昭和55年7月
    14、 長遠寺
  桃山時代の面影をつたえる“誇り”
 日恩上人が観応元年、(1350年)七ツ松に創設したと伝えられ、1620年戸田氏鉄が尼崎城を築城する際、城下町整備のため、現在地である寺町に移されました。身延山を総本山とする日蓮宗の寺院として京郁以西では、最初に建てられた寺であり、かつては本堂、多宝塔、鐘楼など七つの建物をもつ七堂伽藍を具備し、子院十六坊を数えたと伝えられ、門前の市場は長遠寺市場として、栄えたといわれています。これだけの寺は、全国的にも数少ないそうです。織田信長や豊臣秀吉とも、深いかかわりをもつ寺でもあります。
 昭和40年、兵庫県の有形重要文化財に、また昭和49年には、本堂と多宝塔が国の重要化財に、それぞれ指定されました。この事について当寺院のオジュッさんに聞きました。―重要文化財に指定され、責任を感じてしんどい事は……と聞きますと、「いえ、私はほこりに思うとります」と即座に答えられました。また、「寺の修理代など国はだしてくれはるが、県は指定しただけで全然めんどう見てくれはれへん。けど当寺は、檀家がこの阪神地区には相当あるからやっていける」とも語られました。なかなか気さくなオジュッさんで、600年間で40代目だそうです。オジュッさんに別れを告げて本堂を見ると、あちこちに「危険、頭の上注意、瓦落ちる」などのたて札があり、なるほど相当に老朽化しています。建てられてから350年余り、そのままで良く持ちこたえ、波乱万丈の世を見きわめたことでしよう。それだけに、安土桃山時代の面影を、今日に伝える貴重な存在といえるのです。 (山榊一子)
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昭和55年9月
    15、貴布禰神社
 
昔は雨乞いの神様 今は産業発展の神様
 今回は、私の住んでいる出屋敷の近くにある貴布禰神社を訪ねてみました。
 ちようど1カ月ほど前の8月1日、2日のお祭りには、相当なにぎわいを見せたものです。この大祭には、二日間にわたって、各町内からひき出される「ダンジリ」の勇壮なおはやしにさそわれて、夜遅くまで参拝者の列がつづきます。境内には、夜店がたちならび、おとなも子どもも楽しんでいるひとときは、夏の尼崎の風物詩ともいえるでしよう。
 この貴布禰神社は京都鞍馬にある貴船神社の御分霊を奉斎する、全国約500社を数える中の一つであり、かなり格式の高い神社であるそうです。古くから雨乞いの神様とされ、江戸時代にはたびたび雨乞い神事を行ない、その霊験あらたかであったことが、御祈願所の記録に残されております。現在は産業発展の守護神でもあります。阪神工業地帯のど真ん中に位置して、尼崎の神社の中でも、一番広大な面積を要し、子どもの遊び場として、格好の場所になっているようでした。
 尼崎の南部にあります神社仏閣は、尼崎城築城により、数多くが移転させられ、この神社もその一つです。 
   随想
 貴布禰神社は海の神様、お祭りは八月です。最大の広さをほこる境内も8月1日、2日のお祭りでは出店がところせましとたち並び、にぎやかなものです。今年はじめて「ダンジリ」のけんかを目の前で見ました。現在はいろいろと規制されているので昔ほど荒々しくないそうです。でも私はこわかった。
(S60年秋・山神)
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昭和55年11月
    16、西国街道髭の渡し
    名残りなくたたずむ髭老人地蔵

 尼崎市の北、常松の行者堂と、武庫川をはさんで西宮市報徳学園の北側との間に、「渡し」がありました。通常武庫川の渡しといい、また髭(ひげ)の渡しともいわれ、平安時代の延長年間(930年ごろ)に出来たと記されています。
 伝説では、ある時代、常松村に髭をたくわえたおじいさんが、旅人のために茶屋を営み、渡しにも関係していた事から名づけられたといわれています。
 江戸時代以前は、京都から西の国々へ陸路で行くには、この渡しを渡らねばならなかったのです。最初は簡単なカケ橋でしたが、いったん大水が出ると支柱も何も流されてしまう、船子の責任として弁償せねばならないなど、いろいろ困難があって、次に肩のりに変わりまた船渡しに変わっていきました。
 江戸時代の参勤交代や旅人の往来には必ずこの渡しを通ったものです。ここにおもしろい話があります。天保9428日江戸勘定奉行、目付、旗本らが多勢を召し連れて、西宮から伊丹へ行くのにここを通ったのです。この時出された先触れには、行列に対して無礼の無いよう奉行と同名の百姓は改名せよ、田で働いている百姓は下座せよ、葬式は延ばせなどなど、こまかく書いていました。
 時勢の移り変わりは甚だしく現在では、下流300mほどのところに甲武橋がかかり、新西国街道としての国道ができています。
 この渡しも今はなんの名ごリもなく、ただ髭老人を祭ったお堂と灯ろうが立っているだけで、旧西国街道髭の渡しの名を聞くことすら、昔なつかしく思われます。 (山神一子) 参考文献 尼崎市史 
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