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川崎市行財政改革・政策体系を視る眼

 2008/01/18 トップ論文と図表の部屋> 視る眼


「川崎市行財政改革・政策体系を視る眼」目次 07/12/02   印刷用
0.要旨
1.状況 〜新たな『関係づけの枠組』の必要性〜
2.立場 〜『主体的浮動層』の形成と市政への『関与』〜
3.方法 〜仮想現実、『生涯平凡な地域住民』〜
4.目標 〜ビジョンとしての『営存都市』〜
5.段階 〜『サービスネットワーク』組織の構築へ〜
6.姿勢 〜トップの『公正・公平』な精神〜
7.視座 〜羅列的視座から『構成的視座』への変換〜
8.政策 〜『ライフサイクル』を中核に〜
9.情報 〜『情報循環』による共有・統合へ〜
10.克服 〜アジャイルな活動による『地域主導権』〜

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0.要旨
 財政の危機、地方分権、住民参加のなかで、次年度以降、川崎市政の枠組となる「行財政改革プラン」「新総合計画」素案が提案されている。この機会に、新たな『関係づけの枠組』を構築し、市政を考える視点を市民として確立する必要がある。
 その立場は、生活者を起点して市政への関与を心掛け、日頃関心を持ち、チャンスをみて参加を試みる『関与―関心―参加』のサイクルのもとで『主体的浮動層』を形成する処にある。
 視点確立へのアプローチは、その地域に生まれ育ち、そして老年になって死を迎える『生涯平凡な地域住民』が市政とどのように係わるのかを全体像として考えていくことである。
 『ライフサイクル』における生活時間を質的に向上させ、人間的な営みとしての活動をバックアップする『営存都市』というビジョンが目標としてみえてくる。
 さて現状はどうか。行財政改革による体質改善は進んでいるが、更に業務革新として『営存都市』へ向けての行政組織、仕事の内容を新たに構成する必要がある。それは役所だけでなく、NPO等との連携も含めた『サービスネットワーク』組織である。
 それを運営していく行政組織としても、トップは既得権益を排除し『公正・公平』な精神を市民に見える姿勢として貫いていくことが益々重要になる。更にミドルは『赤提灯』化現象を戒め、『政策作成、説明、まとめの能力』を身につけることである。
 今後の政策体系となる「行財政改革プラン」「新総合計画」素案では、基本的にこれまでの計画を踏襲していくことになる。しかし、その政策体系は単に系統化され羅列的視座で展開されているだけである。これを政策相互の位置づけ、関連性が判るように『構成的視座』へ変換することが大切である。
 その政策体系の中核には『営存都市』のビジョンに沿って『ライフサイクル』に係わる諸政策をおくことである。その回りに生活環境、更にそれを囲んでインフラ、産業、文化等が配置される。
 これらの政策遂行においては市民自治基本条例に規定しているように、情報共有がベースとして存在する。しかし、そのためには単なる情報開示だけでなく、市民が理解できるように説明する必要がある。それを『情報循環』して共有していくと、その過程で情報は錬磨され、その内容は統合へ向かう。
 こうして『統合、共有された情報』を含めて地方自治体はビジョンに沿った戦略を練り、アジャイルな活動により逆に国の改革を迫る『地域主導権』を確立する。けだし、改革とは目的ではなく、手段であり、プロセスであるから。 

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1.状況 〜新たな『関係づけの枠組』の必要性〜
 川崎市の行政計画書である「行財政改革プラン」及び「新総合計画」が次年度更新にあたる。このため、それぞれの新計画素案が開示(9/23)され、パブリックコメントが募集(〜11/7)された。筆者は “市議会の政策を検証する” ことを試み始めている。市議会の政策論議は行政側の計画を中心に行われるので、これを読み込むことは必須であり、また、丁度良い機会でもある。
 実際に施策を実行するのは行政側であり、結局、行政計画に対してどのように考えるのか、或いは必要なタイミングでどのようにアクションをとるのか、そこを議会として試されるからである。行政施策は広範囲にわたり、それぞれの目標も、バラバラ、中味も具体的な内容を聞かないと判らないものが多い。
 また、筆者自身は行政に係わったわけでもないし、研究をしたことがあるわけでもない、ただの一般市民である。その素人が集団で1万人以上もいるプロ集団が策定し、実行している仕事を検証するのである。
 そこで必要なことは、一般住民が、数少ない情報で、膨大なバックグラウンド資料も含む仕事をどのように判断するのか、情報を整理するための『関係づけの枠組』を設定しておくである。更に、それをもとに、判断基準を整理しておくことである。
 そうでないと、川崎市という大都市としての「象」のどこを撫でているのか良く判らぬ状態になり、残るバラバラな情報とマスメディアの断片的な、そして味付けされた報道を聞いて、判断せざるを得なくなる。
 少し粗っぽくても全体像を理解し、個々のユニットの情報を、ジグゾーパズルではないが、『関係づけの枠組』からその全体像へ当てはめていくことができるようになれば、より的確な判断になるであろう。
 このような方法により、できるだけ質の高い判断を集積すること、かつ、それらの情報を循環して討論できるような住民ネットワークの形成と住民・行政・民間組織との協働、これが課題となるのではないか。こんな見通しのもとに、「川崎市行財政改革・政策体系を視る眼」を構築する試みである。
 素人の論考として抜けが多いことは覚悟して、ともかく全体を通覧し、それからパッチワークをするというアプローチであることをお断りしておく。

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2.立場 〜『主体的浮動層』の形成と市政への『関与』〜
 自治体における行政改革の嚆矢となった三重県で、当時の北川知事(1995-2003年)が『生活者起点』という理念を掲げた。タックスイーター(税を食べる)のような既得権益をもつ団体を保護するより、タックスペイヤー(税を支払う)である生活者の立場に立つ、というものである。この理念をすべての政策判断の基本に据え、行政評価システムを導入し、新たな自治体行政を切り拓いた。
 (『生活者起点の行政革命』(北川正恭著(ぎょうせい)2004年)。
 川崎市においても、2002年7月、阿部市長による「財政危機宣言」の後、同9月に「川崎市行財政改革プラン」(第1次 2002-2004年)を発表した。当時、このまま進めば2006年には、財政再建団体になるとの危機感のもとに、である。続いて、「川崎市行財政改革プラン」(第2次 2005-2007年)を進め、2005年4月からの「新総合計画」(第1期 2005-2007年)ともども川崎市の改革基本計画として行政運営の柱になっている。
 しかし、「財政危機宣言」で危惧された状況は回避されたが、依然として財政状況は予断を許されないものがある。更に、地方分権の流れと夕張市の実質的な財政破綻のショックを含め、住民の責任はより大きくなり、タックスペイヤーとしての『生活者起点』はブーメランのごとく住民に跳ね返って、『責任者起点』でもある状況になっている。
 従って、これまでと異なり、住民として市政を視る眼も二重に厳しくする必要がある。
 一つは行政側の事業、当然、特に出資法人も含め、その必要性、冗長性をチェックすること、もう一つは、住民としての権益、サービス要求等が真に川崎市にとって有用なものであるのか、チェックすることである。この両者を行うことによって主体的な判断ができ、その時々の状況に応じて立場を動かすことのできる成熟した住民の集合体である『主体的浮動層』が形成されるであろう。ますます稀少資源化していく市の収入を如何に使うか、今後は住民間の直接的な衝突もあり得るからである。

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3.方法 〜仮想現実、『生涯平凡な地域住民』〜
 住民として市政を視る場合、どのようなアプローチをとることが有効なのであろうか。それは先ず身の回りのことからである。しかし、市政全体を考えることを主眼におくならば、現時点だけでなく、仮に『生涯』を川崎市民として生活することを考えて、ライフサイクル全般を見回す必要がでてくる。そこで、市政と生活の結び目、どの程度税金を払い、また、サービスを受けるのか、川崎市の政策をひっくり返して読みながらイメージを作り上げるアプローチになる。当然、各年代における生活環境を考慮し、更に基盤となるインフラを考える。
 ひとりの住民として考えれば、当然であるが、幼児、小中学生、老人、即ち年少時、老年時に税金で施策を受ける。また、子育て世代は特に働く女性の負担が軽減される。一方、生産年齢時には税金を納める。一つの自治体において、生涯を送るのであれば、それでバランスがとれていることになる。ここからふるさと税に繋がるのであるが、ここは省略し、簡単モデルを貫こう。
 ライフサイクルと自治体政策の基本的構造は変わらないが、最近の動向は、0歳児からの保育、シニア世代の地域参加への誘い、老人の予防介護の提唱なども加わり、自治体政策が我々の生活全般にわたって益々侵入してきていることが判る。即ち、我々の生活時間は自治体機構に依存している部分が相当ある。ここに、ライフサイクル全般を中核にして政策を視る必要性が出てきている所以がある。
 このような状況において更に考えなければならないことは、政策の内実である。ここで述べたように、ライフサイクルの年少期、老年期における施策は人間的サービスによるものである。教育がそうであるように、人間の営みである“生活時間”そのものに係わることだからである。このライフサイクル全般にわたって“生活時間”を豊かにする政策、これが次に説明する『営存(エイゾン)』を支える政策である。
 但し、ライフサイクル関係の政策を中核におくといっても、それは市が直接請け負うことだけではない。個人でやるべきこと、民でできること、官が分担することそれらを区分けして新しい公共領域を構築する必要がある。これは官及び研究者が中心になることであろうが、この『公共哲学』の構築は必須であり、急務である。実はここに、2.で述べた住民としての『主体的浮動層』の役割が必須となる理由がある。
 ところで最近、学校の先生に対するクレームの増加、給食費、保育費の不払いが目立つこと等がマスメディアで報道されている。具体的なことは議論できないが、自己の権利主張と行政への要求・依存がこれまでよりも強く出ていることが窺われる。すべてかどうかは判らないが、これらは、既得権益を保護しようとする団体等に北川知事が名付けたタックスイーターとは別であるが、ニュータックスイーターと言っても良い集団のようにも思える。ここでも新しい『公共哲学』を構築することが、これらのニュータックスイーターの生成を抑止する意味で必須であり、急を要することである。
 また、所謂無関心層が多く存在することは、それも各人の一つの選択であるからかならずしも悪いこととは言えない。また、急に変えられることでもない。
 しかし、所謂無関心層と言っても、実際は市政に関心はあり、メディアからの情報も得ているが、市政に関与できないことで関心が遠のいている人も現実には多くいるように思われる。今後、情報が交錯する中で地域分権を主体的に進めていくためには、このような人が整理された情報を得ること、それをもとに少しでも市政に『関与』する場を設けるようにすることが大切である。関心―参加だけを求めると活動にどうしても飛躍が必要と感じてなかなか出来ない。これに対して『関与』を介して関心を整理する方向で進めると、『関心―関与―参加』へ向かうことも比較的容易になる。

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4.目標 〜ビジョンとしての『営存都市』〜
 川崎市は「元気都市」を標榜している。横浜市、大阪市は「創造都市」、横浜市にいたっては「開港150周年・創造都市事業本部」がある。ここまでくると、創造性とはごく稀な個人にしかないと思っている平凡な人間にとって、聞いていることが恥ずかしくなってくる類である。
 “営存都市”の営存とは統計学者として著名な北川敏男氏の造語である。
 『創造工学』(中公新書 1971年 北川敏男編)は、中山正和氏、川喜田二郎氏との対談を主としているが、終わりに北川氏が雑誌に書いた論文「情報の世界と創造」が掲載されている。そこで、制御―営存―創造という関係が論じられている。
 北川氏は『営存』を実存と経営との接面で捉えた概念とし、『経営の真諦』は制御や管理という概念では捉えきれない、存続しかつ活動を営み続けるということ以外に言いあらわしようがない、と述べている。更に、英語で適当な表現がない、として『営存』だけ英語でeizonと表記している。
 経営とは、企業経営ということを念頭においているのであろうが、企業経営の主活動が交換、同時性、時価で表現される利益を得ることが疑う余地無く全てであると考えられていた1970年前後に、この言葉を提案したことは、極めて先見性に富む鋭い洞察と言わざるを得ない。有名なローマクラブの「成長の限界」は1972年に発表され、以降、成長と環境との調和がパラダイムとなり、企業自体、単に利益を得るだけの集団ではないことが現在、通念になっている。従って、『営存』という概念は、企業にも当てはまる部分があると共に、それ以上に、自治体に適用可能な言葉である。
 今で言えば「サスティナブル」という言葉を誰でも思い浮かべる。しかし、おそらく、「持続」というだけでは言い表せない、曰く言い難い人間的要素を含む感覚を表現しようとの試みである。それが“営み”の持つ語感である。即ち、続けることだけではなく、日々の“人間的な営み”を豊かにする、そのような意味合いも考えると、その基盤となるサービスを構築することが自治体のミッションと言えであろう。
 第一次世界大戦が終わった直後、マックス・ウェーバーは「来たるべきは凍てついた暗く厳しい極北の夜」と述べてナチスドイツの出現を予測したことは有名である。1971年は大阪万博、企業は我が世の春であって、地方自治体も経営などは問題にならない状況であった。このとき、日本にはマックス・ウェーバーに比肩されるような学者はいなかったのである。
 日本で「コーポレートアイデンティティ(CI)」がブームになったのは1980年代である。当時、筆者にとって企業が「アイデンティティ」という心理学用語を使うことは奇異に思われた。企業は機能合理的な存在であるが、内部で一体感を保つ運動(標語)は常に必要なことであり、また、外部に対する企業イメージを確かなものにするため、トレードマークも含めデザイン等を作ることも理解していた。しかし、心理学はオーバーだと。今考えれば、企業理念によって長期的に一貫した姿勢を示すことがその当時必要と考えられるようになり、企業活動を超えた言葉によって表現せざるを得なくなってきたとの意識が経営者に出てきた結果と解釈できる。但し、利益の視点だけの企業は景気に左右され、ブームも急速に尻つぼみになったようである。
 その後、企業倫理、企業の社会的責任等を全従業員へ教育することが徹底され、テストを受ける、マニフェスト?を書く等、その時々であるが業務に取り入れられることになった。それは、CI以降の動きは同時的交換だけでなく、継続(長期性)の経営手法が日常的に取り入れられた企業としての“営存”活動の流れとも読める。
 そう考えれば、利益を出すわけではない地方自治体こそ“営存”することが最大のミッションになる。ライフサイクルのそれぞれの局面で表れる“人間の営み”である生活時間、それをサポートするサービスの質を高めること、これが行政機構の運営に反映され、機構人の意識の中核に存在するようになることが“営存都市”に必須と考える。

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5.段階 〜『サービスネットワーク』組織の構築へ〜
 先ず、川崎市に限らず、地方自治体が実施している「改革」アクションを、その内容によって区別する必要がある。整理してみると初歩的な段階から順に、以下であろう。
(1)法規遵守 (2)綱紀粛正 (3)体質改善 (4)業務革新
 民間の大企業は常に組織上の運動を行っている。それは(1)から(3)を含みつつも、(4)を狙ってのことだと思われるが、役所は必ずしもそうならない。民間企業のように、競争或いは自壊によって消えて亡くなるということが皆無と考えていられるからだ。また、民間企業の利益追求という明確な目標も存亡の危機と裏腹の関係にある。
 一方、地方自治体は利益追求も、存亡の危機もない。例えば、横浜市交通局の営業所所長も含めた一部職員の料金着服は、法規遵守以前の組織的窃盗である。また、大阪市の職員厚遇問題は法規遵守、綱紀粛正、体質改善の三つが入り交じっており、結局、市民グループからの問題提起で解決の方向に向かったと思われる。
 川崎市では市議会の政務調査費の監査が行われ、2億円以上の返還が勧告された処である。これもまた、市民グループの要求によって明るみにでたことである。このことも含めて、川崎市の現状は(3)体質改善の段階であって、逆に言えば、体質改善でモタモタしており、業務革新に手が届かないともみられる。どこでも法規遵守、綱紀粛正までは当然辿りつくはずであるから、体質改善が一つの勝負処といえるであろう。
 処で、どの辺りまでが(3)体質改善か。人員削減、効率改善、補助金等の整理、事業仕分けによる整理は体質改善であろう。川崎市は次の3年間も「民でできることは民で」をキャッチフレーズにして、このような削減、改善、整理を実施していくという計画である。市の設置した川崎市財政問題研究会の最終報告においても、今後10年間の収支見通しとして不足を試算しており、財政改革はまだ予断を許さない段階である。
 体質改善はまだまだ続けていかなければならないが、人員削減、投資削減、補助金削減等が実施されたとして、体質改善状況は当然、財政健全化法による指標から判断できるはずである。その数値と共に、予算としても把握できそうである。更に、市民として比較的判りやすいと思われる数値と内容は、「事業の仕分けによる要不要、民への移管の判断」及び「出資法人を絞ること」、であろう。
 先ず「事業の仕分け」は具体的な問題に着目してその中味を知るアプローチになる。現状で公開されている新総合計画の年次報告では具体的内容が全くわからないと言って良い。その中味を把握し、縦割り行政、バラマキ行政、便宜供与行政が変化しているのか否か、判断材料になり、具体的判断が必要であろう。しかし、川崎市では事業仕分けに手が着いていない。今回の行財政改革プラン及び新総合計画の素案段階においても不要事業が描かれていない。10年間、変わらずの事業計画の枠組でいくようである。これで体質改善が進むのであろうか?また、行財政改革では、役所の機構を変えていくとのことであるが、それが事業計画にどのように反映されるのか?示されていない。大きな問題を感じる。
 補助金削減については新・行財政改革プラン素案で触れられているが、外枠としての削減目標だけである。一つ一つの法人を分析し、絞り上げ、改革の全体像を市民へ公開する必要がある。これによって、経営メタボ症候群(MMS; Management Metabolic Syndrome)に陥っている法人の改善指標を提起しなければならないし、如何に切っていくのか、その手腕が明確に判る。出資法人の基本データは「川崎市出資法人の現況」として毎年報告書がでており、公開済ではあるが、そこには整理・統合の視点が設定されていない。
 一方、出資法人は天下りの行き先であるから、川崎市のトップマネージメントの姿勢をみるのに適切な方法になる。先の報告書では、80団体の概要が述べられており、一応の情報開示はなされている。問題はそこから何を課題として引き出してくるかである。この点については後に議論する。
 次に、体質改善に止まらず、先のビジョンをもち、それに向かって「業務革新」を含めることが必要でるし、進めなければならない。何故なら、我々は普通の人間として、過去からの遺産を、それが負であっても引き受け、現実の課題として、この場合体質改善であるが、対応するだけでなく、未来ともコミュニケーションすることによって生きていくべき存在だからである。現在、先のビジョンはあるだろうか?「元気都市!川崎」がビジョンのシンボルとして機能するであろうか。どこか安部元首相の「美しい国」と重なり合わせたイメージがでてくるのであるが。阿部市長で同じアベであるからか。
 本論では、先に述べた『営存都市』をビジョンとして提案している。このビジョンに沿って行財政改革プランを実行に移していくのである。そうすると、その中核となる政策、その政策を実行するための体制、仕事の内容がデッサンできる。ライフサイクルにおける生活の質を高めるためには、組織体制として縦割りだけでは機能しない。『サービスネットワーク』を役所内に構築し、また、NPO等の民間団体とのネットワークもまた必要になってくるであろう。当然必要とする知識もネットワーク活動の中から創造されるはずである。これこそが業務革新に繋がっていくものである。

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6.姿勢 〜トップの『公正・公平』な精神〜
 さて、改革に対する姿勢である。市民にとって、市長を筆頭とした市役所職員の膨大な業務のごく一部しかみることが出来ない。かいま見るだけである。しかし、それでもこの姿勢こそがお互いの信頼関係の基礎になる。従って、基準を設定しておくべきなのである。
 先ず、トップであるが、市長、市議会議員だけでなく局長クラスまでを含む。改革の原則適用、特に自らの利害が関連する部分に対しても忠実か?天下り、及びその対象となる「配下の出資法人」に対しても同じである。ミドルは改革の原則を具体化したアイデアを組織の中で活かしているか?往々にして個人的意見としては改革論、しかし現実は『赤提灯化現象』を起こしていることが多い。最後に現場であるが、サービスに対するモラールを維持し、着実に業務をしているのか?運営部門は直接、市民と対峙するため、意識即実践が改善である。
 上記の判断基準から川崎市政の姿勢をみると、トップはやはり、しがらみを断ち切れない。配下の出資法人への天下りは目に余る感じである。H18年度末の局長クラス退職者は12名いるが、そのうち10名が出資法人への理事クラスの再就職である。
 H19年3月の定例議会で、その年度目標の「保育待機児童ゼロ」を達成できないことが誰の目にも明らかにもかかわらず、それを認めようとしなかった答弁を機械的に行っていた健康福祉局長がいた。この方も3月退職後、5月にちゃっかりと(財)川崎市指定都市記念事業公社へ常務理事として天下りして収まっていた。こういうことなら最後に組織のためにだけ頑張った理由もあると、妙に納得させる類である。しかし、保育所探しに駆けずり回った親からすれば「怒り心頭!」の答弁であったことは疑う余地がない。
 横浜市では市営バスの補助金不正受給、売上金窃盗事件がおきて、体質が批判されたが、その時の交通局長は天下りしたというニュースがあった。中田市長は交通局の職員に対して「交通局は志を持って公共に尽くす公営企業体、意識改革が必要」と訓話したそうだが、最大の結果責任を負うべき局長に対する処分を行うのが役割であろう。
 大阪市においても今春退職した元市幹部の再就職で外郭団体への天下りは昨年より36人増加、割合も5ポイントアップの60%で、市政改革の一環として外郭団体数の削減を進める一方でOB厚遇は拡大するちぐはぐぶりが浮き彫りになった、と報道されている。ここにも関元市長を筆頭としてトップクラスの姿勢が窺われる。
 このようにどこでも同じであろうし、最近の守屋元防衛庁事務次官の事件は、私利私欲を抑える公的規律を自己内部にもたないトップが国を引っ張っている例である。川崎市だけを云々しても解決にはならないが、ただ出資法人の中には、先にも述べた「MMS」の処も多くあるはずで、その体質改善がミッションであることを忘れないようにして頂きたい。
 ミドルであるが、付き合いが多いわけではないので必ずしも正確な判断かどうかわからない。市長への手紙での面談回答、或いは公文書開示請求で閲覧している際の会話等で個人的に話をすると、それぞれ尤もな話、即ち問題点、課題等は理解しておられる。しかし、それが組織としての人間になると発言がハリネズミ的になり、自ら動きがとれないことになる。これは十年来変わっていない。民間人とて同じ面があるので他人ごとではないが、結局、赤提灯でのサラリーマンの議論と同じようで、管を巻いて目立つだけで終わっている。そういえば、ネット社会も一部を除いて「赤提灯化」しているのかもしれない…。
 現場のサービス意識が向上していることは良く判る。最近、窓口で官僚的な対応を受けたことは皆無である。最近、クレーマー的市民が多くなったのかもしれない。モラールを維持することについてはできていると思われる。

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7.視座 〜羅列的視座から『構成的視座』への変換〜
 続いて、政策への視点を考える。「新・行財政改革プラン素案」では、改革の基本目標として「元気都市かわさきを実現する都市経営基盤の確立」が謳われている。具体的な取組として「1 施策・制度の再構築 2 行政体制の確立」である。一方、「新総合計画素案」において、基本政策のもとになる基本目標と基本方向が示されている。目標は「持続可能な市民都市かわさき」であり、方向は「1 協働と協調をもとにする 2 市の特徴と長所を活かす 3 自治と分権を進める」の3点掲げられている。
 ところで、二つの素案における相互関係、また、それぞれの目標と取組との関連、その順序と方向相互の関連は良く判らないし、説明もされていない。ただ、言葉だけが“浮き草”になっている。
 「新・行財政改革プラン素案」は川崎市財政問題研究会の最終報告、「今後10年間の収支見通し」に準拠している。大切なことは施策を述べる前に財政フレームとして、その見通しから指摘されている財政上の課題を一般会計、企業会計、特別会計をそれぞれブレークダウンして、如何に対策していくのか数値を示すことが素直なアプローチである。そこが全くでいていない。ただ、施策だけが羅列されている。数値を示し、その意味と重さ、相互関連を説明するのが財政プランだと考える。
 「新総合計画素案」は基本構想と実行計画の2層で構成されている。基本構想の部分は、まちつくりの基本方針としての7つ基本政策が掲げられ、階層構造として30の基本方向、更に90の基本施策へとブレークダウンされていく。その基本施策から実行計画が施策課題、更に事業計画と振り分けられていく。
 事業計画は5層目に相当する。何とも奥行きの深い計画である。再度整理すると以下である。
 第1層    第2層    第3層    第4層    第5層
7基本政策―30基本方向―90基本施策―255施策課題―1,008事務事業
他に、政策執行を支える631事務事業が更にある。
 これが市民にとって理解しやすいものかどうか?深遠な哲学を議論するのであれば、これもよかろうかと思うが、市民生活に身近な地方自治体の政策である。
 7基本政策―90基本施策―β事業計画、この程度までは階層を減らすことが出来るであろう。
 ここで7基本政策を示すと以下である。すべての政策が「まちづくり」に通じているのである。ということは、「まちづくり」があってもなくても同じことである。即ち、アラビアンナイトの「アリババと盗賊」の話にでてくるように、すべての家に同じ目印をつけてアリババの家を判らなくした賢い聡明な女奴隷モルジアナの話にどこか似ているのである。
 基本政策T  「安全で快適に暮らす」まちづくり
 基本政策II  「幸せな暮らしを共に支える」まちづくり
 基本政策III 「人を育て心を育む」まちづくり
 基本政策IV  「環境を守り自然と調和する」まちづくり
 基本政策V  「活力にあふれ躍動する」まちづくり
 基本政策VI  「個性と魅力が輝く」まちづくり
 基本政策VII 「参加と協働による市民自治による」まちづくり
 もっともなタイトルが並んでいることだけは良く判るが、その相互関連、優先順位等は何も説明されていない。全体像がまとまっていかず、総花的な印象を受けるだけである。
 7基本政策が30基本方向になって、更に詳細な政策が理解され、それが基本政策にフィードバックして、それぞれの理解が進み、基本政策の相互関連とそれぞれの役割が明確になってくるであろうか?そうはならず、単に細かくなるだけで、イメージが分断され、全体像から離れていくだけになる。
 ここに羅列的視座の問題点がある。アイテムを関連させず、おのおのバラバラなものとして施策を行い、課題を克服していく発想である。アイテムに分けること自体が関連するものを独立化することになるのであるが、それなしでは課題が明確にならないし、克服に向かっての施策もまとまっていかない。
 しかし、それを更に進めておのおのバラバラなものとして出来るだけ限定し、他のアイテムとの関連性に目隠しをすることは、すべて是々非々で臨み問題になっても狭い範囲内での解決を志すことになる。これは官僚機構の権限分割であり、役所特有の縄張り、縦割りにフィットさせようとするものである。このような視点のもとでは、90基本施策の統一性、相互関連性を議論できないのは当然であろう。
 上記の羅列的視座構造の問題点を克服していくためには、構成的視座構造により基本施策をみていく必要がある。何故なら、課題はそのアイテムに止まるわけではなく、他の施策とも絡みあうし、政策全体にとって問題になることもあり得る。それには常に体系全体をダイナミックにみることを可能にする視点を設定しなければならない。改革を進めていくためには、この視座構造が不可欠である。

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8.政策 〜『ライフサイクル』を中核に〜
 そこで基本政策を整理する意味において、筆者が考える基本政策の分け方、ビジョンである『営存都市』をベースにして導き出した政策体系を提示し、川崎市の新総合計画素案の返換を図ってみる。
 川崎市政策体系の内容として以下になる。
★「政策全体の土台となる」★
 1)基本計画…構想・財政/行政/議会改革・住民自治・予算
  (外部環境…国家政策・法律/規制)
★「政策の中核となる」★
 2)ライフサイクル…幼児/保育・児童/教育・仕事/失業・
           女性・中高年・老年/介護・障害/福祉
★「直接、日常的生活に係わる」★
 3)生活環境…安心/安全・保険/医療・消防/救急・
        コミュニティ交通・市民サービス
★「生活環境を取り巻く基盤として」★
 4)地域デザイン… 都市計画・住街環境/駅周辺・自然/景観
 5)インフラ…防災・動力/廃棄物・道路/交通
 6)産業…事業支援・誘致/環境整備・中小企業・商業・農業
 7)文化…施設運営/提供・支援/振興・参加/交流
 「元気都市」かわさきのキャッチフレーズで示される川崎市の政策体系「まちづくり」シリーズと比べ、どちらが判りやすいであろうか。
 川崎市の政策タイトルに付いているような気をそそる表現は内容を理解させるものになっているであろうか。私見によれば、このような飾り立てた言葉で政策内容に接近することはできないはずである。
 地方自治体の政策はライフサイクルにおける“生活時間”全般へ影響を及ぼしている。ゼロ歳児からの保育、教育現場としての学校、のニートへの就職斡旋、シニア世代の地域活動参加、高齢者の介護、いつのまにか自治体行政のお世話になっている部分が大きくなっていること、これは単に量的な問題ではなく、質的な課題であることを認識することがαでありωでもある。
 これまではせいぜい上下水道とゴミ処理であった。しかし、現状は個人の生活時間の中に自治体が入り込むようになり、ライフサイクル全般にわたってのサービス(民間の監理、指導も含む)を提供するようになっている。この場合、「改革」の視点は、水ぶくれした財政が破綻しないようにするとの発想に基づいているから、「改革=効率向上=経済効果」として対応が多くなされている。この原則はもっともであり、この追求をすべき分野が多々あることは確かである。民間部門の参入は積極的に進める必要があるし、何よりも縦割りによる規制や指導は廃止する方向で進めるべきである。
 上記の生活時間そのものに係わることは、“人間の営み”に属することであり、「効率」によっては改革できない部分も有し、「効率」を追求することがサービス低下を招く場合もあることは多くの人が実感している。一方で、官による統制施策・経済と地域社会の衰退が、市民による公共サービスの濫用を招き、医療にみられるようにシステムそのものの破壊へと進んでいるかのような例もある。
 川崎市のプランでは、新たな公共サービスの提供体制を構築するという。それは「官」と「民」との役割分担、適切な監視・指導・助言であるという。しかし、単に数値を追い回すだけでなく、また、役割をこなすだけでなく、市民の生活・活動全体を考えて、生活環境を整えるものでなくてはならない。
 改革とは手段、プロセスである。“人間の営み”を考慮した生活環境を公共サービスとして構築するように現状を克服するアプローチを築いていくことこそ改革であり、業務革新として最優先で取り上げるべき課題であろう。これはスローガンになりにくい地味な仕事であるかもしれない。しかし、生活基盤としての“営存都市”を築いていく公共哲学及びその公的空間で仕事をする人間像の創出を意味することを指摘しておく。
住民にとって、地方自治体の政策の中核はライフサイクルに関連する問題である。ライフサイクルとは人間の営みそのものである。アイデンティティ理論で著名なエリック・エリクソンによれば、人間はライフサイクルの各段階で重要な徳目を学習するというここで獲得した徳目が次の世代の徳目を学習するベースになる。
(『老年期』エリック・エリクソン、ジェーン・エリクソン、ヘレン・キヴニック著、みすず書房(1990年))。
 幼児は「信頼」である。これに対して老人は「統合」である。これが崩れるとき、老人は「絶望」に至る。もちろん、個人としての問題、家族或いは友人の問題などが大きく、地方自治体の政策にその責任が被せられるワケではないことは当然である。一方、老人たちの「統合―絶望」の心境を取り巻く環境として介護施策等はそれなりの影響を与えるはずである。従って、ライフサイクル関連施策そのものが単に施設整備とか、補助金供与であってはならない。“人間の営み”そのものをサポートしていく何かが必要とされている。そこに、今後の地方自治体行政の、そして役所の職員のチャレンジがある。もちろん、SCO(Social Community Organization)の発展もまた、社会的資本として大切なことは論をまたない。川崎市在住の脚本家・山田太一氏は、この問題をどのように描いた作品を作り上げるのであろうか。
(高度経済成長が生活時間に与える影響についての先駆的議論は、
『経済秩序における成熟時間』永井陽之助(「中央公論」'74年12月号)、
「時間の政治学」(1979年)中央公論社所収を参照)

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9.情報 〜『情報循環』による共有・統合へ〜
 市民にとって市から発信される情報は、開示された内容とその循環過程によって様々に解釈される。
 筆者は半導体製造技術の仕事柄から、情報開示工程を考えてみた。しかし、情報といってもその内容が異なることに注目する必要がある。
 情報開示工程として以下のモデルを考える。大切なことは段階が進むことによって「情報」が加工され、変化していくことである。料理に例えるなら材料が並べられた集積段階から煮たり焼いたりし、味も付けられた統合段階まで、料理人の腕によって、出来栄えが変わるのである。そして、その内容は知識から認識へと進み、最後は提案等へ表出されて意味を持つようになる。
   第1段階 第2段階 第3段階 第4段階   
工程   集積    整理   説明   統合
状態   保管    公開   共有   活用
内容   結果   知識   認識   表出
 情報開示工程は先ず、開示しても良いとされる情報が集積工程に載せられ、保管されている状況である。住民から開示請求があればおもむろにみせてあげるという態度。今でも川崎市議会委員会議事録はこの状態で公文書開示請求によって閲覧状態になる。その内容は最低限、結果の羅列である。
 次に、開示が単なる集積だけではなく、大切なことは情報が整理されていくことである。これは『情報循環』とも深く関連する。実は整理された情報は行政から結構でているし、ホームページにも載っている。例えば、予算説明書はどこの自治体でもパンフとして市役所のコーナーに置いてあるのではないか。しかし、なかなか読まれないし、読んでもそのままひとりの行為で終わってしまう。
 住民にとっての課題は『情報循環』である。これは今まで議論されていない課題のように思える。現状、閉じこめられた情報提供とマスメディアへの「露出」が情報開示になっている。
 しかし、整理―説明−統合と進みそれが『情報循環』と結合することが大切で、ホームページもそのための手段と考えている。現状のネットはブログへ流れ、マスメディアと同じような劇薬タイプを標榜するものが読者を多く得ているようで、それはしかたないとして『統合された情報を住民の間のネットワークで循環させ、料理が出来上がっていくように統合され、最終的に発信元である行政と関心をもつ多くの市民の間で共有する』ことを目標に努力したい。
 マスメディアによる情報露出を誘導する手法は一時的に衝撃を与え、非常に効果もあることは経験上理解しているが、一過性にならざるを得ないので、基本的な認識に到達するのか疑問なしとはいえない。結局、その後のフォローが大切であるが、そこを切り換えていく手法は未だ提案されていないように思える。
 また、最近は資金調達のための地方債発行もあり、投資家に向けて格付け機関に評価を依頼することも行われている。外部評価は大切であるが、マスメディアに開示されると話題を呼ぶが単なるランクだけが示され、実態がどのように理解されたのか全く不明、かつ、格付け機関の思惑も入っている。このような情報は付加的なものであり、情報開示という面からは本質的なものではない。

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10.克服 〜アジャイルな活動による『地域主導権』〜
 地方自治体の改革は三重県の北川知事を嚆矢としている。しかし、それ以前にも改革の試みはあったのではないか。今改めて、改革のアルケオロジーを試みてみることも必要のように感じる。即ち、そのような試みは小さい組織体の方がやりやすいからである。また、代表制などでトップに立ったリーダーがいると権力を集中しやすい面がある。
 そこで考えるべきことは地方分権というよりも『地方主導権』である。改革の事例を地方から国への突きつけ、逆に国家機構の改革を迫ることである。神奈川県の松沢知事もアプローチしているが、更に小さい自治体が国へ多くの改革案を提言しても良いように思える。国は一つであるが、地方自治体は無数にあり、小回りがきいてアジャイルな活動ができるからである。これが『地方主導権』となって国全体を動かすことに繋げていけるのか。それが市民との連携からみた国への戦略である。
 この点から、自治体DNAの最大問題、“国の下で作業する気風”を意識改革できるのか、問われるのである。しかし、それはまた、我々市民にも降りかかってくる課題でもあるが。
 例えば、三セク、出資法人等も含めた連結決算が必要なことは予測可能であり、それを惰性と希望的観測によって当事者たちは引き延ばしてきた。その結果、国から財政健全化法を突きつけられている。地方自治体が多少荒くても連結状態を世間に晒し、その対策を堂々と議論し、国に要求すべきことをまとめていたならば、市民の支持を得られ、業務革新へ向けて主導権を握ることができたのかもしれない。現状は追いつめられた感覚で後手に回っている。
 サッカーにおいても守備において敵の攻撃について走るのは精神的にも疲れる。しかし、敵の動きを読んで走るとボールを奪って反撃に移ることが可能である。劣勢のチームはそのようにして速攻からの得点を狙う。狙いを持って業務革新を続けていけば、本当の“地方自治”を可能にするチャンスはこれからもある。   以上

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