赤ちゃん

お腹の中に赤ちゃんがいると知ったとき
人生が変わった
この世で一番幸せな子供にしよう
この世で一番優しいお母さんになろう
人生が変わった
「私には私がいる」
だから寂しくない 大丈夫
ずっとそう思って生きてきた
「私にはこの子がいる」

私の全てが変わった
「この子の為に・・・」
愛情を知らない
人を信じない
自分はいったい何をしにこの世に生まれてきたのかわからない
全てが解決出来ると信じてた
信じたかった
21歳の冬だった

満足していた
寂しくなったり悲しくなったり不安になったら
お腹に手をあてる
この膨らみは確かだ
私の中に一つの命がある
「寂しくない、悲しくない」

お腹に手をあてたまま毎日眠った
朝起きて一番先になにより先にお腹に手をあてた
この膨らみは確かだ
 
 主人の遺骨に手を合わせた
「パパ、立派なお母さんになるからね」
写真の中の主人が笑った
私も安心して少し笑った
朝ご飯を食べるのが苦手だった
そんな習慣子供の時からなかったので
朝ご飯を食べるのは苦痛で仕方なかった
だけど今は違う
「お腹の赤ちゃんが腹減るから食わなきゃいかんぞ」
主人がそう言ってた
少しだけ食べたら気持ちが悪かったけど必死に飲み込んだ
気持ち悪くて涙が出た
吐きそうだった
目をつぶって我慢した
「やっぱり無理するのはやめような」
主人が言った
「赤ちゃんがお腹すくと大変だから」
私が言った
「俺がずっと傍にいる、もう大丈夫やからな」
主人が抱きしめてくれた 主人も泣いてた
「お腹の赤ちゃんがつぶれちゃうよ」
力一杯抱きしめる主人に私が言った
「食べる」という人間の本能の行為ですらまともに出来ない私
「食べ物の障害」と医者に言われた私
でも主人がいるから怖くなかった

 そんな事を思い出しながら朝ご飯を作った
一人でご飯を食べるのが嫌だった
向かいの席に主人の分の朝ご飯も用意してみた
少し安心した
モソモソとご飯を食べた
気持ちが悪かった
でもこの気持ち悪いのはつわりのせいなんだ
そう思うように心がけてた
「食べ物の障害」
そんなけったいな病気私がなってたまるか
認めたくなかった
気持ち悪くて泣きながら一時間かかって朝ご飯を食べた
「赤ちゃんも一杯ママのご飯食べや」
お腹の子に話しかけた

 どこまでも不安定な若い母親だった
その不安定さに本人だけが気付いていなっかた

 「日本一優しいお母さんになりたい」
それだけしか夢がなかった少女が
今、母になろうとしてういる

「パパ、ご飯全部食べたよ」
「おっ!やるなぁ!浩美はえらいなぁ」
写真の中の主人の声が確かに聞こえた
私には確かに聞こえた
                            戻る








































           


  
 鍵の音

 お父さんが今日も帰らない
お母さんが今日も酔っぱらってる
私は今日もお母さんのお酒に付き合わなくちゃいけない
妹は今日も二階で逃げる準備をしてる
今日も昨日もそしてきっと明日も私たちはこうやって暮らしていく
それが私たち家族なんだ
 
 お父さんが帰ってきた
お母さんがお父さんに大きなバケツに貯めた水をかけた

お父さんが怒鳴った
お母さんがお父さんにつかみかかった
妹が二階の踊り場から見下ろしてる
妹の目は見てるようで何も見えてない
妹の目は見えてないようで本当は全部見えてる
「この子にだけは見せちゃいけない」
それだけしか思わなかった

 階段を駆け上がった
小さな家の短い階段を駆け上った
二階の廊下で妹が小さくなって座ってた
息を切らしながら妹に声をかけようとした
でも息が切れてるせいか声がでなかった
下の部屋から怒鳴り声や何かの割れる大きな音がする
妹は座ったまま動かない
私は立ったまま声が出ない
ほんの数秒の時間のはずなのに長い時間に感じた
やっと私の息が整った
「まりちゃん・・・」妹に声をかけた
妹が黙ったまま私をうつろな目で見上げた
「逃げるよ・・・」

 妹の手を握った
妹が嬉しそうに微笑んだ
二人で手を握り合って階段を駆け下りた
音がしないように階段を駆け下りた
裸足で逃げた
家の外にもお父さんとお母さんの喧嘩の声が聞こえる

 何かの壊れる音がする
お父さんとお母さんに殴られるのが怖かったんじゃない
その時の私の体は自分の都合のいいように変化していた
痛みをなぜか感じない体になっていた
だから殴られても全然平気、全然痛くなかった
いくら殴られても苦しまない私を見て
頭に血が昇ってるお父さんとお母さんが
「気色の悪い子」と言う

 「あんた達がいるから離婚できない」と言う
そんな事私にはどうでもよかった
ただ妹だけにはその言葉を聞かせたくなかった
だから私は妹とどこまでも逃げたかった

 隣の家のドアを叩いた
玄関の明かりがついた
「おばちゃん、開けて・・・」小さな声で私が言った
鍵が開く音がした
助かると思った
でもドアは開かなかった
私の住んでる住宅地は防犯の為 本鍵と予備鍵が二つ付いてる
鍵が開く音と思ったけど実際は予備鍵が閉まる音だった
隣のおばちゃんはとても親切な人だ
そのおばちゃんが家にいれてくれないとゆう事は
多分どこの家に行っても鍵は開けてもらえない
鍵の閉まる音は妹に聞かせたくない

 裸足で妹と歩いた 
開拓途中の新興住宅地には空き地もあるし立ちかけの家もある
棟上げが済んだばかりの家に入って大黒柱に妹ともたれかかって座った
「もうちょっとしたら家に帰ろうね」私が言った
「お姉ちゃんありがとう」って妹が言った
「お父さんもお母さんもいらない、
お姉ちゃんだけが大好き」妹が笑った

こんな時に笑う妹が愛しかった
「寒いね・・・」私が言った
「おねえちゃん・・・」妹が言った
「何・・・?」私が言った
「私の傍にずっといてよ」妹が言った
「まりちゃんの傍にずっといるよ」私が言った
妹がまた嬉しそうに笑った
なんで笑うのか私には分からなかった
分からないから妹を抱きしめた
抱きしめながら目をつぶった
長い時間妹を抱きしめた

 それから何年かして
私がアルコール依存症者になることも
妹がそんな私の前から姿を消すことも
何も知らなかった
ずっとずっと私と妹は一緒にいれると思ってた
ずっと私は妹を抱きしめて生きていけると思ってた

 会えなくなる日が来るとは考えもしなかった
信じてた
私が12歳
妹が9歳の冬の晩の事だった          戻る  




















    


  彫り師

 中学校に上がって友達がたくさん出来た
バスケットボールのクラブに入部した
知らない女の先輩が毎日私のクラスまで来て遊んでくれた
ラブレターをもらった
毎日毎日元気に学校中を走り回った

元気でよく笑う小さな女の子
それがみんなの私に対するイメージだった

 時々怖い先輩に「髪の毛染めてんなよ!!」って平手打ちされたりもしたけど
そんな事どうでもよかった

私は毎日疲れていた

クラスの女の子が「ピアス開けたら親に叱られた」と、ある日私に言った
「親にもらった大切な体に穴を開けるとは何事ぞ!」って叱られたと言った
「ふ〜ん・・・」って私は答えた
「うるさいよね・・・」友達が答えた
二人で少しの間黙って外を見てた

「入れ墨彫りに行こうか・・・?」私が言った
「明日にでも早速行こうか・・・?」友達が言った

  明くる日二人で電車に乗った
目的地は隣の県の彫り師が住む長屋
二人とも黙ったまま外の景色を見てた
こんな子供が行ったところで入れ墨なんて彫ってくれる訳がないのも
本当は分かってた
第一お金が全然なかった

なにより本当のところ入れ墨なんて入れたくなかった
興味がなかった
でも入れなくちゃいけないって、なぜかそう思ってた

「どんな模様入れる・・・?」友達が言った
「わかんない・・・」私が答えた
模様なんてどうでもよかった
何もかもがどうでもよかった
「痛いだろうね」友達が笑った
「痛いだろうね」私も笑った

「楽しみだね」友達が目をつむった
「楽しみだね」私も目をつむった

 これから自分の体に傷をつけに行く
とても大事な事に思えた
お父さんとお母さんはなんて言うのかな・・・
そんな事を考えながら少し眠った

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   お願い

 「完璧な避妊をなさりたいのですか?」
「この手術をしたらもう子供さんは持てなくなりますよ」
お医者さんが静かに言う
私は黙ったまま何も答えない
「・・・赤ちゃん、可愛くないですか?」

 少しの間診察室が静かになる
時が止まってしまったような錯覚を起こす
「もう赤ちゃん産みたくないですか?」
もう一度静かにお医者さんが言う
「はい」
私が答える

「まだ20代の若さです。もう一度考えて返事を下さいね」
最後にお医者さんが静かに話した
私は黙ったまま診察室を後にした

  避妊が目的なんかじゃない
子供が可愛くない訳がない
子供が欲しい
たくさん欲しい
でもお酒が止まらない
お酒を飲んで子供に手を上げてしまう自分が止まらない
この世に子供を産んではいけない女がいるとするならば
それは間違いなく私だ
この私だ

 お酒が止まらない
暴力が止まらない

 しゃべっちゃいけない
助けを求めてはいけない
勝たなければいけない
負けちゃいけない
頑張らなければいけない
頑張れば必ず道は開けるはず
でも・・・
これ以上どうやって頑張ればいいの?

  私には秘密にしなきゃいけないことがたくさんある

私にはふたをして隠さなきゃいけないことがたくさんある

  全部本当の事を話してしまいたい
居場所が欲しい
衝動に駆られる
全部本当の事を話してしまったら
居場所がなくなる
理性が働く

  神様お願い
私にお酒を飲ませないで
私に子供を殺させないで
子供を私から守って・・・
見たこともない神様にお願いした
でも私のお酒は止まらない

誰か助けて欲しい 

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ごめんなさい

 何枚かの書類に署名をした
お医者さんが私の顔をじっと見つめた
何か言いたそうだった
私も先生の顔をボンヤリ眺めた
何も言いたいことはもうなかった
あと何日かしたら私は手術をする
あと何日かしたら私は赤ちゃんが産めなくなる

  決して手術をしたいと願った訳じゃなかった
ただ、もう他に道は残ってないと思ってた

 「もう一回だけ聞きます」
お医者さんが静かに言った
「子供が欲しくなったからといって再手術は出来ないんですよ」
答える事が出来なかった
頭だけ小さく下げて診察室を後にした

  手術の時の事はあまり覚えていない
「全身麻酔だったらよかったのに・・・・」とか
「カチャカチャ音がしてるな・・・」とか
そんな事を考えていたような気もするし
「先生やっぱりやめます!手術なんてしないで下さい!」って
叫びたかったような気もする
両手がゴムひもみたいなので台にくくられてた
縛られてる手首を見ながら「なんで縛られてるんだろう」って
不思議だった
「頭を動かさないで下さい。麻酔薬が回って頭が辛くなりますよ」
看護婦さんが言った
なんてゆう手術だったかな・・・
何回も医者から説明を受けてるはずなのに覚えていない
卵子が通る管を途中で切除するとか言ってたな・・・
切除された管はテルテル坊主みたいにぶらさがったままなのかな
行き場のなくなる卵子はどこへ行くのかな・・・
なんで私はこんな手術してるのかな・・・

 手術はあっけなく終わった
私の体は外見変わりなかった
眠れない夜が続いた
気が付くと太陽が昇り始めていた
何日も何日もなぜか眠れなかった
何をしてその間過ごしてたんだろう
何も覚えていない
私は何を思い毎日を過ごしていたんだろう
何も覚えていない

 何日かたってやっと眠れた
夢を見た
真っ暗な所に一人でいた
真っ暗でとても怖かった
小さな女の子が見えた
真っ暗な背景の中女の子だけが見えた
女の子がすごく怖い顔で私を睨んだ
「なんでよ」女の子が上目遣いで私を睨み言った
「なんでなんよ」静かに女の子はしゃべるんだけど
その目が私にはすごく怖かった
「お母さんになれない!」
女の子が初めて大きな声を出した
大きな大きな声だった
「うるさい!」
女の子を突き飛ばした
「お母さんになれない!」
女の子はまだ叫ぶ
「うるさい!うるさい!!」
女の子を蹴飛ばして走って逃げた
逃げながら
「ごめんなさい」「ごめんなさい」と何回も何回も言った

 目が覚めた
目を無理矢理覚ました
「嫌だ・・・眠りたくない・・・」
両手で顔を覆った
長い時間顔を覆ったまま動けなかった
棚に置いてある酒に手を伸ばした
「抗生物質が効かなくなりますから術後はアルコール類は控えて下さいね」
お医者さんが言ってた気もする
そんな事どうでもよかった
そんな事関係なかった
私は瓶のふたをねじり開け
そのまま酒の瓶に口をつけた
「何をやってるんだろう・・・」
自問自答しながら
大しておいしいとも感じた事のない茶色い液体を飲み続けた

 あの女の子は誰だったんだろう
わたしの子だったんだろうか
妹だったんだろうか
その女の子を思うたび私は頭が痛くなる
頭が割れそうに痛くなる
息が止まりそうに痛くなる
叫び声が止まらないほど痛くなる
手術の時注意も聞かず頭を動かし回ったから麻酔薬が残っちゃったのかな・・・
だから私はその夢の事も女の子の事も封印してきた
あんな女の子の事なんて私は知らない
私には関係ない
消してしまおう
小さな女の子は私の記憶から葬られた
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 おばちゃん、あのね
教えて欲しいことがあるの
彫り師のおじちゃんがあばちゃんの家に初めて私を連れてった時
おばちゃん泣いたでしょ
なんで泣いたの?
「毎日毎日わしの長屋を外から覗くんじゃよ・・・」
彫り師のおじちゃんが言ったでしょ
 
毎日毎日ちゃんと学校には行くんだけど
校門の前まで行くんだけど
なぜか門の中に入れなかったの
毎日毎日電車に乗って彫り師のおじちゃんの長屋に行ってたの
でもね、おじちゃんは家の中に入れてくれないの
「こら、子供学校行け・・・」って家の中に入れてくれないの
お台所の窓の下にずっと座ってたの
時々少しだけ、台所の窓を少しだけそっと開けて家の中を覗いてたの
おばちゃん、あのね
おじちゃんの家って何個も石油のストーブがあるんだよ
もう暖かいのにね おじちゃんの家はいつも
石油のストーブが何個も焚いてあるんだよ
あれ、なんでなの?おかしいよね
 
「学校に行けって言っても 家に帰れって言っても毎日来るんじゃよ・・・」
「朝から晩までずっと外で座ってるんじゃよ・・・」
彫り師のおじちゃんが言ったとき
「学校嫌いか?」
「家はないんか?」
おばちゃん言ったよね
学校は好きでも嫌いでもどっちでもないの
家だってちゃんとあるんだよ
「口が聞けんのか・・・・?」
おばちゃん言ったよね
私はちゃんと口は聞けるんだよ
「喋りたくないんじゃったら喋らんでいい・・・」
おばちゃん言ったよね
喋りたい事はたくさんあったのかも知れないけど
おばちゃん、あのね
私は喋っちゃいけないんだよ
 
「子供の来る所じゃないけん、長屋はもう来たらいかん」
彫り師のおじちゃんが言ったよね
「わかったか・・・?」
おばちゃんが言ったよね
おばちゃん、あのね
おばちゃんの家っていい匂いがするね
カウンターの中で黙ってご飯作ってる人がいるけどあれ誰なの?
たくさんテーブルとイスがあるけど全部ボロボロだね
なんで新しいの買わないの?
私が座ってるイスだってギシギシゆうし倒れそうだよ
テレビは誰も見てないときは消さなきゃいけないんだよ・・・
「聞いてるのか・・・?」
おばちゃんはとても静かに喋るんだね
 
「行きたくないんじゃったら学校なんて行かんでいい」
「帰りたくない家なんじゃったらそんな家帰らんでいい」
今まで黙ってお魚とか野菜とか切ってたおじちゃんが初めて口を聞いたでしょ
「その代わり毎日ここへ来て飯の作り方覚えろ・・・」
そんだけ喋ったあと一回もまた口を聞かなくなったでしょ
ずっと黙ったままおじちゃんご飯作ってたでしょ
おじちゃんは お口が聞けないの?
私と同じだね
 
小さな小さな食堂
開け放された店の入り口
踏切の音
電車の音
天井からぶら下がってるハエ取り紙
誰も見てないのにつけっぱなしのテレビ
ギシギシゆうイス
染みだらけのテーブル
包丁の音
鈴の音
猫の声
昼下がり
古くて汚い小さな食堂
 
「ここの家貧乏だね」
初めて私が喋った
「鈴の鳴るような声じゃね・・・」
おばちゃんが喋った
 
その後おばちゃん泣いたね
 
おばちゃん、あのね
おばちゃん、あのね
泣いたら後で疲れるから
泣かない方がいいよ・・・           戻る

















      

 
 
 
朝、起きて制服に着替える
この頃毎日学校に行く
セーラー服のリボンを結ぶ
鏡を見る
三日前におばちゃんが髪を黒く染め直してくれた
私の髪はもう茶色くない
「ほら、この方がずっと可愛い」
黒くなった私の髪を見ておばちゃんが言った
「可愛くないよ 変だよ」
海苔が張り付いてるおにぎりみたいだと思った
「子供は可愛い」
おじちゃんが言った
「本当はお前も可愛い子なんじゃよ」
お鍋を覗きながらおじちゃんが言った
 
「おじちゃんも、おばちゃんも今頃お店の掃除してるのかな・・・」
そう思いながらもう一度鏡を見た
セーラー服姿の中学生が立ってた
そうだ、私は13歳の中学生なんだ
目をつぶってイメージしていく
 
「笑顔」
「おしゃべり」
「ふざける」
「遊ぶ」
 
目をつぶって中学生をイメージしていく
 
「よしっ!」
目を開ける
鏡に元気で明るい中学生が写る
「よしっ!」
完璧だ
 
私は元気で明るい女の子
私はいつも笑顔の女の子
 
階段を下りてお父さんとお母さんの部屋を覗く
お母さんが動かない
部屋中お酒の匂いがする
服を着たままお母さんが倒れるように眠ってる
お母さんにお布団をかけて小さな声で
「行って来ます」と言う
お母さんはピクリともしない
靴を履いて学校に行く
 
お弁当の時間になって先生がパンをくれる
「あのね、先生」そっと先生を見上げる
「お母さんが体しんどいみたいだから家に帰っていい?」先生に尋ねる
「先生も一緒に行こうか?」先生が言う
「一人で大丈夫です」私が言う
今からおばちゃんの所行くんだもん
先生がついてきたら邪魔だよ
先生が心配そうに私を見る
「先生、パンいつもありがとう!!」元気にお礼を言う
「頑張れよ!!」先生が大きな声で言う
そんな事、先生に言われなくったって頑張ってるよ
「失礼しま〜す」元気に挨拶して学校を飛び出した
走って駅に向かった
途中のゴミ箱で先生にもらったパンを捨てた
 
電車を降りた
走った 
パン屋の赤い看板を過ぎたらおばちゃんの家がある
走った
おばちゃんの食堂のいい匂いがする
そっと店の中に入る
お客さんがまだたくさんいた
作業服を着たお客さんが私を呼んだ
「おい、子供。お前まだ飯食っちょらんじゃろ」
カウンターに並んで一緒にご飯を食べた
私はここでは名前が無い
おじちゃんもおばちゃんも、そしてお客さんも
みんな私のことを「おい、子供」と呼ぶ
お客さんと一緒にお魚を黙って食べた
「なあ、子供。お前酒臭くないか・・・?」お客さんが言った
「この子時々酒臭いんよ・・・」おばちゃんが言った
だって、昨日の晩お母さんと夜中までお酒飲んでたんだもん
「お母さんの事好きだったら一緒にお酒飲んで」っていつも言うんだもん
一緒にお酒を飲んだら「いい子だね」って言ってくれるんだもん
「なんも喋らんけんね・・・この子は・・・」おばちゃんが言う
お客さん達が黙る
おばちゃんも黙る
おじちゃんは元々黙ってる
 
一人のお客さんが
「昼間から酒の匂いさせてるとは おやっさんみたいな子じゃな」と言った
「小さなおやっさんだな」みんなが言った
「ちいさなオヤジのちいちゃんだな」誰かが言った
 
私はその日から名前が出来た
ちいちゃんと言う名前が出来た
 
「私はちいちゃん」
そう思いながら魚の目玉を口に入れた
「昨日たくさん酒を飲んだから頭が痛いな・・・・」
そう思いながら魚の目玉を舐め続けた         戻る








































      
      どうして
 
 どうしてこんなに頭が痛いんだろう
どうして血管が膨らんで爆発しそうなくらい体が燃えるんだろう
どうしてさっき食べたお粥を全部吐いちゃうんだろう
 
三日前からお布団にずっといる
「風邪」っておばちゃんが言った
「お医者さんに来てもらおうな」っておじちゃんが言った
 
焼けた畳
二階の狭い部屋
下の食堂からいい匂いがする
腰高窓
西日しか当たらない
カーテンがない
その代わり格子がズラッと入ってる
黄色の布を買ってこよう
早く元気になってカーテンを作ろう
土壁が剥がれてる汚い部屋だけど
黄色はお天道様の色
きっとこの部屋も明るくなる
おばちゃん喜んでくれるかな
でも
なんか変なの
おじちゃんが連れてきてくれるお医者さん
あの先生が打ってくれる注射ね
なんだかよくわからないけど
ワーって叫び声が止まらなくなるほど苦しくなるの
 
嫌だ 嫌だ 嫌だ
血管がちぎれちゃう
腕を押さえる
怖い 怖い 怖い
体がちぎれちゃう
自分の体を押さえ込む
頭の中が爆発する
鼻血が止まらない
口の中が乾いて声が出ない
意識が遠のく
意識が遠のく・・・
 
声がする
「親に構われん子は簡単じゃな」
「この子だったら仕込みがいもあるわな」
「この土地一番の売り子になるわな」
「そりゃ、無理じゃろ」
おじちゃんの声
おばちゃんの声
お医者さんの声
 
おじちゃんとおばちゃんに出会った日から三年の月日が流れてた
私は16歳になってた
高校一年の夏休みだった
 
意識がまだハッキリしない
みんなの言ってることが何なのか分からない
意識がまた遠のく
「逃げなくちゃ」
それだけしか思わなかった
 
出入り口のふすまの方に這って行った
ふすまの方に行かなきゃいけないのに
なんで体は押入の方に動くんだろう
「そっちじゃない、そっちじゃない!」
自分に命令する
ふすまを開けなきゃいけないのに
なんで和箪笥の引き出しを私は引っ張ってるんだろう
思い通りに動かない
頭と体がバラバラの動きをする
「なんなのよ・・・これは・・・」
這いつくばったまま三人を見上げる
「量が多いんちゃいますか?」おばちゃんが言う
「まだ子供じゃけん、もうちょっとしたら慣れるやろ」おじちゃんが言った
 
布団に戻ろう
布団がない
金魚がいない
窓がない
何も無くなった部屋
そんなはずはない
布団を探さなきゃ・・・
金魚にご飯あげなきゃ・・・
意識が遠のく
帳簿が目に入る
鉛筆が目に入る
 
お店が終わった後おばちゃんがいつもつける茶色い帳簿
そろばんを弾く音が私は大好き
おばちゃんが大好き
 
震える手で鉛筆を握った
太ももに鉛筆をさした
やっぱり痛くない
これは夢なんだ・・・
早く布団に入らなくちゃ
鉛筆を抜く
血が噴き出す
鼻から出る血
足から出る血
夢の中でも血は赤いんだね・・・
ねぇ、おじちゃん おばちゃん・・・
 
 
どうして、幸せって思う時間は長く続かないんだろう
 
あれから何年もの時が流れるのに
どうして私の体は健康にならないんだろう
 
どうしておばちゃんは刑務所の中で死んじゃったんだろう
 
どうして
どうして・・・
 
私には分からない事が多すぎる
 
おじちゃん、どこへ行っちゃったの
おじちゃんお願い 帰ってきて
 
私には分からない事がたくさんあるの
頭がおかしくなりそうだよ
心が滅茶苦茶になりそうだよ・・・
 
おじちゃん、おばちゃん
どうしても教えて欲しいことが一つだけあるの
 
おじちゃんとおばちゃんは
本当は私の事が嫌いだったの・・・?
                    戻る






















ひとりぼっち

 食堂のおじちゃんとおばちゃんが泣く
鉛筆をさして血が流れ続けた私の足をなで続け
おじちゃんとおばちゃんが声を殺して泣く
私がいるとみんな泣く
お母さんも
お父さんも
おじちゃんも
おばちゃんも
みんな、みんな、私がいると悲しくて泣く
「ここにも長くいちゃいけない」
寝た振りをしてそう思った

 どこに帰ろう
どこに帰ればいいんだろう
私の帰る所は一体・・・
寝た振りをしながら
私は私の帰る場所を探し続けた

 何日か眠り続けて
やっと起きあがれるようになった
お部屋の掃除をした
金魚にたくさんご飯をあげて
裏の出入り口からそっと食堂を抜け出した
外のゴミ箱に猫がたくさん集まってた
仲良しの猫がいたので
「バイバイ」って頭をなでた

 電車に乗って家に帰った
さっきから足がズキズキ響きだした
痛いのかくすぐったいのかよく私には解らなかった
玄関のドアを開けた
鍵が閉まってた
仕方ないから鍵の壊れてる居間の窓をよじ登って
家の中に入った
家の鍵はずいぶん前に川に捨ててた
居間のテーブルの上にたくさんの空き瓶があった
ぜんぶお酒の瓶だった
カーテンの閉まった暗い部屋
おみそ汁の染みが付いた壁
へこんだ柱
血の跡が付いた床
破られてる私の教科書
はさみで切られたお父さんのネクタイ
小さい虫がたくさん飛んでる
枯れた観葉植物
靴を履いたまま居間の掃除をした
汚い暗い変な匂いのする私の家
誰もいない私の家

 一枚の写真が床に落ちてた
小さい私が生まれたての妹を抱っこしてニッコリ笑ってる写真
靴で写真を踏んでそのままゴミ箱に捨てた
妹がいてる家の番号を思い出して電話をかけた
「姉ちゃん、元気?」妹の声は元気だった
小さかった妹も中学生になってた
悪いことをするのが楽しくて楽しくて仕方のないやんちゃな女の子になってた
どんなんでもいい
元気で笑ってたらそれでいい

 隣のお父さんとお母さんの部屋を開けた
汚れた部屋の布団の上で
お母さんが寝てた
布団を掛けて「ただいま」と言った
「どこ行ってたの・・・?」お母さんが小さい声で喋った
生きてる・・・胸をなで下ろした
「友達の家で夏休みの宿題してた」嘘をついた
お母さんがまた眠った
お母さんはお酒臭かった
部屋の掃除をして居間に戻った
半分残ってるお酒の瓶を長い間ボンヤリ眺めてた
その瓶を持って二階の自分の部屋に行った
テレビで見た刑事ドラマを思い出して
太ももの傷に口に含んだお酒を「プッ」てかけた
「痛い・・・」初めて思った
「苦い・・・」お酒が口に残った

 どうしてお母さんはこんな苦い物をたくさん飲むんだろう
おいしくなんて全然ないのに
どうして泣きながらいつもお酒を飲むんだろう

 「アンタが悪いんだ」酒瓶に文句を言った
「アンタが全部悪いんだ」酒瓶を壁に向けて投げた
「アンタなんかこの世から無くなっちゃえ」涙が出た
足が痛い
おじちゃんに会いたい
おばちゃんに会いたい
金魚に会いたい
猫に会いたい
食堂に帰りたい
食堂のお客さんに「いらっしゃい」って言いたい

 元気なお母さんを返せ
お父さんを家に帰せ
足が痛い
誰に助けてって言えばいいの?
そんな人いない
誰も助けてくれない

 泣くと疲れるだけなのに
泣いたって時間の無駄なだけなのに
私はたくさん泣いた
途中でなんで自分が泣いてるのか分からなくなってきて
面倒くさくなってきたけど
ダラダラと泣いた
ずっと泣いた
泣いたまま眠った
                   戻る



























    

 狂っていく

何かが少しずつ狂っていく
何もかもが少しずつ狂っていく

「この家には幽霊がいるんだよ」狂ったように酒を飲み
全身ガタガタ言わせてお母さんが言う

お金を使い込まなければ何者かに征伐をうけるのか 
お父さんは博打にのめり込んでいく

大きな菜切り包丁を振りかざし、
どこにもいてない人間を相手に喧嘩をする食堂のおじちゃん

「お金は裏切らんけんね・・・」にやりと笑ってその後
訳の解らない事を喚きながら算盤を壁に投げつける食堂のおばちゃん

狂っていく

目の前で愛しい人たちが
少しずつ
でも確実に
狂っていく

 いつも洗い立ての洗濯物 お日様の匂いがする母だった
ヨチヨチ歩きの私を知り合いに自慢して歩く子煩悩な父だった

口下手だけどいつも私を守ってくれる
寡黙で優しい育ての父だった

人間真面目にさえ生きてれば
それだけで幸せなのよ、と優しく笑う
商売下手な育ての母だった

 どこに助けを求めればあの時よかったんだろう
どこに助けを求めれば愛しい人は狂わずにいられたんだろう

 普通にこの世に生を受け
普通に毎日を送り
普通に人生を歩み
平凡が一番幸せと笑う人たちが
何か大きい力に飲み込まれていくかの様に
少しずつ確実に狂っていく

 狂いを修正しようと
色々な事をした
色々な努力をした
狂いを修正することだけに
全身全霊を注ぎ込んだ

 でも
全て無駄に終わった
脱力感だけが私を支配した

 子供の私には何も出来なかった
子供の私には理解出来ないことが多すぎた
子供のまま年だけが増えていく
見た目は35歳の
でも中身は恐ろしい程、幼稚な
何もかもが未熟な
それでも母として生きることが許される・・・
一番狂っているのは
きっとこの私なんだろう

 
酒に狂うお母さん

博打に狂うお父さん

覚醒剤に狂うおじちゃとおばちゃん

 みんな、みんな普通の人だった
特別な人なんて誰一人いなかった
みんな普通に毎日を生きていた

 何かをきっかけに
急速に
酒は
薬は
ギャンブルは
確実に
普通に暮らす人たちを蝕んでいく

その家族達を蝕んでいく

 私の愛してる人たちが
私の目の前で壊れていく

 誰かお願い・・・
私の大事な人たちをどうか助けてあげて・・・

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   のら犬
 
 
ずっと私は犬だった
ずっと、ずっと私は犬だと思う、これからも
野良犬
人間なんかじゃない
私は犬だ、これからも
小さい野良犬
確かに可愛いかも知れない
適当に可愛がってくれるかも知れない
でも誰が拾ってくれる?
最初から 面倒見切れないくらいなら手を出すな
私は許さない
一生許さない
優しい振りなんかするな
なんで、なんで、みんなの馬鹿
野良犬には野良犬の意地がある
ゴミを食べたって生きていける
 
適当に私に親切にするな
途中で私を嫌いになるくらいなら
初めから相手にするな
 
みんなの馬鹿
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 呪文

まだ私が小さかった頃
家の玄関を開けて六畳の部屋のふすまを開けたら
お母さんが妹の首を両手で絞めてた
お母さんに体当たりした
ぐったりしてる妹を私は両手で抱きしめた
お母さんは狂ったように泣き出した
妹も狂ったように泣き出した
でも私は泣かない
だって慣れてるんだもの

お母さんには大好きな恋人がいた
結婚の約束をしていた
恋人が結核になった
結婚をやめた
仕方ないからお父さんと結婚して浩美と麻利子が産まれた
何回も同じ話しをしなくても一回聞いたら分かるよ、お母さん
誰かが死ぬと思ってた
私にとって「死」は遠い話ではなかった
お父さん、お母さん、妹、そして私
誰かが死ななきゃ駄目なんだったら
私が死ぬのが一番いいと幼いながら分かってた
私が一番怖かったのは私以外の人間が死んじゃう事だった

少し大きくなった時お部屋で日記をつけてたら
お父さんとお母さんが並んで部屋に入ってきた
まだお昼なのにお父さんどうしてお仕事行ってないの?
不思議な思いもあったけど
それよりもいつも喧嘩ばかりしてる二人が並んで私の所に来てくれた事の方が
なんとなく不思議でなんとなく嬉しかった
「家族みんなで今から死のう」お父さんが言った
 
「みんな死んじゃいけない」私は思った
私の体は生きている、でもね とっくの昔に私の魂は死んじゃってるの
私は動く死体なの 私が死ねばお金が入るから心配なんてしなくていいのに
借金だって返せるよ 

遠い遠い昔の事なのに
家族全員みんな今生きてるのに
私には守らなきゃいけない子供だっているのに
どうして私は、何故私は「死ぬなら私だ」って信じてるの?
どうして私は「今から死ぬから」って言う赤の他人の呪文だけで危ない橋を渡るの?
 
呪文が解けるのはいつなんだろう
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 「アスファルト」  

何も考えられなかった
ある日 突然おじちゃんとおばちゃんが食堂からいなくなった
たくさんの知らない男の人たちが二人を車で連れて行った
「あれは誰?」
「警察じゃよ・・・」
「いつおじちゃんと、おばちゃんは帰ってくるの?」
誰も答えてくれなかった

毎日毎日焼けたアスファルトに座り込み二人の帰りを待った
覚醒剤という怖いお薬で私の大事な二人は壊れてしまった

小さな食堂の小さな店の前のアスファルトに毎日毎日座り込んでた
「ちいちゃん帰ってきたよ」っていつ帰って来てくれるか分かんないだもん
「いつ二人は帰って来てくれるの?」って店のお客さんに聞いても皆、黙りこんじゃうんだもの


 きつい日差し
電車の揺れる音
お豆腐を売りにくるラッパの音
蒸したアスファルトの匂い
早くおじちゃんと、おばちゃんに会いたい私の心

たくさんの怖い顔をした男の人たちが毎日食堂に出入りするようになった
色々な物を車に詰めてどこかに持っていくようになった
私はアスファルトに座り込み、ただ黙ってそれを見てた
「こら!子供!じゃまだ!!」って何回も怒鳴られた
でも私は動かなかった
ううん、動けなかった

そのお鍋持ってかないで
そのイス持ってかないで
その招き猫持ってちゃやだ
タンスも鏡台もなんで何もかも持ってちゃうの?
そんなの持っててもおじさん達何も嬉しくないでしょ

でも私には古ぼけたその道具の全部が宝物なの
だから何もかも持って行かないで・・・

どんどん何もかもがなくなっちゃう食堂
私は毎日何もする事もなく
私は毎日何も考える事もなく
ただ焼けたアスファルトに座り込む

 ただひたすら、おじちゃんとおばちゃんの帰りを待って

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