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 断酒手帳


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目次



事跡紹介            三ページ
松村断酒語録          十五ページ
断酒の歌          二十四ページ
全断連の歌         二十八ページ
心の誓い          三十三ページ
家族の誓い         三十四ページ
断酒の誓い         
三十六ページ

アルコール依存症自己診断法 三十八ページ


 故松村春繁氏の事跡の紹介

編集;松村断酒学校 記;高知県断酒新生会 小林 哲夫氏


断酒会の発足と沿革
 一九三五年、アメリカのオハイオ州アクロン市でポブ・スミスという外科医とビル・ウイルソンというニューヨークの株式仲買人の出会いが、アメリカ断酒会、いわゆるA・A(アルコホニリックス・アノニマス=酒害者匿名会)の発生であることは良く知られているが、何故この二人の出会いに意味があるかということについては、余りよく知られていない。実は、この二人は自分がアル中であることをずっと以前から自覚しており、過去に何回となく酒を止める努カをしてきた人達であった。
 しかし、何回断酒を志してもすぐに座折、どうもアル中が酒を止めることは不可能ではないかと思うようになっていた矢先、二人に同時に、もし誰かと一緒なら成功するかも?…≠ニいう考えがひらめいたそうである。そして、二人がめいめい相手を捜しあて、ようやく出会うことができたのが、前記の一九三五年アクロンの町の喫茶店であった。そして、二人が断酒を誓い合って爾来、A・Aのメンばーは二○○万とも称されるようになったのである。 
 我が国に於いては、昭和三十年十一月二十五日、故松村春繁先生が、このA・Aの活動を下司孝麿氏に示唆されて、同志故小原寿男氏を得て下司病院に於いてA・A同様、たった二人で結成したのが始まりである。爾来三十九年の歴史をもち、現在では四十七都道府県五百有余の断酒会を持つに至り、会員数も五万名を突破している。その間、昭和三十八年十一月十日には、明治初年から発足していた禁酒同盟の中から、単に廃酒思想だけでは酒害者は救われない≠ニして断酒グループを作って活躍していた東京断酒新生会と大同団結、これもたった二つの断酒会で全日本断酒連盟を結成した。そして第一回全国大会を高知の土電会館大ホールで開催発足した。それから静岡、岡山、香川、北九州、烏取と断酒会が順次発生、断酒会運動は酒を断った会員の喜びと真剣な努カの結果、燎原の火の如く拡がり、現在に至った。
 また、全断連の定款第三条にうたってある酒害の啓発運動の一環として、昭和四十年九月四日、高知市吸江寺に於いて第一回断酒学校が開かれた。以後、毎年春秋二回開かれ、毎回七八○名の参加研修生を得て、盛大に研修されていた。
 昭和四十五年一月三十日、初代全断連会長であり、断酒会の創始者でもある松村春繁先生は、志半ばにして逝去された。然し、先生の生前のご活躍と前全断連名誉会長大野徹氏の努カにより、半年後の四十五年七月十五日、全断連は社団法人格を厚生省より認可され、同八月一日より発行した。
 また、全断連が発足して二年目の昭和四十年十一月十四日、高知市に於いて第二回全国大会が、参加人員五〇〇名を得て開催され、以来毎年各地に於いて開催されている。

 
アメリカの精神医学の泰斗、ウォールバーグ博士はその著書の中に、次の様に述べている精神科医の口頭による精神療法より断酒会に於ける集団療法の方が効果的でより安くつく。これは彼等にはお互いの人格の触れ合い、魂の結びつきがあるからであろう≠ニ。松村先生も生前同様の事をよく言われた。即ち「アル中が酒を止めるという一つの目的に純粋に努力した時、アル中同志の人格の触れ合い、結びつきが始まり、遂には強固な同志愛、連帯感が生まれる」と、従って前述の如くの昭和三十三年の断酒会発足以来、松村先生が如何に会員との対話を大切にし、且つ亦酒害者を愛したかは、我々の想像を超えるものがある。昭和三十五年頃の事である。大垣市に在住の酒害者から、一本の葉書が先生宅に届いた。内容は簡単で何とか酒を止めたい。カになって欲しい=B彼は早速一張羅の背広を質入れすると大垣に飛んだ。たった一人でも酒に悩んでいる人を知った時、彼には手紙で断酒方法を指導するといった安易な事は出来なかったのである。直接逢ってとことん話し合って一番良い方法を二人で見つけ出すのだ。このやり方は終生変わる事なく続いた。彼の基本理念は、断酒会員は酒を飲んではならない。自分だけが救われて事足れりとはとんでもない間違いだ。我々は断酒出来た喜びを多くの酒害者に分かち、一人でも多くの酒害者を救い、最終的には一人の酒害者をもこの世からなくすのだ≠ナ一貫していた。
 先生が断酒会を結成して逝去される迄の十三年間、日本全て先生の足の届かなかった所はないであろう。昭和四十二年脳軟化症で倒れて後も、主治医である下司顧問、多くの会員の説得も効果なく、ベットを抜け出しては東奔西走された。昭和四十四年秋の高知に於ける全国大会で、私の屍をのりこえて断酒会をますます発展させて貰いたい≠ニ絶糾された。その時はもう先生の生命は限界にまで迫っていたが、気力だけは旺盛だった。○○県には断酒会がない、△△県にもないが何か足掛かりはないものか<xツドの中でもそんな事のみ考えて、見舞いの会員に話されていた。
@ 例会には必ず出席しよう。
A 
一人では止められない。
B断酒に卒業なし。
C前向きの断酒をしよう。
D会員は断酒歴に関係なく平等である。
E節酒は出来ないが、断酒は出来る。
Fきびしさのない者には断酒なし。
Gどんな事があっても会から離れるな。
H理屈より実践
I酒害者による、酒害者のための、酒害者の会。
 これらが生前の松村先生の口癖であったが、我々会員が、みずからの意志によって酒を断つという主体性による連帯意識がアル中は不治の病である≠ニさえ言われた社会の偏見を打ち破り、今日の繁栄を得た事は喜びに堪えない。
最後に語ることは最高の治療≠ニ松村先生はよく言われた。今後の断酒継続の糧とされたい。                     戻る
    松村断酒語録[(社)高知県断酒新生会編集]
一、 例会出席は断酒の鉄則である。
二、 一人で止めることは出来ない、無駄な低抗は止めよう。
三、 断酒に卒業はない、
四、 酒の魔カは人間の意志を上回るものである。
五、 前向きの断酒をしよう。
六、 今日一日を確実に断酒しよう、そしてその一日を積み重ねよう。
七、 例会には夫婦共々出席しよう。
八、 例会の二時問は断酒の話のみ真剣に。
九、 例会出席で自分の断酒の道を見付け出そう。
十、 断酒優先をいつも考えよう。
十一、アル中は心身の病気であり、又一家の病気である。
十二、例会で政治、思想、宗教等を話さない様に。
十三、断酒の最大の敵は自分自身であり、酒ではない。
十四、自信過剰は失敗のもと。
十五、失敗しても断酒会へ。
十六、節酒は出来ないが、断酒は出来る。(間違った社会通念を変える様に)
十七、最初の一杯に手を出すな。
十八、会員は断酒歴に関係なく平等である。
十九、他の体験を素直に聞き、自己の断酒を確認する。
二十、きびしさのない処に断酒なし。
二十一、断酒会員であることを誇りに思え。
二十二、どんなことがあっても断酒会から離れるな。
二十三、家族、同僚など周囲の協カを得るために絶対飲むな。
二十四、消極的だが、初心者は酒の席に出ないこと。
二十五、他に対する奉仕は自己の断酒の糧である。
二十六、自分達はアルコールに対しては無カである。
二十七、断酒会は酒害者による酒害者のための酒害者の会である。
二十八、酒害者は酒のため墓場に行くか、断酒会で断つかの方法しかない。
二十九、自覚なき酒呑みの多い中で入会された勇気に敬意を表します。
三十、 我々は全知全能の神ではないから、完全な断酒方法を説くことは出来    ないが、敢えて言うなれば例会出席である。
三十一、断酒会員には普通の人より何か優れた処がある。断酒して自覚しよう。
三十二、断酒会の目的は酒害者を一人も残さないことである。
三十三、私の屍をのりこえて断酒活動に挺身して下さい。(第六回全国大会)
三十四、断酒は継続することが難しい。体当たりで実践しなさい、
三十五、断酒会員は終身会員であり、除名はない。再入会を希望して、門戸を    開いておく。
三十六、会員同志はお互いに身の回りを清潔にしよう。
三十七、会員は人に疑われる処に行かないこと。
三十八、酒を止めるだけが断酒ではない。(人間としての自覚をもつ)
三十九、断酒は生活のすべてである。断酒しているから現在があることを知る    べきである。
四十、 会員の付き合いは肉親以上である。
四十一、条件をつけて断酒しない。
四十二、各自が一日一日断酒を全うすることこそ尊い無言の断酒運動である。
四十三、危険と思われる時には案外失敗がすくない。状態が良いと思う時に注    意すること。
四十四、飲酒に近づく危険の予防、自己の酒害を認識しよう。
四十五、お互いが欠点や失敗を語り合って、人間としての人のふれあいが出来    る様につとめること。
四十六、一年半したら会の運営に参加する様に。
四十七、各酒害者が、性格の相違をみとめ、各自が体験を通じて自ら反省し体    得すること。
四十八、自分の姓名を名乗り断酒会員であることを自覚する。
四十九、他カによる断酒でなく、自覚の上に立った断酒であること。
五十、 君と僕とは同じ体質の人間である。酒を断つより外に生きる道はない。
五十一、語るは最高の治療。
五十二、例会は体験発表に始まり体験発表に終る。
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 断酒の歌
作詞;元全日本断酒連盟顧問 故甚泉寺正一教授

一、ああ酒断たんと 心せど
     又して呑まるる この弱さ

   生きる命の ともしびも
     酒に朽ちなん 情けなや

   崩れ行く身に 涙して
     生死の境 さまよいぬ


二、ああ魔の酒は 又しても
     五体に狂い 五臓さけ

   悪鬼蛇蝎は せまりきて
     わが身いずくに 置くべきか

   ああ天地神 救いあれ
     酒に滅びし この痴人


三、生きる望みは 尽き果てて
     身も世もあらず 嘆くとき

   酒断つつどい あると聞き
     これぞ救いの 主なりと

   杯砕き 意思固め
     今日も呑まざる 日が続く


四、廃人の夢 今は醒め
     死生の奇跡 新生へ

   吾が子吾が妻 むつみ合い
     自力を尽くし 家築く

   ああこの喜び 分かち合い
     酒癖の人を 救くわなん
       酒癖の人を 救くわなん
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 全断連の歌(全日本断酒連盟)

一、   酒癖に病みし 過去を断ちて
     断酒に生きる 我等が人生
     新たな心 希望の光 
     共に歩まん 断酒の道を
     雄姿輝け
     ああ躍進の 全断連

二、  ひとり一人の 心の絆
     強く結んだ 多くの友と
     励ましながら 希望に燃えて
     共に進まん 断酒の道を
     雄姿輝け
     ああ躍進の 全断連

三、   固い決意で 厳しい道を
     勇気と誇り 連鎖の握手
     未来にむけて 希望の明日
     共に築かん 断酒の道を
     雄姿輝け 
     ああ躍進の全断連  戻る



 高知県断酒新生会の初期丸断
 

 の誓い


私は、酒害から回復するため

   断酒会に入会しました。
これからは例会に出席して酒を断ち
 新しい自分をつくる努力をいたします。
多くの仲間が立ち直っているに
 私が立ち直れないはずがありません。

私も
完全に酒を止めることが出来ます。
私は心の奥底から
酒のない人生を生きることを誓います。
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家族の誓い

私は夫(妻、子供)の酒害に巻き込まれ悩み苦しみました。

アルコール依存症は家族ぐるみの病気です。
病気だから治さなければなりません
また 治すことが出来ます。

これからは酒害を正しく理解し

互いに協力して心の健康を回復します。

私は、断酒会の皆様と共に幸せになることを誓います。

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   断酒の誓い

一、私達は酒に対して無力であり
  自分一人の力だけでは、どうにも

    ならなかったことを認めます。

一、私達は断酒例会に出席し
   自分を率直に語ります。

一、
私達は、酒害体験を掘り起こし
  過去の過ちを、素直に認めます。


一、私達は、家族はもとより
   迷惑をかけた人達に償いをします。

一、
私達は、断酒の歓びを

   酒害に悩む人達に伝えます。 戻る


 アルコール依存症自己診断法
(心当たりの項目が三っあればアルコール依存の危険があり 四っ以上あればアルコール依存症です)
アメリカのジョンズ・ポプキンス大学で採用しているアルコールテストです。

一、酒を飲んで、仕事をサボる事がある。
二、酒を飲んで、家庭に波風が立つ事がある。
三、酒を飲んで、人から不評を買う。
四、
酒を飲んだ後で深く後悔する。
五、
毎日同じ時間に飲みたくなる。

六、酒を飲まないと、眠れない。
七、
翌朝、又飲みたくなる。
八、
外で一人でも飲む。
九、
酒を飲むと、家庭のことは無関心になる。
十、
酒の為、経済的危機に陥った事がある。 

十一、おじけを除くために飲む。
十二、自信をつけるために飲む。
十三、不安から逃れるために飲む。
十四、酒を飲むと、友人を見下したくなる。
十五、酒を飲むと、仕事の能率がひどく下がる。
十六、酒を飲むと、向上心がなくなってしまう。
十七、酒を飲んで、完全に記憶を失ったことがある。
十八、酒を飲んで、仕事上のミスをしたことがある。
十九、酒を飲んで、医者にかかった事がある。
二十、酒のため病院に入院したことがある

                
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2011/2/10更新
2017/8/15更新

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