる!
レビュー
 小山ゆう原作の同名マンガを、アイドルタレントの上戸彩主演で映画化したアクション時代劇。監督は、アクション演出に定評のある北村龍平。

*原作との比較が中心だったり、私見が多く入ってる部分は黄色で表示してあります。忙しい方は、そこだけ飛ばして読まれるといいでしょう。まあ、その部分にこそ私の言いたいことが詰まっている気はするのですが・・・

 ちょっとした昔話になりますが、2002年に発売された「あずみ」の単行本第二十七巻のオビにあった「実写映画化決定!!」の報を見た時、私は大きな不安・・・、そして疑念を抱かずにはいられませんでした。「一体どんなになるんだ!?」、「そもそも実写化に向いた企画なのか?」、と。だってこの原作は、レイプや殺人が横行し、斬られた四肢や生首が乱れ飛ぶ、大残酷ヴァイオレンス・マンガなんですよ。一般映画ではまず不可能。・・・でも、ちょっと見てみたい・・・。そんな気持ちもふつふつと・・・。しかし、写真付きで報じられていた「主演・上戸彩!!」の記事を見て、すっかりしらけてしまいました。「誰なんだコイツ?(←当時は今ほどメディア露出がなかったので知る由もなかった)、あずみとは全然イメージ違うじゃん!!!!」。
 あずみは、異人の血が混じっていて、肌が白く、目が青味がかった、端整な顔立ちの美人なんですよ。今流行り(?)のクール・ビューティー。上戸彩がブスだとは思わないけど、純日本人的でハーフには見えないし、ビューティーと言うよりはプリティーな感じ。いや、誤解無きよう言っておきますが、あずみも結構プリティーです。でも、基本的にはクールで、無表情に人を斬り殺したりしてます。その一方で、時折、これでもかと言わんばかりの天真爛漫な笑顔も見せる。その落差が魅力なんですよね。上戸彩ではそういう落差が足りないと思う。じゃあ誰なら演じられるのか? ・・・たぶん誰にも無理でしょう。あずみは、その人柄から、時折、「菩薩」に譬えられます。つまり「聖人」のような存在なのです。そんな聖性を宿した女優、タレントが今の日本にいるでしょうか? 小山ゆう特有の、丸っこくて素朴な、劇画以前の漫画のようなタッチが、この聖性、浮世離れした感覚を補強しています。映像化するなら、アニメにするしかないように思われます。
 いや、しかし、そんなことはそもそも問題ではなかったのでしょう。これが上戸彩というタレントを売るための企画であることは歴然でした。タレントとしての価値を高めるため、そのプロフィールに「映画出演」という一行を加えようとしていたのでしょう。それで何かちょうどいいネタがないかと探していたら、これがあった。ちょうどお手頃な「あずみ」が・・・。「美少女剣士」ということでアイドル向き。ただオリジナルの企画をぶち上げるより、“原作もの”ということで箔が付く。しかし、みんなが知っているというほど有名ではなく、イメージが固まっていないから、適当に作っても批判を集めにくい。「あずみ」を映画化したかったわけではないのです。ちょうどお手頃だったから選んだに過ぎないのです。原作のファンにとっては耐え難い侮辱ですね。
 まあ、しかし、原作に忠実で無かろうと、製作の動機が不純であろうと、出来上がった映画が結果として面白ければ、それはそれでいいのです。原作ファンとしてはともかく、映画ファンとしてはそういう姿勢でなければならない(と思う)。というわけで、いつか見ようとは思いつつも、なかなか思い切りがつかないまま月日が流れ、3年目・・・、遂に一念奮起しました!
 ・・・いや、新刊が出たのを機に一巻から通して読み返してたら、やっぱり「あずみ」は面白いなってなって、この面白さのほんの数パーセントでも表現できてたらモウケモノだと思って、WOWOWで録画したものを引っ張り出してきたのです。で、見てみた感想ですが・・・


 良かった! 本当に良かった!! 何が良かったって、DVDを買わなくて本当に良かったってこと・・・・・。これは原作がどうこう言う以前の問題です。感情が空っぽ。登場人物の心理が描き込まれていないから、劇的な場面になっても全然盛り上がらない。最初の見せ場からしてそうなんです。
 原作でもそうだけど、この映画版でも、キャッチコピーが「最初の使命は、愛する友を殺すこと。」となっていることから分かるように、あの冒頭の仲間同士で殺し合いをさせられるシーンが、観客をぐっと引き付ける、最初の見せ場になっているんです。期待しちゃいますよね。大抵どんな風に撮ったって、充分衝撃的になるシチュエーションです。・・・が、しかし、爺が「今組んだ者同士殺し合え!」と衝撃的な台詞を口走っても、カメラは主人公たちの姿を、表情も分からないくらい遠くから、ボーっと捉え続けるのみ・・・。なんだか違う意味で唖然とさせられてしまいました。お笑い芸人のギャグがスベったかのようなしらけ方。サ、サブいです・・・。例えば、主人公たちの驚愕の表情を次々とアップで映し出すとか、そんな程度の陳腐な演出でも充分に効果的でしょ。その程度のことがどうして出来ないのよ!? しばらく経って、やっと少し「寄り」の画になるけど、そこからは無駄に引っ張り過ぎで、原作にある「恐怖と混乱の中で訳も分からない内に殺し合ってしまう」という感じが出せていない。演技が下手と言うより、演技指導が根本からなっていなかったのでしょうが、主人公たちの様子がただモジモジしているだけのように見えてしまい、見てるこっちまで、なんだかバツが悪くなる。こりゃあ先が思いやられるな・・・と、重たい気分にさせられてしまいました。

 いや、北村龍平監督の他の映画を見ている人なら、「この人は、人間の心理になんて全然興味無いんだよ。ただアクションを撮りたいだけ。」と言うでしょう。確かに、アクションに次ぐアクション、見せ場に次ぐ見せ場で楽しませてくれる「アトラクション」みたいな映画も、それはそれで面白いですよね。北村龍平監督は、自分で「アクション演出が上手い!」と豪語してる人で、その独特(?)な感性は、一部では熱烈な支持を受けていると聞きます。だから、まあ、アクションだけでも楽しめれば、それはそれでいいかなあと、前向きに考えようとしたのですが、このアクションが、また全然面白くないのだ・・・
 まず、チャンバラからしてなってない。ガチャガチャガチャガチャと忙しく刀をぶつけ合っているだけ。テンポ良く見せたいんだろうけど、軽くて軽くて、迫力は皆無。血飛沫さえ飛ばせばいいってもんじゃないでしょ(←その飛ばし方にも美意識が感じられないし・・・)。それに戦闘シーンがどれも必要以上に長く、単調なので、テンポ自体も悪く感じられてしまう。これじゃあ本末転倒です。戦いがダラダラと長引くから、主人公たち刺客団の強さも際立って見えない。話が進んで新手が出てきてからならいいけど、最初の内は迅速に任務をまっとうして、凄腕の刺客ぶりをアピールしてほしかった。そうでないと設定も生きてこないし・・・
 この映画には、この手の映画に不可欠な「第三者の視点」というものが欠けています。チャンバラ映画の古典的名作であるキン・フー監督の『侠女』では、あの有名な「竹林での死闘」の時に、主人公たちの戦いを見詰める第三者的人物がいて、「おおっ!」と驚いたり、はっと息を呑んだりする様子が随所に挿入されます。こうした演出はあの『七人の侍』にも見られ、七人の内で一番の達人、久蔵(宮口精二)が初登場する果し合いのシーンでは、それを見詰める多くの野次馬、そして主人公である勘兵衛(志村喬)、菊千代(三船)の反応が映し出されます。これによって久蔵の達人ぶりが際立つのです。
 映画には、それぞれの世界観、つまりそれぞれの世界における常識というものがあるわけですが、まずそれが分からないことには、ある登場人物が強いのか弱いのか、それとも普通なのかということが伝わらない。観客の視点と同化した第三者の視点が、それを客観的に判断してくれるのです。この映画版『あずみ』の戦闘シーンにも、原作と同じように、あずみたちの強さにびっくりしたり、恐れをなして逃げ出したりする敵の姿が見られれば、もう少しメリハリが付いたのに・・・。あずみたちがどれだけ斬り殺しても、敵の反応に変化が見られないので、非常に淡白な印象。恐怖の表情ひとつ無くて、まるでロボットみたい。そういった意味でも、感情の欠落した映画だということですね。

 そもそも刀をガチャガチャと合わせていること自体が気に入らない。原作の設定よりだいぶ年上になっているから他の人はまあいいけど、小柄な上戸彩が、あの細腕で大の大人の男の攻撃を受け止められるとは思えない。しかも上戸彩は、最後の方では片手で刀をブンブン振り回して敵の攻撃を受けるんですよ。すっげー怪力娘・・・。これがリアリズムを追求する映画でないことぐらいハナから分かってますが、それでもアクション場面を盛り上げるには、最低限のリアリティーは守ってもらわないと。原作のあずみは、力負けするからと「受け太刀」はなるべくせず、相手の攻撃をかわしては、すばやく間合いに飛び込んで攻撃するという戦法なんですよ。一本の刀では脂で切れなくなるからと敵の刀を奪って戦い、時に応じて手裏剣も併用するという実戦派。どうしてそれを再現しようとしなかったかなあ? 殺陣師かそれとも監督本人かも知れないけど、「チャンバラ」と言ったらこういう風にチャリンチャリンと刀を合わせるものと決めてかかっていたんでしょうね。ホント、発想が貧弱。カッコいいつもりで火花を飛ばしたりしてるのが尚更にウザかった・・・
 それとあずみのマントが長過ぎるのも気に入らない。原作ではふとももがやっと隠れるぐらいの長さだったのに、この映画版では、地面まで届こうかというぐらい長いんですよ(←別に足フェチだから怒ってるわけじゃないですよ)。これは速さと敏捷さが身上のあずみにとってはマイナスです。現実的ではありません。引っ掛かったり絡まったりして危ないし、乱戦の中では敵につかまれる恐れも・・・って思ってたら、オダギリジョー演じる美女丸にしっかりとつかまれていましたね。彼はあそこから攻撃につなげなかったけど、本来ならやられてるぞ。原作のあずみは、戦いに臨む時にはマントを外すし、不意に戦いに巻き込まれた場合も隙を見てパッとマントを外してます。この映画版では、そのマントをバッサバッサとやたらとひるがえして見せてますから、たぶんバットマンみたいな“ヒーローもの”のイメージにしたかったのでしょうが、方向性が完全に間違ってますよねー。
 そろそろ映画も終わりという段になって、カメラに向かって歩いてくるから、「あー、カメラに向かってマントをバサッとやって終わるんだろうなー」って思ってたら、やっぱりそうやるし。そんで真っ暗になったところで「あずみ」というタイトル文字がドンと出る。まるで「これが『あずみ』だ!」と言わんばかりに・・・。でも、“これ”は「あずみ」じゃないでしょ。最後の最後に、「あずみ」じゃなくて、さり気なく「あすみ」とでも出してれば、結構気の利いたジョークになったのになー。


 夜の忍者対決の場面は『グリーン・デスティニー』、凄い速さで立ち回るのを表現する手法は『ザ・ワン』、爆発で人間が吹っ飛ぶところは『ダークマン』か『ダイハード2』・・・、よくもこんなパクリばかりで「アクション演出が上手い!」なんて言えますね。色々な映画の名シーンが頭の中にいっぱい詰まっているんでしょうけど、それだけじゃ面白い映画は作れません。あるシーンが“名シーン”として際立って見えるのは、その前後のシーンの組み立てがあってこそ。つまり、大事なのはシーンの「流れ」なの。北村龍平という人は、演出というものを根本的に理解してないと思います。そのことを端的に示す2つのシーンを挙げましょう。
 まず一つは、あずみが爺の救出のために敵の待ち受ける城下町に乗り込んでいくシーン。さらしものにされた人質が痛めつけられそうになったところでドッカーンと爆発、煙の中から主人公が登場!・・・って、『荒野の用心棒』そのまんまの展開になるのですが、突然の爆発で観客の意表を突かなければいけないはずのところなのに、その前に、大砲がグルーって向き直る描写が入るの。これじゃあ爆発のインパクトが激減。大砲があることは事前に見せているんだから、爆発が起これば「あー大砲で撃ったんだね」って分かるでしょ! こんな説明的な描写は不要です。(←まさか『戦艦ポチョムキン』のパロディー??)
 もう一つは、メインの敵役である美女丸とあずみの決着のシーン。勢い良くすれ違った後、背中を向けたままのあずみに向かって刀を振ろうとする美女丸。しかし、頭を残したまま体だけ回転してしまう!・・・つまり、すれ違いざまに首を切られていたということなんですが、このシーンでもその前に、首にピピピーって線が入って、首が切れたことを示す映像が挿入されている。なんで結論を先に示してしまうのよ! これじゃあ主人公がやられそうになってもハラハラできないし、首が回った瞬間のインパクトも激減でしょ。
 ある映像の効果やインパクトのことは意識しているんだろうけど、その映像がシーン全体の中でどういう意味を持つのか、ひいては映画全体の中でどういう意味を持つに至るのかということを一切理解していないのですね。これを演出とは呼べません。ただの映像の羅列・・・。それも人マネばっかりの・・・
 ちなみに、あの首にピピピーって線が入るのは、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地大乱』のパクリですね(←『バイオハザード』の可能性もある)。

 この映画が見る者を不快にさせるのは、こういう雑多な演出で、あまつさえ観客を感動させられると思っているところ。エモーショナルに盛り上げようとするシーンがやたらと多い。主人公の仲間が死ぬ時は、いつも決まってスローモーションになって、大仰で感傷的なBGMが流れる。こんなステレオタイプの演出で、観客の涙を誘えるとでも? 感情が空っぽで、これっぽっちも思い入れできていないというのに・・・
 このスローモーションが、またやたらと長いのが問題です。本当に痺れを切らしてしまうほど長い・・・。普通、スローモーションというものは、特別な瞬間を強調して見せてくれるものですが、この場合は演出の劣悪さを強調しているだけ。耐え難い苦痛が延びに延びます。まるでノコギリのような粗い刃でゆっくりと体を切り刻まれるかのよう・・・。これなら寧ろ、刀でスパッと切ってくれる方がいいです。原作の「あずみ」では、この映画とは逆に、魅力的なキャラクターたちが、本当にあっさりと死んでいくんですよ。この映画に必要なのは、寧ろ、そういう無常感だったと思う。
 アクション映画におけるスローモーション演出は、黒澤明監督が『七人の侍』で開拓し(←上記した、久蔵の果し合いのシーン)、それに影響を受けたサム・ペキンパーが『ワイルドバンチ』で大々的に実践したわけですが、彼らの映画では、名も無き人間の死の瞬間も強調されていて、ある意味で人道的とも言える側面が見られるのに対し、この映画のスローモーションは、偽りの感情を増幅し、人の死というものを冒涜しています。心の琴線に触れようとするなら、もっと繊細な演出が必要です。そうでなければ、ただ神経を逆撫でするだけ。血を流すのは結構ですが、涙はもっと神聖なもの・・・(だと思う)。アトラクションならアトラクションらしく、スリルと興奮のみを追求するべきです。

 まあ、この映画の出来が酷いのは、なにも監督のせいばかりではないんですよね。脚本からしてかなり酷いです。あずみが一人目の標的を殺す時から躊躇してるというのは酷過ぎる。これじゃあ「外界との接触を断たれ、物心付かぬ頃より殺しの技を叩き込まれた」という設定が生かされていない。つまり、あずみたちは洗脳されているんですよ。爺の言葉になんの疑いも持たず、淡々と使命をまっとうしていきます。いや、このシーンのやりとりは、原作から拝借されたもので、大塚兵衛という武将を暗殺する時に、あずみは実際、心の迷いを見せるんです。でも、それは、話も進んだ第四巻、あずみたちが山を降りてだいぶ経ってからのこと。最初は使命を果たすことになんの迷いもなかったあずみも、様々な人々に出会い、様々な出来事を経験したことで、だんだんと人間性に目覚めていったということなんですね。いきなり躊躇じゃあまりにも軽い。この映画のあずみは本当に軽過ぎます。すぐ迷ったり、すぐ泣いたり、ふわふわとしていて、意志の強さが感じられない。絶対と信じていたものが揺らぐ、強い信念が揺るがされるからこそ面白いんでしょ。これじゃあテレビドラマやアニメによくある「悩み多き主人公」。こんなネタ、なにも「あずみ」でやることないじゃない。
 余談ですが、爺の死のシーン、この映画のあずみは「爺死んじゃイヤ〜!」っていう感じに泣き崩れるけど、本物のあずみは違います。一瞬動転するけど、「うろたえるな!! 五感を研ぎすませろ!! 今も敵はどこからか狙っているのだ。」と自らに言い聞かし、涙ひとつ見せずに臨戦態勢を取るのです。それが爺の教えだからです。強いでしょ? カッコいいでしょ? でも、哀しいでしょ・・・。哀しみに浸ることさえ許されない・・・。映画の方は甘っちょろいよ。まあ終盤のクライマックスだから劇的にしたいのも分かるけど、涙を見せることで涙を誘おうというのは安易に過ぎます。

 旅の途中で出会った少女「やえ」とのやりとりもチグハグとしてます。やえは、出会って間もないあずみに向かって、「あずみに剣は似合わない」、「あずみのような人間が(こんな残酷な)使命を果たしていかなくてもいい」と言って一緒に逃げることを促すけど、こんな短期間の内に、お前はあずみの何を分かったっていうんだ? 使命の何を分かったっていうんだ? こうした台詞も原作から拝借されたものですが、それは第二十七巻で、共に使命を果たしてきた仲間で、互いに心惹かれる間柄でもあった兵介という男から言われるものです。行きずりの相手にこんなこと言われても、全然実感が湧きません。
 あずみもあずみだ。一緒に育ってきた仲間を残酷なやり方で殺されたというのに、怒りに震えるでもなく、「使命やだなー」って(←こんなセリフは言わないけど)、仲間も育ての親の爺もほっぽらかして、やえと一緒に逃げてしまう。こんな薄情者に感情移入はできません。その後、偶然遭遇した山賊を斬り殺したことから、自身の宿命を痛感して仲間のところに戻ることにするんだけど、展開が安直でスッゲーしらける。「斬りたくなくても斬らされる!」とか、そんなクサいセリフは原作には無いよ。「やっぱり俺には剣しかないんだ・・・」みたいなセリフはあるけど、それは、使命は果たしたが仲間を全員失い、爺も殺され、爺の仇だと思っていた相手(←実は騙されているのだが)も討った後、「もう俺には果たさなければならない使命は、何も残っていない・・・。もう何も無いんだ・・・」ってなってから、「いや、俺にもまだ残っていることが一つ有った。物心つかぬ頃から爺に鍛えられた俺たちの剣技とは、天下でいったいどれほどのものであったのか・・・」と、剣士としての誇りに目覚め、新しい生きがいを見付ける場面で語られるのです。使命もまだ果たしてなくて、仲間も爺も生きているのに、「俺には剣しかない」って・・・、ちょっと変よ、この娘。
 北村龍平監督が色々な映画のシーンをツギハギして映画を作ろうとしたように、この映画の脚本家も原作の「あずみ」から色々なエピソードを抜き出してツギハギしているのですが、その過程で感情も心もバラバラになってしまったようです。なにやらメッセージらしきものも見られますが、それっぽいテーマを創作して、ステレオタイプの物語に押し込めてあるだけ。これをドラマとは呼べません。単なる台詞の羅列です。

 「原作がどうこう言う以前の問題」と最初に言っておきながら、原作を引き合いに出すことが多くなってしまいましたが、この点はどうかご容赦いただきたい。私にこのレビューを書かせたのは、「原作は映画と違うんだよ」、「原作は映画と違って面白いんだよ」と訴えたい強い一念だったのです。これを吐露せずにはいられなかった。あの「あずみ」をこんなステレオタイプの物語に押し込めてしまうなんて・・・。でも、原作との違いを見付けて文句つけてるだけの口うるさいファンのように思われては、この映画が“映画として”つまらないこと、本当にどうしようもなくつまらないということが伝わらないと思い、こんなにも長々と書き連ねてきてしまったのです。まだまだ言い足りない。欠点はいくらでも挙げられる。が、しかし、私も大人ですから、あんまり口うるさく言うのはやめておきましょう(・・・・)。
 最後に一つ、この映画のいいところも挙げておきます。オダギリジョー演じる剣士の美女丸、彼はなかなか良かったです。原作とはまた違う感じなんだけど、変態的という点では申し分ありませんでした。彼が出てくるだけで、映画が少し面白くなったです。彼の頑張りに免じて☆一つサービスです。

 ちなみに、原作の「あずみ」についてですが、私はなんだか無条件に誉めてるみたいなってしまいましたが、別に凄い名作というわけではないのでご了承下さい。遠大な構想のもとに緻密に物語を進めていくストーリーマンガじゃなくて、作者の小山ゆうが「チャンバラのアイデアを考えつく限り続ける」と言っていることからも分かるように、毎回適度に山場を盛り込みながら進行する、典型的な連続活劇です。しかも相当悪趣味な・・・
 あずみが好きになった相手は、皆ことごとく死んでいきます。時にはあずみ自身がその命を奪わなければならない時も・・・。誇りある剣士の生き様と言えば聞こえはいいけど、「死ぬのならお前に斬られて死にたい」みたいなこと言って好いた相手に斬られていくなんて、ある意味究極のマゾヒズムですよね。このマンガにはSM的要素が満ちています。だんだんと悪ノリしてしまったのか、第二十一巻では、あずみを監禁した異常者が、あずみを「人間家畜」に調教しようとするエピソードまで登場する始末・・・
 お気づきのように、この物語には受難劇としての側面があります。主人公のあずみが、容姿端麗で頭脳明晰、その剣技は天下無双の域に達していて、しかも人格は高潔と、完全無欠なところが気持ち悪いという人もいますが、これは、暴力的で残酷な、地獄のような世界に生きるあずみの聖性を際立たせるためなのです。そう、あずみは、“聖あずみ”なのです。洋の東西を問わず、聖人の逸話の中には、度々、「コイツ頭のネジが何本か抜けてるんじゃないか」と思わせるような白痴的な言動が登場するものですが、それは時に人を感化し、感動させたりもします。「あずみ」もまた感動的です。低級なエンターテイメントですが、完成されています。堕落していながら、高みにあります。あずみは「お前は心に菩薩を宿している」と言われますが、「菩薩」という仏は、いつでも極楽に行けるのに、衆生救済のために現世に留まり、不浄にまみれることを選んだ存在なのです。もちろん、あずみは人間なので、矛盾も抱えています。しかし・・・、いや、そうであればこそ、「あずみ」という聖人画は、とても美しいのです。

*改めて考えてみたら、この映画に「★☆」の評価はくれ過ぎだと思ったので、やっぱり「★」に訂正。「★☆」の映画に対して失礼になってしまいますから。(2006年12月8日)
映画の印象
/
降水確率80%
勝手に総評
1 5 10
私が愛している度
私が評価している度
一般人気度
マニア人気度
オススメ度
ソフト
 DVDは、2003年11月に「あずみ スタンダード・エディション」と「あずみ デラックス・エディション」が発売されました。詳細は・・・、どこかのサイトを参照して下さい。価格設定がだいぶ高値ですが、今思えばそのおかげで買わなくて済んだなあ・・なんて、ちょっと感謝もしていたりして。
 2005年9月に、栗山千明ちゃんが助演しているパート2とセットになった、「あずみ ツインパック」も発売されました。買うんだとしたら、こちらの方がお買い得感が高いかも? でも、デラックス・エディションに付属している特典ディスクは付いていないので注意が必要です。

(2006/09/01)

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