平成11年、12年の葉山セミナーは、『否認』をテーマに行われました。アルコール依存症は『否認』の病気といわれていますが、否認は現在飲んでいるか、やめはじめて間もないときだけのものと理解しがちだと思います。2回のセミナーに参加して、『否認』が回復のさまざまな段階でおこってくることを教えられました。そして回復とは、それぞれの段階でおこる『否認』をどう克服するのかがポイントになるということも……。また、専門家が否認をそれほど重視するのは、アルコール依存症の場合命取りになるからだということも強調されていました。水沢さんは、2回のセミナーでアルコール依存症者にとって示唆に富んだお話をしていただきました。今回水沢さんの了解を得て要旨を転載します。(印刷は、ワードに保存してからA4で出来ます)
   
アルコール依存症・再発防止と否認のメカニズム」     
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                                研修相談室長 水澤 都加佐
1.「否認」とは

 今日は「否認」ということで、話をさせていただきます。
アルコール依存症に限らず、「否認」は一般的にあることです。例えば、「あなた、浮気してきたでしょ」と言われれば「冗談じゃない。浮気なんかしてないよ」という、これも否認です。ギャンブルでお金をすって「あなた何に使ったの?」と聞かれて「パチンコ」とは言わないで「いや、いろいろ付き合いがあるんだよ」と言う。これも否認のひとつです。このように、事実を認めようとしないことを「否認」といいます。
 とくに、アルコール依存症という病気で否認が問題になるのは、再発の原因になるからです。一般の人は嘘ついたりごまかしたりして、適当に飲んで生きているのに、アルコール依存症の方が、なぜ、「否認」について厳しいことを要求されるかというと、それは、飲酒が命とりになるからです。アルコールの飲み過ぎで亡くなる方が多い。そして、この病気から回復をしていくときに、本人が正直に、そして勇気を持ってこの否認の問題にとりくまないと、再発してしまうことが頻繁にあるのです。勇気と正直さというのは、回復にとって2つの大きな柱だと思います。否認というのはなかなか克服しにくいものですが、これからお話する中身は、どうしたら再発を防止できるかということです。
 再発というのは、この病気ではひんぱんに起こり得ることです。だからこそ再発を軽視してほしくない。また最近、自分の回復の経験を生かして援助者になっている方が多い。断酒会の会員さんで病院や施設に勤めているという方も結構いる。そうした方々の場合、再発するということは、職を失うことになりかねない。その方に対して、職場では「この病気で再発は、当然起きることだ」などと決して言わない。「やっぱりダメだったか」で片づけられてしまう。だからこそ、再発というのは極力防ぐべきだと思います。
 もちろん、それでも再発することがあります。その場合も、被害を最小限にするにはどうしたらいいのかということを考える必要があります。

2.アルコール依存症について

 その前に、まずアルコール依存症がどういう病気かということを、少し整理してお話をさせていただきます。
 医師がアルコール依存症と診断するのは、単に毎日飲んでいるから、あるいは飲んで会社を休むからということで依存症と診断するわけではない。資料に「アルコール依存症の診断基準」があります。これは、医師がアルコール依存症と診断する時の枠組みです。簡単にいいますと、過去1年間に次の7項目のうちの3つ以上あてはまるものがあれば、アルコール依存症と診断するということです。
 1番目は、アルコールに対する「耐性」のことです。飲みつづけると効き目が弱くなってきて、以前は1杯や2杯で十分満足していたのに、それでは満足できない。つまり、耐性が形成されたということです。2番目は、酒を飲むのを急にやめたり量を減らしたりすると、離脱症状(禁断症状)が出るかどうかです。禁断症状というのは、非常に幅があります。手が震える、幻聴がある、幻視がある、または発熱をする、落ち着かない、イライラする、不安感が出てくるなど、実に幅が広いです。こうした症状があるかどうかというのが診断基準の2つめです。3番目は、「8時でやめるつもり」「3杯でやめるつもり」「ビールだけにしとくつもり」「帰る前に家族に電話をするつもり」などさまざまな「つもり」で飲みはじめるが、結果的にこのつもりは、ひっくり返ってしまう。4番目は、何度か酒をやめよう、減らそうと試みるがうまくいかない。5番目に、酒を手に入れるための努力や、酔いから覚めるためにかかる時間が長くなってきた。そして6番目が、飲酒のために遊びや仕事など、他のことをやらなくなってきているということ。7番目が、酒に酔っていろいろ不利なことが起きているにもかかわらず、まだ飲んでいるということです。
 こうした診断基準で見落とされないのは、禁断症状で、「これはえらいことだ」と専門医に紹介される場合が多い。
 アルコール依存症は、酒をやめていてもまた飲みだせば、この7つのうちの、どれか3つ以上が必ず、再び繰り返し起きてしまう。10年間やめていた方が飲み出しても同じ。そういう意味では、この病気は治らない病気です。要するに治癒はしない。しかし、飲まないで生きていくことは可能になる。これが回復です。
 今のは医学的な説明ですが、再発とか回復を考える時には、別の病気の説明が必要です。それが「視野狭窄の病」という資料です。健康で飲んでいた頃というのは、いろんな物が見えているし、考えられている。家族のこと、金のこと、仕事のこと、親戚のこと、親のこと、兄弟のこと、近所のこと・・・。いろいろなんなことが頭に入っている。
 ところが、何年間か飲みつづけるにしたがって、次第に見える範囲が狭くなっていく。どう変わってしまうかというと、価値観が変わっていく。そして健康な感情の表現、自分の寂しさとか悲しさとか虚しさとか、そういう感情が表現できなくなり、健康な判断力を失う。そして最後に、体まで病んでしまい治療を受けるようになる。

3.飲みつづけるのは、なぜ

 なぜ、そんなになるまで酒を飲み続けなければいけないのか。
 一つは、アルコールというのは薬物ですから、ある時期まで飲んでいると、アルコールが体から抜けると体がパニックを起こす。その禁断症状を抑えるために飲む。また、飲酒に対する欲求が深く強くなる。だから、どうしても飲みたくなる。例えば、これから運転するとわかっていても「軽く一杯ならいい」とか、朝これから会社に行くという時にちょっとひっかけないと行かれないとかです。その強迫的な飲酒欲求に負けるわけです。
 もう一つの背景は、習慣的に飲んでいると記憶のシステムが正しく機能しなくなるからです。思い出せないことが多くなってきたり、都合の悪いことを忘れてしまったりする。そういう記憶の障害が起きてくるのです。ブラックアウト(記憶の欠落)という依存症に特有の症状が関係していると思います。そして、自分はそんなに大きな問題は起こしていないと思ってしまう。会社は「辞めてくれないかな」と思っていても、本人は「俺がいないとこの会社はつぶれる」と思っているという具合にギャップが出てくる。依存症は病気であるという認識がないことも関係がある。まわりに無いので、本人も持っていない。そして物心ついてから、酒を飲まない生活をほとんど体験していないので「自分から酒を取ってしまったら、いったい自分はどうなるのか、何が残るのか」と、酒の無い人生というものが想像できない。こうして、飲みつづけてしまう病気なのです。
 飲み続けるためには、うすうすわかっている不都合なことを否認しなければならない。
否認を駆使しないと自分の飲酒を守れなくなるわけです。言いかえれば、否認というのは、自分の飲酒を守るための方法なのです。そして、禁断症状があり、酒を入れてやらなければ体も心もパニックになる。だから、否認をしながら酒を飲み続けなければならなくなってしまっているわけです。
 否認しながら飲んでいる人を、まわりから見るとどう見えるでしょう? まず、嘘つきに見える。やめる、やめると言って飲んでいるからです。意思も弱く見える。しかし、本人もまわりも病気で飲まされていると自覚していない。だから、自他ともに認める意思弱人間になってしまう。これは本当に悲劇です。誰かが「これは病気であり、治療が可能で、酒をやめて生きていくことは可能なんだ。そのために、断酒会があるのだ」という情報を早く入れてあげればいいんです。

4.「否認」には、様々なものが

 しかし、そうした情報が耳に入る機会は少ない。仮に耳に入ったとしても、否認になかなか太刀打ちできないのです。「うるさい、大きなお世話だ」「俺は酒で死ねたら本望なんだ」「50過ぎの男にとやかく言わないでくれ」「嫌なら出て行けばいいじゃないか」といった否認に出くわすわけです。そうするとまわりの人たちは「ほっておけ」あるいは「あいつは飲んで死んだらいいんだ」と、ここでまた否認が大活躍してくるわけです。
 ほかにもいろんな否認が駆使されます。過小評価するというのも、一つの否認です。「俺は誰にも迷惑はかけていない」「嫌なら出て行けばいいのに出て行かないから、あいつは俺を愛しているんだ」と。家族の方は「今度飲んだら別れる」という言葉を何回も何回もぶつけている。それを聞かされていると、「別れたい」は「愛してる」に聞こえるようです。病気の論理で物事を判断して飲み続けるのです。
 合理化するという否認もあります。寒いから、暑いから。ありとあらゆる合理化が駆使されます。一般化するという否認もあります。「俺たち職人は皆飲むんだ」「うちの会社ではみんな飲む」など、そうやって一般の状況に自分の飲酒問題をすりかえるのです。要するに「あなたの話」をしているのに、その人は「自分の話」でなくしてしまうのです。「そんなことはない、うちの会社にだって飲まない人はいる」などというと、「じゃあ、連れてきて見せてくれ」となる。それができないとなると「ほら見たことか。なぜ俺の酒だけ目くじらをたてるんだ」となる。これが一般化のパワーです。対処方法は一つです。「今日はあなたの話をしてるのです。他の方の話は後にしましょう」この一言で充分です。
 攻撃するという否認もあります。酒の話をすると「うるせえ、この野郎、表へ出ろ」などということになる。そうすると「あの人に酒の話をすると怖いから、ふれるのやめよう」ということになってしまう。奥さんが酒の話を始めると「おまえだって、ああじゃないか!」という攻撃が始まるわけです。子どもがお父さんの酒の話をすると「お前だって、こんな成績を取ってきて、勉強してないじゃないか!」と攻撃するわけです。「攻撃は、最大の防御」なのです。「退行」というのもあります。「飲んで死ねたら本望だ」などと子どもみたいなことを言う。会社に行けば、いい仕事をしているりっぱな大人が、家に帰ると赤ちゃんみたいになる。「俺は、60まで生きればいいんだ」「どうせみんなに見捨てられて、独り寂しく酒を飲んで死んでいくしかないんだ」と、赤ちゃん帰りをする。これが退行です。そうやって自分の問題飲酒を上手に否認をする。「投影」するというのもあります。「どうせ俺のことをアル中だと思っているんだろう」と、相手がそう思っているんではないかと先取りして行動するのです。
 このように、いろいろな否認を駆使しながら飲酒をする。否認するのは、要するに「飲酒を継続したい」ということです。そして、禁断症状・離脱症状を押さえたいということです。
 ブラックアウトという記憶の欠落によって、飲んだときのことをはっきり覚えてないということが否認に関係があることは前に述べました。もう一つ、否認の背景で大きいのは、飲酒に問題がある方というのは、自分がどう行動したか、はっきり覚えていないのです。しかし、自分がどう感じたかは、はっきり覚えている。例えば、飲み屋ですごく酔って、お店の主人に「あなたには、もう酒は売らない。出て行ってくれ」と表に出されたとします。本人は何を覚えているかというと「何で自分が表に出されたか」ということは、あまり覚えてない。「あんなによく通ってる店なのに、表にほっぽり出すなんて、けしからんヤツだ」と、そこだけ覚えているんです。「どう感じたか」ということだけを覚えているのです。

5.アルコール依存症のイメージ

 アルコール依存症という病気のイメージは、あまり良くないです。朝から飲んでいるとか、暴力を振るうと言ったイメージに結びつける方がいまだに多い。亡くなった有名芸能人の中に依存症者がいることは、意外と知られていない。大統領夫人がアルコール依存症だとは誰も思っていない。そうした誤解や偏見があるので、「自分はそんなことはない」と言いたくなるのです。
 さて、お酒を飲んでいる人は、否認をしながら飲む。ところが、否認から抜け出すチャンスはある。チャンスというのは、人様々ですが、奥さんに別れると言われて慌てて病院に行く人もいるかもしれない。「別れる」くらいでは驚かず、病院に行かない人もいます。また、会社で「クビだ!」と言われて「大変だ」と酒をやめるために断酒会に入る人もいるかもしれない。何時、誰が、どういう条件で治療につながるかは、人それぞれ、まちまちです。しかし、ともかく断酒を開始した。そして、今酒をやめている。これは大きな変化です。命がけで飲んでいた方が、飲酒をしない、ということ自体すごいことです。中には「当たり前」と言う方もいますが、私は率直に評価していいと思っています。
 飲んでいる生活と飲んでいない生活を比べてみたら、飲んでいないだけでも生活は激変します。ただし、再発の問題があるので、やめているだけで「万歳」とはいかないのです。

6.回復の段階と否認

 お話してきたように、アルコール依存症者の否認にはいろいろなものがあります。そして、この否認には、回復の諸段階に応じて出現するものもあります。
 まず、飲酒をしている段階の人の否認は述べたとおりです。ところが、お酒をやめて一年、一年半と経っているのに、まだいろんな否認が残る場合があります。どういう否認かというと、「断酒会なんか行くことない。俺一人でやめられる」「仲間の力なんていらない。俺は自分一人で十分やめられる」「仲間や会に自分を預けるなんていやだ。俺は自分のやり方でやりたいんだ。もし、どうしても自助グループが必要なら、俺は仲間であたらしくつくる。今ある会には行きたくない」などです。要するに「自助グループ」を否認するのです。こうした否認が、お酒をやめて一年位までの人たちに特徴的に見られます。そして、こういう方たちはどうなるか? 残念ですが、たいてい、再発してしまう。だから、酒をやめているだけで万歳ではないのです。否認という問題を見つめないと再発するということです。
 では、誰が否認を見つめればいいのでしょう。もちろん、自分で見つめられたら一番いいのですが。「ああ、自分はこういう否認をしているな」と。しかし、本人が気づくのはなかなか難しい。考えられるのは、治療者や援助者の手を借りることです。しかし、否認の強い人は、医療機関にも通わなくなってしまう。そして、断酒会にも来なくなってしまいます。
 どこにもつながらない人は、家族が気づく必要性があります。「私の夫は、こういう否認をしている。これは危ないんだ」ということを家族が気づくことが重要です。家族が本人をどうこうするというのではなくて、非常に危ない綱渡りをしている人といっしょに生活をしている家族自身が、どうしたらいいか考えるのです。例えば、夫がもし高圧線の上を歩いたら、家族はどうしますか? ただオロオロハラハラだけしているわけにはいかない。家族が誰かに助けを求めるのもいいでしょう。「おい、そんなところを歩いていると危ないぞ」と誰かが言ってくれたらいいんです。では、どういう人が言ったら効き目があるのでしょう。怒ったり怒鳴ったり、攻撃したり批判的に物言いをしたりする人に頼んだのでは、ほとんど意味がない。「俺もあそこ歩いていたけど、落っこちたんだよ。あんたも危ないぞ」という言い方だったら、少しは聞けますね。だから、まず、家族が気づくということが、ものすごく大切なことだし、家族が誰かにSOSを求めることもすごく大切なことなです。

7.回復の過程と家族関係

 さて、お酒をやめて、もっと経っている方たち。3年、5年経っているという人たちもたくさんいます。でも、こういう方たちの中にも、時に否認が見られるものです。たとえば、夫婦関係の否認。奥さんは2階に寝て、旦那さんは下に寝ている。酒をやめて3年も5年もたっているのに、夫婦関係はぜんぜん改善されていないというご夫婦もいます。これは寂しいですね。30代、40代で夫婦関係がないというのは、奥さんも旦那さんも寂しくてどうしようもないと思います。そうすると、不倫関係やギャンブル、買い物などで寂しさを紛らわすということになってしまうこともある。
 今、訳している本に「恋愛依存症」という本があります。アルコール依存症と恋愛依存症というのは、非常によく似ている。アルコール依存症というのは、アルコールが自分を救って幸せにしてくれる、物凄いパワーを持っている存在に見えるわけです。恋愛依存症になる人というのは、恋人が私を幸せにしてくれる力を持っていると思い込む。だから恋愛依存症とアルコール依存症というのは非常によく似ているのです。夫婦関係が改善されてないと、非常に危ない。
 それから、お酒をやめて3年、5年経つと、お酒をやめて自分が何を得て何を失ったかということにも気づきます。子どもとの関係はどうなったか、兄弟との関係はどうなったか、それから夫婦との関係はどうゆがんだのか、などに気づく時期です。そのことに気づいたとき、いろんな感情がわいてくるはずです。後悔、時には怒りもあるかもしれない。虚しさもあるかもしれない。悲しさ、寂しさもあるかもしれない。こういう感情を持ったまま、酒は飲まないで生きている。しかし、表面は「酒をやめたのだから、これでいいんだ」と言い聞かせ、まわりもまた「あなたはお酒をやめてくれたからそれで良い」という。ご家族も、本人も、こうした感情をきちんと見つめること、自分の傷ついた感情を癒すことが回復のプロセスで絶対に必要なことなのです。癒されていないままの感情をそのまま持っていると、これは時として再発につながることがあるのです。
 さて、次ぎは5年から10年もお酒をやめている方たち。この方たちの中にも、時として、否認が見られることがあります。物の見方や考え方が飲酒していた頃とほとんど変わらない。もっとさかのぼると、自分が生まれ育った家庭でいろいろ負ってきた子どもの頃の傷が癒やされないままどこかに残っていて、子どもの時に身につけた行動パターンが、そのまま変わっていない、などです。これも、やはり一つの否認というふうに考えられるわけです。
 アルコール依存症という病気が進んでいくと、いろんなものを失っていきます。健康なときは、家族と密接な関係にありました。奥さんや子ども、親戚との関係もつながっていたし、職場での人間関係もつながりがあった。地域社会でのつながりもあった。神社やお寺にも行くことがあった。いろんなつながりのなかで生きていた。
 ところがアルコールの問題が深刻になってくると、アルコールがこれらのつながりを分断してしまうのです。この分断されたものを徐々に回復していく必要があります。長年断酒された方は、だいたいこういうものは取り戻せているのですが、なかには取り戻せていないものもあるかもしれない。そういうものをもう一度、点検してみる必要性があるでしょう。
 このように否認は、酒をやめて何年たってもつきまとってくる。ここで、否認を克服するポイントについて申し上げておきましょう。
 まず、自分で自分をモニターすることです。病院に行くと、看護婦詰所に小さなテレビのような画面があって、それは入院している患者さんにつながっている。心臓の鼓動や脈拍、血圧が把握できるようになっています。看護婦さんは、モニターで患者さんの状態を見ながら仕事をしています。こんなふうに、自分が今どうなっているか、自分でモニターできたら最高です。
 しかし、先ほど述べたように自分で自分をモニターするというのは、なかなか難しい作業です。まさに否認が大活躍してくるからです。となると、モニターを誰にしてもらう必要があります。これは「適切な助言者を持つ」ことです。例えば、断酒会の中では先に入会した会員に助言してもらったらいいでしょう。この人の言うことなら、あまり否認しないで素直に聞ける、という人を持つとことがいいと思います。もちろん、医療機関、援助機関でモニターしてもらうことも有効です。何年断酒を続けていても、「もう病院や断酒会に行く必要はない」と決めないことです。半年に一度でいいですから、用事を休んで病院にいってモニターしてもらう。自分でできないことは、治療者、援助者、あるいは仲間にモニターしてもらうというのが、とてもいいことなのです。

8.仲間の力は最もパワフル

 何といっても、断酒会に出席して仲間の話を聞くことは最高のモニターの場です。アルコール依存症の方というのは、自分のことを言われるのは、うんざりしています。飲んでいる時に、何年もの間言われてきていますから。「あんた、お酒やめたら」「いい加減にしたら」って、何年間言われてきたか?10年以上言われている人もいます。もう、人に言われるのうんざりなんです。でも、断酒会では「あんた最近おかしいよ」なんて、誰も言わない。皆さん、自分の話をなさるのです。それを黙って聞いて「ああ、俺も危ないな、あの人の言う通りかもしれない」と気づくのです。
 聞くというより、「聞ける」のだろうと思います。それは、自分をモニターするのに大変役に立つことです。例会に来なくなると危ないというのは、自分のことがモニターできなくなるからです。
 看護婦さんでも自分が病院に入院すると、自分の体の調子は他の看護婦さんにモニターしてもらう。医師でも、自分で自分の体をモニターしながら手術をするなんて、聞いたことがない。「おまかせ」するしかないのです。だから、医療関係者が依存症になると危ないというのは、自分は専門家だと思ってしまうから。そうすると他人の、あるいは仲間の話を聞いて、自分をモニターするという姿勢になかなかなれないのです。他人に委ねられないのです。ここが最も大切なところです。基本です。任せられないと、否認を克服して回復を順調に進めていくのが、ほとんど不可能になってしまうと言っても言い過ぎではないと思います。

9.回復とは

 回復という言葉がでてきましたが、回復とはいったいどう定義できるのでしょうか。アルコールという、気分を変える薬物への依存を克服するということです。アルコールをやめたら覚せい剤はいいだろうという問題ではないのです。
 今、病院でもらう処方薬に依存している人が多い。アメリカでもこれは非常に大きな問題になっていて、「処方薬依存――隠れた流行」という本も出版されています。こんな本が出回るほど、処方薬に依存をしている患者さんが多いということです。
 回復の中期とか後期になって、まだ安定剤や眠剤がないと生活できないというのは、処方薬依存の可能性があるかもしれません。不安や不眠、ストレスを薬物で乗り切るというのは、それはアルコールが他の薬物に代わっただけの話です。回復のごく初期の、いわゆる禁断症状(離脱症状)を取らなければならないとか、不安定な時期に抗精神薬を使うというのは、アメリカにおいても一般的に行われています。しかし使うのは、本当に回復の初期だけです。それも最初の数週間だけです。お酒をやめて半年も一年も経っている人が安定剤を使ったり眠剤を使ったりというケースは、あまり聞きません。もちろん、患者さんによっては、アルコール依存症もあるけれども、他の疾患もあるため、他の薬が必要な場合もあるでしょう。だから、いちがいに日数では決められません。けれども、一般的に言えば、回復の中期、継続期に至ってまで薬物に依存しているというのは、すこし心配です。現に、処方薬依存になって治療を受けているアルコール依存症者が多いという事実を
皆様はご存知と思います。
 もう一度回復の定義に戻りますが、「アルコールやその他の気分を換える薬物への身体的・精神的依存を克服して、これらの薬物の必要性や欲求を感ずることなく、バランスの取れた生き方を学ぶ継続的なプロセス」だと説明できます。回復の過程で、その人の身体的・精神的状態、有様が変わり、もはや幸福感や充足感を得るために薬物は不必要になる。それが回復です。今日は気分が悪いからといって、薬を飲まなくてもいい。「こんなことがあれば、気分が悪いのはあたりまえだ」と、そんなふうに考えられるわけですね。
 断酒会の方で、「酒を飲んでいて一番気分が良かった日よりも、酒をやめて一番気分が悪い日の方が、はるかに良い」おっしゃる方がいますが、まさにそのことを言っているのです。

10.再発とは、何か

 さて、再発とはどういうことかと言うと、再発と再飲酒はイコールではないということです。再発と再飲酒が、よく混同して考えられます。しかし、お酒を飲んでなくても再発という言葉が当てはまる場合があるのです。つまり、お酒を飲んでいた頃の態度とか、考え方に戻ることなのです。
 ひとつの、実際にあった例をお話しましょう。
お酒をやめて2、3年経った方がいます。奥さんも、やっと安心してきて「あなたがお酒を飲んでいた頃は、本当に大変だった。辛い思いをしました」「いろんなことがありましたが、私がどんな思いだったか、あなたわかりますか?」。お酒をやめて2、3年経ったからこそ、奥さんがはじめて打ちあけたわけです。普通、これくらい経っていると「そうだよな」と聞けますね。ところが、その方は、「俺がせっかく酒をやめて2年も3年も頑張っているのに、昔のことを何で今さら持ち出すんだ! そんなこと、なにも俺に言わなくてもいいじゃないか」と怒って、貯金を全部はたいて熱海に行ってしまった。自分が貯めていた20万から25万の貯金を全部おろし、温泉街に泊まって芸者を上げてどんちゃん騒ぎをした。しかし、お酒は一滴も飲まなかった。酒無しでどんちゃん騒ぎをやった。3日たって「ただいま」と帰ってきた。お金はもちろん、全部使ってしまった。
 さて、これは再発なのかどうかを考えてみましょう。お酒を飲んでいないから再発じゃないのでしょうか。実は、これは再発なのです。嫌なことがあり、貯金を下ろして全部使って、どんちゃん騒ぎをして帰ってくるという行動そのものは、お酒を飲んでいないだけで、非常に不健康な行動です。こんなことを、2度、3度とくりかえしていると、いずれ必ず飲んでしまうでしょう。1回目は、飲まないで帰ってこられたかもしれない。2度目、3度目はどうでしょう。危ないです。
 再発というのは、かつて飲酒していたころの不健康な態度や考え方に戻ることといえます。再飲酒というのは、不健康な態度や考え方の後に引き起こされることが多い。そして、再発のプロセスというのは、何かの引き金があって起きるのです。
 この例で言えば、奥さんに2、3年前までの辛かった話をされたわけです。これは、夫がお酒をやめて奥さんも安心できるようになったからこそ、はじめて話せたのです。そのときに、「お前も、そういう話がやっとできるようになって良かったね」「本当に俺はあの頃ひどかったよ。でも、もうそういうことは起こらないよ。なんとか酒をやめ続けるからね」という応対ができれば、その晩仲良くできて、夫婦関係をいっそう取り戻したかもしれない。ところが、さっきのような対応をしてしまうと、自分が熱海にすっとんで行かなければならないわけです。これは、明らかに再発です。
 引き金というのは、自分が起こすこともあれば、まわりから突きつけられることもあります。子どもが試験に落ちたとか、お父さんが亡くなったとか、職場でリストラにあうとか、寂しいとか、すごく不安であるとか、うつ状態になったとか……。いろんなケースがあり、何年やめていても引き金は起きる。回復を軌道に乗せている方は、この引き金に対する対応の仕方が上手なのです。要は、例会に行って、仲間に会うことです。これをやらないと、引き金が本当に引き金になって、再発にいたってしまうわけです。ますます引きこもり、、断酒会から遠ざかってしまう。すると「どうせ誰も助けてくれない。誰もわかってくれない」という考え方におちいってしまう。そして、この状態を解決するには、ほんの一杯のアルコールが役に立つんだ、という昔の考え方が戻ってくる。「いや、そんなにたくさんは飲まなくていい。一杯でいい」と思うのです。飲んでいなくても、その考え方が、もう再発なのです。
 再発の行動に至っても、そこで仲間に電話をするとか、「今、こんな状態なんだよ」と、援助者に救援を求めれば乗り切れることが多い。それをしないと、いよいよ再飲酒になるわけです。それでも、再飲酒にちゃんと対応できたらいい。再飲酒しても、対応に誤りさえなければ、崩壊までには至らない。もし一杯飲んだとき、翌日さっそく例会に行って、「実は3年2カ月やめていたのに、昨日、コップ一杯飲んでしまった」と言ったとしたら、仲間の方がたは何と言ってくれるでしょうか。「また、頑張ろう」と言ってくれるでしょう。家族に話したら何と言うでしょう?ここではふた通り考えられます。援助を受けている家族、断酒会に行っている家族の場合は、「あなた、3年2カ月頑張れたじゃないの。その間に、こんなにいろんなことが良くなってきたじゃない。この一杯で壊れはしないのよ。だから、また、最初からやれば。あなたならできるでしょ」と励ましてくれるでしょう。ところが、援助を受けていない家族に、もしそれを言ったらどうなりますか?「やっぱりあなたっていう人はダメね」とくるかもしれない。その一言で、2杯目にいくかもしれないのです。
 しかし、3年2カ月の自分の断酒歴に傷をつけたくないと「いや、相変わらず順調に断酒しています」などと、翌日の例会で言ったとします。誰も気づかないかもしれないけれど、そういう嘘で身を固めていくと、いつか破綻する。断酒会というのは、断酒の長さを競う場ではない。そうではなく、お互いが断酒を続けていくために、自分の誤りを率直に話したり、自分の内面にあるものを吐き出して、それを無条件にお互いに受け入れていく場です。これが、断酒期間を競う場になると、そうしたウソが出てきてしまうのです。

11.再発の防止

 再発は100%予防できないかもしれません。しかし、一生懸命再発の予防に取り組みたいものです。その時に、いくつかお役に立つかもしれない「再発予防のチェックポイント」をお話しします。
 お話したように、再発とは「昔のやり方に戻ること」を言います。必ずしも再飲酒を指すものではなく、再飲酒の前と見られる不健康な行動や考え方のことで、そのままだといつか再飲酒につながりかねない危ない状態のことです。
 残念ですが、アルコール依存症の回復プロセスの中で、よく起こる。他人の再発を未然に防ぐことは難しいですが、自分の問題や課題を明らかにして取り組むことはら可能なわけです。自分の行動の中で、不健康な行動の要素がないか考えてみてほしいということです。
 例えば、不安がないか、おせっかいを焼いていないか、自尊心は欠如してないか、いつもイライラしてないか、強迫的に食べていないか、秘密主義に陥ってないか、危ない橋を渡ってないか、完全主義になってないか、恨みをずっと隠し持ってないか、嘘をついてないか、仕事依存になってないか・・・。こういうことを自分でチェックしてみてください。それから、「回復のプログラムチェック」もしてみてほしい。例えば、適切な日課を維持しているか、睡眠は充分取っているか、三食きちんと食べているか、食事のバランスはいいか、不当な批判にとらわれていないか、仕事から逃げ出したりセックスに逃げたりしていないかなど、自分の回復状況をチェックしてみようというのも一つのやり方です。
 例会に出席して仲間の話を聞きながら、その人の体験を自分の人生の役に立てるというやり方も効果的です。そういう努力のなかで、話が次第に聞けるようになっていくものだと思います。多くの患者さんは、最初断酒会に行った時の印象は、必ずしも良くない。「みんな同じような話している」「酒臭い人がいた」などと言う。これが何度か行っているうちに、変わってくる。仲間の話を聞くことで、自分をモニターし、自分をチェックして再発を防止するということは十分可能なわけです。
 処方薬について1つだけ触れておきたいと思います。処方薬の問題というのは、非常に重要な問題です。これは、医療の責任が基本的に大きいですが、患者さんご自身が自分の再発の問題、新しい処方薬依存の問題として一度考えてみる必要性があると思っています。お酒を飲んでいるときは、飲んで気分を紛らわすこともできたわけです。アルコールは、ものすごいパワーを持っている薬物ですから、ビン一本のウイスキーがあれば、気分はものすごく良くなります。どんな嫌なことがあっても、これを飲めばそのパワーが自分を助けてくれます。しかし、今度はすべてをしらふで受け止めなければならないわけです。その辛さから、時にはうつ状態になったり、すごく不安感が増してきたりすることは、回復のプロセスで誰にでも多かれ少なかれ起こりうることです。それをどう乗り切れるかということです。
 あるアメリカの治療施設では、禁断症状も仲間の中で取っていくという施設があります。本当に医学的に危ない時だけ救急車で病院に行って治療を受けますが、それ以外は一晩中灯りを点けて、みんなが見守っている中で禁断症状も取ってしまうという、一見乱暴にも見えるようなやり方をやっているところもあります。それが結構成功率が高い。それをみると、私たちは安易に薬に頼ってはいないだろうかという気がしております。
 本当に必要なものは服用されればいいと思います。ただ、アルコール依存症の方は他の薬物の依存にも非常になりやすいというデータがあります。アルコールに耐性がある方とは、他の薬物にも非常に安易に耐性ができてしまう。結構多く摂らないと効き目がないので、どんどん量が増えていく可能性がある。気がついたときには、処方薬をやめるための治療を受けなくてはならなくなっているという人がたくさんいるということも注意してほしい。これは、処方薬依存の問題であると同時に、実は再発の問題でもあるのです。
 最後に、おとぎ話を聞いてください。
 20年か30年前に、ある男性がアルコールさんと結婚したのです。中学生か高校生の時にアルコールさんと出会ったのですが、彼女は綺麗でした。スタイルも良くて、抜群のプロポーションだった。一目ぼれしたのです。二十歳前後には、この女性と一緒に住めるようになった。毎日一緒に居たくなって、ついにアルコールさんと結婚した。
 15年ぐらいはうまくやってきた。15年か20年ぐらいは蜜月でした。家に帰れば彼女が待っていてくれたし、いつも良い気分にしてくれました。仕事には張り合いがあったし、彼女といることで何の支障もなかった。ところが、20年か25年経った時に彼女の毒気に当てられるようになってきた。ついに、彼女と離婚しなきゃならなくなりました。彼女と出会って30年後に、ついにアルコールさんと離婚したのです。離婚した後というのは、非常に寂しい。例え何の理由であれ、家庭というものが崩壊するわけですから、「あんなやつ」と思っていても離婚というのは寂しいものです。何か大きなものを失った。心にぽっかり大きな穴が空く。このぽっかり空いた穴を何かで埋めたいと思う。問題は何で埋めるかです。何で埋めましょうか。食べることで埋めますか?買い物で埋めますか?処方薬で埋めますか?パチンコで埋めますか?とにかく何かで埋めたくなる。そして、この埋めたものとしばらくハネムーン期が続く。ただ、今度はアルコールさんのときのように20年も25年も続かない。何年くらい続くかというと、せいぜい1年か2年なのです。そしてまた、パチンコさんや処方薬さんとも離婚しなければならなくなる。そうするとまた寂しさと虚しさが戻ってきます。それをまた何かで埋めたくなる。
 今度は何で埋めましょうか?この前は処方薬で失敗したから、もう薬はやめましょう。では、今度は仕事で埋めましょう。徹底的に仕事をしまくることで自分の寂しさ虚しさを埋めていく。今度は、過労死寸前になって倒れてしまう。アルコールが原因ではないけれど、肝臓が悪くなる。血圧あがる。そこで、仕事もほどほどにしないといけなくなる。あるいは、会社をやめなければならなくなる。ついに働き中毒さんとも離婚です。
 さて、そうやって考えてくると、この人の人生の中で一番長い間良い思いをさせてくれて、ハネムーン期が長かった人は誰でしょう?実は、アルコールさんなのです。「ああ、やっぱり私はアルコールさんに会いたい」。かつての彼女のささやきが、本当に竪琴のように聞こえてくるわけです。彼女との10年、15年の生活は何とも言えない蜜月だったわけですから。そこでまた、アルコールに戻っていくわけです。
 これが危ない再発のプロセスです。だから酒をやめた後の寂しさとか虚しさとか不安感を、そう簡単に他のもので埋めてはいけない。もし埋めるとしたら、危なくないもので埋めてほしい。本当に必要な薬はなにかは、医師の診断にかかっています。そして、薬を出す場合はそれを出すしかないのか、出した後、その人がどうなったのか、回復にプラスになっているのかマイナスになっているのかということを、出す側もきちんとモニターしてほしいですね。出しっぱなしでは、困るんです。病院によっては「今日は何の薬がほしいの?」なんていきなり言われるようです。患者さんと会わないで、すぐ希望どおりの薬がもらえる病院が一番良い病院だと思ってしまうのです。電話すれば薬が出てくるということは、絶対やめてほしいです。
 自分の回復には自分で責任を持つことです。そして、自分の再発の防止にも基本的には自分で責任を持って仲間のところへ行くことです。
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