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       絆から始まる回復

医療福祉部 主幹  坂 本 満

はじめに
 昨年の6月に鳥取県にお住いの知り合いの方から、11月に
ある鳥取でのアディクションの集まりで話してくれないかと
依頼があった。数年前から、依頼のあった講演は断らないこ
とにしたので、内容もよく聞かないで、例のごとく引き受け
てしまった。実は引きき受けた理由のもう一つには、私の実
家に近いということもあった。この機会に実家の母親に会う
こともできると思ったからである。そんな気持ちで引き受け
たのであるが、言われたテーマが「絆から始まる回復」であ
った。
 この「回復」という言葉を聞くと私はいつも「依存症から
の回復は当事者のあなたがたにはわかっても、当事者でない
私にわかるはずがない」と思ってしまう。でも引き受けた以
上、引き下がるわけにはいかないので、いままでの経験の中
から悪戦苦闘しながら考えた。これはその時話した内容に後
から手を加えたものである。

I、回復とは何か?
 少し前に京都での専門家の集まりの中で、ある依存症の方
が講演をされた。そのあと、会場から質問をされた方がいた。
その内容が「あなたにとって回復とは何ですか?」というも
のであった。私もその答えに大いに期待した。講演者が長々
としやべっていたのだが結局よくわからなかった。普通の人
が聞いてもわかるように、この「依存症からの回復」という
ことを説明してほしかったのだが、長年アルコール依存症の
方に関わってきた私にもわからなかった。この依存症の世界
では簡単に「依存症は治らないが、回復できる病気です」と
いう言葉がよく使われる。きっとアルコール依存症は「以前
可能であったように、継続してうまく飲む生活に戻ることは
できないが、断酒して普通の社会生活を営むことはできます
よ」ということなのだろうか?この回復という言葉はよく考
えると難しい言葉である。

2、ある断酒会の一日研修で
 数年前に寝屋川市断酒会の一日研修会に参加した。その時
に50歳位の断酒会員の方がこんなことを体験談の中で話さ
れた。
 「先日の話なんですが、たまたま家の廊下の電球がつかな
かったので、椅子を持ってきて、電球をかえていたんです。
そしたら娘が「おかあちやん、来て見いな、お父ちやんが廊
下の電球をかえてるで」と言うと、妻が来て私を見ながら、
しばらく沈黙したあと、「どうしたんですか?」と聞いてきた。
数日後、その日は少し疲れていたので早めに風呂に人ろうと
思って、風呂の掃除をしていたら、妻が来て「お母さん、ちょ
っと来てみてください。あの人がお風呂の掃除をされてます」
と大声でいった。すると母が来て、口を開けてびっくりした
顔をしていた。後で妻に聞いたのだが、母が妻に「どうなっ
てるのかわからんけど、長いこと飲んでいた酒はやめたし、
したこともない風呂の掃除をしている。きっとあの子の命は
もう長ないと思うで」と言ったそうである。「私が家の手つ
だいをすることが、そんなに珍しいことだったようです」と
いう話であった。
 この話を聞いた時に「そうか!アルコール依存症からの回復
というのは、こんなことではないかな?」と理屈抜きで納得し
てしまった。それは今までできなかったことができるように
なったことと、その行為が自分の役にも立つが人の役にも立
つ。変に理屈をこねまわすよりも、よっぽどわかりやすい言
葉であった。でもこの方は自分でしゃべっていてもそれが
「アルコール依存症からの回復です」などとは全く思ってい
なかったと思う。しかし、私は彼の発言から「回復」とは簡
単に言えば、今まで出来なかったことが出来るようになるこ
と、しかもそのことが、自分の為だけではなく、他の人の役
に立つことが出来るようになることなどではないかと思った
自宅の電球を交換すれば、あるいは自宅のお風呂の掃除をす
れば、それが依存症からの回復ではないかもしれない。しか
し、点灯しなくなった廊下の電球を交換すれば、自分も助か
るが他の家族も助かる。お風呂の掃除も気持ちを入れて掃除
すれば結構面倒だが、自分も入ると気持ちがいいが、他の家
族も一日の汚れと疲れをとることができる私も0K、あなたも
OKなのだ。
アルコール依存症からの回復というのは、そんな目の前のこ
とから始まるのではないかと思う。

3、アルコール依存症者は自己中なのか?

 入院中のご家族の方がときどき依存症の方のことについて
話されるときに「うちの人は自分のことしか考えないんです
家族のことなんかまったく考えてくれません。本当に自己中
です」と話すことがある。本当にそうだろうか?長年アルコ
ール依存症の方を観ていると、お酒のためにいろいろなもの
を失っている。それもなくてはならない大切なものを失って
いく。それは仕事であったり、家庭、周囲からの信用や信頼
自分自身に対する自信やプライド、お金、それに一番大切な
健康などである。
「自己中」と言われる「自分自身のことしか考えない人」で
あれば、もっと自分のことを考えた行動ができるはずなのだ
が、たくさんなものを失っていても、お酒中心の生活を変え
ることが出来ない。まさにアルコール中心の生活であり「ア
ル中」といわれても仕方ない生活になっている方がほとんど
ではないかと思う。
 以前、京都であったAAの会合の中で聞いたことだが、「私
が飲んでいた頃は、99%はお酒のことしか考えておりません
でした。仕事はしていましたが、残りの1%でしていたように
思います」と話していた。
私はその言葉を聞いて驚いた。しかし、依存症の方が飲んで
いる時は、まさに「アルコールにとらわれている」のだから
それが当たり前なのかもしれない。だから依存症から回復し
ていくためには、まずここからスタートしていくしかない。
アルコール中心の考え方と生活から、まずお酒を飲まない生
活を手に入れて、その次に自分の健康、家族、仕事のことを
考える。それも自分だけの為に考え、行動する。
まさに「自己中」なのかもしれないが、「自己中」になるこ
とも大切なことではないかと思う。そして「自己中」をやり
切った後に、家族や自分の周りの方のことを考えるのが順番
ではなかろうかと思う。この辺りは世間の常識からみると、
かなり違っている。
常識では「今まで周囲の方にたくさん迷惑をかけてきたのだ
から、そのことを考えたら、もうお酒は飲めないはずだ。心
を入れ替えて、家族や会社の方に償いをするのは当たり前の
ことではないか」と考える。ところがこの考え方を依存症の
方が実行すれば、ほとんど再飲酒してしまう。
家族が「こんな常識がなぜわからないのか!」と腹を立てたと
ころで、一向にうまくいかないどころか、かえって関係が悪
くなってしまう。家族が依存症の方を理解するということは
依存症の方の回復の順香も理解していくということなのだと
思う。

4、どこから回復が始まるのか?
 アルコール依存症の方が専門の治療を受けるために当院に
入院してくる。外来で医師から「お酒をやめる気持ちはあり
ますか?」と問われて、「あります」と言っている。「では入
院して治療を受けましょう」ということになるのだが、幸い
なことに「やめたくないですか?」とは聞かれない。それを
聞かれると、正直に「やめたくない気持ちも大いにあります」
と言う人がいると思う。でも先生はやめたい気持ちの方しか
聞かないから、無事合格で入院となる。いつも患者さんが私
に教えてくれるのは「どうにかしてやめたいと思うけど、ど
うにかして飲みたいとも思うんです。これが本当の気持ちで
す」ということだ。きっと依存症になると、それが正直な気
持ちだと思う。では、このどっちつかずの気持ちがどこで、
やめていこうという気持ちに傾いていくのか。確かに私たち
医療の現場にいるスタッフも日夜、どうしたら役に立てるの
かを考えている。けれどもなかなか願っているようにはいか
ない。ところが、断酒会やAAの例会やミーティングに出席
するようになると、目覚ましい変化を起こしていく患者さん
がいる。急に変わる方もいるが、徐々に時間をかけて変わる
方もいる。何がそうさせているのか、本当のことはわからな
い。しかし、水素(H)と酸素(O)という気体が出会うこ
とによって水(H2O)という全く異なる液体が新たに生まれる
ように、自助グループの中で依存症の方がもう一人の依存症
の方に出会うことによって、化学反応が起きて考え方と行動
が大きく変化 するのではないだろうか。しかし、水素と酸
素がただあるだけでは水にはならない。そこに化学反応が起
こるための燃焼が必要だ。それと同じように、依存症の方同
士が出会ってもそれだけでは大きな変化は起こらない。
では何が脳の中で化学反応を起こす起爆剤になっているかと
いうと、それは依存症の方の「飲んでいたころの正直な酒害
体験」だと思う。酒害体験は、聞き方によっては「よくそん
なみっともない話を人の前でできるものだ!」とさえ思える
内容の話だが、その体験談が化学反応を起こす起爆剤になる
のだ。
決して医療者との間では起こらない奇跡といってもよい種の
ことが起こる。中には一回の参加で経験する幸運な方もいる
が、ほとんどの方は一回の参加では、あまり変化に気づかな
い程度の変わり方なので、自分で変わったと思えない。でも
回を重ねるごとに少しずつ変わっていく。そして退院する頃
には、この「仲間に出会える場」が自分にとってなくてはな
らないものになっている。何と大きな変化であろうか。
どんな優れた精神科医も有名なカウンセラーもできないこと
が、世間から「アル中」といわれ、さげすまされている依存
症の方にできている。AAはこれを「人間の力を越えた神の力」
と言っているが、そういっても言い過ぎではないように思う。

 私は「依存症者同士の出会い」が後からくる依存症者の人
生を変える力があると思っている。残念ながらいくら私たち
医療に携わっている者が努力しても同じことはできない。
しかし、この「出会い」を作るための支援はいくらでもでき
る。そしてそのことが私たちの一番大きな仕事ではないかと
思っている。
断酒会でもAAでも依存症の方が集まって「自分の経験してき
たこと(体験)」を正直に話す場には、やっぱり人間の力を
越えた大きな「偉大な力」が働いているように思う。それを
霊感的に感じるかどうかではない。長い経過の中から考えて
みると「酒をやめて何の楽しみがあるのか!」「酒を止めるく
らいなら死んだ方がましだ!」「生きていくためにアルコール
が必要なのだ」と思っていた依存症の方が、アルコール(酒)
を飲まない生活に踏みだしていく。しかも中には後からくる
方の役に立ちたいという考えに変わっていく人もいる。これ
は神様からいただいた奇跡だといっても決して大げさな話で
はない。しかし、もし断酒できた方が「自分が努力したから
断酒できたのだ」と思いこんでいれば、きっと「やめられな
いやつは努力が足りないからだ」ということになり、だんだ
ん傲慢な人になっていくように思う。そうなった人の言葉に
はもう他の人の心に奇跡を起こすカはなくなっ
て、時としてはただの自慢話をするだけの人になってしまう
 今は亡き私の恩師でもある今道裕之先生が著書「こころを
はぐくむ」の中で書いていた「人間にとって一番大切なもの
人を愛する心と謙虚さである」という言葉は、依存症から回
復されるときにも、欠かせないことではないかと思う。

5、どうして絆が生まれるのか?
 この講演のテーマは「絆から始まる回復」だが、「回復の
きっかけ」となるような「絆」とはどんな「絆」なのだろう
日常の一般社会の中でも人間同士の「絆」は生まれる。
どんな時に生まれるかというと、私利私欲のない心で一人の
人がもう一人の人のために尽くした時に「絆」が生まれる。
 ですから、何らかの利害のある仕事上の友人は職場を変わ
ったり、やめたりするとそれで終わってしまうが、何の損得
勘定もない学生時代の友人は一生の宝となることが多いもの
だ。
AAのミーティングに出席すると、時々メンバーの「バースデ
ィ」のミーティングがある。一ケ月、三ケ月、六ケ月、一年
の断酒(AAではソーバーと言っている)をメンバーでお祝い
する。
その時に仲間からのメッセージを色紙に書いたものをプレゼ
ントするのが恒例になっているようだ。ところがこの色紙は
時には何枚にも及ぶもので、この色紙を仲間の手作業で一杯
にしようと思えばたくさんのAAのミーティングに行って、数
多くのメンバーからメッセージを害いてもらわなければなら
ない。それを集めてくるのはたいていの場合、お祝いをされ
る人より断酒日数が少ない人で、まだ断酒して何か月も経過
していない人がよくやっている。
だからAAに来るようになってからまだそんなに時間がたって
いないのに、一人で行ったこともないAAの会場を探して何日
もかかって、プレゼントをする色紙をメンバーのメッセージ
で一杯にするのだ。送られる側のメンバーも自分もそのこと
をやった経験があるので、いかに大変なことであるかを十分
理解しているはずだ。しかし、一番大きな恩恵を受けるのは
多くのメッセージが書かれた色紙をもらった人ではなくて、
プレゼントした人なのである。その色紙をプレゼントするた
めに数多くのミーティングに出かけて数多くのメンバーと知
り合い、AAのメンバーになっていくことが出来たのだから。
そしてそこにかけがえのない依存症から回復するためのきっ
かけになる「絆」が生まれてくる。
 断酒会の中でも昔から断酒会に人会して間もない人を先輩
が三ケ月から一年くらいの期間、断酒会の例会、記念大会、
一泊研修、断酒学校などに誘って一緒に出席するようなこと
がよくあった。このことを通じて、多くの断酒していかれる
人が生まれたが、一番大きな恵みをもらったのは、連れて行
ってもらった人ではなくて、連れて行ってあげた先輩の方で
はなかったかと思う。
こうして考えると、回復のきっかけになる「絆」は私利私欲
の思いのない「他者貢献」を通じてのものではないだろうか

6、他者貢献について
 この「他者貢献」という言葉は最近話題になっている岸見
一郎氏の善かれた「嫌われる勇気という本の中でよく使わ
れている言葉である。この本は周囲に嫌われても「自分の言
いたいことは言いましょうよ」「自分の生き方、生活は大切
にしましょう」ということを書いてある本だが、その本によ
ると心理学の世界でフロイト、ユングと並ぶ心理学者として
有名なアルフレッド・アドラーは「もともと人生に意味はな
い。人生の意味はあなたが自分自身に意味を与えてあげるの
だ」と言っている。また人間が幸せになるために必要なこと
は、一番目はありのままの自分を受け入れること、二番目は
自分の所属する共同体の仲間を信頼すること、三番目はその
共同体の中の仲間に貢献することらしい。これはまさに断酒
会やAAのメンバーの方が仲間の中で回復していくためにど
うしても必要なことと共通している。自分がアルコール依存
症であることを受け入れて、断酒会やAAの作間を信頼し、
自分もその仲間のために役に立つことを積極的にやっていく。
彼らはまさにアドラー心理学の中の「他者貢献」を実行
している人たちである。そう考えると彼らは、ありのままの
自分を受け入れてくれる「作間の中」で依存症からの回復を
目指すと同時に、幸福になることを目指していることになる。

 だから仲間の中で回復していこうとしている依存症の方が
だんだんと明るくなって、幸せそうな表情になっていくのが
納得できる。ということは断酒会の例会やAAのミーティング
の前に少し早く行って、机を並べたり、お茶の用意をしたり
することも「他者貢献」であり、幸せを手に入れるために必
要なことなのだろう。それらの準備だけが「他者貢献」では
ない。例会にただ出席すること。そして体験してきたこと、
経験してきたことを淡々と話すことも、十分「他者貢献」で
ある。飲まないで生活しているアルコール依存症者として存
在し、そのことを後からくる仲間に「私もそうですよ!」と
伝えてあげることが彼らにとって、どれだけ大きい励ましに
なるか計り知れない。そしてそれは彼らにしかできないこと
なのである。

7、信頼と理解
 先日、元タレントの田代まさしさんが薬物依存症からの回
復を特集したテレビ番組に出ていた。その番組の中で、彼を
理解して応援をしてくれていた友人が「二回目に捕まった時
は、本当に裏切られた気持ちでした」と言っていた。それに
対して田代さんは「以前は『もう決してやりません』と言っ
ていましたが、今は今日一日薬をやらないことを、積み重ね
ていくしかありません」と言うと、その友人が、「そんな甘
いことを言っていてどうするんだ!お前もっとしっかりしろ
よ!」と言っていた。世間の人から見れば友人の言ったこと
は、当たり前のことであり、気持ちをしっかり持って、何が
あっても二度と薬は使わないと断言しなければ信頼してもら
えない。依存症の人であれば、よく理解してもらえると思う
が「もうやめる、もう飲まない。もうやらない」と今までに
何度言ってきたことか。その度にその言ったことが嘘になっ
てしまい、周囲から「嘘をついた。裏切られた」と言われる
結果になった。だからもうその場を逃れるためだけの、いい
加減なことだけは言わないと決心すると、世間の人に「そん
な甘いことを言っていてどうするのだ!」と言われる。それ
でも「明日は飲むかもしれないけど、今日一日だけは飲まな
いことに励みます」それが本当の気持ちなのだと思う。しか
し、いくらその人を理解してくれる友人であっても、「それ
でいいんだよ。今日一日が大切なんだから」と納得してくれ
ることは難しい。けれど同じ依存症の仲間だったらわかって
もらえる。そして「ありのままの自分」を受け入れてもらえ
る。だからこそ、自分も「ありのままの自分」を受け入れる
ことが出来るようになる。そしてそのことが、アドラーが言
う「勇気付け」となるのである。そしてこの「勇気付け」が
回復を大いに後押ししてくれるのだ。

8、絆から幸せを
 ながながと書いてきたが、依存症からの回復には確かに
「断酒」つまり飲まないことは必要である。そして、「回復
して、幸せになる」を望むのであれば、仲間の中で「自分は
依存症であってもいいのだ」「私には信頼できる仲間がいる
「仲間」のために役に立つことがしたい」その思いから生ま
れる「絆」がどうしても必要になる。この「絆」なくしては
本当の意味での「回復」を手に入れることは難しいと思う。
また誤解を招く言い方であるかもしれないが、「せっかく、
皆さんは依存症になってしまったのですから、仲間の中で回
復されて、本当の幸せを手に入れてください」と言いたい。
 私の長年の経験から、そこには私が手にすることが出来な
い幸せがあると信じているからである。