荒木又右ヱ門 決闘鍵屋の辻(荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻)
1952年 日本
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スタッフ/キャスト
製作: 本木荘二郎
監督: 森一生
脚本: 黒澤明
撮影: 山崎一雄
美術: 松山崇
音楽: 西梧郎
 
出演: 三船敏郎
片山明彦
小川虎之助
加東大介
高堂国典
杉寛
志村喬
82分
ストーリー
 寛永十一年、城下町伊賀上野で、荒木又右衛門と渡辺数馬一行は、仇敵河合又五郎を待ち伏せしていた。それぞれの脳裏に去来する様々な思い・・・
 身内の者を殺された義理の弟、渡辺数馬に助太刀して河合又五郎を討つことになった荒木又右衛門。しかし、又五郎の叔父で、今は又五郎と行動を共にしている河合甚左衛門は、又右衛門の盟友だった。苦悩の中、対決の時は刻一刻と迫っていた・・・
レビュー
 数多くの時代劇の傑作、佳作を残した森一生監督が、サイレント時代から度々映画化されてきた、「決闘鍵屋の辻」として知られる実際の仇討ち事件を、斬新(?)な解釈で描いた作品。脚本は、当時既に天才の名を欲しいままにしていた黒澤明(同年には『生きる』を監督)。一番元気があった頃の黒澤明の才気がほとばしっていて、見所いっぱいの映画です。

 まず、冒頭の導入部に圧倒・・・、いや、呆気に取らされてしまいます(^^; 三船敏郎も志村喬も白塗りの顔で登場して、演出も音楽も1930年代の時代劇。あれ? 制作年はいつだっけ? この時代の映画ってこんなだったけか? って混乱させられてしまいます。でも、これはこれで面白いくないわけではないので、大勢を相手に立ち回る、軽いノリのチャンバラを楽しんでいたら、唐突に、「講談によると、この時、又右衛門は36名を斬っている。しかし、信頼すべき記録によれば、又右衛門は2人しか斬っていない。面白さを誇張するために36名にしたのは、講釈師の腕である。」と、醒めたナレーションが始まるのです。なんだこの映画は!?(^^; それが第一印象。でも、すぐに制作者の意図は見えてきます。「忠実な記録は、誇張された作り話よりも遥かに迫力がある。これは、藁人形のような人間を36人斬るのと、ひとかどの人物を2人斬るのと、どちらが大変なことか考えてみれば直ぐ分かる。」と続くのです。当時、黒澤は、新時代の時代劇=リアリズム時代劇の旗手として名乗りを上げていました。これから、作り事ではない、“本物”の「決闘鍵屋の辻」を見せてくれるというわけですね。おう、見せてもらおうじゃないの! ・・・でも、史実に忠実な「鍵屋の辻」が始まる前に、映画は一旦タイムスリップ! ―街道をバスが走ってくる― 遠く時を隔てた、現代(1952年当時)の「鍵屋の辻」の風景が映し出されるのです。
 いやーもう、本筋の物語が描かれる前から無常感がムンムンですね。又右衛門一行が待ち伏せに使った休み茶屋の「鍵屋」も、今では駄菓子屋になってたり・・・。伊賀上野辺り一体が、度重なる水害で、すっかり昔の面影を失ってしまったそうです。・・・失われてしまったのは、景色ばかりではないのでしょうね。人々が抱いていた様々な思いも、忘れられ、失われしまった・・・、それを表現するために、冒頭にああいうパロディーを入れたのでしょう。人形のような白塗りの顔、それは汗をかくこともしない。一方、第二部で新たに登場する荒木又右衛門=三船敏郎は、汗ダクダクで脂ギッシュ! ここには、感情の風化、人間性の欠如が象徴的に表現されているのです。醒めたパロディーを入れてメタ映画的にしてみたり、ちょっとドキュメンタリータッチの部分を入れてみたりと、いかにも、「映画作家」気取りの若い人が調子こいてやっちゃった、みたいな空気が漂っているけど、センスがいいから、かなりイケてます。個人的には、この辺りまででも、充分満腹でしたね。
 で、やっと本番の「決闘鍵屋の辻」が始まるのですが、こっちも負けずに面白い。て言うか、奇を衒った導入部がなくても、最初っからこっちだけでも充分面白いじゃないって感じに面白い。寧ろこっちだけで一本の映画にまとめた方が、時代劇として風格があったと思う人も少なくないはず。私は、あの奇の衒い方が嫌いじゃないですけどね。

 物語は、仇討ち決行の当日、荒木又右衛門と渡辺数馬、他2名が伊賀上野の鍵屋に到着して、河合又五郎一行を待ち伏せするところから始まります。でも、事件の背景も描かれていないので、観客にはそもそも、この胡散臭い男どもが何者まのか、その目的が何であるのかといったこともよく分からないのです。なんとも言えず所在無い感じ・・・、観客はそれを登場人物たちと共有します。そして、ここから怒涛のフラッシュバック! それぞれの脳裏に、ここ五年間の出来事が去来するという形で、事件の詳細が語られていくのです。
 もうっ、黒澤明のフラッシュバック・フェチぶりが炸裂! 『羅生門』や『生きる』を思い起こさずにはいられません。あちらに比べると、こちらはずっと正攻法の作りで、斬新さは無いかも知れないけど、丹念な描写の積み重ねが、観客の心にも少しずつ様々な思いを積み重ねて、決闘の瞬間までに緊張感を否応が無しに高めるのです。心臓バクバク、期待でワクワク! もう、ここまでで娯楽映画としては満点!

 お題目である決闘の描写にも、黒澤明のコダワリが生きています。バッサバッサと斬り捨てる! とか、そういう種類のチャンバラではないのです。舞台が、「寛永十一年」と、戦国時代から遠く時を隔てていることからも分かるように、武士と言えども人を斬った経験が無い。威風堂々、みんなを指揮している荒木又右衛門=三船敏郎にも無いのです。だから、人ひとり殺すにも、とっても難儀する。黒澤流のリアリティーの表現ですね。命の重さを表現していると言ってもいい。・・・まあ、正直言うと、少々ジレったいですし、「本当にこんなに手こずったんだろうか? ひとたび覚悟を決めた人間にとっては、人を殺すことなんて造作も無いんじゃないか?  そういう狂気を描くことだって、リアリティーの表現じゃないか」という思いも頭をもたげてきてしまうのですが、しかし、この場合、黒澤明の意図は別のところにあったのでしょう。理性を吹っ切った人間が人を殺すのでは無く、充分に理性的な人間同士が、殺し合わなければいけない状況に追い込まれる・・・、そういう社会を描くこと。仇討ち、御家制度・・・、黒澤明は、猛々しさの裏に隠された、武士の社会の暗部を浮かび上がらせているのです。これは、数年前まで戦場に国民を駆り出していた自国の政府に対する告発でもあったのでしょう。
 互いに刀を突き合せたまま動けなくなってしまう河合又五郎と渡辺数馬。目の前にいるのは、憎き仇敵のはずなのに・・・。戦いがダラダラと長引く内に、そもそも、なんのために戦っていたのかということさえ分からなくなってきてしまいます。正義の復讐、正義の殺人など無いというメッセージも明白です。そもそも、「正義」とはなんなのか? 冒頭に、ああいった形で、全てが風化した、失われた、「現代の映像」を提示されているだけに、観客が味わう徒労感、虚無感は尋常なものではないのです。

 『生きる』や『七人の侍』といった稀代の名作に挟まれて、黒澤明脚本作品としても影が薄く、派手さを欠くためか、森一生監督の代表作とも見られていませんが、『荒木又右ヱ門 決闘鍵屋の辻』は、間違いなく傑作と呼べる映画です。娯楽映画としての要素を充分に備えながら、それ以上のものも達成している。奇を衒ったような斬新さを見せながら、情感豊かで感動的でもある。DVDが出ていないので見るのが難しい映画ではありますが、機会があったら是非見て下さいね。
映画の印象
/
降水確率10%
勝手に総評
1 5 10
私が愛している度
私が評価している度
一般人気度
マニア人気度
オススメ度
ソフト
 2007年2月現在、DVDは発売されていません。ビデオは出ていたのかな? どちらにしても見るのがなかなか難しい映画だと言えます。私は、CSの日本映画専門チャンネルで見ました。NHK衛星放送などでの放送も期待できると思うので、チェックを欠かさないのが吉でしょう。

(2007/2/23)

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