1993年11月
 91、大島神社
   里人に親しまれた鎮守の森
 のどかな田園風景がみられ、どことなくまだ田舎のにおいのする大島地区、今稲刈りが終わったところです。大庄北中学の西側に市の公園と一体となった広々とした境内の大島神社があります。鳥居の前には、樹齢300年は悠に過ぎた楠が旧街道を見下ろした格好でそびえています。
 神社の創立は不詳ですが鎮座地は、明治・大正・昭和の初め頃までは武庫郡大庄村の内であり、古く荘園時代は大島荘といい武庫川と蓬川の間に位置する村里にありました。昔は、武庫川は今よりも東を流れていましたが、中世以来、氾濫などで河筋が変わり現在のような流れとなりました。
 1660坪の境内には元禄3年の手水舎、宝暦6年の狗犬、寛政年間の常夜燈等、今から2、300年前の盛んな神社の様子がうかがわれます。又樹木や竹等が密生し、鎮守の森としても里人たちに親しまれていました。
すさのおのみこと
 素蓋鳴命を主祭神として夏祭り(8月10、11日)には境内いっぱいに氏子の人達の絵作品をあしらった燈籠が並び多くの参詣者でにぎわいます。(山神一子)

〔交通機関〕市バス東大島または今北下車徒歩5分

 お正月に訪れると、大勢の参拝者でにぎわい、特設テントでは神主さんらがおみくじ売りなどに追われていました。
 燈ろうには倒れた傷が痛々しく残っていましたが、本殿はコンクリート造りなので被害を免れたようです。(平成8年1月) 戻る



1994年1月
92、神崎一心地蔵尊
   まさしげ たかうじ
   楠木正成と尊氏が神崎の戦
 今年も終わろうとしている12月20日、はげしい雨の中、神崎橋の近くにある「神崎一心地蔵尊」を訪ねました。
 建武の中興の恩賞に不満をもち反逆して鎌倉に走った足利尊氏に後醍醐天皇の命を受けた新田義貞が迎え討つが尊氏の反撃にあい京都へのがれる。再び京の都で激戦、今度は尊氏軍が敗れる。尊氏軍は丹波から摂津に向かい、湊川の宿で新田軍を迎え討つ。この時楠木正成は遅れて参加、合戦の様子を見て、正面からは不利と神崎の辺りから神出鬼没、一心をこめた戦法で圧勝し、尊氏軍は遂に九州へと逃げ延びる。世にこれを神崎一心の戦いといいます。昨年12月、区画整理のため、高架下から移されてきました。2m近くもあるお地蔵様に願かけに毎日お参りに来ているという年輩の方にお逢いしました。
 又雨の中、菊の花をお供えしている近くのマンションに住んで居られる奥さんにお話を伺いました。30年余り前には神崎橋は木造の低い橋であった事、3年前子どもさんが重い病気になりこの地蔵尊に一心にお参りしたら今では元気になられた事、とても感じの良い奥様でした。(山神一子)

参考 尼崎の文学

【交通機関】杭瀬駅より北へ1.km神崎橋北西詰

戻る


1994年3月

 93、元浜緑地
  遊具や水遊び花、緑の相談
 2月だというのに春を思わせる好天気の午後、昨年6月にオープンした元浜緑地を散策しました。
 尼崎市の南西部に位置し、神戸製鋼所グラウンド跡地というだけに周りは工場ばかり、その中に別天地の様な広々とした元浜緑地は、全国で初めてつくられた大気汚染対策の緑地です。豊かな緑を生かした池、芝生広場、樹木等による大気の浄化や市民の憩いの場としての役割を果たしています。
 子ども達に夢と冒険、豊かな想像力を養う遊具や、わんぱく池には手こぎいかだ、水鉄砲等の水の遊具や樹形の噴水等ユニークな池です。又、水蓮やとんぼ等水生植物、小動物が育つ池もあり四季折々の花が咲きウグイス、メジロ等野鳥のさえずりを聞き、身近に自然とふれあえます。
 管理棟は小高い丘の上にあり、緑地利用者の案内や緑の相談、花の展示会、講習会等が行われ、ビデオライブラリーもあります。尼崎緑地協会のお兄さんは「現在、半分完成しており二年後に全部完成の予定だけど、まだまだ宣伝がたりなくて知らない人が多いので宣伝の方よろしく、春には植木市もありますよ」と。暖かくなったらぜひ散策を。(山神一子)

【交通機関】阪神電車センタープール下車南西500m

管理棟 рU411−1187

1月の寒い日に訪れると、冬の陽差しのなか子ども達が元気に遊びまわっていました。

緑地の東半分は工事中で、平成10年頃に駐車場、ロングすべり台、遊具、広場などが完成するようです。
 公園を東へ三百メートルほど行くと、大勢の若者がゴーカート、ローラーホッケーなどで歓声をあげているフイールドに出ました。(平成8年1月) 戻る



2004/6/18 シャメール・順子
1994年5月

 いくしま
 94、生島神社
  生島弁財天を祭る尼崎祖神
 桜前線もあっというまに通り過ぎ、ポカポカと居眠りしたくなる様な午後のひととき、立花小学校の近くの生島神社を訪ねました。
 創立は、仁徳天皇の御代と伝えられ、大地と命の営みを続けている一切を守る神様をお祭りしています。
 立花地区の上ノ島、栗山、大西、三反田の各町は昔は「生島」と呼ばれていました。仁徳天皇が当地方に行幸の際、生島巫神をお祭せられ、尼崎の祖神として鎮座、明治維新前迄は、生島明神・生島弁財天として広く知られ、その後(明治6年)生島神社と改められました。
 境内には、弘法大師像を安置している大師堂があります。この様に神様と仏様をお祭りしている神社は日本でもめずらしいそうです。
宮司さんのお話では、「この神社はとても由緒あるもので、重要文化財の価値がある」とおっしゃっていました。おりしも若い男性がひとり、ことの外熟心に手を合わせておりましたが大学合格のお札参りだとか・・・。この様に子供の発育、知恵を守り、安産の守護神として多くの参拝者があります。しだれ桜がとてもきれい!(山神一子)

 【交通機関】市バス立花支所前で下車、東へすぐ。

随 想
 神杜の写真アングルがとても良いの表紙に書きました。
 しかし大震災で入口大鳥居が根もとから折れ、現在は撤去、本殿前の烏居は補強といった状態です。
お正月参拝者の多いのにびっくり、その中にヤクルトの池山選手の姿を見ました。(平成8年1月)戻る

1994年7月
  95、猪名川自然林
  昆虫飛びかう緑豊かな公園
 6月は環境月間であるということで、梅雨のあい間の晴れた昼下がり、緑の中を歩きながら、自然の観察が出来る猪名川自然林と農業公園を訪ねました。
 市北東部に位置する猪名川自然林は、かつて猪名川の堤防だったところです。
 緑豊かな猪名川公園と自然が残された猪名川風致公園があります。公園に入ると「ワァー」という歓声が聞こえてきます。お年寄りたちがゲートボールを楽しんでいました。ベンチではご夫婦らしき男女がカラオケの練習をしています。このように自然の中で、思い思いの午後のひとときを過ごしている姿は、ほほえましいものを感じました。
 また、自然林の中に植物や昆虫を育てるための「自然復元実験園」があります。
ここにはチョウチョウをふ化させる「チョウの家」があり、生き物が生息できるように柑橘類の木を植え、落ち葉は堆肥になり、水辺はコンクリートを使わず、石をそのまま積んで造るなどの工夫をこらしています。             
 
農業公園は、今が盛りの花菖蒲がとてもみごとでした。カメラ片手に愛でる人たちでにぎわっていました。(山神一子)

【交通機関】阪急園田駅より市バス東園田1丁目下車北へ。農業公園は競馬場北

公園東、猪名川堤防に、公園案内板と萬葉歌碑が立っています。

しなが鳥 猪名野を来れば 有間山

        やどり
 夕霧立ちぬ 宿はなくて

春になって暖かくなったら、農業公園から、田能遺跡、自然林へとほどよい散歩コースです。
 何度行っても道に迷って、ぐるぐる同じ道を行ったり来たり。

 地震の影響は余りなく美しい花々が咲きほこっていました。
(平成
7年秋) 戻る