2009年4月10日更新

昭和55年9月
    15、貴布禰神社
 
昔は雨乞いの神様 今は産業発展の神様
 今回は、私の住んでいる出屋敷の近くにある貴布禰神社を訪ねてみました。
 ちようど1カ月ほど前の8月1日、2日のお祭りには、相当なにぎわいを見せたものです。この大祭には、二日間にわたって、各町内からひき出される「ダンジリ」の勇壮なおはやしにさそわれて、夜遅くまで参拝者の列がつづきます。境内には、夜店がたちならび、おとなも子どもも楽しんでいるひとときは、夏の尼崎の風物詩ともいえるでしよう。
 この貴布禰神社は京都鞍馬にある貴船神社の御分霊を奉斎する、全国約500社を数える中の一つであり、かなり格式の高い神社であるそうです。古くから雨乞いの神様とされ、江戸時代にはたびたび雨乞い神事を行ない、その霊験あらたかであったことが、御祈願所の記録に残されております。現在は産業発展の守護神でもあります。阪神工業地帯のど真ん中に位置して、尼崎の神社の中でも、一番広大な面積を要し、子どもの遊び場として、格好の場所になっているようでした。
 尼崎の南部にあります神社仏閣は、尼崎城築城により、数多くが移転させられ、この神社もその一つです。 
   随想
 貴布禰神社は海の神様、お祭りは八月です。最大の広さをほこる境内も8月1日、2日のお祭りでは出店がところせましとたち並び、にぎやかなものです。今年はじめて「ダンジリ」のけんかを目の前で見ました。現在はいろいろと規制されているので昔ほど荒々しくないそうです。でも私はこわかった。
(S60年秋・山神)
 貴布禰神社由来




2009年4月8日
撮影



尼崎総氏神

 貴布禰神社

660−0874
尼崎市西本町6丁目246番地
 TEL(06)6411−0170
 FAX(0 6 )6411−0179

貴布彌神社略記

一、鎮座地 尼崎市西本町六丁目

一、御祭神 高寵(たかおおみの)(かみ)

  配 祀 加茂雷神(かものわけいずちのかみ)
          加茂御祖(かものみおやのかみ)

一、旧社格  縣社

一、由緒

 廳神天皇の御代、当地海人部の民の守護神として、長州の地に奉斉された伝統をもつ古大社です。その旧地には現在も貴布禰社が鎮座しています。

 由緒については、文亀元年(1501)の大洪水をはじめ、元禄六年(1693)及び文化十三年(186)の火災のため、史実の文書が散逸焼失し、探究は誠に難しいところです。

 摂津名所図絵には元正帝の御宇(霊亀年間75717)、また摂津志には嘉暦元年(1326)に創建されたと伝えられています。尼崎の総氏神として往古は社領が八百石もありました。中世以後、尼崎城主の崇敬篤く、代々御祈願所を務めて参りました。城主は社殿の造営をはじめ祭礼費用等を負担され、社地も尼崎城内三ノ丸に定められました。その後、元和三年(1615)に、戸田氏鉄改築域の際今の汐町に、現杜地には正徳五年(1715)遷座しました。
 文政八年に竣功しました装麗な杜殿に神儀を奉斎しておりましたが、昭和20年6月15日、大東亜戦争の戦災に遭い杜殿をはじめ境内建物のほとんどを焼失しました。現在の社殿は昭和25年阪神間戦災神社に先駆けて復興したものであります。
 また、平成7年1月17日の阪神淡路大震災で倒壊しました大鳥居も、平成8年12月に鋼板製で復興されました。


一、
御神徳

京都市左京区鞍馬貴船町鎮座の元官幣中社、貴船神社と御同神です。

祈雨、止雨の神、水の神として信仰を受けて参りました。江戸時代には度々、「雨乞神事」が執り行われ、特に八代目城主、松平忠昆(後に忠告と改名)は熱心で、祈雨の和歌十首を奉納しています。また、その霊験あらたかであったことも御祈願所記録に残されております。

現在は尼崎の産土神として、「きふねさん」の愛称で親しまれ、会杜工場や多くの市民から篤い崇敬を受けております

一、恒例祭

1月1日     歳旦祭

2月節分の日   節分祭

2月11日    建国記念祭

3月17日    祈年祭

7月16日    夏越祭

8月1日     宵宮

8月2日     例祭

11月15日   七五三詣

11月23日   新嘗祭(にいなめさい)

12月31日   除夜(じょやさい)

一、御案内

尼崎総氏神として信仰を受けております当社では、市民の皆様、会社工場の各種祈祷を行っております。どうぞ杜務所までお申し込み下さい。

初宮詣・七五三詣・家内安全・厄除開運・交通安全・社業繁栄・職場安全・出張祭(地鎮祭・竣功祭・稲荷祭一他

また、神前結婚式も受け付けておりますので、「人牛の門出をきふねさんから…」とお考えの方、お待ちしております。

一、だんじりまつり

尼崎の夏の風物詩ともいわれる当社の夏祭は、毎年8月1、2日に斎行されます。

その「まつり」を盛り上げるのが、辰巳町の太鼓と、八町から曳き出される地車(だんじり)の勇壮なお難子です。

一日には「宮入(みやいり)」が行われ、辰巳太鼓を先頭に8台の地車が順香に大鳥居、南門をくぐり境内に入って来ます。境内では沢山の参拝者に見守られ、各町がそれぞれに演技を見せます。太鼓は左右に何度も大きく倒され、その激しい動きに参拝者から特に大きな拍手が起こります。

一夜を境内で過ごし大神様の力を受けた地車は、翌朝各町に戻り氏子の皆様にその力をお分けします。またその夜は、神社横で「山合わせ」が行われます。2台の地車(だんじり)が向かい合い、前を上げながらぶつかりあいます。相手の上に乗り、前に進めることができたら勝利。これは尼崎独特のもので、約3時間にわたって熱戦が繰り広げられます。

 2日間で約10万人の参拝者が訪れ、暑さにもかかわらず夜遅くまで「まつり」の余韻にひたります。

境内社御由緒

一、白波稲荷神社

御祭神  魂神(うがのみたまのかみ)

例祭日   4月第4日曜日
《由 緒》元は尼崎城内牡丹畑に御鎮座になり、城主が常に城内並びに城下の安泰を御祈願になっておられた御神徳あらたかな稲荷様です。明治初年廃藩の際、松平遠江守忠興公より建物一切の御寄進を受けました。昭和初年、現在の御社殿を造営し、昭和20年の戦災にも御被害なく、一時期、貴布禰神杜仮殿として使用されました。

 

《合 祀》

西向島稲荷、新城屋稲荷、竹谷新田貴布禰杜、高洲稲荷、濱戎社、なまりや金毛満光稲荷。

 

一、愛敬三社

御祭神 可愛霊神(うまいのたまのかみ)

可美霊(えのたまのかみ)

善哉霊神(えなにえのたまのかみ)

例祭日 9月24日

《由 緒》尼崎の旧藩主・桜井家に非常にご縁の深い御社です。賓暦四年(1754)に松平忠名公の命により御造営され、賓暦八年(1758)に京都白川殿において御神号が授与されました。鎮座以来、旧藩時代は藩主の御参拝や御代参をいただきました。明治以降途絶えていた「殿さんまつり」とも呼ばれた例祭を、昭和43年より復興し、斎行しております。祭神の御本名は不明で、それだけ深い御事情の御正体と推察されるものであります。

 

一、市庭蛭子神社(ひるこのかみ)

御祭神 蛭子神

例祭日 1月10日

《由 緒》古い歴史をもつ門前町であることを示す「市庭町」(現在の東本町3、4丁目一帯の旧称)の産上神です。大正4年より当社の末社として鎮座しております。

 

その他の境内社

一、相殿杜(あいでんしゃ)

一、榎杜(えのきしゃ)

一、白龍杜(はくりゅうしや)