自己紹介  

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03年7月に撮った写真です
簡単ながら自己紹介です

名  前:東 毅(あずま つよし)

生年月日:1976年3月31日(現在35歳)

血液型 :A型(遺伝型AO,Rh+)

出  身:福井県小浜市

住  所:岡山市南区福島2丁目7−21

連絡先 :日本共産党岡山地区委員会(086-273-2221) 現地地図(Googleローカルより)

経  歴:岡山大学農学部卒。在学中は岡山大学吟詩部第38代副将などしてました。党内では岡山大学支部支
部長、第21回党大会代議員(滝沢昇のP.N.で発言)でした。TBS報道特集に学生党員として出ました(97年11
月16日放送)。大学卒業後は日本民主青年同盟岡山県委員会副委員長、日本共産党岡山県委員会青年学生部
長など歴任しました。99年原水爆禁止国民平和大行進で岡山県通し行進者、PEACE WALKおかやま実行委員
をして平和運動に関わってきました。03年と05年の衆院選で岡山4区候補、09年総選挙で衆院比例中国ブロッ
ク予定候補(岡山1区と重複)をしました。

出没地域:岡山市南区

Favorite:成分献血、名所古跡の散策、木刀の素振りバナナ

座右の銘:「異質なものへの理解と寛容」

性  質:真面目なときは頑固に真面目、それ以外はかなりてきとーでいーかげん。寝不足と空腹時は一切の能
力が停止。でもいつもお腹をすかせている。

家  族:なし(遠くに両親と姉がいます)

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おいたち


はじまりは幼いころの疑問から
 工場労働者の父のもと、福井県小浜市に生まれました。祖父は農民でした。ちいさいころから地場産業は大変で
した。倒産した繊維工場の織機をバールで壊す、売れ残ったメガネ枠を燃やすニュースの映像は今も目に鮮やか
です。そして毎日帰りの遅い父の姿を見て、「働くって大変だなー」と幼心に思ったものでした。祖父の家は農業が
大変で先祖伝来の土地を守りぬくのも苦労していました。その一方で相次ぐ汚職や、アメリカの言うがままにすすめ
る貿易自由化のニュースを見て疑問でした。「なんで働く人や日本の国土や産業を大切にしないんだろう」しかし何
が問題なのか、自分はどうしたらいいか、考えても分からないままでした。

とりあえずプチ右翼(?)
 高校生くらいに、自分なりにいろいろ調べたり、人と議論して一つの結論を得ました。「そもそもこうなったのは日
本が戦争で負けたからだ。日本は軍事力もふくめて、もっと強くならないといけない」と。祖父がシベリアに抑留さ
れ、田畑を失ったということもあり、こう考えるのはありうることだったでしょう。いつしか軍事研究にいそしんだり、靖
国神社に参拝したり、有名どころの軍歌は一番は歌えるようになるというなかなかアブナイ学生になっていました。
しかし、右翼的な人たちは「アメリカから押し付けられた憲法をなくし、自主憲法を作らなくてはいけない」と言いなが
らも、日米同盟をなくす話をしないことにうさんくささも感じていました。
 高校を出て、自分はどうするか考え、「科学技術で農業をささえよう」と岡大農学部にすすみました。ここで日本共
産党と日本民主青年同盟(民青同盟)に出会いました。

宗旨替え、というか転向。
 思想は「右」でも反共ではなかったので、とりあえず見聞を深めるために民青同盟に入り、気の向くままに活動に
参加していました。
 党員の学生と話し合う中で、日本の政治がおかしいのは、財界・大企業主役、アメリカいいなりというゆがみがあ
るからで、日本共産党は、国民とともにこの政治のゆがみをただすという路線をもっていることを知りました。「なん
で働く人や日本の国土や産業を大切にしないんだろう」…小さなころの疑問にこたえる路線に、「今必要なのはこれ
だ」と思いました。平和運動や薬害エイズ運動に参加し、国民には、おかしな政治をかえる力があるんだと実感しま
した。道理ある態度を貫くことで、軍事力によらずとも、日本の独立と世界の平和は守ることができるという展望を
見ました。民青に入って知ったことは、自らの主張を改めるに十分でした。そして「現実にあきらめ、傍観するのでな
く、変革するために生きよう」と日本共産党に入党しました。20歳の春のことでした。

貫いているのは初心。
 大学を卒業したら研究者になるつもりでしたが、「農業を守るためにも、今自分が働く場所は研究室でなく、人々
の中だ」と、日本共産党の専従活動家への道を選びました。家族からは共産党への誤解からずいぶん反対されま
したが、「おかしな政治や、くらしをよくするためにやらせてほしい」と意を尽くしてうったえたつもりです。はじめてもら
った給料で母の日のカーネーションを買い、故郷に送ったら、母に「貧乏なのにそんなことせんでええ」と言われまし
た。しかしその後、陰ながらでも応援してくれるようになったのは、心の支えでした。
 専従活動家になってからは、若者分野で平和や雇用、教育の問題にがんばってきました。運動をひろげながら、
いろんな人と出会い、仲間をふやしてきました。「仕事が見つからない。自分は社会から必要とされていないのでは
ないかと思ってしまう」「罪のない子どもたちが戦争で死ぬのを見たくない。でも私に何ができるのか」「学校で勉強
におわれるだけの生活。自分の価値ってなんだろー」などなど運動のなかで若い人から声が出されます。一人ひと
りの思いをよく聞き、「いっしょに解決のために力をあわせよう」となるとみんな元気になります。政治を変えるという
ことは、ひとつの目標にむかって行動しながら、心をよせあう仲間関係を広げることなんだと実感しています。

たたかいの場は岡山市政に。
 政治というものは、政治家だけがするもんじゃなく、国民が声をあげて作っていくものだと思っています。そのため
にも国民と新しい政治をおこす議員が必要です。しかし自分が選挙に出るとは…。03年衆議院選挙、岡山4区か
ら「草の根の声を、政治に届ける力になれるなら」と立候補しました。ともにたたかう仲間の輪が広がり、自分自身
も大きく成長するきっかけになりました。しかし結果は、日本共産党の議席を9議席に後退させるという悔しいもの
になりました。05年総選挙は岡山4区、09年総選挙は岡山1区と比例代表候補としてたたかいましたが、ともに9
議席の維持。なんとしても新たな前進をしなくてはなりません。
 民主党政権になっても自公政権の政治と大きく変わらないままです。今、岡山県で政治を変える草の根の力をも
っと大きくしたいと思っています。選挙中、「年金が下がった。暮らしていけない。年寄りには死ねということですか」
とうったえられ、衝撃をうけました。くらしをよくする先頭に立ちたいと、決意をあらたにさせられました。もっと地域の
人に寄り添いたい。2011年4月の岡山市議選挙で南区から初当選を果たし、福祉と防災の街づくりに奮闘中で
す。


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