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 怖い

 打たれた頬を押さえながら娘がうずくまる
うずくまったまま娘が私を見上げる
驚き・恐怖・怒り・悲しみ
色々な思いの入り交じっている目だ
雨の中置き去りにされた子犬の目だ
何も言わず叩かれた頬を押さえながら
私をじっと見続ける

 立ちすくんだまま動けない
娘を叩いた右手がジンジンひびく
私も娘をじっと見下ろす

 静寂の中
見つめ合う
私と娘
でも昨日までの私たちじゃなかった
見つめ合う
そんな優しい雰囲気なんかじゃない
「果たし合いだ・・・」
そう思った
私の体から酒の匂いがした

 こんな日がいつか来るような気がしてた
こんな日が必ず来ると心の奥底で確信してた

 この子が産まれた時から始まってた気がしてならない

 主人が「行ってきます」って職場に行った
主人が「ただいま」って家に帰ってくるのが当たり前だと思ってた

 「行ってきます」と
「ただいま」は
ワンセットだと思ってた

 主人が私の全てだった
主人が私の生き甲斐だった
主人が大好きだった

 「行ってきます」は聞いた
でも
「ただいま」は聞いてない
この先ずっとずっと聞くことはない

 お腹の中に一つの命が宿ってた
私のお腹の中に一つの命が誕生してた

 「この子がいてくれてるから生きていく事が出来る」
そう思う裏側には
「この子さえいなければ大好きな主人の所に行けるのに」
そうゆう思いが隠されていた

 一人で子供を産み
一人で子供を育てる
「この子がいてなかったら私も死んでますよ」
そう笑う裏側には
「この子さえいてなかったら私も死ねてたのに」
そう嘆く心が隠されていた

 認めたくなかった
そんな自分の思いは認めたくなかった

 私は毎日娘と一緒に暮らしながら
愛しい気持ちを育て上げてきた
娘を愛しいと思う気持ちだけを育て上げてきた

 「若いのにしっかり子供を育てるお母さん」
私を見てみんなが誉める

 そんなんじゃない
そんなんじゃない

 愛しさの裏側には
憎しみがある

 私は娘を愛してる
でも
私は娘をずっと憎んでた

「あんたさえいなければ・・・」

 娘に何の罪はない
わかってる
わかってるのに
お酒が私の理性を奪う
私の隠さなきゃならない汚い部分を
お酒が表に出そうとする

 怖い 怖い 怖い

 この子を傷つける事を私は絶対言ってしまうだろう

 怖い 怖い 怖い

 喋っちゃいけない   誰か私を黙らせて

 理性が飛ぶ
弱い自分が浮き彫りになる

 「あんたなんか・・・・」
「あんたなんか・・・・」
「あんたなんか、いらない!!」

 娘が瞳を大きく見開いて私を凝視する

 黙れ 黙れ 黙れ
自分に言い聞かす

 黙れ 黙れ 黙れ
必死に自分に呪文をかける

 止まらない
娘を傷つける私が止まらない
なんとしてでも止めなければ
どうやったら止まる
何をしたら自分を止めることが出来る

 もう駄目だ
大きな包丁を取り出した
両手でしっかり握りしめた

 今まで黙り続けてた娘が初めて喋った

「ママ・・・・私を殺さないで・・・!」

 殺すわけがない
あなたを殺すわけがない

 私の体からたくさんの血が飛び散った
天井に飛び散る血
壁に飛び散る血
私の顔に飛び散る血
そして
娘の顔にも血は飛び散った

 私の血で娘の顔が赤く染まる
娘の顔がボンヤリしてくる

 気を失う瞬間
「主人に会える」
そう思った

 血だらけの私は
きっと笑っていたんだろう                戻る 


 

 会いたくて

 生きているのか
死んでいるのか
解らない

 この世に存在してるのか
本当に実在する自分なのか
解らない

 誰かが見てる夢の中の
登場人物なだけなのかも知れない
普通に過ぎていく一日一日が
本当は誰かが見てる夢なのかも知れない

 現実感がない
生きてる感じがしない
生活してる実感がない
何を見ても何を聞いても
現実感がない・・・

 透明になっていく感じがする

 人に好きになってもらっては困る
好きの裏には嫌いがある

 人に嫌われるのはもっと困る
邪魔をされる
日常生活に支障をきたす

 目立ってはいけない
目立ってはいけない
いてるのかいてないのか
解らないくらいの存在が一番いい
生活しやすい
影を潜めて生きるのが
一番無難だと思う
だから透明になりたい

 でも
私はここにいるよ」って
大きな声で叫びたい気持ちもある
「ここにちゃんといてるんだよ」って
大きな大きな声で叫びたい時も本当はある

 でも
そんな事しない
目立つと困る
ろくな事がない
好かれても嫌われても困る
「あら、いたの?」と
そう言われる自分でいたい
影のようにひっそりと生きる自分でいたい

 毎日寝る前に娘が言う
「私ね、ママに会いたくて産まれてきたんだよ」
娘の頭を撫でながら私が言う
「ママもね、あなたに会いたくてオギャーって産まれてきたんだよ」
「ママ、知ってる?」娘が言う
「あのね、赤ちゃんってね、このお母さんの子供になりたいなぁって神様に頼むんだよ」
「そしたらね神様がロケットに入れてくれるの」
「ロケットに乗って会いたいママのお腹に入る旅をするんだよ」
「長い長い冒険の旅をするんだよ」
「やっとママを見つけて嬉しくて嬉しくて、そしてお腹の中に入っちゃうんだよ」
「赤ちゃんは旅の疲れで眠っちゃうんだよ」
「お腹の中で10ヶ月眠ってる間にね、
神様の事もロケットの事も旅の思い出も全部全部忘れちゃうんだよ」

毎日繰り返される会話
お布団を掛けて電気を消して
暗い部屋の中毎日繰り返される娘の話
「赤ちゃんは旅をして大変なんだね」私が言う
「だって大好きなママに会いたいんだもん」娘が言う

 可愛そうだと思う
どうして娘は私に会いにこの世に生を受けたのだろう
違うママのお腹の中に入っちゃえば
叩かれなくてすんだのに
蹴られなくてすんだのに
大事に大事に育ててもらえたのに
どうしてよりによって酒浸りの私なんかを
この子は母に選んだんだろう
赤ちゃんのお守りをしてる神様が本当にいるのなら
どうしてこの子が私を母として選んだとき
「このお母さんは子供を虐待する人だからやめときなさい」って
教えてあげなかったんだろう

 娘が実家に遊びに帰った
今、一週間も娘がいない
毎日繰り返されるおとぎ話が聞けない
私は猫を抱いて一人で眠る

 
もしかして娘は幻なのかも知れない
ひとりぼっちが寂しくて悲しくて
家族が欲しくて恋い焦がれてて
そんな私が創り上げた幻なのかも知れない
私は初めから本当はずっと一人で生活してたのかも知れない
この世にあるもの全てが
本当は私が創り上げた
私にとって一番都合のいい
夢や幻なのかも知れない

 私は一体誰に会いたくて
この世に産まれて来たんだろう・・・
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荒 野
 
 
もう駄目だ・・・
そう思った
もう何もかも無理だ・・・
そう確信した
決心して実家に電話した
「子供の面倒が見れない・・・少しの間だけ子供を預かって欲しい・・・」
声が震えた
受話器を置く手が震えた
寝たきりの体が震えた
「ママね、すぐ元気になるから少しの間 ばあちゃんの家に行ってて」
子供に言った
子供は何も返事しなかった
「必ず迎えに行くからね」
子供に言った
「早く元気になって」とも
「早く迎えに来てね」とも
子供は何も答えなかった
この子の顔を見られるのはこれで最後かも知れない
ボンヤリした頭でそう思った
櫛を通してやる事も出来きなくなってボサボサになった娘の髪をそっと震える手で撫でた
この子を父も母もいない子にしてしまう・・・
涙が流れ出した
寝たきりの痩せて顔色の悪い泣いてる母を目の前にして娘は何を思っていたんだろう
何も喋らない
正座したまま動かない
じっと私を見下ろしている
5歳の小さな小さな女の子
酔った母親に殴られ続けた女の子
生き延びるため感情を遮断してしまった女の子
この小さな女の子が
私の恋い焦がれた私のたった一人の家族
 
最後の最後まで愛してやれなかった
最後の最後まで愛し方が分からなかった
 
このちいさな女の子
私がこの世に実在した たった一つの証
私は確かにこの世に実在したんだ・・・
もう少しで全てが終わる
もう少しで私が消える
 
もう一度生まれ変わることが出来るのなら
もう一度女に生まれ変わって
もう一度この子を産んで
今度は大事に大事に育てたい
これでもかってゆう位愛したい
 
27年間まともに何一つやり抜く事が出来なかった
回りに嫌な思いをさせる為だけにこの世に生を受けた
愛しい子を殴るためだけに女として生まれてきた
荒野を走り抜ける そんな思いを抱えながら毎日子供と二人で生きてきた
 
でも、そんな想いももうすぐ消える・・・       戻る







































 

  取材

 誰か娘を守って欲しい
誰でもいい
この子の命を
この子の尊い命を
酒で狂った私から
どうか
どうか
この子の命を守って欲しい

 大きな家にも引っ越した
ベランダから下を覗くと小さいけど住人専用の公園だって設備されてる
セキュリティ会社の警備も万全だ
駐車場には車だって何台もある
多分保育所のどのお母さんにも負けてない
完璧だと思う

 「愛さえあれば、お金なんて」
私はその言葉が嫌い
そんなの嘘だよ
お金がないのは首がないのと一緒だよ
お金がないからみんなしなくていい喧嘩をするんだよ
子供が怯えて泣くんだよ
「お前のお父さんなんてつまらない男だよ」
「お前のお母さんなんて文句を言うしか能がない腐った女だよ」
「お前さえいなければ離婚してるよ」
そんな事 私は知らないよ

 お金さえあれば・・・・
私は信じて疑わなかった

 色々ないきさつがあり
私の家にテレビの取材陣が来た
世間で児童虐待の問題が取り上げられるようになってた
このテレビを見た人の中で誰か一人でもいい
娘を私から救ってくれる人が現れるなら・・・
そんな思いで取材を受けた
必死で酒の愚行を話そうとした
酒が怖いと泣いて訴えた
酒の話はいいです、と何度もテレビ局の人に注意を受けた
それでも酒が酒がと私は泣いた
仕事のストレスから我が子を虐待するというシナリオのもと
カメラは回る
実際そうなのだけど
なんだか違う気もする
でも、どっちでもいい
とにかく子供さえ助かれば
私はカメラに向かって虐待行動を話す
もう酒の問題なんて関係ない

 殴った
蹴った
罵った
無視した
限りなく続く私の愚行
誰か娘を助けて
そんな思いで私は必死で喋った

 「どうもありがとうございます」
「いい取材が出来ました」
「放映日時は後日お知らせします」
にこやかに挨拶をされ取材陣が帰って行く
これで何かが変わるのか
どうか変わって欲しい

 一人の若いADが走りかけた車から飛び降りる
見送る私の方に走ってくる
私の前に立ちはだかり

しっかりとした声で言う

 とてもいい番組が出来ると思います
取材のご協力誠にありがとうございます
テレビ局の人間として深くお礼を申し上げます

 深く頭を下げられる
顔を上げた若い男性の目に光が走った

 「これからは一個人としての僕の意見です

僕は僕は一生あなたを許しません

絶対に絶対に
一生あなたを許しません

 もう一度頭を下げ若いADは車に乗った
走っていく車を見送り
私は深々と頭を下げた
いつまでも頭を下げた

 どうか
私を
許さないで欲しい
憎んで欲しい
蔑んで欲しい

 ただ、言い訳にもならないけど
子供を叩いて
子供を蹴って
楽しいと思ったことなんて
一度たりともなかった
いつも
いつも
泣いてた
本当 言い訳にもならないけど・・・

 その番組に反響があったのかなかったのか
わからないけれど
だれも娘を助けてくれなかった
娘を救ってくれる人は現れなかった

 同じ時期
娘が通う保育所の園長先生を中心とする
救済のチームが出来つつあった
保健所の職員さんや
児童相談所の職員さん
色々な方面の方が
そのチームに加わっていた

 何も知らない私は
酒を飲み続け
泣き続け
娘を助けてと
祈り続けた

 愚かな己を
呪い続けた
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 宝物箱
 
 押入の奥にある小さな木の箱
子供が三歳になった日に
二人で作った小さな木の箱
初めてかなづちを持つ娘の真剣な顔
釘が上手に打てないとむずがる顔
指を打って痛いとべそをかく顔
曲がった釘
はみ出してるボンド
ガタガタの小さな木の箱
出来た、出来たと飛び回り喜ぶ顔
やったぁ、やったぁと走り回る娘
夕焼けが綺麗だった
「お家に帰ってご飯食べようね」私が言う
「ハンバーグ作って」甘える娘
「チーズ乗せてね」首をかしげて甘える表情
首をかしげる癖が亡くなった主人と同じだった
愛しかった
本当に愛しかった
そして
悲しかった
夕日に照らされる娘の顔
泣いちゃいけない
「ヨーイ、ドンしよう!!」私が言う
娘が走る
小走りで後を追う私
娘が「ママ遅いよ〜」って振り向くまでの
その少しの時間だけが
唯一泣く事の出来る時間だった
小さな木の箱がカタカタなった
中に主人からもらった結婚指輪が入ってた
走るたびにカタカタなった
カタカタなる音が私には
ガンバレ、ガンバレって聞こえた
 
三歳の誕生日に作った小さな木の箱
いつもぬいぐるみが入ってた
「やわらかくてホワホワしてて大好き」
ぬいぐるみを抱きしめて頬を寄せて娘が目をつぶる
私はそんな娘を抱きしめて頬を寄せ目をつぶる
木の箱にはいつもぬいぐるみがたくさん入ってた
 
私が酒に狂いだした
娘は五歳になってた
木の箱から一つ一つ
ぬいぐるみが消えだした
 
代わりに
パンや
おにぎりや
バナナが
木の箱の中に
ポツリポツリと増えだした
 
私に気付かれないように
押入の奥から
毎晩毎晩
娘は箱をそっと取り出す
中に入ってる食料を確かめて
安心するのかそっとうなずく
毎晩毎晩繰り返される
そっと娘はうなずく
 
娘が寝入ってから
箱のふたを開けると
おにぎりにもパンにもカビが生えてた
バナナは腐ってた
ぬいぐるみは一つも入ってなかった
傷んだ食料だけだった
箱の隅に見慣れない小箱があった
私にはそれが何かすぐに分かった
涙が止まらなかった
その小さな箱には
へその緒が入ってる
私と娘がつながってた証が入ってる
突っ伏して泣いた
涙が止まらなかった
 
明くる日も
その明くる日も
娘はそっと押入から木の箱を取り出す
腐った食料がなくなってないか確かめて
腐った食料なのにあると安心して
小さくうなずく
 
チョコンと正座する娘の横顔
木の箱には腐った食べ物
 
きっと、この箱にはこれからドンドン食べ物だけが増えていく
きっと、生きていくためにこの子は食べ物だけを増やしていく
 
崩れていく私
崩れていく娘
何もかもが崩れていく

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