アルコール依存症は魔物である                      トップへ
            新阿武山病院医療福祉相談室 室長 坂本 満
はじめに

 私は最近になって、アルコール依存症は魔物の病だと思うようになりました。そのように思うきっかけになったのは、やおきの会(当院に2回以上入院されている患者のミーティング)で「私の中には魔物がいます」という、ある人の言葉からでした。
 最初私は何を言っているのか理解できませんでした。しかし、その後に続く彼の言葉をきいて、なるほど、上手く表現しているなと思いました。彼は次のように言ったのです。「私は酒をやめないとだめだと思うのですが、私に酒を飲ませようとする魔物のようなものが、私の中にいるような気がします」と。このように考えてみますと、確かにアルコール依存症は魔物のような病であります。
 さっそく、アルコール依存症を『魔物』に置き換えて考えてみますと、今までわかったようで、わかりにくかったこの病気が大変説明し易くなります。

1、魔物は卵から生まれる

 アルコール依存症の発病から考えてみますと、このアルコール依存症という魔物は卵から生まれます。この卵はすべての人が脳の中に持っているのです。しかし、この卵から魔物の子供が誕生するには、かなりの量のアルコールが必要とします。全くお酒が飲めない人は魔物の子供が生まれることはありません。又お酒を飲むことはできても、1合のお酒で顔面が真っ赤になるような人は、卵の殻が固いのか(それとも鶏の雛が生まれるときに、必要な温度がかなりの期間、維持されないと雛が誕生しないように)誕生に必要なアルコールの量に達することが難しいのか、なかなかこの魔物の子供は誕生しにくいようです。以上のことを、医学的に申しますと、肝臓から分泌される、アセトアルデヒド分解酵素であるALDHAは持っているものの、ALDH@を生まれつき持っていない場合、お酒が飲めない、あるいは少ししか飲めないという状態になるのです。ですから、魔物の卵から子供が誕生するほどのアルコールが飲めないのです。つまり、ALDH@を持っていない人は、アルコール依存症になりにくいのです。ちなみに、当院の入院患者さんの中には、50人に1人位しかいません。このようなタイプは、黄色人種だけに認められますが、日本人には、50パーセント弱もいるそうです。
 言い換えれば、アセトアルデヒド分解酵素ALDH@とALDHAを両方とも持っている人が、世間一般でいう、お酒に強い人なのです。この「お酒に強い人」の中に魔物が卵から誕生しやすい人がいるのです。

2、魔物の性格について

 この魔物の性格はAAグループのハンドブックにも書かれているように、実に巧妙で不可解で、しかも強力であります。この巧妙さを具体的に見てみますと、最初のうちはその飲み方も他のお酒好きな人たちと、大した違いは見られません。ですから、周囲の人も、ましてや本人さえもアルコール依存症にかかっているとは気づきません。たっぷりアルコールをもらい、立派に成長した魔物は力をつけていきます。成長した魔物は酒の上での失敗、家族とのトラブル、借金、職場への欠勤など、次々に騒動を起こしていきます。その結果、その人から家族や友人からの信頼、また、職場からの信用を奪っていくのです。

3、否認のメカニズムの形成

 次に魔物は、その人の理性と感情に働きかけ、否認のメカニズムを作っていきます。まず理性は次のように考えます。
「お酒を減らさなければいけない。このままでいけば、自分はだめになってしまう。家族のことをもっと考えなければいけない。仕事もよく休むから、次第に職場での信用を失ってきている。それにうそを言うことも増えてきた」と。しかし、魔物が彼にささやくのです。
 「おまえのお酒は止めるほどひどくない。他の人より少しだけ、酒の量が多いだけではないか。おまえから酒を取ったら、何の楽しみもないだろう。少しだけ量を減らせばいいじゃないか。それに今までつらい時、かなしい時、いつもなぐさめてくれたのは酒だったはずだ。これから先、酒なしでこのつらい人生を生きていけないはずだ。それから、おまえもよく知っているとうり、おまえの気持ちを一番理解してくれたのはお酒だったろう。妻も子供も同僚も、おまえのことをわかってはくれないよ。言っておくが、おまえは決してアル中なんかじゃない。アル中というのは、よくTVに出てくるような酒がないと何もできない、どうしようもないやつや、浮浪者のようなやつのことだ。おまえには家族も仕事もある。今は休んでいるけど、少し前までは、誰にも負けないほど働いてきたじゃないか。それにおまえは、酒をやめようと思えばいつでもやめられるじゃないか」と。
 このささやき戦術が実に巧妙なために、本人も、さも自分の考えであると思いこんでしまいます。ですから、周囲の人たちの忠告や助言にもいっこうに、耳を貸しません。たとえ、助言者がアルコール医療の専門家であっても同じことであります。耳を貸すどころか、その考えにますます固執して、反発するようになります。これが病気に対しての否認と言われるものです。そして前にも増してお酒を飲むようになり、魔物は計画どうりの結果を見て微笑むのです。

4、魔物の次なる戦術

 仮に、この否認を乗り越えたとしても、魔物は次の戦術を用意して待っております。まず、魔物は理性に同調するふりをして、こういいます。
 「断酒するのか、それは良いことだ。いつまでも、こんな事をやっていたら、仕事も首になってしまうし、家族もかわいそうだ。それに体も持たないもんな」こうして、いったん安心させておいて、次のようにささやくのです。
 「でもおまえだったら、自分の意志力で十分断酒できる。何もあんな断酒会とかAAなどというアル中の集まりに行って、過去の恥をさらけ出したり、聞いたりすることはない。あんなもんは、何回出席しても、いつも同じ話ばかりではないか。大切なのは、これから先の事、将来のことなのだ。過ぎ去った過去のことをぐたぐたと言ったり、泣き言をこぼしたって、仕方ないじゃないか。また、断酒会、AAに入会したところで、飲んで、何度も入院している者がたくさんいるじゃないか。他の人は知らないが、おまえはそんなに重傷ではないのだから。自分の意志で十分断酒できるはずだ」。このように、どうにかして断酒の仲間に加わるのを妨害しようとします。

5、しばらく断酒が続いた頃の魔物

 しばらく断酒継続するに伴い魔物の戦術は巧妙さを増してきます。。この時期は病院を退院して6カ月から1年位までの期間ではないかと思います。最初のうちは「飲酒欲求」という型で感情に働きかけます。時には、気がついたら飲んでいたというようなこともあるようです。この感情に働きかける方法が効果ないことを知ると、徐々に理性に働きかけるようになります。(飲酒欲求にもうち勝って断酒を継続している)酒害者の理性に、こう語りかけるのです。
 「もうそろそろ一杯くらいの酒であればいいじゃないか。一杯で止めておけば、前のようには決してならないのだから。以前のおまえは確かに飲み過ぎだった。あれでは、体にいいわけないね。仕事にも行けなくなる。そうだ。節酒をしよう。みんなだって飲んでいるのだから。だいじょうぶ。おまえだったら出来るはずだ」
 このささやきにも負けず、飲まない人には不眠という攻撃を仕掛けてきます。床についても2時間も3時間も眠らさない。ついには夜になるのが恐怖であるような状態に追い込んいきます。そして、
 「少しだけ飲めば、よく眠れるんだから、少しだけ飲もうよ。たくさん飲むわけではないのだから。決して飲みたくて飲むんじゃないんだ。明日の仕事をするためには、少しだけでも眠っておかなければ、仕事に差し支えるだろう。私の言うことが間違っているかい。間違っていないだろう。何もたくさん飲もうと言うのではないのだ。ほんの一杯飲めば眠れるんだから」と優しくささやくのです。
 こうして一杯飲ますことに成功したとします。、けれども、すぐに連続飲酒に入っていく酒害者は余り多くはありません。ほとんどの場合、しばらくは、何も特別なことは起こらないのです。これがこの魔物の巧妙なところであります。後は時間をかけて、ゆっくりと以前よりもひどい状態に持っていきます。酒を止められなくなり「しまった」と気づいた時には、既に魔物の手の中に墜ちてしまっており、どうすることもできなくなっているのです。そして又、死の淵まで連れて行かれるのです。あれ程わかっていたはずなのに、また、巧妙にやられてしまったのです。
 また、断酒会の例会やAAのミーティングに続けて出席して、断酒が少し安定してきたとしても、この魔物は決して誘惑の手をゆるめることはありません。
 「おい、もう出席するのを止めてもいいじゃないか。確かに、初めはおまえの意志の力だけでは断酒できなかったかもしれない。しかし、そろそろおまえには仲間に頼らなくても1人でも断酒を続ける力が付いてきたはずだ。それが証拠に、この前の例会(ミーティング)は仕事で休んだけれど、飲みたいとも思わなかっただろう。やっぱし男は仕事だって。職場にも今までいろいろ迷惑かけてきたのだから、これからは一生懸命働いて、今までの分を取り戻さないとだめだ。でなければ、断酒しても意味がないではないか。記念大会とかセミナー、一日研修会に参加していたけど、日曜日くらい家族サービスしてはどうだ。家族にも今までいろいろ苦労かけてきたんだからね。それに酒を止めるのに金をかけるというのは、少しおかしいんじゃないか。おまえは生まれ変わったんだから、もう大丈夫だ。きっとうまくいくはずだよ。断酒会やAAに出席できなくても仕方がないじゃないか。断酒会やAAが飯を食べさせてくれるわけじゃないんだから」。そしてこの魔物は彼に言うのです。「普通の人の生活に戻ろうよ」と。

6、魔物の弱点


 ではなぜ魔物は断酒会の例会やAAのミーティングに酒害者が出席することを嫌うのでしょうか。例会やミーティングの場では、参加者は自分たちが体験してきたことを全員で分かち合います。ところがよく考えてみると、この体験談は「アルコール依存症のために、自分はこんな経験をした。あんな事までして酒を飲まざるを得なかった。酒を飲んだ後、自分は全く憶えていないのに、こんな事までやっていたなど、要するに、アルコール依存症という魔物が引き起こした悪事を皆の前で暴いてしまうのです。魔物はなるべく自分からは人目に付くような形では外に出てきません。つまり、その正体をいつも隠して、ひそかに酒害者の心と言葉、そして行動をコントロールすることを好むのです。ところが、例会やミーティングで次から次に悪事を話されることによって、その正体が徐々に明らかにされてしまうのです。明らかにされてしまうと、その対策をとられるために、酒害者に酒を飲ませることがだんだん難しくなり、アルコールを手に入れることができなくなるため、魔物の魔力が急激に衰えていってしまうのです。そして遂に活動することが出来なくなり、冬眠するかのように眠りについてしまわなければなりません。ここで注意しておかなければならないのは、あくまで眠っているのであり、死んでしまうことはないのです。

7、では医療は何もできないのでしょうか

 新阿武山病院のアルコール病棟の玄関には1枚の断酒会のポスターが貼ってあります。そのポスターの左端には「アルコール依存症は断酒会で回復する病気です」と書かれています。考え方によれば「この病院に入院しても、アルコール依存症は回復しない」とも考えることができます。よく考えてみると私達医療の現場にいる者は、毎日悪戦苦闘しながら何をしているしょうか。まさにアルコール依存症という魔物が暴れまくった後の残骸の処理や修理ばかりをやらされております。それは酒を切ること。内臓の病気を主とする身体疾患の悪化の治療をすること。その後は家族関係を初めとする、人間関係の改善が仕事なのですが、余りにも信頼関係が崩されていて修復が難しいことが多いのです。身体的に回復してくると、我々はこの魔物の正体と応戦の仕方をミーティングやビデオを使って患者さんに伝えるのですが、余りにも微力でしかないことにいつも歯ぎしりしております。このように医療はこの魔物に対して確かに無力でありますが、患者さんが魔物と戦うための戦闘準備を整えることはできます。アルコール専門病院や病棟は、修理工場であり、戦闘準備センターと考えた方がわかりやすいように思います。
 こう考えると我々医療の現場にいる者は、より質の高いサービスを提供しなければならないと言う重要な使命があります。患者さんも入院中に、退院後に備えて一生懸命、戦闘準備をしなければ、結果は完全な敗北でしかありません。1人で戦って勝利を手にすることができるほど、この魔物は生やさしい敵ではないのです。

8、まとめ

今回、アルコール依存症という病気を「魔物」というものに客体化して考えてみましたが、考えれば考えるほど、アルコール依存症は魔物そのもののように思うようになってきました。医療がいくら発達しても、この魔物に勝利することは難しいと思いますが、今後魔物の正体を追い続け、断酒会、AAが存在することに希望を持って戦い続けていきたいと思っております。

(この原稿は昨年の11月27日の高槻市断酒会の1日研修会での講演に手を加えたものです)
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