1994年9月
           き あ    しょうゆ
 96、尼の生揚げ醤油
  幻のしようゆ40年ぶり復活 
 尼崎の名産「尼の生揚げ醤油」をご存じですか・・・。
尼崎の醤油産業は、「舟弁慶」で知られる義経と静御前の涙の別れの地、大物ケ浦あたりで興ったといわれます。江戸の時代から、明治、大正時代にかけて尼崎の醤油は、「尼の生揚げ」と呼ばれ、独特のウマ味と芳醇な香りをもった優れもので重要な産物のひとつでした。
 「生揚げ」とは、生一本、生娘などに通じ純粋、混ざりけなしという意味です。
幸いにも当地には、良質の大豆や小麦が穫れた事、舟の地の利の良さもあって全国に出荷された他、アメリカ、カナダ、ロシアにも輸出され、尼崎の伝統産業になりましたが戦時中の統制経済と戦後の大手資本の進出で生産を中断・・・、昭和59年に地元経済人で保存会を結成、翌年40年ぶりに「幻のしょうゆ」が売り出されました。
 最良の材料を使い、極寒(1月)に仕込み、約6カ月後にしぼり、7月に製品として世に出ます。

竜野市のヒガシマル醤油の協力を得て限定生産され、今年も7月から京阪神の百貨店で発売されています。冷やっこにかけてどうぞ!(山神一子)

問い合わせ先 
開明産業
 п@06−6417−7111
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1994年11月
 97、七松八幡宮
  信長、村重家臣数百人を処刑
 深まりゆく秋、10月も半ばを過ぎた午後、伝説の地を歩いてみました。
 尼崎市役所から西へ5分程歩くと村の中の鎮守といった風情の中に立派な社殿が建っている七松八幡神社があります。
 この八幡神社の創祀は、後一条天皇の時代(今から約980年程前)、源頼信が当地を訪れた折に、一人のわらべがこの地の農民の窮状を訴えたのに感じ、一本の松の樹の下にあった小祠を改築し、その社の周囲に松を六本植えさせたところから七松の地名の由来ではないかと思われます。
 又現在の水道局のあたりに芦原という地名が残っていますが、戦国時代、芦が生い茂りこの辺りがあの荒木村重(伊丹城主)の謀叛に織田信長が村重の上級家臣の妻子122人を処刑し、続いて下級家臣の妻子、年若い侍等512人を四軒の家に閉じ込め焼殺した処刑場の跡と伝えられています。
 戦国動乱期に彗星のごとく現れ、消えていった武将荒木村重は一旦は、「天下の主たるべき者は信長」と信じ、「日本一の人物也」と評価された間柄であったが、いつか亀裂が生じ謀叛の狼煙(のろしをあげました。
(山神一子)

【交通】七松神社は市役所北西300m
    水道局は東
200m

随 想
地震で鳥居上部が壊れ、下に落ちたままになっていました。コンクリート造りの本殿は無事でした。
 尼崎厄神としてお正月には大勢のお参りがあったようです。(平成8年1月)戻る


1995年1月

 98玉江橋・城址公園
   歴史・文化の街駅前整備進む
 尼崎市では、「にぎわい創生、あまがさき」を都市像として、市民生活の豊かさが実感できるまちづくりの上に、人・物・情報がいきいきと交流する都市実現に向け、巨額な財政を投じて各地域で整備事業が進められています。
 今、尼崎の玄関口ともいうべき、阪神尼崎駅周辺が変わりつつあります。一昨年11月都市ホテルがオープンまたコンピュータ制御によりボタン一つで6つの舞台や客席のパターンが選べるアルカイックホールオクトもオープンしました。
街の中心を流れる庄下川も魚が住める程きれいになり、玉江橋から北に両岸の整備が進められ、春の宵の散策はいかがでしょうか。
 また、阪神尼崎駅南東(元県立尼崎病院跡地)に中央図書館が出来、城下町を思わせる城跡公園が出来ていますが、まだ3分の2ほど広がり、多目的広場、歴史博物館等も予定されています。これらをつなぐ立体的遊歩道の建設も進められており、全て平成8年か9年に完成予定だそうです。
 高度経済成長を支えてきた工業都市のイメージから寺町、近松に代表される歴史と文化のまちに転換出来るのでしょうか。    (山神一子)

【交通】阪神尼崎駅東側

随 想
 ちょっと私の感想を。庄下川もきれいになり公園も完成し、なるほど昔の尼崎城下を偲ばせる情緒を感じさせるのですが、ふと中央図書館に目をやると「おやおや」と思う建築のミスマッチを感じます。
 しかし、岸辺もきれいになり、ゆりかもめが冬の陽差しを背に乱舞し、ホッとさせてくれます。戻る



2009年4月8日撮影

19953
 99白龍神社
  なまずと龍が人助け
 1995年1月17日午前5時46分、突然の大地震が阪神・淡路島を襲い、一瞬の間に恐怖のどん底に落ちてしまいました。地震といえば「ナマズ」を思い浮かべますが、今回はその伝説を追ってみました。
 昔、蓬川橋の近くに「奥池」という貯水池に大きな白いナマズが住んでいました。池にはたくさんの魚が生息しています。ある大雨の日、その魚を狙って大ウナギがこの池に侵入してきました。これに困ったナマズは、庄下川の宮で川の守護神、白龍に助けを請い大ウナギを退治しました。今より600年ほどの昔、当地は長洲の浜と称し、庄下川の清流とともに人々が住み、西長洲の誕生となりました。庄下川が大水で氾濫した時、龍が出てきて人々を助けたというお話もあるそうです。これら伝説をもとに、八幡神社境内地に守護神として白龍大明神を安置祈念しましたが、毎年の庄下川の氾濫により総合文化センター北西に水神として鎮めました。歳うつり世はかわりて庄下川の改修により、現在は庄下川公園(西長洲町三丁目)のそばに白龍神社と呼ばれていた祠が残っています。 
(山神一子)

【交通】県道尼崎・池田線玉江橋北西30
    0m      
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19955

  100、寺町
  多くの寺院が地震で被害
 尼崎の寺町は全国の寺町の中でも早い時期につくられ、国・県・市指定の文化財をはじめ、貴重な文化的遺産・歴史的資料が数多く残っております。また、城下町尼崎の面影を今日に伝える貴重な地域でもあります。しかしこの度の地震でかなりの被害をこうむり、寺町全体の復興が急がれています。
 寺町の門をくぐると全昌寺。ここは尼崎で唯一の曹洞宗の寺院で、近年改築され被害もあまりなく立派な姿を見せています。おとなり本興寺さんは被害甚大で、塀は崩れ、山門を入るとあちこち修復をしていました。
国・県等の重要文化財指定を多く有し、市内に現存する寺院としては最大の規模であり、またハトのお寺としても親しまれています。
重層の屋根に鳳凰を停めた甘露寺は300年を経た本堂を、平成3年に改築したばかりなのに、かなりの被害を受けました。長遠寺の重要文化財の多宝塔は無事でした。佐々成政の墓がある法園寺、神崎遊女ゆかりの如来院、節分の日狂言が上演される大覚寺等々、どのお寺も被害を受けました。寺町の誇れる景観を一日も早く取り戻し、にぎわう時を待っています。 
(山神一子)  戻る


寺町通り西から

寺町通り東側から 2009年4月8日撮影