体験談 めぐり逢い 尼崎西断酒会 渡辺順子

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 精神病院の中で初めて院内例会に出席したのが38歳の時で、お
じさんばかりの中に女性一人だけで恥かしく、穴があったら入りた
い気持ちで隅っこに隠れるように座っていたことを思い出します。
三ケ月で退院しましたが、三日目に再入院、またワンクールです。
退院と同時に「ここでしか酒を止める事が出来ない」と教えられ、
岡山県断酒新生会へ入会し、ほとんど毎日例会に出席しましたが、
まだ止める気にもなれず、例会の無い日には酒を飲んでいました。
あくる日には酒を止めて仕事にも、例会にも行くつもりでしたが継
続が出来ません。「私が酒を止める時は、死ぬ時だ」と思いました

そんな時に、先輩が松村断酒学校へ誘って下さいました。「断酒
学校とは何ぞや」の不安が強かったのですが「一万円札一枚だけ握
っておいで」と言われて、第43回の松村断酒学校に初入校しまし
た。たくさんの人がいて足は痛い、眠い、腰は痛い、時間は長いで
「二度と来るもんか」と先輩に文句を言いました。体験談も何一つ
頭に残っていません。先輩は「来年の五月にはまた来たくなります
よ」と笑っていました。                  

大勢の人の中から3日目にやっと開放されアパートの前まで送っ
ていただいたのに、暗くて寒い部屋で、一人ぼっちが淋しくて淋し
くて泣きながら酒を買いに行きました。それからも、入退院は何度
も繰り返しました。一人で止められず鍵のかかる部屋に入れてもら
わないと止まらない酒になっていました。でも私は、断酒会が好き
でした。例会場へ出席して、皆様の温かい握手や、やさしい励まし
の言葉を聞くたびに、酒を止めなければと思いました。たったの二
時間ですが私の心は落ち着きました。でも、一年の継続が出来ない
のです。                         

再飲酒するたびに大家さんに「今度呑んだら出て行ってもらうよ!
と厳しく叱られました。何とか酒を止めなければと思いながら、 
暗く、汚い布団の中で目をつむるのが恐ろしく、このまま一人ぼっ
ちで死んで行くのを体で感じた時、色々な事が頭の中をよぎりまし
た。前夫に二度も閉鎖病院に入れられ、二度と外に出る事も出来ず
途方に暮れていた時、兄と妹が捜し廻って面会に来てくれた事。妹
が、「姉ちゃんそんな格好で寒かろう」と自分のカーディガンを脱
いで私に着せてくれた事、その温かかった事。新築したばかりの兄
の家に引き取られた時に酔った勢いで手首を切り、畳を血の海にし
て、兄嫁を泣かせた事。閉鎖病院から兄の家へ引き取られてから1
 3年の歳月の中で酒を呑みながら死ぬ事しか考えていなかった私が、
断酒会のおかげで自殺することはやめました。そして、長生きを 
してもう一度子供に会いたいと思うようになりました。    

最後に岡山のアパートで酒を飲んで身動きできなくなった時、断
酒学校で知り合い年賀状のやりとりをしていた渡辺に電話をしまし
た。(記念例会で外出中の留守番電話に意味の解らない言葉が、テ
ープ一杯入っていたそうです)。翌朝、尼崎から新幹線で岡山のア
パートに来てくれました。二人きりで逢うのは初めてでした。渡辺
に「尼崎に来るか
?」と言われ、岡山から出た事のない私でしたが、
コックリうなずいて荷物を作りました。平成元年二月二十八日の寒
い日でした。次の日から、渡辺順子になり、ナニワ診療所の中田先
生に診察をして頂き、通院しながら点滴で解毒をして頂き、夫婦で
毎日の例会出席が始まりました。              

あれ程止められなかった酒がやっと2年止まった時、前夫の元に
置いて来た娘と夢にまで見た再会が出来ました。もう立派な大人に
なっていました。酒を止めている私の姿を見に来てくれたのです。
「お母さん」と呼んでもらった時の感激、「生きていて良かった、酒
を止めていて良かった」流れた涙を忘れることが出来ません。7年
目に息子が尋ねてきて度々泊まっていくようになり、阪神・淡路大
震災の時には山越えをして岡山から駆けつけてくれました。子供た
ちの心の中は、なかなか打ち明けてはくれませんが、ひとまず安心
してくれているようです。二人の子供達を二度と酒で泣かすことは
出来ないと心に誓いました。妻、母、そして今は断酒人として人並
に近い生活を送ることが出来ています。子供には何もしてやれませ
ん。一日断酒、例会出席で酒を止め続ける事がたった一つの償いで
す。                           

いつも心に誓っていることは「命をかけて呑んだ酒、命をかけて
止める酒」ありがとうございました。        
   
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