昭和56年2月
  17、六樋合併記念碑
  旱ばつ洪水今は昔自然の恵みと潤い守る
 尼崎市の最北端に、武庫川水系六樋合併50周年の記念碑が建っています(昭和53年建立)。武庫川は、元来うねうねとまがり、今の国鉄附近より武庫川と枝川とに分かれて流れていました、一方の枝川は改修工事の結果廃止されて、現在の甲子園球場等になっています。
 武庫川のような大きな川から田圃(たんぼ)への農業用水をひくには、川に堰堤をし“樋”という取水口から水をひきます。市内武庫川には(国鉄より北)六つに分かれた取樋口、すなわち“六樋”がありました。樋は、農業にとっては最も欠かせない重要な役割を果たすものであり、そのためにいろんな争いがありました。例えば、雨が長い間降らないために田地が干上がり、そのためにあちらこちらで水争いが起こり、特に尼崎側と西宮側は仲が悪かったと伝えています。
 旱ばつ同様に水害もたびたび記録され、明治29、30年の2年続きの大洪水のため、堤防が決壊し、被害甚大で人家、耕地は荒廃したといいます。武庫川のような天上川に数多くの取樋口があると、洪水の時は特に危険で改修が幾度か行なわれ、大正9年の阪神国道工事に関連して、武庫川の根本的な改修が実施されました。六つの取樋口もこの時一ヵ所合併し、昭和2年に完成しています。同年に水利組合も発足しています。六樋は昭和28年に根本的に復工工事を行なっています。武庫川上流に千苅貯水池もでき、旱ばつも解消され、農業への多大な成果は誇るべきものがあります。
 幾多の困難をのりこえて合併した六樋は、昭和53年に50周年を記念して「記念碑」を建立し、大きな節としてしるしています。いつもかれることなく流れ、伏流水とあわせてドヘドヘと豊かな水量をはこんでいます。武庫地区の農水路には、自然が残っていて、ハヤからメダカ、アメリカザリガニや、アメンボーなどもせい息しています。日曜日ともなると親子ず連れや、友だち同土で網をもった姿が生き生きと見られます。         戻る

昭和56年9月
  18、秦野塾の浄正寺
   
尼崎ではじめての小学校の前身
 8月もお盆を過ぎた残暑が酷しい昼下がり、常松にある浄正寺を訪れました。
 現在の尼崎市域でもっとも早くできた小学校は明治6年(学制発布の翌年)2月に開設された常松小学校(現在の武庫小学校)で江戸時代から常松村の浄正寺に開かれていた寺小屋秦野塾を母体としたものでありました。
当時の住職恵祥は明倫堂の教頭橋本香披、金太淑園らに師事して漢学をおさめ、いらい開塾しで明治初年には、男10人、女5人の生徒に読書・算術を教えていました。村では一里四方の人達、また遠く箕面方面からも勉強したい人たちが集まっていました。当時のお金で月謝が1円也という高価なものだったそうです。六樋で有名な高寺善右衛門さんも秦野塾の生徒だったそうです。
 昭和54年5月落慶法要を行なった際、野草市長直筆の碑が建てられました。静かな住宅街の中にたたずむ小じんまりとしたお寺に、最近では老人会の人たちが庭を散策したり、また学校育友会の人たちが見学に来るなど、にぎわいを見せています。 

常松は震災の被害が大きく建替えの家が目立ちます。浄正寺も建物が傾きましたが修復が終わりきれいになっていました。伝説「羅生門の鬼」(33P参照)の話を伺った生田さん宅は立派な家になり、時の流れを感じました。
(H8年
1月)戻る

昭和56年11月
  19、椋橋壮治田寺
  今では忘れられた繁栄の地=戸の内
 椋橋荘(くらはしのしよう)という地名を御存知ですか。尼崎東部にある現在の戸ノ内地区です。経済、交通、軍事の上で、重要な位置をしめていた尼崎地方は、承久の変(1221年)以前に地頭がおかれていたのは、この椋橋荘だけでした。とても発達した荘園で、ここへ来れば何でもそろうという位いろいろなものが手に人っていたそうです。その他この地には、遊女にまつわる悲話もたくさんあります。
 今回はその、戸ノ内橋を渡って南東にある治田寺を訪ねてみました。四方を民家に囲まれていますが、昔は囲りが田んぼであぜ道をまっすぐ歩いてお寺に参詣するというのんびりしたムードであったそうです。
高野山真言宗のこのお寺には、藤原時代末期の作といわれる阿弥陀伽来坐像(県指定重要文化財)があります。これは座高288pの堂々たる彫像で桧材の寄せ木内刻り、漆箔の造りであります。肢体の均衡がとれ、面相もおだやかでそれは見事なものです。

24代ご住職にお話を何いました。「この地の事は尼崎市史等書物には紹介されていませんが、昔はとても発展していた土地です。それが今では忘れられている存在、土地の人々は気位いが高いというか、いわゆる島国根性ですかね。・・・」と笑って話してくださいました。(山神一子) 
  随 想
 正門をくぐると、震災で壊れた厨が建設中で、改築された阿弥陀堂は少しのヒビ割れ程度で無事でした。中には、あぐらをかいた阿弥陀如来像が安置されています。鐘楼の鐘がありません。
(平成8年1月)戻る