2003年4月6日(日)、愛西断酒会創立15周年記念大会で西川京子先生は「アルコール依存症者と親子関係」というテーマで講演されました。西川先生のご厚意で、その内容を紹介します。

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                                            福井県立大学 講師 西川 京子

 みなさんこんにちは。ご紹介いただきました福井県立大学の西川と申します。どうぞよろしくお願いいたします。本日は愛西断酒会結成15周年おめでとうございます。

 この15年の年月の間に、ほんとに会員の皆さん、そして初代会長さん、そして現青木会長さんを中心として、皆さんが力を合わせて、ここまで発展させてこられたこと心から敬意を表したいと思っています。今日、佐藤元会長さんがお声を掛けてくださいましたことがきっかけになりました。

 「アルコール依存症者と親子関係」というテーマをいただきました。このテーマをお選びいただいた愛西断酒会の会員のみなさまに敬意を表したいと思っています。

 アルコール問題のある家庭で育つ子どもたちは、アルコール問題から影響を受けずに育つ子どもは一人もいないと、グラヴィッツは断定しています。

 このように、様々な形で家庭のアルコール問題から子どもたちは影響を受けていきます。しかし、親としては、この事実を認め、そして直視することは辛いことなのです。出来れば避けて通りたいことなのです。しかし、一方でとても心配なことなのです。

 ある調査をしたことがございました。34名の夫のアルコール問題で相談に来られていたご家族の方に調査をしました。あなたはご主人がお酒を飲んでいた頃、一番心配だったことは何だったでしょうかとおたずねしました。33名の方が子どもに与える影響を心配していたと答えられました。子どもに与える影響を心配しなかった人が一人いました。どんな人が子どもに与える影響を心配しないでいるのかしらと調べてみましたら、子どもさんのいない人が一人入っていたのです。子どものいる人はみんな、このアルコール問題が子どもたちに与える影響を、心配しているのです。しかし、真正面からとりあげるのにはあまりにも辛い問題なのです。でもあえてこの問題を取り上げてみよう、話を聞いてみようとする動きが、次第に断酒会の中で広がってきています。このことは私にとってとてもうれしいことです。

 私はソーシャルワーカーとして精神科の領域で仕事を始めて約30年になります。20年前に、アルコール問題のある家庭で育つ子どもたちのグループに関わりました。「コスモス」というグループでした。そのグループは初めての試みであったために私たちにも十分な力がありませんでした。年少の方は7、8歳の方から。年長の方は25、6歳を対象としたグループだったために、年少の人たちに合わせるのにはドッジボールをしたりハイキングをしたり、そういう遊びを中心にしないといけないし、年長の人たちに合わせるにはミーティングをしないといけないという難しさを抱えながらの運営で、結局2〜3年でそのグループは続けることが出来なくなりました。

 そして、15年前には「親子ゆえ」という、アルコール依存症の親を持つ子どもたちの手記を出版させていただきました。そのとき全国で8000冊位の本をお買い上げいただきました。そして15年ほど前からは、アダルトチャイルドのグループを私の勤務する診療所で開き、月に4回くらいのミーティングを実施してきました。この経験のなかから、アルコール依存症者と、その親子関係ということについてこれからお話しさせていただきます。 

 1、アルコール問題のある家庭の親子関係の特徴

 まず、アルコール問題のある家庭の親子関係の特徴というところからお話しさせていただきます。

 さまざまな親子関係に出会ってきました。その印象を一言で申しますと「親子関係の原型を見せていただいている」ということです。アルコール問題のある家庭の親子関係とは、親子関係の原型を見ているようなものなのだろうということです。それは別の言い方をしますと、親たちは子どもを愛しているということです。表現の方法がとても下手な場合もあります。また、考え違いをしている場合もあります。子どもに対する理解が不足している場合もあります。しかし、親として子を愛する思いは豊かに持っていらっしゃるということを私は感じてきました。アルコール依存症という病気になられた方々の中には、子煩悩な方がとても多いように思います。親としての愛情は十分に豊かに持っていらっしゃるということを感じてきました。

 一方アルコール依存症の家庭の子どもたちを見てみると、アルコール問題に苦しみ、悲しみながら、親を愛しています。そして、親を求めている。そして親を許したいと思っているということを私は痛切に感じてきました。

 そして、このような親と子の関係が修復できるということも経験から学びました。時間はかかりますがお互いに傷つけ合った親と子も、その関係を修復していけるということを感じることが出来ています。 

 (1)問題解決に取り組む積極性と協調性の欠如

 その上にたって、アルコール問題のある家庭の親子関係の特徴というのをいくつか見てみますと、まず問題解決に取り組む積極性と協調性に欠けているということが共通してみられるように思います。アルコール問題が家庭にありますと、そのアルコール問題に取り組むためにエネルギーのほとんどがつかわれてしまっています。酒を飲む人は酒を飲むことにエネルギーの大半を使い、そして、もう一人の酒を飲まない親は配偶者のアルコール問題に対処するためにエネルギーの大半を使ってしまっています。その結果、親子関係に使うために残されているエネルギーが非常に少ないということが言えます。生きていますと様々な問題が、日々起きます。その、次から次から起きてくる様々な問題に、一つひとつ対応しながら生きていくのが人生だといえるのですが、家庭にアルコール問題がありますと、アルコール問題に取り組むだけでもうエネルギーのほとんどが使われ、エネルギーが残されていないのです。子どもたちはその結果、社会で生きていく上で体験するいろいろな問題にどう対処すればいいのか、どのようにその問題を解決して乗り越えていけばよいのかという対処法を学ぶモデルを持つことが出来ないままに、子ども時代を過ごすことになります。 

 (2)率直な愛情や関心の表現の欠如

 そしてその次は、率直な愛情や、関心の表現というのが家庭の中に乏しくなります。アルコール問題が家庭にありますと、家庭の中にはどうしても不和が広がっていきます。ことごとに反発があり、反感があり、そして争いがあります。そのためにお互いの間に愛情を表現する、お互いに持っている相手に対する関心を正直に率直に表現するということが欠けていきます。みんな身を固くして非難されることのないように、批判されることのないように、身構えて生きてしまいます。その結果、家族でありながら、率直に愛情を表現し、そしてお互いに持つ暖かい関心を表現するということから遠ざかってしまうのです。子どもたちは、自分の中にある感情を自由に率直に、特に優しさや暖かさやあるいは柔らかさを表現することを学ぶことが出来ずに大人になっていくということが言えるのです。 

(3)秘密を持つことによる孤独

 アルコール問題がある家庭は、アルコール問題を隠そうとします。出来るだけ周りの人に気づかれまいとして、そのことにふれずに生きようとします。一生懸命わが家だけでそのアルコール問題の解決を図ろうと努力します。その結果、家庭の中に秘密がとても多くなります。秘密を持って生きるというのはとても孤独なことなのです。それは大人が孤独なだけではないのです。秘密があるというのは子どもにとってもとても孤独なことなのです。

 ある奥様が夫のアルコール問題で相談に来られました。それは4月のことでした。とても困っておられました。高校生の女のお子さんと3人暮らしでした。私は奥さんに勧めました。「ご主人に思い切ってお話しなさい。あなたのお酒の問題で相談に行ったということを。そして、治療すれば治るということを聞いたから、一度治療を受けてほしいと、思い切ってご主人にお話しなさい」と勧めました。奥さんは「それは出来ない。怖くて出来ない。そんなことを言おうものなら、今度酒を飲んだときどんな目にあわされるか分からない。だから私にはとてもそれを夫に告げる勇気はない」って言われました。そう言いながら家族教室に通い続けられました。そのうちきっと勇気を出して言える日が来るだろうと私は思っていました。

 6月頃になりました。その一人娘さんがお母さんにこう言われたそうです。「お母さん、お父さんもしかしたらアル中ちがう? もしお父さんがアル中だったら、私恥ずかしいから自殺してしまうわ」。お母さんとってもびっくりされました。「夫の酒で悩んでいるのは私だけだ。私が必死になって子どもをかばっていたと思っていたのに、子どもは感じていたんだ。そしてこんなふうに悩んでいるのだと初めて知りました。どうしたらいいんでしょう」という相談でした。

 私は「お嬢さんに話しなさい。病気なのだということ、治す方法があるということ、お母さんはすでに勉強を始めているということを。そして、この問題はお母さんとお父さんで取り組むから、あなたは心配しないで見守っていて」と、お嬢さんに告げましょうと勧めました。

 早速奥さんがお嬢さんに告げたそうです。「そうだろうと思った、お母さん近頃少しおかしかった。変わってきていた」とお嬢さん言われたそうです。

 間もなくお盆が来ました。奥さんはご主人に、ご主人の両親のお墓参りに誘いました。そして二人でお墓参りをして、その両親のお墓の前で、勇気を出して、アルコール問題で相談に行っていること、そして家族教室に出ていること、治療を受けてほしいと言うことを話したそうです。そこからご主人の治療が始まりました。このように家族は一人ひとりがアルコール問題で悩みながらも、その悩みを心の底に沈めてしまって、秘密を持って孤独な生活をしているのだということがいえると思います。 

 (4)親子の境界が崩れる

 そしてもう一つの問題は、アルコール問題があると、親と子の関係が崩れていくということです。というのは、ほんとは夫を相手に相談しないといけないことを、子どもを頼りにして、子ども相手に相談したり、ほんとうは妻に対して求めても当たり前の優しさを、妻に求めることができないがゆえに、娘に妻代わりに世話をしてもらいたがったり、優しさを求めたり、そのように親子の境界というのが崩れてきます。夫婦はお互いに夫婦として機能しなくなった結果、親子の境界が崩れてくるということです。その結果、子どもたちは背伸びして母親の相談相手になったり、あるいは、いやなんだけど母親に替わって酔っぱらった父親の世話をしたりというようなことをすることになります。

 母親が悩んでいるのをいつもいつも聞かされていると、子どもとすればこの母親をこれ以上苦しますわけにはいかない。私はいい子して、母親を喜ばせないといけない。少しでも母親を励まし力づけないといけない。こういう思いになってきます。その結果、子どもたちは、過剰に親孝行になったりします。「私は給与をもらうたびに、自分が何を買いたいかとか、自分が何がほしいかなど考えるより先に、今月はお母さんに何買ったげようかしらと思うんだと、友達に話したところ、友達に「あんたは親孝行が趣味なのね」と言われた」という、こういうお嬢さんの話を聞いたことがあります。

 子どもを頼りにして、愚痴を聞かしたり、あるいは子どもに力添えを求めて相談相手にしたり、こんなことが家庭にアルコール問題がある場合に起きてくることなのです。 

 2、子どもたちの親への期待

 では、このようなアルコール問題のある家庭の中で育った時に子どもたちはいったい親に何を期待するのでしょうか。 

 (1)親の愛情と信頼を実感する 

 まず、子どもたちが親に期待することは親の愛情と信頼を実感したいと思っています。アルコール問題が家庭にありますと、それがすでに断酒に踏み切った後でも、酒害者も、そしてご家族の皆さんも心に余裕がありません。なかなか子どもたちの気持ちを考えて行動するということが出来ません。「わが家にとって断酒会通いは欠かせないことなの。お父さんに酒やめてもらわない限りどうにもならないの。だから夫婦揃って夜、断酒会に行かないといけないの。あんたもこの家で生まれたんだから、それぐらいはちゃんと聞き分けてちょうだい」という思いから、夜子どもたちだけを残して断酒会に行くのが当然のことになってしまうわけなのです。でも子どもたちにとってみれば、「寂しいだろうけど、留守番しててね。お父さんとお母さんは断酒会に行ってくるからね。あんたがいい子して留守番してくれるから、断酒会に行けるの喜んでるよ。今度断酒会にいかなくっていい日には、一緒に遊んだげるから、今夜はお利口しててね」というような、こういう愛情のある言葉があれば。あるいは、「あなた方はいい子だから、きっとお留守番出来ると思うよ。お母さんはあなた方を信頼してるからね」というような親であれば、子どもたちにすれば、寂しい夜のお留守番も、親の愛情と信頼を感じながら出来るのだと思うのです。

 今、すでに40歳になっていらっしゃるアルコール問題のある家庭で育った方がこう言われました。「父が酒を飲んでいた頃、本当に寂しかった。父は酒のことしか考えてなかった。母は、父の酒のことを、心配することでもう精一杯で、私たち子どものことには心を砕いてはくれなかった。母のそばに行っても、自分のことを話せるような雰囲気はなかった。両親がいても孤児のような思いをしていた」と。そして、「父は断酒してこれからよその家のようになるのかと、大きな期待を持ったけど、父と母は二人で断酒会通いに夢中でした。土曜日や日曜日には断酒会の方が来て夜遅くまで談笑していました。断酒が続いても私たちは寂しかったんです。私は成人式の日を忘れられません。私の成人式の日も父と母は揃って、断酒会の記念例会に出かけました。みんなが着飾って成人式に行くというのに、私は一人で洋服を着て成人式に行きました。とっても寂しいと思いました」。お父さんにもお母さんにも愛情はあるのです。ただ、酒害生活というのがあまりにも日々が忙しすぎて、あわただしすぎて余裕を失ってしまっているのです。今一度足を止めて、子どもたちの心に目を向けて皆さんが持っている愛情や信頼を子どもたちに表現してほしいと思うのです。

 もう子どもは大人になってしまっているから手遅れだなどと、どうぞ思わないでください。それはそれで愛情の表現の仕方があります。「今頃になって気づくんだけれど、あなた方が小さい頃、あなた方を十分かわいがってあげなかった。あるいはあなた方に十分の関心を払ってあげなかったこと、今頃になってすまなく思ってるよ」と。「今だったら大事にできたのにと思ってるよ」と、こう伝えることも、取り返しはつかなくても、愛情を表現し、そして今も愛しているということを伝えることにつながるのだと思います。 

 (2)大人としてのモデル

 大人としてのモデルを示してほしいと子どもたちは思っています。ある奥さんがこのようなお話をしてくださいました。「高校を卒業する息子は水商売をしたいと言いいました。私は絶対反対で、お父さんにも反対だと言ってほしいと思いお父さんに相談してごらんと言いました。子どもはお父さんに、水商売に入りたいと相談しました。お父さんは、うんともすんとも返事をしなかったんです。子どもが相談しているのに何で返事をしないんやろう。何を考えているのやろう。私は夫が理解できません」こう言われました。

それから1、2週間してご主人にお会いしました。ご主人にちょっとお話を向けてみました。「お子さんが高校卒業ですね。いろいろ進路のことでも迷ってらっしゃるのでしょうか」とお尋ねしました。お父さんは言われました。「そうなんや。いろいろ迷って相談してくるんやけど、何と返事していいか分からない。僕はあの子が、キャッチボールをしたがった小学校3、4年生までは遊んでもやったし、どんな性格なのか、どんな子なのか分かっていたつもりや。その頃から酒がひどくなって、今度気が付いてみたらもう高校3年や。いったいどんなアドバイスしていいのか。親やったらどうすべきなのか、これがわかれへんのや」と言われました。自信がないのでしょう。

しかし、子どもたちは親に大人のモデルを求めているのです。女の子は特に母親に、男の子は特に父親に、大人としてどう判断しどう行動すべきかのモデルを求めているのですね。酒害生活の中で長い間、酒に心がとらわれていた、あるいは配偶者のアルコール問題に心がとらわれていた結果、さて酒害の生活から断酒生活になったときに、急に大人としてのモデルをしめせと言われても、とても悩まれるということはよくわかります。でも即答する必要はないのです。すぐに判断ができなかったら「お前の話はよく分かった。お前の気持ちもよく分かった。お父さんも2、3日考えてみるから、そしてまた話そうや」これでいいんだと思うのです。そして、その2、3日の間に、夫婦であの子がこういう進路を望んでいるけどどうしようかという話し合いをしてもいいし、また断酒会の先輩の方に、「息子がこう言うんだけど、僕はどう返事していいか悩んでいる、なにかいい知恵があったら貸してほしい」と、お知恵を借りてもいいのです。

子どもたちはお父さんがどう判断し、自分のためにどうアドバイスしてくれるのか、やはり待っているのです。どうしても分からないときには、それは正直におっしゃっていいと思うのです。「お父さんとしてはいろいろ考えてみたけれど、結論は出ない。あんたの人生にかかわることやと思うと、お父さんとしては結論を出せない」これでもいいと思うのです。大人として一緒に考えて悩んでくれる。こういう姿勢を子どもたちは求めていると思います。また、子どもたちがルール違反や、あるいは思いやりのない行動などをしたときに毅然としてたしなめられる、そういう力を持ってほしいと思います。

あれこれ考えてみれば、皆さんはアルコール依存症という病を持ち、そこから回復するために、断酒会に所属し断酒会通いをする。この姿勢そのものが、すでに大人としてのモデルを示しているといえます。このことを通して人生の中で、思いがけない不運に見舞われても、その不運を嘆き悲しむだけではなく、その不運から立ち上がり、新たな新生を手に入れようとする、この生きる姿勢こそ一つの大人のモデルではあると思います。そのように子どもたちは、子どもに対する親としての愛情と信頼を実感したいという思いと、もう一つは大人としてのモデルを示してほしいという思いを持っていると考えていただきたいと思います。 

 3、親としてできること

 では次に、こういう期待に添うために、親としてこれから何が出来るのかということに話を進めさせていただきます。

 子どもたちは親に多くのことを求めてはいないように思います。そしてこれから申し上げることは、親として皆さんがお出来になることばかりです。難しいことでは決してないと思います。

  (1)子どもの話に心を傾けて聴く

 まず、子どもの話に心を傾けて、聞いてください。子どもたちはなかなか話さないものです。特にもう10代半ばくらいになりますと、ほんとに親子の会話は少なくなっています。これはアルコール問題があろうとなかろうと、中学2年生くらいになると、まだ母親には少しは話しても、父親との会話というのは非常に少なくなってくるものです。

 ある方がこのようなお話をしてくださいました。子どもと食事をしながら、ひょんなことから子どもと小さな口争いになった。そしたら子どもが「僕はこんな家には生まれたくなかったんや」と大きな声で怒鳴って席をたったそうです。「お母さんもあんたにこんな家でこんな辛い思いさせるつもりはなかったんや、済まなかったね」て、一言いったそうです。子どもは足音高く2階へ上がってしまったそうですが、1時間ほどして、わりとすっきりした顔をして、降りてきたといいます。子どもの腹立ち紛れの「こんな家には生まれたくなかった」という言葉をそのままに、すっと母親が受け止めたことが子どもの心を収めさせたといえるのではないかと思います。

 よくあちらこちらでお話しさせていただくことですが、ある方がこんな話をされました。高校2年生の時に酒乱のお父さんと、一人娘のその人を残して、お母さんは離婚して家を去りました。それから、何年か経って、その女性が26歳になったときに、お父さんが初めてアルコールの治療を受けて半年断酒が出来ました。非常に無気力な状態にその女性は陥ってしまいました。お父さんが断酒してやっと安心した生活になったのだから元気になっていいはずなのに、逆に非常に無気力で、会社に行くのさえおっくうでおっくうで仕方ないという状態になって相談に来られました。

 子ども時代のこと、それから高校2年生でお母さんが家を出てしまった後、お父さんと二人残されてからの生活のことをいろいろ話されました。そしてその方は、お母さんに会いたいと言われました。お母さんにあって、高校2年生からこっちの何年間かを母に話したいと言われました。私はお母さんがすでに再婚されていることを聞いていましたので、余り賛成できないということをその方に言いました。親はあなたのつらさを話しても受け止められるものではないのです。返ってあなたが傷つくのではないかと心配ですと話しました。でもその方は、どうしても話したいと言われました。それではお母さんに会われたら1週間か10日以内に必ず私に会いに来てくださいねと約束してもらいました。お母さんに会ってからその方は私に会いに来てくださいました。「母に会いました。配偶者の人が会社に行っている留守の時間を見計らって、母一人だけの家に行って話しました。いろいろなことを話しました。母は『済まなかったね』とも、『ごめんなさいね』とも、『辛かっただろうね』とも、一言もいいはしませんでした。でも涙を流しながら、黙って聞いてくれました。私の胸のつかえがおりました」と言われました。

 子どもたちは、酒害生活の中で体験したことをお父さんやお母さんに話されるとき、親はほんとうに辛いものです。なかなか聞けないものです。「今更そんなこと言うてどうするわけ。過ぎた事じゃないの」あるいは「あの時お母さんはどれほど大変だったかあんたも分かってるやろ」というような言葉が出てきがちなものです。でもどうぞ、子どもたちと話すとき、ほんとに心を傾けて聞いてください。聞いてもらえて、受け止めてもらえれば、それだけで子どもたちはずいぶん癒されるのです。自分の苦しみが、悲しみが、それが事実として受け止められたと思えば、それがすでに癒しになるのです。そして子どもたちの子ども時代の記憶には、大人が記憶しているのとは、事実がずれている場合もあります。あるいはもうこちらはすっかり忘れてしまっていて、思い出せないようなことも多々あります。でも子どもにとっては、それが事実なのです。「お母さんの記憶とは違うけど、あなたの記憶の中にはそういう事実があるわけね」ということが大事なのです。「そんなはずない。お母さんが知ってるのはそんな出来事ではなかった」ということなのかもしれないけれど、子どもが事実として心の中に残っているのはそういう事実なのだということを、受け止めていくことが大事なのです。 

 (2)子どもの過去と現在の苦しみを受け止める

 そして、子どもたちは子ども時代にも苦しんでいます。そして今、アダルトチャイルドと呼ばれる人達は大人になった今も、生きていく苦しさに、悩み苦しんでいます。生きていくつらさに悩み苦しんでいます。どうぞ弁解しないで子どもたちの言い分を聞いて受け止めてください。

 「うちには3人子どもがいる。そんなことを親にいうのはあんた一人や。他の子はみんな普通に育っている。あんただけや。何であんただけがこうなったんや。あんたが問題なんや」というような形でどうぞ反撃しないでください。さらに子どもを傷つけることのないように、子どもたちの言い分に耳を傾け、心を傾け、理解しようとしていただきたいと思います。 

 (3)自由で率直な親子関係を築く

 そして、自由で率直な親子関係をこれから結んでいってください。親だからといって決して子どもよりも上だと言えるものではありません。親も完璧ではありません。たくさんの間違いをします。子どもがもう大人になっていれば、あるいはもう17、8歳にもなっていれば、親が完璧でないことは見え見えです。どうぞ自分の失敗を失敗として認め、自分の過ちは過ちとしてこどもらに正直に認めていきましょう。完璧な自分をする必要はないのです。子どもたちは親の不完全さも含めて、親を受け入れたいと思っています。どうぞ子どもに謝ることにも率直になりましょう。

 親は子どもに詫びる必要のあることは詫びながら、弱みにつけ込むようなことは許しはしないという毅然としたものを片一方では持っていきましょう。「僕はこんなに苦しい子ども時代を過ごしたんだ。そして、大人になって今こんなに生きることに苦しんでるんだ。みんなお前たちのせいだ。おまえたちは償うべきなんだ」というような形で親に迫ってくる子どもが時にいます。どうぞ人の弱みにつけ込むなどというのは、人間がしてはいけないことなのだということを教えていきましょう。勇気のいることですが、許されること、許されないことを皆さんの判断でしっかりと子どもたちに伝えていきましょう。そして忍耐を持って待ちましょう。

 

 (4)忍耐を持って待つ

 お父さんが断酒して、4年になる方がいらっしゃいます。その方はACのグループに通い出して6年経つ方です。その人は最初にACのグループに来られるようになりました。間もなくお母さんが家族教室に来られるようになりました。「子どもが家のアルコール問題で悩み苦しみACになったんだと思うと、私も家族として受けた影響から立ち直っていく努力をしたい」と。そして2年ほど経ってやっとお父さんが治療に結びつき、そして断酒を始めてくださいました。

このお嬢さんは、高校生の頃から不登校になりました。お父さんのお酒がひどくなった頃、不登校になって高校に行けない娘をお父さんは殴ったり蹴ったり、布団から引きずり出したりしました。今この方はおっしゃっています。「父を許せない。一生許さないと私は何年も思い続けていました。学校に行けなくなって辛くて苦しかったときに、親としてあんなひどい対応をした父を絶対許せないと思っていました。でも断酒して4年、父は一生懸命家族のために尽くしてくれています。家族のためになろうと一生懸命心を砕いてくれている父を見ていると、今、父のことを別の見方が出来るようになりました。とても下手な、まずい表現方法であったが、あれも父なりの愛情表現だったのだと。もっと上手な方法があったはずなのに、あんな下手な方法でしか愛情表現出来なかった父だけど、でも、父親としての精一杯の愛情だったのだと思えるようになりました」と。子どもたちは許したいと思っても許すのには月日がかかります。しかし、長い目で見ていきましょう。

 ある方が先日お手紙をくださいました。ちょうど子どもが満1歳になったという手紙でした。「子供を持って1年経ちました。私はこの1年、親として一生懸命子どもを育てました。そしてその経験を通して、私の父や母も私がしていると同じように、一生懸命私を育ててくれたんだなってことが、実感として分かりました。私は随分父や母を責めてきました。でも、もう父は亡くなっているのでどうしようもありませんが、生きている母には、これから親孝行しようと思います」と、書かれていました。

 このように時間が経つにつれて、子どもたちは回復し、そして良い親子関係を持てる、状態を手に入れていかれます。長い目で待ってください。

 

 (5)償うということについて

 それから、親子関係を考えるとき、子どもたちをとても傷つけた。こどもたちに可哀想な思いをさせた。どうやって償えばいいだろうという、こういう思いをどこの親御さんもお持ちになられます。英語のrepair という語を「償う」と訳しています。しかし、このrepair という言葉は、修復するとか、手直しするとか、繕うという意味があります。償うという言葉に置き換えると、全部なかったことにして一からになるようにするというような、そういうところまで考えてしまいがちです。でも、過去は変えることは出来ません。子どもたちを傷つけてしまった、こどもたちにかわいそうな子ども時代を過ごさせてしまった、その事実を変えようはありません。しかし、これからの親子関係を手直ししていくことは、良いものにしていくことは出来ると思うのです。

 そのためにいったい何をすればいいのかといいますと、そのために親自身が回復し、成熟し、幸せになることだと思います。子どもたちは親のことをいつも案じています。子どもが親から自由に解放されるためには、子どもが親を案じなくて良いように、親自身が幸せになることが必要なのです。

 親自身が幸せになっているその姿を見て、子どもたちは初めて親の人生を案じなくって自分の人生を幸せなものにするためにとりくむことができます。

 ある男性の方がいました。お父さんはすでに10年断酒されていました。その男性はもう30歳台になっていました。独身で一人で暮らしておられました。その方は言われました。「父親はもう10年酒を止めている。でも、母親は相変わらず辛そうな不幸せそうな顔をして生きています。母親の不幸せそうな様子を見ていると、自分だけ幸せになるわけにはいかないと思うのです。母親が幸せにならない限り、自分だけ幸せになるわけにはいかないと思うのです」と。

 子どもとはそのようなものなのです。みなさん一人ひとりが回復を進め、そして幸せになっていただきたいと思います。皆さん、ここ4、5年アダルトチャイルドという言葉をお聞きになることがとても多いかと思います。アダルトチャイルドとはアルコール問題のある家庭で育って、大人になった人達や、機能不全家庭で育って大人になった人達を指します。25歳前後になって生きることがとても辛くって、しんどくって、対人関係がうまくいかなかったり、鬱病で抑鬱状態になったり、あるいは嗜癖的な問題や脅迫的な問題を持ってしまったり、親子関係がうまく結べないというような問題を持ってしまったときにアダルトチャイルドの問題として回復に向かって取り組むわけです。 

 4、アダルトチャイルドの回復に学ぶ

 私は今日、皆さんに一つの提案をしたいと思うのです。アダルトチャイルドの人達が回復を進めていくときにいくつかの留意点があります。アダルトチャイルドの状態から回復するための留意点というのをこれから紹介させていただきます。

一つは、親に理解と承認を求めないということなのです。アダルトチャイルドから回復するために親が、子ども時代の心の傷がアダルトチャイルドの状態を生み出しているのだということを認めなかったとしても、アダルトチャイルドであるあなたが回復することは出来るんだということです。親に理解と承認を求めない。そして親に償いを求めないということを、私たちはアダルトチャイルドの人達に関わりながら伝えていきます。なぜなら、親がアダルトチャイルドの苦しさを受け入れて、そして償いをしてくれて、そこから初めて回復が始まるなどと言っていると、回復はいつのことになるか分かりません。たとえ親が、アダルトチャイルドの苦しみを分かってくれなくても、そして親が子どもとして辛かった事実を認めてくれなかったとしても、アダルトチャイルドから回復はできるのです。なぜなら、人を変えることは出来ないけれど、自分を変えていくことは出来ることですから。人を変えることは自分を変えることよりもっと難しいことです。「あなたは自分を回復させるために取り組みましょう。たとえ親が分かってくれなくても、認めてくれなくても、償いなどは求めないでおきましょう。いくら償ってもらってもこれで満足というものではないのです」とアダルトチャイルドの人たちに私たちは伝えていきます。

これを伝えることを通してアダルトチャイルドの問題に対して、子どもたちが犠牲者だ、被害者だと思うことをさけたいと思っています。自分を被害者で犠牲者だと思っている人は、回復は出来ません。犠牲者だ、被害者だと思っている限りは、加害者に要求したくなります。償いを求めたくなります。アダルトチャイルドの人達に犠牲者だ、被害者だと思うのではなく、このアダルトチャイルドの状態を自分のものとして、引き受けてそして、自分の責任で回復させましょうということを伝えています。回復は自らの意識的な努力で、達成できるものです。誰が理解してくれなくても、誰が償ってくれなくっても誰が承認してくれなくっても、この状態が辛くて苦しいのであれば、自らの意識的な努力で、この状態から抜け出すことが出来ることを私たちはアダルトチャイルドの人に伝えています。そして、アダルトチャイルドの人達にアダルトチャイルドからの回復は成熟に向かってのプロセスだとお伝えします。回復は人間としての成熟なのです。皆さん、アダルトチャイルドの回復のこの原則から私たちは学ぼうではありませんか。 

 酒害の体験から、酒害者と家族の関係を、被害者、加害者の関係に置き換えてしまうことなく、反省する、反省しない、許す、許さない、償う、償わないという、こういう関係性やとらわれから、解き放ちたいものです。一人ひとりが、酒害者は酒害からの回復を、そして酒害からの回復を通して、人間としての成熟を進めていって頂きたいと思いますし、ご家族の皆さんは酒害生活の中で受けた影響から回復することを通して、人間としての成熟を手に入れていって頂きたいと思います。

 アダルトチャイルドと呼ばれる私たちよりも一つ下の世代の人達は、自分たちがアダルトチャイルドとして持った生きる上での苦しみを、こういう回復の原則に基づいて自己責任で回復を達成し、成熟を手に入れようとしているのです。酒害からの回復を、家族としての立場の回復を、同じ原点に立って、考えてみようではありませんか。

 酒害者は家族が酒害者の苦しみを理解していないとか、あるいは酒害者が家族の苦しみをほんとに理解してくれないとか、そういうことを嘆いて、そしてそのことについて非をならすのではなく、私たちは自らの回復と成熟に力を入れて行こうではありませんか。

 そしてその回復と成熟を達成するための場、それはこの断酒会なのです。断酒会の中に身を置き、仲間とのふれあいの中で、私たちは人間としての成熟を手に入れていくことが出来るのだと思います。

 私も皆さんに負けないように、人間としての成熟を目指してこれから生きていきたいと思っています。ご静聴くださいました皆さんに感謝申し上げ、終わらせていただきます。

 本当にありがとうございました。 
 
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