1989年9月
   66、子安地蔵
  こどもを守る木の地蔵さん
 今回もお地蔵さまに魅せられて取材に行きました。
“ながされてここに
  おさまるぢぞうそん
 おいも若きもすがれ
  吾が手に
 ありがたやすがる
  われらをたすけんと
 くださるみてに
  もれなもろびと”
 今日は、年に一度のお地蔵様のお祭りです。ここ琴浦神社の近くに祀られている子安地蔵尊を訪ねました。御詠歌にも歌われているように海から流れて蓬川の入江橋のたもとでひろわれ手厚く祀られたものです。一般にはお地蔵様といえば石で出来ているのですが、木で出来ていて、桑の木の杖をもっているので雷が落ちないという伝説があります。た村の長老が見た夢の中に姿を現わし、子どもを大切にと言ったそうです。
 お産の時にお地蔵様に供えした鏡餅を小さく切って焼いて食べる風習が2年程前までこの地域ではあったそうです。夜になるとかなり広い範囲に子どもの名前を書いたちょうちんに灯がともり、それはみごとなものです。遠方からのお参りも多く、お世話され方は大変です。この道35年お地蔵様を守り続けて来られた入江さん(82)と阪田さん(73)に伺いました。(山神 一子)

場所 琴浦町、琴浦神社  戻る



1989年11月

  67、ガスタンク
   尼崎のシンボルも3月まで
 尼崎のシンボルとして長年親しまれてきた"ガスタンク≠ェ、来年三月取りこわされると聞いたので訪ねて見ました。
 明治45年(1912)5月、尼崎の資産家によって尼崎ガス鰍ェ創立され、当初の需要家数は550戸でしたが昭和19年には、市内の20%、14,435戸の市民が使う様になりました。ガスは最初、燈用として、後には燃料として使われる様になりました。
 当工場は昭和二十年四月大阪ガスに八伊、尼崎営業所となりましたが6月空襲で建物は全焼してしまいました。戦後の復興の中で暗い感じのガスタンクも、画家岡本太郎氏のデザインで若者が未来に向って両手をかかげている「未来都市尼崎」の明るいシンボルマークに変わりました。
 高さ80mのタンクに満杯のガスは、1戸の家庭で使用するとしておよそ百年は使用出来るそうです。阪神間のガス供給拠点として重要な役割を果して、尼崎市内はもちろん、西は加古川、東は大阪まで供給していましたが天然ガスに変わり、来年3月にはあの巨大な姿は消えて8000坪の敷地は文化ゾーンになるそうです。(山神一子) 

【交通】阪神尼崎北200m

 随 想
 尼崎のシンボルであった岡本太郎氏デザインのガスタンクが姿を消しました。当時の取材で翌年3月には取り壊される予定がなぜか5年程そのままになつていました。どこに出かけていてもガスタンクが見えると尼に帰って来たという一種の安ど感がありました、とり壊された土地は尼瞭市が買い上げ、将来的には尼崎駅前から遊歩道(現在工事中断)がかかって文化ゾーンになるそうです。
  
(平成7年秋)  戻る



1990年(平成2)1

 68、昔の貯金箱博物館
   世界中の3000点を収蔵
 小雪がちらちら舞う暮の昼下がり、尼崎信用金庫記念館を訪ねました。ここは尼崎市の旧別所村830番地、大正10年6月、"有限責任尼崎信用組合"としてスタートした赤煉瓦の建物です。昭和46年旧本店の完成後、現在地に鉄筋コンクリート造りで再建され昭和59年「昔の貯金箱博物館」として開館しました。
日本と外国の珍らしい貯金箱が3000点余り収蔵されており、日本で唯一、世界でも数少ない博物館です。その中の一部、永年に亘って収集した世界の貯金箱約700点が展示されています。貯金箱のルーツといわれている今から2100年前の中国前漢時代の青銅製のものや、日本の貯金箱では江戸時代の銭箱、明治時代の七福神、戦時中の愛国貯金箱郷土人形、縁起物、キャラクター物等々、また世界25ヵ国のカラフルな貯金箱がところせましと展示されています。その中でも面白いのがカラクリ貯金箱といって鶏の格好でお金を入れると動き出し玉子を生み落とすというユニークなものもたくさんあります。
 旧本店の一部を改造して今よりたくさんの物が展示出来る広いスペースの展示場が4月オーブンされます。明治の赤煉瓦の建物としては、ユニチカ記念館、阪神電鉄尼崎倉庫とこの記念館のみ現存するものですが唯一、都市美形成建築物の答申をして近々指定を受けるそうです。
 この記念館のすぐ近くには寺町もあり、文化ゾーンの一端として水ぬるむ春になったら一度散策をしてみてはいかがでしょうか。 (山神 一子)

【交通】阪神尼崎駅から西南へ徒歩10分

  随 想
 建物は昔の建築で被害は殆どありません。9600点の内2500点程落ち、全壊したのが15点程、600点が少しひび割れとか傷ついた位で全体的には余り被害はなかった様です。よかったですね。
 12月、神戸新聞の今年のえとのねずみの貯金箱の記事が掲載される等取材や見学者が多いそうです。団体見学は予約、個人は随時です。貯金箱も近々一万点になるそうです。ガンバッて下さい。(平成8年)  戻る



19903
     な きり ずか
  69、菜切塚
  旧歴五月の節句に牛まわ
 阪神国道浜田車庫を南へ約200mのところ、小さな杜があります。昔はこのあたり一帯を菜切の里、現在では菜切山町と呼ばれています。折りしも冷たい雨が降りしきる二月の寒い午後訪ねてみました。      たけのうちのすくね
 此の地は菜切塚と称し、武内宿禰の墳墓として古来住民に心から敬われて来ました。
 菜切塚は浜田町の武内家(浄専寺)に伝わる古記によれば「孝元天皇曾孫武内宿禰大臣、免位の後、難波宮松原の傍に住し給う、宿彌後此所に葬る、宿禰塚此なり」と記されています。
 この塚は戦前までは環溝のある前方後円墳の型をしていましたが、昭和10年代区画整理のため環溝は東北の幹線道路となり従来の約半分足らずの広さになり、武内家の管理下にありましたが市民に親しんでもらうため菜切山緑地として市の管理に移行されました。
 土地の古老の話によると明治の頃、旧暦5月の節句には牛が丈夫になる様にと牛に化粧回しをつけ塩さばやちまきをぶら下げ、3度回らせて帰るという「牛回し」の行事の場所でもあったそうです。 (山神 一子)

 

【交通】市バス西警察下車南へ200m西電話局の東側

  随 想
 大庄地域も地震の被害がかなりありましたが、ここ菜切塚は殆どありませんでした。しかし旧NTTの南側には仮設住宅が約五十軒程、軒を連ねています。 戻る



19905
   70、武庫之荘乗馬クラブ
     さわやかなスポーツに人気
 今、静かなブームをよんでいるスポーツ、乗馬に魅せられて、尼崎では唯一の「武庫之荘乗馬クラブ」を訪ねました。
 武庫之荘7丁目の友行公園の北隣りで周囲は民家で閑静なところにあります。
 オーナーの井出一人さんはとてもステキな好青年でいろいろお話を伺いました。
 背筋をピンと伸ばし全身運動なのでかなりハードなスポーツですが、OL、年輩の人、ジュニアと年代層はいろいろで特に女性の会員が多いそうです。
 馬は表情やしぐさで気持を訴えるそうで、お腹がすけば食事の催促をしたり、乗る人の気持ち次第で乗った瞬間態度が変るという、人間の性質と同じだそうです。以前は武庫川までよく歩きましたが今は禁止されているそうです。若い程やんちゃで、特に病気の時は表情を見ながら徹夜で看病しなければならないので大変きびしいとの事。
 若い人達が一人前になっていろんなレースに挑戦していくのが楽しみとおっしやる井出さんは、自分の調教した馬で競技(新馬レース)に出場、みごと第一位を獲得しました。同じ趣味をもつ奥様と二人三脚でがんばっています。 (山神 一子)

【交通】市バス友行下車、東へ300m

クラブрU432−5816

アーサ号、馬場馬術で優勝。神戸しあわせの村での競技をひかえてとても忙しいとおっしゃるオーナーの井出さんは、相変わらず感じの良い方でした。よく地震前に動物が知らせると言われますが、馬は余り騒ぐ事もなく、いつもと変わりなかった様です。クラブハウスが壊れ、新しく建設中でした。十一月には完成するそうです。         (平成7年秋)  戻る